4.可憐な花と甘いお菓子

 誰かが意識を投げ出したわたしの体を前から支える。

 ゆっくりとわたしの体は横たわり、失いかけていた意識は不思議とはっきりしたまま。


 まるでお菓子屋の前に来たような甘い香りが、気分を落ち着かせてくれる。


『おヤおヤ、限界げんカいですか。いタカタアりマせん。丁度いいので昔話むカしバナしにでも付きってもラいマすよ』


 誰かが横になるわたしの隣に座りこむ。

 薄っすらと目を開き見えるのは、右足だけを立てて左足を伸ばす細い足。


 何とか見える右膝に乗せられた腕も、同じく細く頼りない。

 どうやらメアではなさそうだ。

 あの子は猫のぬいぐるみで、人の姿はしていない。


 いったい、誰なのだろう。

 意識ははっきりしてるのに、頭が回らない。


『そう、むカしハナしです。もう何時ダっタカハワすれてしマっタ、遠い過去カこ


 視界に入ってくる小さな焼き菓子の欠片。

 ブルーベリーとかなのかな。

 紫のジャムも付いている。


 欠片が地面にぶつかると、赤く光る桃色の花びらに変わって空に昇り、粒子となって消えていく。


 声からして男の子なのかな。

 女の子と間違えそうだけど、芯があってきっと真面目で優しい人。


『ワタしはアる日、とアる洋菓子店ようガしてんの店員に見惚れてしマいマしてね。ガらにもナく店にハいり、彼女カのじょとの接点を持とうとしタのです』


 力を振り絞って顔をあげようとする。

 せめて目線だけでも上にと踏ん張るが、体が言う事を聞いてくれない。


 何でだろう。

 声の印象よりも年齢が上に感じる。


『ですガ、いざ店にハいっタワタしハ、アろう事カ彼女カのじょよりもナラべラれタ菓子を|優先しタのです』


 声を掛けようと必死に喉を鳴らす。

 だけどわたしの口からは、声にならない声のみ。

 聞いていられない音に、次第に自分自身に怒りを覚える。


 お菓子が優先とか、彼女を優先とか。

 そんな話じゃなくて、それは――


『照れカくし。人ハそう言うでしょうガ、事実菓子カしに心惹カれタのハ否定できぬ真実。ハじめハ彼女カのじょの微笑みにアせり注文をしていタのガ、いつしカワタしの瞳に映るのハアの宝石タち』


 両腕に力をこめる。

 お腹にも足にも力を入れているのに、何度も何度も息が切れてばかりで、体を起こせない。


 ただ見ているしか出来ない。

 視線を交わすことも、声をかけることも出来ない。

 今のわたしは夢を語る彼の終わりを見届けるだけの、ただの観客に過ぎない。


 ……本当に聞き届けるしか、わたしには出来ないの?


『そんナ最中サナカワタし悪夢アくむに堕ちタのです。いマ思うと素晴すバラしいタイミングでしタ。ねラいすマしタように永遠の菓子カしを提示してきタのですカラ』


 苦笑しているのが、分かる。

 そんな悲しいことを言わないで。

 その人への想いも、お菓子への想いも。

 どちらも本物だと思うから。


『言いマしタよね、ハナより団子ダんごと。アれハワタし自身の事ですよ。――そして少年ハ、どうヤラハナを手に取っタラしい。おカげカれと同調していタワタしカラダハ、お嬢サんの一撃目でこれですよ』


 右手が見える。

 ピントがあったそれは、ひどい位にヒビ割れていて、欠けた部分から花びらに変わる。

 流れるのは赤い液体ではなく、薄い赤の光。


 ヒガン花。

 自然と頭に浮かんだ赤い花が、背筋を凍らせる。


『良カっタですね。お嬢サんの想いハ、カれに……勿論、ワタしにも届きマしタよ。ついつい貴女アナタカガヤきを、もう一度見タいと思うほどにね』


 崩れる右手が、わたしの頭を撫でる。


 ああ、この手。

 うん、そうだよ。

 忘れちゃだめだよ、彼を。


『そうダ。良カっタラ是非、彼女カのじょハタラく店をタずねてくれマせんか。アの店の菓子カしは絶品で、特に菓子ガしと……』

『――言いたいことは全部言うメア。そうでないと、また悪い夢を見るメアよ』


 言葉に詰まる彼を、メアが後押しする。


 そうだよ。

 メアの言う通り。

 どちらかを下げる必要なんてない。

 どっちも取って良いんだよ。


 それが、夢っていうものなんだから。


『……。――彼女の笑顔で渡される菓子は、とても。ええ、とても美味しいですよ。お嬢さん』


 ほんのり顔を赤めらせて、目線を下にずらした青年の顔が見えた気がする。

 それから、お店の名前と場所を教えて貰った。

 例の店員さんの名前は知らないらしいので、容姿だけを教えて貰う。


 それから、あと教えて貰いたいものがある。


『名前。アンタの名前はなにメア』


 ありがとう、メア。

 わたしの聞きたい事、よく分かったね。


『おヤ。それハですね。――内緒ナいしょです、申しワけナいお嬢サん。ワタしハナより団子ダんご悪夢アくむ可憐カれんじょせいよりも、アマ菓子ゆめえラぶ男ナのです』


 そう言って彼の名前を耳打ちしてくれる。

 わたしの空いた手にお菓子を握らせながらそれを言うのは、ずるいよ。

 なんでそれを彼女にしなかったのかな。


『それでハ今後も良い夢を、お嬢サん。どうカ、彼女カのじょに宜しくおつタえくダサい』


 今度こそ、意識が離れていく。

 甘く切ないお菓子の彼に、甘い甘い花が届かんことを。



 カーテンの引かれた窓から朝陽が差し込み、まぶしくて目を開く。

 ぼんやりとする意識の中、目をこすり握られた右手を開いて、中を見る。

 何故か痛いほど握られていた右手の中には、当然何もない。


 甘い悪夢を見た気がする。

 自分でも何を言っているのか分からない。

 だけど、しっかりと洋菓子のお店と、知らない女性の見た目が浮かんでくる。

 欠伸をしていないのに、目から涙が零れてくる。


「お店に行かないと……」


 幸いにも今日は土曜日。

 学校がある日でないし、部活とかの特別な用事とかも無い。

 身支度をして、お店の場所をインターネットで調べる。

 同じ町の中ではあったので、正確な住所を調べるだけで済んだ。


 道中、行ったことも無いのにそこのお菓子は美味しいと、謎の自信に満ちていた。

 自然と足取りが速くなり、どうしても急がなくてならないと思った。


 何でそんなに期待?

 ううん、焦らなくちゃいけないんだろう。


 なんで。

 なんででだろう。

 何でって、それは――

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