11.夢と再会

 黒い霧に包まれた猿が完全に消え、町に灯された金色の炎と鎖もその姿を黄色の粒子に変える。

 優月ゆづきさんが操る椅子は、ウートさんの近くへ滑る様に降りていく。

 息も切らせずに余裕の表情でわたしたちを向かい入れてくれる彼には、素直に憧れる。


 わたしなら絶対、あの状況だったらボロボロになって誰かを気遣う余裕なんてない。


「ご支援、有り難うございますお嬢様」

「あの程度に遊ぶ必要ないじゃない、ウート」

「ヤエザキ様にお嬢様の力の一端を見せる、良い機会かと思いまして」


 地面にスレスレで停止する椅子。

 笑いかけて手を差し伸べてくれるウートさんには、常にこんな感じでいたら良いのにと思ってしまう。


 手を取ったわたしは石畳の地面へ飛び降りる。

 着地した時に少しふら付いてしまったが、ウートさんが肩を軽く支えてくれたお陰で転ばずに済む。

 ありがとうございます、と一言お礼を言うと彼は何も言わず笑顔で返してくれる。


「お嬢様、暖かいですね」

「そうね、ドッペルさえいなければ」

「ドッペル……? ああ、なるほど」


 神妙な顔をして突然気温の事を言い出すウートさんに、優月ゆづきさんは月を見上げながら答える。

 その後のドッペル呼びに疑問を感じた彼は、わたしを見て納得する。

 そうだよね。その名前を出しそうなのはわたし位しかいないもんね。


「さてお嬢様。このタイプですので、残りを探さなければなりませんね」


 このタイプ・・・

 その言葉に違和感を覚える。

 ドッペルって入れ替わった人か、その前の……ああもう、ややこしい。


「……撫花なでか。もしかしてその辺りの事、ポベトルから聞いていないの?」

「ごめんなさい。メアとはいつも落ち着いて話す前に、ドッペルと遭遇しちゃって。詳しいことは聞けてないの」

「致し方ないでしょう。私が聞いた限りでは、あまり力の強いポベトルでは無さそうですから」


 二人が目配せをすると、優月ゆづきさんは腕輪を光らされる。


 ――転移Teleport


 広がる黄色の光に包まれて次に目を覚ました時には、城が建っている階段状の山の上から三番目の層にわたしたちは立っていた。

 しかもご丁寧に比較的高めに建てられた家の屋根の上だ。

 踏みなれないかわらの感触と、突然の高所で足がすくんでしまう。


「降りてそうそう悪いけど、やっぱり座る?」

「こ、これくらい大丈夫」

「もし落ちても私が受け止めるので、ご安心ください」


 落ちる前に何とかして欲しいが、それはわがままなので口にはしない。


「では、ドッペルを探しながらでも彼ら――私たちを含めてお話致しましょう」


 早速わたしの呼び方に合わせてくれるウートさんは、軽く喉を鳴らして喋り始める。

 優月ゆづきさんは完全に彼に任せる様子で、ずっと町を見下ろしている。


「一つずつ行きましょう。まずドッペルは悪夢全般の事で、自然発生が主です。全ての動物から発生するので、発生の確率は低くとも数自体は相当います」


 人間だけでも確か70億だから、他の動物を含めるとなると……


 いすぎじゃない?

