偉大なる文明の利器へ

森内 環月

偉大なる文明の利器へ


「ちょっと手伝ってくれない?」


 現在進行形で休校状態が続くなか、ぼくはオンラインで授業を受けていた。

 オンライン授業といっても、容量が重くなるから、という理由で顔出ししている生徒は少ない。音もミュートにしているので、実質、一方通行の講義にほかならない。それにオンラインでの授業というのは、ほんの少しくたびれる。


 慣れない機械操作、小さい画面、クラス替えで名前の知らないクラスメイト、そして机周りにあるたくさんの誘惑物……。きっと顔出ししていないクラスメイトのうちの数人も、スマホ片手に授業を受けていたりするのだろう。


 そんな授業の最中に、「手伝って」と母さんに言われた。何を?と聞くぼくに「授業はもう終わったの?」と母さんは聞く。

「うん、ちょうど。今は休憩時間なんだ」

 

 ぼくはどうしたわけか嘘をついた。自分でもわからない。パソコンの画面は母さんが立っている部屋の入り口からは見えず、ぼくはイヤフォンをつけて授業を受けていた。母さんはぼくが嘘をついたことも知らずに、にっこりと笑った。

 

 じゃあ頼むわ、という母さんに続き、連れていかれたのは風呂場だった。いったい何事かと怪訝に思い、母さんの顔を覗くと彼女は困ったように笑った。


「洗濯機壊れちゃったみたいでねえ。しかも洗濯しているときに」


 指差された方をみると、ずっしりと濡れた洗濯物が浴槽に山をなしていた。


「新しい洗濯機が来るまでは、コインランドリーでなんとかしようと思っているんだけれど。さすがに濡れた分をランドリーに持って行くわけにはいかないし、ねえ?」


 母さんの最後のねえ?には、手洗いするから手伝ってね、という意味が十二分に込められていた。そこに拒否する余地などは当然ながら、ない。


 洗濯機の様子がおかしかったのは、以前から気になっていた。洗い終えた服に、特に白いものに限ってホコリが濡れてこびりついたようなゴミがよくついているのだ。


 しかし、とうとう、これがついに動かなくなってしまった。

 壊れた洗濯機の表示をみると、すすぎの途中でエラー表示になっており、うるさくピピピとさえずっているのである。朝の目覚まし時計並みの不快さだ。


 母さんの指揮のもと、服に吸い込んだ石けん水を絞り、浴槽にくるぶしあたりまで水を溜め、色とりどりの洗濯物を足で踏む。大人ひとりがゆったりできて万々歳のうちの浴槽に、大人ふたり(正しくは本物の大人と大人サイズの子ども)が並んで足踏みをしているさまは、なかなかのものであったと思う。むしろ楽しかったくらいだ。


 ただ足踏みをしているだけの母さんとぼくの姿を、風呂場の鏡は写し出し、それを見たぼくたちはなんだかおかしくなって、むふふと笑った。


 大変だったのは、ぞうきん絞りである。水をきってそのまま干してしまっては、びたびたの水たまりができかねないし、その上クサくなるのでなるべくきつく絞るわけだが、これがまた大変なのである。濡れた手では、布はしっかりとは絞れない。


 はじめは楽しかったが、次第に辛くなってきた。

 このとき、姿勢はずっと中腰のままだ。いわば、空気椅子状態でぞうきん絞りをするわけである。どうぞ一度やっていただきたい。ホント、これ、しんどいから。


 母さんは、「あ、もうすぐお昼だから、ご飯の準備しないと」と早々に戦線離脱、よろしくされてしまった。濡れた足を拭いて風呂場を出る時に、「授業はちゃんと受けなさいよ」と言うと、さっさと行ってしまった。


 バレてる……。


 それでも(ぞうきん絞りを)やりきったぼくはエライと思う。もしよろしければ、『ぞうきんぐしぼり』と呼んでいただきたい……と言いたいところだが、あとで親指の内側に衣擦れができてヒリヒリしているし、しばらくのあいだ、両手の親指の付け根と両腕が筋肉痛に悩まされた。『きんぐ』への道は、まだまだ修行が足りないようだ。

 

 そして、指に巻きつくばんそうこうを見ながら、本当に洗濯機は偉大だなあ、としみじみと思った。ぼくはとうとう沈黙した洗濯機に向かって、深々と頭を下げた。


 偉大なる文明の利器よ。長いあいだ、お疲れ様でした。


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