3.悪夢対峙

 互いに向けられた右手。

 届かず、交わされることの無い握手は尊敬を意味し、さらには絶対の誓いでもある。

 正々堂々、目的を果たすと誓いあう。


 わずかな沈黙を破ったのは、巨人のこぶし。

 関節のあめが液体になり、振りかぶった左腕を撃ち出す。

 迫る左腕は不思議とスローモーションで捉えることができ、わたしは反射的に足に力を込める。


『おヤ。中々ナカナカに優秀ナ悪夢アくむりガ生マれタものです』

「えっ、ええ! ちょっと待って何これー!」


 遠く点になりそうなほど、巨人と距離が離れたわたしは体勢を崩す。

 やろうとしたのは、後ろへのちょっとしたジャンプ。

 そのはずがお菓子の壁を越えて、空へ向けて飛び跳ねていた。


『ナデカ、落ち着くメア。これぐらいで驚いちゃ駄目メア』

「メア!? どこにいるの」

『頭の髪飾りメア。気が付いたらこうなってたメア』


 落下しながらも頭上を手で触れて確認する。

 後頭部への違和感に気づき、そっと触れると確かにそれらしきものが付いていた。

 手の感覚でしか分からないが、おそらく猫の顔の形をしている。


『ここは夢の世界メア。強くイメージしなければ、悪夢が生み出した物以外は怖いことは起こらないメア』

「じゃ、じゃあ。ちゃんと地面に降りられるんだよね。落ちる夢は見たくないよ」

『おヤ、そうですカ。でハ落としてアげマしょう』

「うそっ……!」


 一瞬にして現れたお菓子の巨体。

 翼とかで飛んだ訳でもなく、わたしのように跳躍した訳でもない。


 瞬間移動。


 その言葉が脳裏を過る時には、わたしの体は地面に向けて飛ばされていた。

 今度は蹴り。

 そう言っていいのか分からないが、とにかく足を使い、空中で体を振るった攻撃。

 あっという間にお菓子の建物に背中から激突し、天井を突き破って地面へ叩き付けられる。

 痛みで開かれた目には、崩れ落ちる焼き菓子たち。


 たまらず体を縮め、両手で頭を抱える。

 しかし、何時まで経っても予想した重さが襲いかかってこず、謎に思いながら上を見上げる。

 わたしに近付く所から、花びらとなって散る焼き菓子たちは幻想的で目を奪われる。


『物に干渉する力、"パンタス"メアね。無意識にこれが使えるのなら――。ナデカ!』

「は、はい!」

『武器メア。何かアイツを倒せる武器をイメージするメア』

「ぶ、武器? んーと、武器武器武器」


 相手はお菓子の巨人。焼き菓子と飴で出来たお菓子の集合体。

 お菓子に効くのは――


 両手の間に花びらが集まっていく。

 それは光の集合体から別の形へ、粘土のように伸ばされていく。


「これでどうだ!」

『ナデカ、待つメア。それは安直過ぎるメア』


 両手に握るのはハンドミキサー。

 取っ手に独特の形状で取り付けられた金属棒で、液状のものを半自動でかき混ぜる調理道具。


 格好に合わせてか全体的に薄桃色で、ミキサーを動かす度に回転する所から花びらが風に舞う。


『これハマタアいらしい物を。いっタいそれでどうするのカ興味がアります』


 またしても目の前に音もなく現れた巨人は、伸び伸びと両手を広げて向かい入れてくれる。

 わたしは呆気に取られ、先程までの勢いは無くなる。

 それでも、戸惑いながら考えていたことを実践する。


「ええっと、じゃあ。失礼しまーす……」


 動かしたミキサーを、震える手でクッキーの肌に押し当てる。

 ガリガリと削れると思っていた肌は、欠片すら出さずに金属棒をねじ曲げる。

 正常に作動しなくなったハンドミキサーは、唸り声を上げながら動こうとするも、ついには煙吹いて沈黙する。


『『……』』


 二人の悪夢の視線が痛かった。


「こ、こっちが本命!」


 ハンドミキサーを手放し、勢いに任せて剣を作り出す。

 おもちゃ売り場で見かけた物をとっさにイメージしたが、作り出されたのはハンドミキサーと同じくに薄桃色の大きめの剣。

