喜びを共に、美味しさを君に。

蘇芳 ななと

喜びを共に、美味しさを君に。

 「勇者よ、此度の魔王討伐、見事であった」

 魔王を討伐し、役目を終えた勇者は悩んでいた。

 それは自分のいた世界に帰るか、この世界に留まるかである。

 国王がゆっくり考えばいいと告げた為、勇者はそれまでを王城で過ごしていた。勇者は何をするでもなく、ただぼんやりと空を眺めては物思いに耽るのであった。

 「勇者様、お昼の準備が整いました」

 ある日のことである。狐の耳を生やしたメイドの一人が、器を乗せたワゴンを押して入ってきた。昼食の時間だ。普段の昼食時であれば肉の焼けたこってりした匂いがするが、今日は出汁のいい匂いがふわりと漂ってきた。

 お、今日は違うのかな。

 飲み水を用意するメイドは勇者の表情に気付いて眉を下げた。

 「勇者様のお口に合うかわかりませんが……」

 トンっと置かれた器の中身を見て勇者は息を呑んだ。

 「これは……」

 勇者の前に出された本日の昼食。それは大きめの椀の中に白い麺と琥珀のスープがきらきらと輝いて、ふわふわの玉子と小さく刻まれた野菜が鮮やかに彩っている。そしてそれらの上に乗っている油揚げ。

 そう、勇者が元いた世界で頻繁に食べていたカップ麺の赤いきつねとそっくりだった。

 「どうして……油揚げもそうだけど、うどんなんてこの世界に無いんじゃ」

 「……はい。前に勇者様とお話した時に美味しいと言われていたので、何度か試行錯誤して似たようなものが作れないかと頑張ってみました。その、食べても問題ない味付けまで行くことが出来たので、本物の味を知る勇者様に食べて貰ってご意見を頂けないかと」

 指をモジモジと合わせてメイドが恐る恐る勇者を伺う。

 己の下手な説明だけでここまで辿り着いたのだ。しかも、この世界にはないうどんや油揚げを一から作った。それだけで大変な苦労をしたのは確かだろう。

 ここまでして貰って断る理由なんて勇者にはない。

 「もちろん、俺でよければ。いただきます!」

 快諾した勇者は冷めないうちにと器を持って汁を一口飲んだ。

 「!」

 勇者が想像していたよりも汁はとても出汁が効いていた。

 コクリと飲み込めば、じんわりと熱いものが食道を通って胃に落ちるのがわかる。内側から温かくなるそれは強張っていた筋肉を解して、勇者はほっと一息吐いた。

 勇者専用の箸を手にして油揚げを一口齧る。すると染み込んでいた出汁がじゅわっと口内に広がって、揚げの甘みと油の旨みが見事にマッチしてより味に深みをだした。

 「うまい……!」

 勇者が元の世界で食べていたものとほぼ変わらない美味しさである。

 これは期待出来るのではと次に麺を啜るともっちもちの食感が勇者を楽しませた。

 「美味しいよ、これ!」

 「本当ですか!」

 想像以上の味に勇者が笑顔で伝えるとメイドはほっと胸を撫で下ろした。

 「良かったです。料理長と一緒に何回も試作した甲斐がありました」

 「玉子もふわふわで、油揚げも甘く味付けされてて美味しいよ。うどんもコシがあって食べ応えがある」

 でも……と、勇者は笑みを消して、きつねうどんをじっと見た。

 「何か物足りない気もするんだ」

 「……そう、ですか」

 メイドは、やはり本物の味を知らない自分が再現するのは無理なのかと耳を垂らす。

 「…………」

 勇者は琥珀に映る自分の顔を暫く凝視していた。



 メイドが勇者の為にときつねうどんを作ってくれた翌日。勇者は故郷である日本に帰ることを決めた。

 国王には既に別れを告げ、見送りもいらないと伝えてある為、今は自分一人しかいない。

 日本へと繋がる道はきざはしの丘にあり、勇者はこれまでのことを思い返しながらゆっくりと向かっていた。

 いつもと同じ、繰り返しの日常の中、突如連れて来られた異世界で勇者として魔物と戦ったこと。時に仲間と出会い、支え合い、そして裏切られ、互いの本音をぶつけた事もあった。

 文句を言わず自分達について来て、いつも温かい食事を出して癒してくれる彼女に小さな恋をした事だってあった。しかし、戦いの激化する中、そんな想いを抱く余裕もなくなった。

 自分にとってそこは常に非日常の世界だった。

 魔王と相対するとなった時、死ぬかもしれないと感じた。そうして思い出されたのは異世界に来る前の、つまらないと思っていた日常だった。

 母親の小言、父親のだらしなさ、妹の生意気な態度、友人とのふざけ合い。

 どれもこれも思い出というには綺麗なものではないが、自分にとっては当たり前の、在るべき日常だったのだ。

 ここで死ぬ訳にはいかないと奮起し、苦戦したが仲間と協力してなんとか魔王を倒す事ができた。これで晴れて自由だと喜びに沸く仲間や民衆達を見て、勇者である自分も喜んだのを覚えている。

 ……燻った感情に気付かないフリをしていたのも。


 魔王を倒す過程で自分は変わってしまった。剣を向けることを躊躇しなくなった。

 そんな自分がこれからどうするのか。どうしたいのか。

 故郷に帰ったとして、自分は受け入れてもらえるのか。平凡な日常を自分は受け入れられるのか。

 そんな時に、共に魔王討伐について行ってくれたメイドが自分の故郷の料理を作ってくれた。何度も試行錯誤したというそれはとても美味しかった。自分の知っている味と遜色ないほどである。

 「完璧だ! 最高だよ!」と、彼女に言ってあげたかったが、それを言えない自分がいた。

 何か物足りない。何が足りない? 何が違う?

