12.月明りに咲く撫子

「それが貴女のポベトル?」

「うん。この子がメア。――優月ゆづきさんのお陰でまた会えた。ありがとう」


 優月ゆづきさんが声をかけてくれなかったら、たぶんわたしは泣いていた。

 涙が零れそうなのをこらえて、笑ってみせる。


 泣くのは後でもできるから。

 今は、やるべきことをやろう。


「よく分かんないメアけど、君はナデカの友達メア?」

「……ああ。そう、なるのかな」


 メアの質問に曖昧な答えを言う優月ゆづきさんは、視線をこちらへ向ける。

 つられてメアも、抱えているわたしの顔を見上げた。


「もちろん。優月ゆづきさんが良かったらだけど」

「……。明日見あすみ優月ゆづきよ。あそこで手持ちぶさたになっているのが、ウプウアウト。駄犬って呼んだら良いわ」

「わたしはウートさんって呼んでるよ」

「ユヅキにウートメアね。分かったメア」


 顔を少し赤くしながら、優月ゆづきさんは縛られた黒い塊の近くにいるウートさんを指差す。

 メアは駄犬って言う言葉には反応せず、わたしの呼び方を選んでくれた。


 この二人、初めて会う人にウートさんを駄犬って呼ばせたいのかな。


「メアはこの状況は分かったメアけど、君たちがメアのを分からないメアよね」

「そうね。ナイフに刺されたって言うのは聞いたわ」

「簡単にでいいから、教えて。メア」


 わたしたちの視線は、わたしの腕の中にいるメアに集まる。


 時間があるとは言えないので、無事な理由だけが今は知りたい。


「それはメアね。……ナイトメアのせいメア」

「あのポベトルの……?」


 あからさまに嫌な顔をする優月ゆづきさん。

 わたしも決して喜べているとは言えない。


 ナイフを刺したのはアリスだけど、治したのはナイトメア?