 予想外の重さに両手で柄を持ち、力任せに振り抜く。


 爽快感そうかいかんのある音と共に、後ろの方では何かが地面に突き刺さる。

 手元には中折れして、少し軽くなった剣。

 後ろを振り向くと、花びらに戻っていく剣の先端。


「なんでー!?」


 剣も投げ捨て、全速力で巨人から逃げ出す。

 元の姿とは違い、何倍もの速さで町を走り抜ける。

 時には建物を飛び越えたり、壁を走ったりもする。


『ナデカはパンタスの力が弱いメアね。仕方ないメア。元々アイツらには効き目が弱いメアから』

「見た目は大丈夫だったのに」

『パンタスは明晰夢めいせきむの本領。物を自在に操る力メア。夢そのものの悪夢相手には、相性が悪いメア』

「じゃあどうやって彼を止めたらいいの」

『"モルフェス"を使うメア。でも、こっちの方が苦手っていう人の方が多いメア』

「どういうこと、簡単にお願い」


 瞬間移動で追い掛けてくる巨人から、距離を詰められる度に地面を蹴る。

 向こうは鬼ごっこのつもりか、攻撃はしてこない。

 疲れるのを待ち、確実に仕留められるのを見計らっているみたいだ。


『意思の力、気合いと根性メア』

「意思の……力……」

『怖い夢からは早く覚めたいメアよね。好きでやりたいことには、一層の努力もいとわないメアよね。そういった意思の強さを、力に変換したものがモルフェスメア』


 パンタスが得意な人は現実で知識も力もあり、才能を持った人。

 とにかく物事をよく知っていて、夢の幅がある人ほど力が強くなる。


 モルフェスが得意な人は才能は関係なく、とにかく意思が強い人。

 夢に向かい、諦めない人ほど力が強くなる。


 メアの見立てでは、わたしは限定的にパンタスの力が強いみたい。

 物を作るではなく、世界を変えることに限り本領を発揮するらしい。

 さっきの崩れた焼き菓子が花びらに変わったのは、それが関係しているみたい。


 なら、わたしのモルフェスの力はどうなのだろう。


『月並みの言葉になるメアが、相手に自分の想いを伝える。それが意識的に、より強いモルフェスを使うコツメア』


 今このときも、モルフェスは使っているらしい。

 明晰夢めいせきむを見続けて、悪夢立ち向かう。

 メア曰く、オネロスの基本にしてモルフェスの真髄しんずいらしい。


 わたしは地面に着地して右手を握りしめる。

 人の殴り方なんて知らない。

 ただ深呼吸をして待ち構える。

 想いを伝える。


 そう言われて連想したのが、お父さんが好きで読んでいた漫画。

 そこで描かれていた、喧嘩をして川の土手でお互いを認めあう、男の子の漫画。


 わたしに尽くせる言葉なんて無い。

 相手が見惚れる物も作れない。


 ――ならせめて、この手でわたしの想いを伝えて見せる。


 相手の攻撃おもいはもう避けない。

 相手を知らずに自分勝手なことを言うなんて、そんな恥知らずは目指さない。

 想いを受け止めて、想いを伝える。

 これがわたしの……


『おヤ。正面カらとハ、面白いお嬢サんダ』


 目の前ではなく離れた位置に、彼が現れる。

 わたしたちがいるのは、直線の一本道。

 狙いは当然、助走をつけての重い一撃。


『カウンター狙いとかなら、止めるメア。まだ不馴れなナデカにそんなこと出来ないメア』


 地響きが近付いてくる。

 正気の沙汰じゃないと言われそうだけど、目を閉じる。


 自然とそうしたくなって、閉じた途端に決意した想いが強くなる。

 メアの声が遠くなっていく。

 聞こえるのは、目の前に迫る彼の鼓動。


 彼の鼓動とわたしの心臓が共鳴していく。

 恐怖心で乱れる呼吸を、必死に合わせる。


 いつ、どの時に攻撃されるのか分からない。

 ずっと落ちていく夢を見ている気分で、どんどん時間が引き伸ばされていく。


 早く、早く、早く!

