第11話 迷子


「い……たっ」


 崖だと思っていたのは、急な斜面だった。

 斜面に削られるように滑り落ちて全身が痛い。

 特に右足はひどい擦り傷で血が出ている。これくらいで済んだだけ運が良い。


 さすがにここまではトカゲも追いかけて来ないようだった。

 ひと安心、だけど……ここからどうするか。


 斜面といっても、ほぼ直角で絶壁がそびえ立っているように見える。

 6歳のアリシアがのぼるのは無理だ。

 どこか迂回ルートを探さないと。


 立ち上がろうと足に力を入れると


「いぃッッ!!?」


 右足に激痛が走った。

 これ、擦り剝けてるだけじゃなさそうだ。

 骨折? 少なくとも、捻挫はしてる。

 何とか立ち上がっても、歩く前に痛みでバランスを崩して転んでしまう。

 ダメだ、歩けない。


 いや、歩けないとか言ってる場合じゃない。

 ここにいることは誰も知らない。誰も助けに来てくれない。


 けど、足は言うことを聞いてくれなかった……



 夕方になって、そこからは早かった。

 あっという間に日が沈み、辺りが見えなくなる。

 街灯なんてものはないから、闇の中に取り残されたみたいだ。

 不気味な獣の声が遠くに聞こえるたび、身を縮めたけど隠れるものもない。


 本当に私はバカだ。

 この異世界よりも発達した日本の20歳なんだから、大抵のことはなんとかなると思っていた。

 でも結理の頃森に入ったのなんて、せいぜい森林公園くらい。そんな経験何の役にも立たない。


 お屋敷でみんなに守られてぬくぬくと暮らしていたから、ここは剣と魔法の異世界だという意識もほとんどなかった。

 数年前まで、魔王や魔物に支配されていた世界だというのに。

 それどころか、森に危険な生き物がいるかもという考えすら抜け落ちていた。


 私は何もできない、何も知らないただの子供なんだ。


「う…………」


 自分の情けなさに涙が出そうになる。

 きっと今頃、メイドさんたちが大騒ぎをしてるはずだ。お父さんにも知らされてるに違いない。

 私のせいでマドレーヌさんたちの責任問題になったらどうしよう。全部私のせいなのに。


 このまま本当に、誰も助けに来てくれなかったら……


 凍死? 餓死? モンスターに食べられる?


 悪いことしか考えられない。

 でも、水さえあれば人間は一週間は生きられるらしい。

 焼き肉のたれだけで生き延びた人もいると聞いたことがある。


 ……焼き肉のたれなんてどこにあるんだよ。

 水だって持ってない。辺りに川も見当たらなかった。

 水がなかったら、どれくらい耐えられるんだろう……6歳の子供が……


「……まー! ……シアさまー!」


 ぼんやりとした意識の中で、微かに声が聞こえてきた。

 誰かが私を捜してる! 


「誰かー! 助けて―!」


 振り絞って大声を出す。

 でもカラカラの喉では思ったように声が出なかった。

 何度も声を張り上げたけど、誰かの声は遠ざかり、聞こえなくなってしまった。


「う、そ……」


 全身の力が抜けた。

 一瞬見えた希望の光が消えて、絶望がチラつく。

 鼻の奥が痛くなった。


 結理のとき、死ぬことは怖くなかった。

 お父さんもお母さんも死んだ。

 私も近い将来そうなるだろうと思っていた。予想よりはずいぶん早かったけど。

 死んで異世界転生できると思えば、怖くなかった。


 けど今は怖い。もしまた転生できるとしても、死にたくない。

 だって――


「アリシアー! アリシアーー!!」



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