 あの性格からすると、笑いながら見届けるぐらいはすると思っていた。


 だからわたしたちは疑ってしまう。

 確かにメアは戻ってきたけど、無事なのはあくまで表面的で、何かをきっかけにあの状態に戻ったり。

 それとも何か仕掛けがあったりするかもしれない。


 いくらでも、不安な考えが浮かんでしまう。


「お察しの通りメア。ムカつく笑いをしながらメアを治したメアから、絶対何か企んでるメア」


 耳と尻尾を大きく動かして、怒りを露にするメア。

 アリスもそれを見逃したのが気になる。


「……まぁこの際いいわ。詳しい事は後にして、あのデカイの倒すわよ」

「うん」

「ちょちょ、ちょっと待つメア!」


 急に暴れだすメアに、わたしは疑問を感じる。

 あの大きさに驚いたのだろうか。


「あれがドッペルで、倒さないといけないのは分かるメア。でもナイトメアあいつが何をしたのか分からないのに、変身するメアかナデカ」

「うん、するよ。優月ゆづきさんとの約束があるから。それに――」


 目の前で膨らむ黒い塊は、ついに鎖を引きちぎりその姿を変える。

 降りかかる黄色の粒子も、今ではそれを祝う光のシャワーになっている。


 誓いを新たに胸に抱く。

 想いを受け止めて、想いをぶつける。

 これとは違う、新しい誓い。

 何度も何度も、親友たちに背中を押されて築き上げてきた、古い想い。


 ――下を向かず、前を向こう。

 そうすれば、わたしの涙は力になるから。

 そうすれば、みんなは笑顔になるから。


「――それに、何もしない何てわたしらしくないから!」

「馬鹿ね、撫花なでかは」

「そうメア。ナデカはバカメア」


 呆れた物言いで優月ゆづきさんとメアの意見が合う。

 でも、本当に貶しているとかではなくて、ほんの少し、遠回しな言葉。


 美友ちゃんがよくしている、顔と声。

 だからわたしも、いつも通りにお礼を言う。


「ありがとう、二人とも」


 わたしの声を押し流して、低音楽器を連想する音が響き渡る。

 黒い塊は腕をはやし、足を作り、顔を整える。


 それは大きな、とても大きな黒い猿。

 わたしたちなんてありと変わらないその大きさに、なぜかわたしは怖さを感じなかった。


 不思議と心穏やかで、絶望なんて感じない。


「行くよ、メア」

「分かってたメア。そうなるメアよね」


 口ではそう言っても、メアの体はほのかに光り出す。

 足元に流れていく光がわたしを包み、つぼみとして閉じていく。


「――変身」


 短い言葉。

 それを合図に、閉じたつぼみは開花する。


 腰まで伸びた撫子色の髪と赤い瞳。

 そして以前と同じくピンク色の衣装。

 心の中で、穏やかに炎が灯された気がする。


 咲いた花は桃色の粒子となり、町に種子をまいていく。

 いつか希望を芽生えさせる、光の種。


「改めてこんばんは、大きい猿の悪夢さん」


 わたしは高ぶる気持ちを胸に、猿のドッペルへお辞儀をする。

 返事がないことは分かっている。

 でも、たのしいことをしてくれる相手には、ちゃんと挨拶をしないと。


「……撫花なでか、貴女少し目の色が。それにその顔も」

「えっ?」

『気のせいメア、ユヅキ。ナデカはいつも通りメア』


 顔?