 目を開けて、思いっきり彼を避けたらどれだけ楽になれるか。

 だけど意地でも待ってみせる。


『……おヤ?』


 言い様の無い衝撃が左半身から伝わる。

 痛みを越えて何も感じないし、体はその衝撃に身を任せて変な体勢になる。


 でも、彼の理解が及んでいない声に、不思議と口元が緩む。

 溜め込んだ恐怖を、少しずつ絞り出すように目を開ける。

 雫が一滴頬を伝って、地面へ溶けていくのがうっすらと見える。

 彼に目を向けると、わたしに打ち込まれた右の拳が引いていく。


 左頬どころか、もう全身が痛い。

 それでも構わず痛みを上書きするように、右拳を握りしめる。


『防ガず受けて、それでもナおちマすカ。君にハ恐怖ハ、いタみハ無いのですカ』

「怖かったよ。今でも痛いし、立つのも苦しいよ。でも貴方が優しいことが分かった」

ナにを……』

「メアが言ってたの。モルフェスは意思の力。わたしたちの攻撃には、想いの力が宿っている。だからわたしは、貴方の想いを受け止めることにしたの」


 想いと想いがぶつかり合って、今わたしはここに立っている。

 彼も加減はしなかっただろう。

 わたしもわたし自身の誓いを守りきった。


「今わたしが立っていられるのは、貴方が"優しい人"だから。本当にわたしを傷付けたいのなら、こうして立ってはいられないよ」


 痛くて、うまく笑えない。

 鈍い左手と痛む右手の人差し指を使って、口角を無理に上げる。

 目元からは涙が零れるし、笑えているのか自信がない。


 それでも、笑えると信じる。


『ポベトル。貴方アナタえラんダオネロス、素晴すバラしく上等ナお嬢サんですね』

『想定外メア。うん、想定外過ぎるメア』

『面白い人です。惜しいですが、避けぬというのナラ遠慮ナくヤラせてもラいマすよ』

「……三回」


 左腕の攻撃を、その流れに沿って回転して避ける。

 無視できない全身の激痛を、奥歯を噛みしめて我慢する。

 彼の左拳が地面をえぐる前に、地面を蹴って彼の目前まで潜り込む。

 再び右拳を握ると、花びらが集まり桃色の光を放ち始める。

 止まらず、彼のお腹めがけて右手を突き出す。


 触れたところから、彼のクッキーの皮膚にヒビが入る。

 そこへ続き、桃色の光が一直線に解き放たれる。

 光に飲まれた巨体は、瞬く間に遥か彼方へと吹き飛ばされる。

 光が晴れたときにわたしが目にしたのは、光でえぐれた大地と、溶けかけているお菓子の町。


「なに、これ」

『モルフェスメア。高密度になったモルフェスは、こんな感じに現象へ変換されるメア。ナデカは分かりやすく光みたいメア』

『おヤおヤ。これハ、こマりマしタね』


 一瞬で元通りに戻る町。

 だが現れた彼はふらふらで、傷ついた姿で現れる。

 腹部にはヒビが入り、紫の液体が漏れ出ている。

 関節の飴も溶けており、形が整っていない。


『ナるほど。モルフェスをこう使つカう者もいるのですね。――ですガ一番いちバん気にナるのは、先程サきほどカず。アれハいっタいナにカぞえタのですか、お嬢サん』

「貴方から想いを受け取った数です。わたしはこれから同じ数、貴方に送ります。ですからごめんなさい。後、二回。貴方を……傷付けます」


 深く頭を下げる。

 本当は傷付けたくない、なんて都合の良い言い分けはしない。

 病気の彼と目の前の彼は入れ替わって欲しくないし、目の前の彼も心静かに休んで欲しい。


 そのために傷付ける。

 力を振るって、自分勝手を押し付ける。


アと二回にカいですカ』


 名残惜しそうな呟きが聞こえる。

 顔を上げると、目の錯覚か寂しそうに苦笑する少年が見えた気がする。

 メアは何も言わない。無言でわたしと彼の対話を見届けてくれている。


「ごめんね。ううん、ありがとう。メア」

『この短い時間で、君という人間が分かったメア。まったく心配しすぎると損するメア』


 きっと元の姿なら、半目で呆れられていただろう。


『でハ、行きマすよ』

「はい」


 戦いの再開は、短いやり取りで始まった。

 彼は全身から溶けたあめを噴き出し、両手両足をバラバラにして襲いかかってくる。


 軌道が読みにくく、まるで何匹かの大蛇が迫っているようだ。


 わたしは拳を握りしめて、前に進む。

 がむしゃらに、痛む体を突き動かす。

 しなる巨体がわたしに触れる直前に、そうなれと心の中で願う。


 彼の体はそのまま。

 膨らまず、わたしの目の前に。


 身勝手すぎる願いを信じて、右手を突き出す。

 都合の良すぎる自己中心的な願いは、種となりて花を咲かせる。


『おヤ、これは』

「……二回目」


 右手を中心に吹き荒れた花弁は、夢を書き換える。

 彼の姿は変わらず巨人のまま、振るったわたしの拳が顔に当たる位置にまで移動させられる。


 これはあの少年の分と。

 頼まれてもいない想いを勝手に込める。


 撃ち出される光は、さっきよりは輝かず彼の体が仰け反るだけ。

 それでも構わない。威力の問題じゃない。


 彼の後方へと、速度を少しずつ落として打ち抜ける。

 後ろからはクッキーの崩れ落ちる音と、飴が砕ける音。

 拳を握る。

 息を整える暇は無く、音を、気配を、夢の全てを感じ取る。


『お嬢サん、君はハ――』

「終わりです。受け取ってください」


 左回転で振り向き、拳を突き出す。

 幅を感じない距離で、右側を巨大な腕が通り過ぎる。

 わたしの突き出した拳も、同じように彼の顔の左側を通過する。


 静寂。

 そして停止。

 お互いに動きを止め、腕越しに見つめ合う。


『ナデカ、どうしたメア?』


 わたしの視界が、揺らぎ始める。

 体が石のように重くなり、握る手の感覚も無くなっていく。

 一歩前に足を踏み出して体を支える。

 それでも耐え切れず、前のめりにバランスを崩す。


 遠のく意識。

 灰色にかすみ、閉じていく夢の世界にその身を委ねていく。

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