第8話 鎌倉幕府を後100年延命させる方法(その6完結編)
では、ヒストリー・ミステリー第3話その6完結編を始めよう。
* * *
念の為、鎌倉が何故滅びたのか、それについては、本書その1を参照して欲しい。
では、解説開始!
* * *
●その他
以下は、その1、その2では、尺の都合などで書けなかった駄文を垂れ流す。
・まとめと『共通点』
勿論、今まで『外征』してきた『土地』には、ある『共通点』がある。
賢明なる読者諸君に置かれては、既にお気づきであろう。
それは、『島』である事だ。
何故か?
答えは、簡単だ。『元』の干渉と言う『リスク』が、ほぼ『ゼロ』になるからだ。
何故?
当然だ。
『元』は、島国である『日本』を『征服』できなかったではないか。
つまり、『元』の最大の弱点は、『海軍力』だ。
ならば、日本も島国だけを征服する分には、『元』の干渉を受けずに済む。
もし、『元』が、兵を送って来たとしても、『元寇』同様に対処すればいい。
何の問題も無い。連中も同じ失敗を繰り返すだけだ。
・沖ノ鳥島
ここは、日本の土と石を持ち込んで、頑強な石垣を構築。
ここには、防御にも気を使った捕鯨基地を構築する。
そもそも、日本の捕鯨とは縄文時代には、始まっていた。
ここで、てこ入れをしておくだけだ。
・オーストラリア
ここも、統一国家が無い為、フィリピンお同じ事を実施。
したい所だが、ここは砂漠や、背の低い草原ばかりで、農業に適さない。
その為、農耕化が遅れた。
後に、入植した英国人も、乳牛や羊を放牧していたくらいだ。
ここの優先順位は、低い。急いで何かする事も無いだろう。
・インド交易
その4で、インドネシアを属国化したのには、もう1つ目的がある。
インドと交易する為だ。
こちらから売る物は、『絹』や『日本刀』だ。
インドには、シャムシールと言う曲刀がある。きっと、日本刀の良さも伝わるだろう。
また、『絹』の材料たる『蚕』にとっては、インドの気候は暑すぎる。
故に、『絹』は、インドでも重宝されるだろう。
何しろ、当時日本の『繊維』と言えば、『麻』と『絹』だけだった。
ちなみに、『絹』は、昆虫相手なので、数を増やすのが難しいとされていた。
半面、『麻』は植物だ。しかも、成長が早いので、数を揃えられた。
そこで、日本は古来より、上流階級は『絹』、庶民は『麻』と決まっていた。
しかし、『麻』は、ごわごわしている。着心地もいまいちだ。
そこで、インドから『木綿』を輸入する。
通気性も良く、なにより肌着にも使える柔らかさが良い。
現在でこそ、インド綿と言えば、世界的なブランドだ。
当時は、中国人や、アラブ人に売っていただけだったがな。
そこで、『木綿』の基である『綿花』の種や苗木を、『綿花農家』ごと買う。
ちなみに、『綿花』の原産地は、インドだ。つまり、暑い地方を好む。
日本で作付けするなら、東海以南にする。九州、四国は理想的だ。
勿論、フィリピンもだ。
ちなみに、正統な歴史では、日本に『綿花』が上陸したのは、室町末期らしい。
それを、約300年ばかり前倒すのだ。
・蝦夷
但し、例外もある。それは、蝦夷地(現:北海道)だ。
何故か?