 やっぱり何か変わっているのだろうか。

 でも、メアが変わっていないって言っているし、何だろうか。


『そんなこと言ってる場合じゃないメア。来るメア!』


 正面から迫る右の拳。

 距離感が掴めず、速度も理解できないままわたしは立っていた建物ごと、潰される。


 全身にくまなく襲いかかる圧迫感。

 地面すらえぐれたのも分かり、よく意識があるなと自分でも思う。


 数秒経ち、圧迫感が無くなったことで拳が上げられたのが分かった。

 自然と閉じていた目を開けて、痛む体を起こす。


 これは慣れとは違うのだろう。

 謎の高鳴りが、痛みを和らげていた。


「うわぁ。貴女アレを食らって無事なのね」

『無事じゃないメア。メアは本当にこれを止めて欲しいメア』


 空から優月ゆづきさんの声が聞こえ、見上げる。

 あの椅子はよほど速いのか、それともパンタスでも使ったのか。

 無傷の優月ゆづきさんが、変なときのウートを見るときと似た目でわたしを見ていた。


 そんなにおかしいのだろうか。


「痛いよ。でも、この程度でわたしは止まるつもりは無いから」

「痛いとかそんなレベルじゃないと思うんだけど」


 ……そうだね。

 本当ならぺちゃんこになっていて、そんなことを言う事すら無理だと思う。

 でも、これは現実ではなく夢の話。


 だったら想いの乗っていない拳なんて、効かないし怖くない。


『やけに自信満々みたいメアけど、何か考えはあるメアか? あれを倒すのは至難の業メア』

「特にないよ。いつも通り、正面から堂々と殴るだけ」


 次に迫る左拳。

 その行方はわたしにではなく、空中に浮いている優月ゆづきさん。

 最初の一撃を耐えたわたしにではなく、避けた優月ゆづきさんの方が確実に倒せると踏んだのだろう。

 避ける気配のないわたしを後回しにするのは、戦いとして合っている。


 だけどわたしはそれを見逃すつもりはない。


「ミツバチさん、こっちですよ」


 優月ゆづきさんやナイトメアが言っていた、力を使う時の口上を真似てみる。

 イメージは、わたしを通り過ぎるこうげきの注意をこちらに向ける。

 そんな大雑把で、何のひねりの無い願い。


 それでもわたしから舞う花びらはその願いを描いてくれる。


 わたしの頭上を高速で通り過ぎる巨大な拳は、町へ植えられた種が芽吹くと同時にわたしの眼前に迫りくる。

 勢いは落ちずそのままの威力を、足に力を入れて受け止める。


 前のめりになって、地面にひびが入ろうとも。

 全身の筋肉が悲鳴を上げても、構わず拳に全霊をかける。


 片膝をついて足全体にこれ以上にないほどの負荷がかかる体勢になったところで、拳が止まる。

 足どころか腰すらもその影響が及び、両腕も気を抜くと上がらなくなるだろう。


「これは驚きました。ポベトルの力は弱いようですが、ナデカ様は驚異的です。――いいえ、私が抱いているのは敬意」

「なら撫花なでかの代わりになりなさい、駄犬」


 いつの間にか戻っていたウートさんの声が後ろから聞こえてくる。

 もしかして、わたしが喜んで攻撃を受けているとでも思っているのだろうか。

 痛いし苦しいし、何度も何度も後悔するコレを。


 わたしは、好きと誓いは違うと思いたいし、できるのなら反論したい。


「これって、やっぱりわたしが好きで攻撃を受けてると思われるのかな」

『当たり前メア。何の説明もなく攻撃を受け止めているのを見たら、誰もが思うメア』


 引いていく左拳。

 連続で右も来ると思ったけど、わたしの力を見たせいでそれはしないようだった。


「やっと落ち着いたわね。それじゃあ、今度は私たちの番よ。――さぁ、行きなさい。二人とも!」


 ――支援Support


 高らかに上げた優月ゆづきさんの声は、わたしたちを見守る金色の月から光の粒子を降らせる。

 粒子を浴びてわたしの体の中から力が湧いてくる。

 痛みも軽くなり、全開ではないけど多少の無茶をできる程度までは回復していた。


「それではお先に失礼します、ナデカ様」


 優月ゆづきさんの力を受け取ったウートさんが真っ先に飛び出す。

 空中を弾くように駆け抜けて、迷わずドッペルへと突き進む。


 それを受けてドッペルは体の前面から、黒い針を撃ち出してくる。

 猿の体毛なのだろうか。

 針と言ってもその巨体のせいで、一本一本は建物に使われる鉄骨と大差ない大きさ。

 拳よりも早い速度で飛ぶ黒い針は、狙いも何もなくわたしたち全員を狙う。


「――防御Defense


 優月ゆづきさんの目の前に何枚もの扉が作り出される。

 扉は飛んでくる黒い針に数本に一つ破壊されていくが、それを上回る速さで作られていく。

 その内の何枚かは、わたしに向かってくるものも防いでくれていた。


 対してウートさんは、空中で体勢を変えて黒い針を足場にしてさらに進んでいく。


『ナデカ、どうしたメア?』

「ウートさん、凄いなって。ああやってわたしも動ければいいなって思ったけど、心のどこかでそれも違うって思って」

『ナデカはあんな器用なことをする必要はないメア。というよりかは、あれは今のナデカの戦い方じゃないメア』

「うん、そうだね」


 拳を握りしめる。

 ウートさんのあれは攻撃を受け流して自分の力にしている。

 優月ゆづきさんの戦い方は、わたしでは一生かかっても無理だろう。