 話の腰を折ってしまうので、質問は後に回す。


「そしてその種類は大まかに3つ。自然発生した者。入れ替わった動物がなった者。そしてそれらから派生して敵対している我々ドッペル」

「お茶の中でも種類があって、その中の一つ。みたいな感じ?」

「そうですね」


 本当だったら動物とかの系列とかが近いのだろうけど、わたしには分からないのでそれっぽいものを提示する。


「分かりやすくするならば、とにかく数が多いのが自然発生。逆に数は少なく、より強力で厄介なのが入れ替わり。と言った所でしょうか」

「なんで入れ替わったドッペルが厄介なんですか?」

「元に戻りたい意思が強いので、モルフェスが強い者が多いんですよ。それに大抵知恵が回ります。……感情に訴えかけてくる者もいますから」


 覚えがある。

 お菓子の人は話せば話すほど戦いにくい人だったし、テンシさんも契約とか言っていたのでたぶんイイダさんに色々言っていただろう。


 ここで一つ疑問が生まれる。

 自然発生と入れ替わりは何となく分かった。

 でも、ポベトルはドッペルたちと敵対していると言うが何故なのだろう。


「ポベトルがドッペルと争っているのは何でですか」

「皆様理由有りきだと思います。だいたいは入れ替わりがなっていると聞きますが、気が付いたらポベトルというドッペルの敵がいる。皆そういう曖昧あいまいな認識なのです」


 いつの間にかポベトルがいた。

 何でなんだろう。

 本当に誰も知らないのだろうか。


「ちなみに私は話すまでも無い下らない理由なので、ヤエザキ様にはお教え致しません」

「無理に聞こうとは思いませんよ」

「有り難うございます」


 本人が話したくない、秘密にしたいと言うものを聞き出す趣味は無い。

 気にならないと言われると、そういう訳ではないけど誰にも一つや二つ隠し事はあるものだ。


 わたしにだって、たくさんある。


「ある程度終わった? それなら、はい。これ」


 返事を待たずに優月ゆづきさんはパンタスを使って双眼鏡を作り出す。

 それを渡されたわたしは、優月ゆづきさんが指を差した方向をそれで覗き見る。


 さっきと同じ猿たちが数匹どころか数十匹集まっていた。


「ああいう数だけいて、喋りもしないのが自然発生した奴よ。入れ替わった奴とは違って生き物と思わない方が良いわ」

「猿の形をしてて無理なんだけど」

「あれが本当に現実の猿と同じに見えるなら、医者に行きなさい。目が腐ってるか脳がやられてるから」


 ひどい言い様だけど、オネロスの先輩としての助言なのだろう。

 本当に生物じゃないから、想いとかも伝わることは無いのだと。


 あれ?

 オネロス?


「ねぇ、ウートさん。ドッペルのことは分かったけど、わたしたちオネロスは? ポベトルだけで戦っちゃ駄目なの?」

「いえいえ。そういう訳では無いのですが、夢を作り出しているのは生物自身。なので発生源と手を組んだ方が強い力を得られるのですよ。あくまで利益状の問題で、頼んでいるだけです」