答えは、簡単だ。北海道は、寒すぎて、稲が育たなかったからだ。
蝦夷地でも育つ稲を、品種改良に至らせるのは、江戸時代まで待つ必要がある。
その為、江戸後期からだ。蝦夷地開発が、本格化したのだ。
ちなみに、『綿入れの着物』は、通気性並びに断熱性いずれも優れた『防寒着』だ。
これを、アイヌとの交易に使う。
・服飾
最後に、服飾だ
賢明なる読者諸君は、童話『金太郎』をご存じであろう。
絵本などで、よく見られるあの『金』と書かれた前掛け、あれには『元ネタ』がある。
それは、当時の『ふんどし』だ。
当時の『ふんどし』は、長い布の両端に、横向きに紐を付けた物で、首から下げていた。
で、股をくぐらせて、腰の後ろから、紐を前に回して縛る。
更に、この形式の『ふんどし』は、室町末期……信長秀吉くらいまで続いた。
やがて、江戸時代には、完全に『6尺』に切り替わっていた。
それを、約300年ばかり前倒すのだ。
折角、『木綿』が手に入ったのだから。
・流通
これは、難しいがやらねばならない。
日本各地にある『関所』で、『通行料』の『徴収禁止令』だ。
これが、地味に庶民の移動を妨げている。
馬鹿げているので、やめさせる。
しかし、これは地元領主の財源でもある。
反発は、必至だ。が、それ以外の産業で、利益を出せば、治まりもつくはず。
●殖産興業
パクリだろう。そう言われるのは、百も承知。だが、やらねばならない。
そこで、品目ごとに、詳細項目にした。
・石鹸
材料は、食用油と、カルシウムだ。貝殻が良いだろう。
効能は、言うまでもないだろう。
油を取る基と言えば、大豆やゴマだ。
大豆生産に、補助金を出した事は、伏線だ。ここで回収できたな。
・蒸留酒
日本で、蒸留酒と言えば、焼酎だが、発祥ははっきりしていない。
一説によれば、シャム王国(現:タイ)から琉球経由で、伝来したそうだ。
室町後期(1534年)の中国人による記録で初登場した。
また、またも、約300年ばかり前倒す。
では、何故蒸留酒なのか。理由は2つある。
その1、日本酒よりカロリーが低い上、アルコール度数も高い。
故に、酒量を抑制可能になる。
これで、『御家人』の『生活習慣病』を『抑制』可能だ。
更に、『酒代』も、抑制可能だ。
その2、米以外の、作物も酒にできる。
現在、販売されている焼酎の素材は、以下のような物だ。
米、小麦、芋、蕎麦、黒砂糖、栗、タイ米(泡盛)……こんな所だ。
ちなみに、江戸時代には、日本中で採れた米を、食用にすれば、日本人全員が食べられた。
そう言う試算がある。
なら、米以外の作物から酒を造れば、国民を飢えから救う事も可能だ。
ちなみに、ブランデーとか、コニャックを知っているかね。
これは、仏のブランデー地方で採れたワインを蒸留した物と言う意味だ。
当然、コニャックは、コニャック地方だ。
果物は、甘いので、発酵し易いのだ。よって、欧州では、ワインが主流を占めていた。
尚、アフリカでは、バナナを酒にしているそうだ。
フィリピン産の黒砂糖や、バナナを酒にすれば、より多くの米を食用に回せる。
それに、強い酒は寒い地方で好まれる。
アイヌとの取引にも使えそうだ。
・磁石
言うまでも無い事だが、これが無いと、『航海』を安定させられない。
●最後に
遷都したい。
鎌倉では、新田義貞の猛攻を防ぎ起きれなかった。
私は、日本初の『城』を作ろうと思う。
堀を掘って、その土を持って『土塁』を築く。
貝殻を砕いて、粘土と混ぜて、『漆喰』とし、『土塁』を『補強』する。
で、その内側に、建物や物見櫓を築く。
堀に海水を引いて、港の代わりにもできる。
本丸は、幕府中枢、堀は5キロメール。
二の丸は、武家屋敷、堀は15キロメール。
三の丸は、庶民区画、堀は50キロメール。
これくらいの規模が、欲しい。
金ならあるさ。あれだけ『搾取』したのだからな。
* * *
こうして、『鎌倉』を『大海洋国家』……否、『海洋帝国』に生まれ変わらせる。
すると、『琉球奉行』とか『フィリピン奉行』とか『インドネシア奉行』など、様々な役職が必要になる。それだけ『銭御家人』に与える仕事が、増えるからだ。
こんな所だな。
以上を以て、『鎌倉幕府を後100年延命させる方法』を締めくくる。
ご愛読ありがとうございます。
<終わり>
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