 それを眺め、食べては考えていた。そして、寝る時になって気付いた、足りないもの。

 それは。

 「勇者様……!」

 丘の上に勇者が着いた時、後方から勇者を追いかけてくる姿があった。狐耳のメイドである。

 勇者のもとに走ってきた彼女は息を整えて彼に迫った。

 「勇者様、帰ってしまうのですか! やはり昨日の私の作った料理が原因で!?」

 「そうだね」

 勇者の言葉にメイドは息を呑むと後方へとよろけて項垂れた。

 「や、やはり、私のせいで……」

 自分のせいで勇者が帰ることになったとメイドは自身を責める。そんなメイドを見て勇者はそっと彼女の手を取った。

 「君のせいじゃないよ。確かにきっかけはそうかもしれないけど……君が気にすることじゃない」

 「しかし!」

 言い募ろうとするメイドを勇者は制した。

 「昨日、君の作ってくれた料理で何かが足りないと言っただろう?」

 「……はい」

 「それが何かずっと考えていてね。ようやくわかったんだ」

 勇者は目を細めて笑った。

 「家族と食べる。それが俺にとって足りないものだった」

 「家族……ですか」

 「そう。母さんが家にいない時は父さんが『今日は赤いきつねにしよう』ってカップ麺三つ用意して妹と三人で食べてさ、受験勉強で俺が夜中起きてたら母さんが『食べて頑張りなさい』って持ってきてくれたりして……一人で食べる時もあったけど、よく思い出すのは全部、家族と一緒に食べた時の思い出なんだ」

 「なるほど……ここには勇者様のご家族は居ませんものね。一緒にご飯を召し上がる事が出来なければ、一生、物足りないままですね」

 そう思うと、帰りたくもなりますよね。

 メイドが小さな声で呟く。

 拗ねるような言い方に勇者はふっと息を吐いて笑った。

 「そう。一生、物足りないまま。だからさ、今度は君も一緒に食べようよ」

 「え?」

 勇者からの思いがけない言葉にメイドは目を瞬かせた。

 「きつねうどんはさ、温かくて美味しいだけじゃない。俺にとって家族との思い出の味なんだ。ほっと一息つける安心する味。その思い出の味を君に知ってほしくて……その、君との思い出の味になればいいなって。こっちに戻ってくる時に、赤いきつね、二つ持ってくるからさ。俺と一緒に食べよう。それで、また君の作ったきつねうどんが食べたい」

 「えっえっ」

 最後は口早に、勇者にとって思い出の味を、メイドである自分との思い出の味にもなればいいと言われ、メイドは混乱した。

 その言葉が意味するものとはと、期待と不安が織り混ざり、メイドの頬が上気する。

 「その為には一度帰って色々準備しなくちゃね!」

 メイドの反応を見た勇者は嬉しそうにそう言うと、神官から貰っていたブレスレットを掲げた。

 嵌め込まれた透明な石が真紅に輝いて、その石を目指すように天上から光が降り注ぐ。階段となって現れたそれに勇者は一歩踏み出した。

 「絶対戻ってくるからさ。約束」

 振り向き様に言い残して、勇者は元の世界へと帰っていった。

 一人残されたメイドは暫くの間、呆然として、光が消えるまでその階段をずっと眺めていたのだった。



 勇者が自分の世界へと帰ってからどれほどの時が経っただろうか。

 この世界に留まると思っていた民衆は英雄がいなくなり残念だと嘆いていた。けれどもそれは最初だけである。

 平和となった今、誰も勇者を求めていない。

 繰り返される日常に、人々はただ自分と周りの事で手一杯だった。

 国王はそんな民の様子を見て、勇者が故郷に帰ったのは正解だったのかもしれないと考えた。

 平和であれば英雄という象徴は持て余すだけで、逆に政権の新たな火種となる可能性もある。

 ……英雄ではなく、一般人であるならば、その心配もないだろう。

 国王は散歩がてらふらりと厨房を覗き込む。

 こっそりと見れば、中にいたのは若い男と狐族のメイドだけだった。料理長は休憩中でいないようだ。

 男とメイドはどうやら食事中のようで同じ器を並べて仲良く食べている。

 白い麺を啜り、汁を飲み、ほっと息を吐く。そうしてお互いに照れたように笑って、また麺を啜るのだ。



 勇者が帰った数日後、国王は独断で一人の若い男を執事見習いとして雇った。

 城の事は詳しい者にと任せれば、自然と狐族のメイドが城の案内をしていた。流石に業務内容が違うので仕事は教えられないが、それ以外のことはそのメイドが率先して男に教えていたのを覚えている。

 後にメイド長から聞いたがどうやら二人はとある約束をしていて、の仲らしい。

 「……青春じゃのぅ」

 国王は二人の食べている姿を微笑ましく思いながら、その場を後にした。

 

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