 私はお嬢様を気に入ったからですが、と付け加えるウートさん。


 人手が欲しいからってことなのかな。

 それで強い力を持っている人に頼んで協力してもらっている、と。


 今はいないメアのことを思い出す。

 メアがわたしを変身させるだけなのって、メア自身の力が弱いから、なのかな。

 もし違うのなら、ウートさんみたいに一緒に戦ってくれれば良いのに。


「大体の位置も把握出来ましたし、それではお嬢様。行って参ります」

「ええ」


 そう言い残して彼は瞬く間に姿を消す。

 取り残されたわたしたちは集まっている猿たちを見ているだけ。


 静かになったことで、自分が何も出来ないことを再び思い出す。

 そうだよ。

 メアがいないから、変身はできないしパンタスで援護もできない。


「……ねぇ、優月ゆづきさん。わたしって何をすればいいのかな」

「そうね。とりあえず新しい奴を見つけたら教えて」


 それ以上は何も言ってくれない。

 それが今の私にできる最大限のことだと、嫌でも分かってしまう。


「本当なら貴女を今すぐ現実に返したいけど、私には無理。――貴女だって嫌でしょう? 夢の世界とはいえ死ぬなんて」

「やっぱり、それしかこの世界からの抜け出し方は無いんだ」


 やっぱりあの時イイダさんがされたのは、強制的な夢からの脱出。

 最悪の悪夢となる代わりに、命だけは助かる、唯一の方法。


 おそらく他にも方法はあるんだろうけど、時間がかかるとかの理由でできないのだろう。


「これが済んだら、ちゃんとしたやり方で返すから」

「……うん。何もできなくて、ごめんなさい」

「謝らないで。これは私たちオネロスの役目だから」


 ひじ掛けを強く握りしめる優月ゆづきさんは、きっとアリスさんのことを思い出しているのだろう。

 悪夢ドッペルから逃がすために、悪夢を見せるなんて間違っている。

 きっと、わたしと同じことを考えているのだろう。


「……あれ? 様子がおかしくない?」


 双眼鏡のレンズに映るのは、ウートさんが猿たちを蹴散らす光景ではなく、全く別のもの。

 それは困ったように立ち尽くして、黒い塊が大きくなっているのを見ているしかない、彼の姿。


 猿たちは町中から飛び出して、次々と黒い塊に飛び込んでいく。


「これは想定外だわ」

「まずいよね、これって」

「非常に不味いわ。あんまりアレだと、ウートでも倒せなくなる」


 その言葉に、優月ゆづきさんの戦い方。

 さっきウートさんは力が強い人と協力すると言っていたけど、それならウートさんが倒すというのもおかしい。


 メアは言っていた。

 ドッペルに有効なのは、パンタスではなくモルフェスだと。


 今まであった違和感が一気にある結論にたどり着く。


 もしかして――


「――もしかして、優月ゆづきさんてモルフェスが弱い?」

「……今更気が付いたの。そうよ、私が得意なのはパンタスで、モルフェスはウートより圧倒的に弱いわ」


 合点がいく。

 物を作ったり操ったりするのが得意だから、止めをウートさんに任せて安全な所からそれを手伝うのはその通りだと思う。

 明らかに運動する格好ではないのも、それが理由なのだろう。


 わたしも、アリスさんも。

 着飾ってはいるものの動ける範囲に収まっている。


「わたしと、真逆ですね」

「そうね。オネロスだって言うのにあまりにもパンタスを使わないから、そんなことだと思った」


 双眼鏡を使わなくても見えるほどに、黒い塊が膨らんでいく。

 ウートさんも近くの建物の屋根に立っているのが見える。


「なら、貴女が変身出来たらアイツに一発かませる?」


 その問いには、すぐには答えられなかった。


 だって、メアがいないから変身できない。

 ううん。

 今はそんな話じゃなくて。

 仮にできたらの話だから、変身した後にできるかどうか。


 無理?

 そんなことできない、絶対相手に届く前に叩き落される?


