一章 7話
「楽しかったです」
「それは良かった」
イルカショーも無事に終わり、席を立って歩き出す準備をしていた時、姫花が俺にそう言ってきた。
「イルカって、やっぱりすごいですね」
「まぁな。何度見てもあの跳躍力は異次元だと思う」
「そうですよね。あんなに高く飛べるなんて、私知りませんでした」
そんな会話をしながら、次の水槽へと向かおうとしていたその時だった。
「あれ、姫花がいない……」
突然隣にいたはずの姫花の姿が消えていた。
俺たちと一緒にイルカショーを見ていた客の波にのまれて、俺と姫花ははぐれてしまったのだ。
「クソッ。さすがにやらかしたな。早く探さないと…」
そう言って、俺はすぐにスマホを取り出し、姫花に連絡をした。
しかし、そう簡単につながらないのが世の摂理。俺のコールに姫花は反応を見せなかった。
「何かあってからじゃ遅いのにな…」
俺はスマホをポケットに入れて、早足で館内を歩き回った。
しばらく探し回った時、少し離れたところから声が聞こえてきた。
「ねぇ、いいじゃんか。どうせ一人なんでしょ?」
「いえ、人を待っているので…」
「それって女の子でしょ?いいじゃん。その子も一緒においでよ」
「いえ、ですから彼氏を待っていて……」
「でも、さっきから全然来ないよ?やっぱり嘘でしょ?」
「いえ、それは……」
そんな声の聞こえる方へと向かうと、そこにはいかにもチャラそうな男二人に絡まれている姫花がいた。
俺は姫花を見つけると、すぐに駆け出した。
それと同時に、そのチャラそうな男のうちの一人が、姫花の手首を強引につかんだ。
「いやっ……!」
姫花がそんな声を上げたその瞬間、俺はその男の手首をつかみ、ひねり上げた。
「何すか、あんたら?俺の彼女に何ちょっかい掛けてんだよ」
俺はそう言って、ひねり上げている手首にさらに力を加えて睨みを利かす。
「ッ……!」
その力に、男は顔を少しゆがめた。
「悪かった。本当に彼氏がいるとは思ってなかったんだ。ほんと、ごめんな」
「あ、ああ。ほんと、悪気はなかったんだよ」
そう言って、俺の手を振りほどきながら、男達は逃げて行った。
「大丈夫か?姫花」
「は、はい。こういうのはよくあるので……」
そう言った彼女は、確かに大丈夫そうだった。
しかし、それならなぜさっきはあの男達を追い払えなかったのだろうか。
俺はそんな疑問が頭に浮かんだ。
「そうか。ならいいんだけどさ、じゃぁ何でさっきは追い払えなかったんだ?」
「えっと……」
俺がそう聞くと、彼女は言いにくそうに少し顔を逸らした。
そして、何かを決意したような顔をして、話し始めた。
「さっき冬治君とはぐれて、ちょっとてんぱってしまったと言いますか、少し動揺してしまいまして、それで上手く対応できなかったんです」
「なるほどな……」
俺は少し納得した。
確かに、元々一人でいたのなら、簡単に追い払っていただろう。
実際よくあると言うのも間違いじゃないと思う。これだけの美人なのだから。
ただ、一緒に居た人とはぐれると言うことは、少し不安になって、そして探さなくてはならないという新しい行動が必要になる。
そんな急に増えた用事に、頭や心が追いつかなくて、パニックになって余計に合流できなくなると言うのがよくあるオチだ。
そしてそこにあのナンパか。それはきついな。
俺はそう考えると、スッと手を差し出した。
「ほら。手、繋いどこうぜ」
「えっ……」
俺がそう言うと、彼女は少し驚いて見せた。
「またはぐれたら今度はどんな奴に捕まるか分からないし、それに俺たちは付き合ってるんだから」
「……!?」
俺がそう言うと、姫花はまたしても驚いて目を丸くさせた。
恐らく、俺がこんなことを言うとは思っていなかったのだろう。
まぁ、確かに姫花ほどではないが、俺も鉄壁と言えば鉄壁なのだから、当然だろう。
俺の場合は『恋』自体が分からないのだが……。
「えっと、いいんですか?」
そんな俺に、彼女は手と顔を交互に何度か見てから、少し喜びの籠った声でそう聞いてきた。
「もちろん。嫌なら端からこんなことしてないよ」
「それでは、えっと、よろしくお願いします」
そう言って、彼女はぎこちなく俺の手を握る。
指の間に指を入れる、恋人繋ぎと言われるものだ。
「えっと…何だか、恥ずかしいですね」
「そうだな。でも、悪いものではないな」
俺と姫花はそんなことを言い合うと、少しぎこちない距離感で、しかし決して離れない一つの接点を持って、歩き出した。
「次は、ペンギンでも見に行くか」
「はい!ペンギン、見たいです!」
「よし、じゃぁ向かおう」
そうして俺たちはペンギンのいる水槽へと歩みを進めた。
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