 今のわたしにできるのは、攻撃を受け止めて、めげずに前に進むことだけ。


「二回、いくよ」

『周りはメアが見るメア。ナデカは前だけを見るメアよ。……今思うと、メアたちは本当に一つの事しかできないメアね』

「今は、ね。これから少しずつ、できることを増やしていこう。わたしたちが前を見続けていれば、できないことは無いはずだよ」


 地面を蹴りつける。

 後方へ花びらは舞い、わたしは撫子色の光として直進する。

 前方へ打ち込む拳には、貴方を止めると祈りをこめる。

 わたしとドッペルかれの間にある壮大な距離には、わたしを彼の下へ届けてと奇跡を祈る。


 数秒あるか無いかのわずかな時間で、わたしの力は花を咲かせる。

 花びらとして散った空間は無くなり、祈った次の瞬間には拳はドッペルの体へと到達する。


 優月ゆづきさんやウートさんの目には、おそらく瞬間移動をしたように見えるだろう。


「一度目ッ……!」


 拳から放たれる桃色の光。

 目算で数キロメートルまで伸びた光はドッペルの巨体を宙に浮かせて遠くへ押し出す。


 浮いた体が桃色の粒子を漏らしながら離れていく。

 後ろから聞こえる黒い針が地面に刺さる音なんて気にもならなくなり、視線はドッペルに釘付けのまま。


『ナデカ、後ろに狼が来てるメア』

「ナデカ様、ここは私が。あの猿はお嬢様が抑えてくれる筈です」


 メアの声を聞いて無理矢理体を動かしてみる。

 空中でもがいてかっこ悪い気もするけど、うまくできないのは当然なのだから気にしていられない。


 メアの言う通りにウートさんが後ろから追い付いていたのか、彼の手の平と思われる足場が現れる。

 ちょっとバランスは取りづらいけど、ウートさんがうまく合わせてくれているのか落ちる気配は無い。


 それと同時に空に昇る月の光がさらに強まる。

 優月ゆづきさんが力を使ったのが分かり、視線の先にいるドッペルには変化が出始めた。


 ドッペルの巨体に合わせられた首輪がはめられ、わたしからそれほど遠くない空中に黄色の炎が浮かび首輪へと鎖が伸びている。

 鎖の長さが限界へ達するのは予想より早く、空中で動きを止められたドッペルは町へと前に倒れ込む。


「それでは、不肖ウプウアウト。ナデカ様のお足元を僭越せんえつながら務めさせて頂きます」

「はい、お願いします!」


 跳躍の勢いがなくなって徐々に落ち始めているわたしたち。

 そんな状態からでもウートさんはわたしの体を片手で押し出してくれた。

 それに合わせて勢いよく跳ねて、もう一度奇跡を祈る。


 届いたのは、ドッペルの大きな顔。

 真っ直ぐに、眉間へと拳を叩き込む。


「二度目ッ……!」


 再び花を咲かせる桃色の光。

 ドッペルの全身が光に包まれて、わたしの視界は桃色を超えて白に染まる。


 そこにあったはずの感触は少しずつ消えていき、聞こえてくるのは強烈な光ではなく、一つ一つ花びらを散らせる花の音。

 吹き荒れる花びらを肌で感じながらも、わたしは地面へと足を付ける。


『終わったメアよ、ナデカ』

「みたいだね、メア」

『……今ぐらいは、泣いてもいいメアよ』

「ありがとう。大丈夫だよ」


 まだまだ光に溢れかえっており、目を開くことはできない。

 それでもうるみ始める目をこらえるために、上を見上げる。


 優月ゆづきさんが言っていたことは分かっている。

 自然発生したドッペルは人間ではなくて、ためらう理由はないと言いたかったのは、分かってる。


 それでも、わたしたちと同じ生き物なんだ。

 これまでを生きてきた生き物を、手にかけた。

 それは事実で、でも優月ゆづきさんの言う事も否定できない。


「泣いて、何とかなるものじゃないから」


 そう。

 泣いても、何も変わらないし相手が許してくるわけでもない。

 わたしの誓いも自己満足で、自分勝手な言い訳だ。


 光が衰えていく。

 目を開けた時には既にドッペルの姿は無く、肌寒い夜風に舞う花びらだけが残っている。


「これはナデカ様なりの鎮魂の献花と言った所でしょうか」

「そんなに大層なものじゃないですよ。むしろ……」


 静かな足取りで近付いてきたウートさんは、気を利かせてくれたのだろうけれど素直に応えられない。


 過ぎ去ろうとする花びらを一枚手に取る。

 赤い影を帯びた桃色の花びらは、手の平の中で粒子に変わっていく。


 続きは、口にはできなかった。

 散った花を墓に添えるなんて、あまりにもひどすぎるだろうから。


「ナデカは想いを伝えるために、無茶な方法を考え出す頭の悪い子メア。安易な想いの伝え方はしないメア」

「メアのそれもちょっと違うかな」


 元の姿に戻り、手元にメアが現れる。

 学校の成績はそこまで悪い訳では無いのだけれど、今までやってきたことに対する事だろうから、違うというつもりもない。


 心の中でありがとうと言って、変わらない振る舞いをしてくれるメアをそっと抱きしめる。


「改めて、お帰り。メア」


 気分を切り替えるために、思いっきり笑って見せる。

 ほんのささいな本心への反抗。

 わたしの心の花が枯れて散らない様に、せめて近しい人には笑顔でいて欲しいと想いみずを与える。

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