撫花なでか


 新しい友達が名前を呼んでくれている。

 うん、そうだよいつも通り。

 ここにいるのが美友ちゃんでもはるちゃんでもなく、優月ゆづきさんなだけ。

 メアがいないから、相手が大きいから。


 その程度の前提・・・・・・・で、わたしは止まって泣いていられない。

 できるできないじゃない、やればいい。

 いつも通りに、できるかじゃなくてやるんだ。

 何も不安に思うことは無い。


 ここにいるのは、パンタスが得意な明日見あすみ優月ゆづきさん。

 それって、現実で色んな事ができる人のことなんだよね、メア。


「――もちろん! 優月ゆづきさんとなら、できないことは無いよ!」


 精一杯笑って見せる。

 優しい月が見守ってくれるのなら、いくらだって明日を目指して前を向ける。


撫花なでかって馬鹿なのね。冗談で言ったつもりなのに、まったく」

「本当に冗談だった? わたし、そういうの本気にしちゃうよ?」


 あきれ顔で笑われたけど、まったく嫌な気はしなかった。

 できるって確信したから、迷わない。


 それを分かってくれたのか、優月ゆづきさんは右腕を高く上げる。

 不敵に笑って、声を張る。


「――拘束Bind! 妨害Jammer!」


 町中に黄金の明かりが灯されていく。

 まるでお祭りでも始まったと思わせるそんな幻想的な光景は、成長する黒い塊に鎖を飛ばしていく。

 炎は建物どころか空中にも現れ、黒い塊に黄色の粒子が集まる。


 まとわり付いていく粒子に反応して、黒い塊は苦痛を感じているのかとても低いオカリナの音を響かせて揺れる。

 その揺れはわたしたちの所まで届き、アレが動くだけで地震が起きることが分かる。

 そんな揺れも、伸ばされた鎖に縛られて段々と大人しくなっていく。


「博打よ。それもどう考えても大損の大博打。撫花なでか、貴女のポベトルの見た目を教えなさい」

「いちご色の猫のぬいぐるみ。名前はメアだよ」

「オーケー。それじゃあやるよ」


 何も疑問に思わず答えたけど、何をやるのだろう。

 黒い塊を捕まえたのは時間稼ぎだとして、他に何があるのか。


「貴女のポベトルをここに呼ぶの。召喚よ、召喚」

「召喚……?」

「出来ない事は無いんでしょう? ご都合主義上等で、やるだけやるの」

「……うん。うん!」


 最初は言っている意味が分からなかったけど、そういう事かと強く頷く。

 ここは夢の世界で、わたしたちがやろうとしているのは非現実的な理想。

 元々夢は何でもありなんだから。


 だったら、メアが無事でここに現れたっておかしくはない。


「生きているのなら、私が世界を繋いでここに呼び出してあげる。だからほら――」


 差し出された右手をわたしは両手で握りしめる。


撫花なでかは、好きなだけ祈りなさい」


 言われなくても、叫びたいぐらいに想いを込める。


 言い忘れてたけど、世界になら力を使えるのは優月ゆづきさんだけじゃないよ。

 メアが言ってたから。

 わたしは物は作れなくても、世界を変えることは、できるって。


 黄金の月の光が空に満ちて、風に吹かれた赤と桃色の花びらが舞い始める。

 わたしたちの手元には黄金の光と花びらが集まり、その輝きを強めていく。


 優月ゆづきさんは一瞬驚いた顔をしていたけど、目を閉じて次の言葉をそっと添える。


「――接続 Connect……召喚Summon


 わたしたちを中心に黄金の柱が空に向けて上り、赤と桃の花びらはその周りを螺旋を描いて飾り付ける。

 雲を突き抜けて、文字通り世界を突き抜ける光。


 黄金の光に包まれたわたしは一色に染まった空を見上げて、喉が潰れようとも構わないと叫ぶ。


「お願い、来て! ――メアぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」


 息を絞り出す。

 喉が痛くても、肺の中の空気が無くなろうとも、途切れるまで叫ぶ。

 目の前がぼやけても、目を閉じても、声が出なくて下を向いてしまっても。


「……ゴホっ、ゴホッ……ァッ!」


 駄目なのかな。

 わたしのせいで失ったものを、もう一度取り戻したいなんて願うなんてこと、神様は許してくれないの?

 都合が良すぎる?

 けど、だけど。


 いやなの、もうたくさんなの。

 大切なものを失うのは、あれっきりにして欲しいの。

 もう良いでしょう。


 過去の記憶と大切な■■を失ったんだから!


「…………ァ」

撫花なでか


 優月ゆづきさんに呼ばれる。

 喉が痛くて声が出せないし、体がふら付くけど顔をあげる。

 頭まで痛くなってきて、彼女の声もどこか遠い。


「都合のいい物語じゃないんだから、出来すぎよこれ」

「……ぇ?」


 かすれた声をようやく出し、彼女が上を向いているのをようやく気付く。

 つられて上を向くと、狭まっていく光の柱の中を何かが落ちている。


「ナデカメアぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!」


 落ちて来ているソレは、わたしの名前を叫んでいる。

 近付くにつれて、その見た目は知っている姿だと分かってくる。


 いちご色の、抱えるのに丁度良いぐらいの猫のぬいぐるみ。

 自分自身のことを名前で呼ぶ、かわいい悪夢。


 かなりの早さで落ちて来たけど、両手で落とさない様にしっかりと受け止める。

 覚えのある、柔らかい感覚。


「やっと会えたメア! ナデカ!」

「お帰り、メア」


 まだ痛むけど、それでも声を出す。

 本当の猫みたいにすりつくメアに、声を聴かせたいから。

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