第37話

 彼氏の家のシャワーを借りるというシチュエーションを過去に読んだ小説から思い出して探してみる……。


 ――やばい。


 いろいろな小説を思い出してみるけど、だいたい答えが一つしか出てこない。


 これはまずい。マズくないけど、緊張状態に突入しそう……。



 リビングにいても落ち着かなくなってきたのでとっくに冷めたお茶をグビリと飲んでテレビをつける。

 お天気お姉さんが今夜は荒れるとしきりに注意を促している。外出は控えましょうって。


 今朝の天気予報では雨が降らない予報だったのに今は荒天の予報だ。この時期の予報って難しいのかな。俺はそういうのにまったくもって疎いのでわからんけど。



 気を紛らわすためにしばらくテレビを眺めていると――


『ピポパポ♪ ピポパポ♪ お風呂で呼んでいます』


 思わずソファーの上で飛び跳ねてしまった。浴室の呼び出しボタンが押されただけだ。



 ※



 浴室、の手前の脱衣所になっている洗面所のドアの前から中にいる美穂に声をかける。

「ど、どうした? 呼ばれたみたいだけど?」


「真司くん、ごめんなさい。髪を縛る輪ゴムはないかしら? 忘れてきちゃったみたいなの」

「えっ、あ……あると思うよ。あ、でも洗面所にあると思うから探してみて?」


 真奈美はショートカットだから輪ゴムは使っているところは見たことがない。いや、ぜんぜん見たことがないわけじゃないけど常用してないって感じかな。だけど母さんはセミロングなのでたしかに風呂上がりとかは黒だか茶色だかの輪ゴムで髪を纏めていた気がする。


「え~ ダメだよ。私、今ビショビショに濡れているんだもん。だから、真司くん、おねがい。入ってきて……」


 頑張れ俺。びしょびしょに濡れているのは髪の毛。お願いされているのは輪ゴム……。入るのは洗面所だぞ? 想像するな!


「同じシチュエーションだよな……。今の俺たちって」

 さっき思い出した『カレのおふとん』なんて小説は、俺は読んでいない! 読んでいないので想像できないんだからっ! 


 ――ホントはしっかり読んだけどね。ライトなエロ小説だった……。


「わ、わかった。浴室のドアは開けるなよ? 今から洗面所に入るからな?」

 かちゃりと洗面所の扉を開ける。扉には鍵がついているのに締めていなかったんだな。


 真奈美でさえ父さんに見られたくないって鍵を締めるのに……。

 関係ないけど真奈美は家に俺しかいないときは洗面所の扉さえ閉めないこともあるのではしたなくて困ります。



 さて、極力浴室の方を見ないように洗面所周りで輪ゴムを探すことにする。シャワーの水音がやけに艶かしく聞こえて仕方ない。


「あった。美穂? 輪ゴムは扉の前に置くからとってくれよ」


 ガチャ……。

 水音が止み、不意に浴室の扉が開く。


 慌てて目を瞑るも少しだけ肌色が目に入ってしまった。腕じゃない何処かの……。


「あ、あ、ごめん」

「ううん。開けちゃった私がいけないんだから謝らないで。ありがとう、真司くん」

「お、おう」


 慌てて洗面所を後にした俺の耳には「うふふ、成功かな? これで私のことをもっと意識してくれるかな」という美穂の囁きは届いていなかった。



 ※



 シャワーから戻ってきた美穂はパジャマといっても過言でないようなスウェットの部屋着みたいな服を来てきた。上の服は前ボタンだからスウェットじゃないのか? 

 スウェットの規格がわからない。いや、そんなもんどうでもいい。


 なんで部屋着? それじゃ家から出られないでしょ? 帰れないよ? それとももう一回着替えるの?


 一気に思考がクエスチョンマークだらけになってしまう俺に涼しい顔してソファーに座り濡れた髪をドライヤーで乾かしている美穂。


「マナちゃんのドライヤーを勝手に借りちゃった。今度謝っておかないとね~」


 減るもんじゃないし謝る必要はないけど、くつろぎすぎていませんか? いいえ、ダメではないんですよ。そういう意味での発言ではないんですよ⁉


「真司くんも入っておいでよ。やっぱりBBQの匂いがすごくするよ~」

「あ、はい。入ってくる」


 聞かなくても答え合わせできてしまった。やっぱり臭かったんだな。だからシャワーを浴びたかった、と。

 他意はなかった……と。

 俺的にはちょっと残念に思っているんだよね。本音をいうとね。




 俺がシャワーを浴び、頭を洗っていると洗面所のドアが開く音がかちゃりとした。


 俺、若干パニックに! だって扉は勝手に開かないし、今開けるとしたら美穂しかいないから! つまり浴室のこの半透明な曇りガラス(本当は樹脂)の向こう側に美穂がいて、俺はマッパというさっきとは真逆の状況が発生しているってこと。


 俺があわあわしていると――頭を洗っているから泡泡あわあわしているわけじゃない! ――美穂に声をかけられた。


「真司くん、背中を洗ってあげる」


 洗ってあげようかという提案でも洗ってもいいかという伺いでもない。もう俺の背中を洗うのが当たり前かのような言い方で美穂はすごいことをいってきた。


 ガチャっと俺の返答も聞く間もなく浴室の扉が開けられる。


 せめてもの抵抗とばかりに扉の方に背中を向ける俺。座っていて良かった。ただ頭はまだ洗っている。あわあわだ。

 口からも「あわあわ」としか言葉が出てこない。


「あ、ごめんなさい。まだ洗髪中だったんだね。そうだっ、いいこと思いついた!じゃあそれも私がしてあげるよ」


 なにがいいことなのか? 背中だけでなくて頭を洗うことがいいことなのかい?


「だ、大丈夫だよ。一人で洗えるし。それに美穂の服が濡れちゃうよ?」


「一人で洗えるのぐらいはわかるよ! そうじゃなくて私が洗いたいの。ダメかな? あと――――服は今脱いだから濡れても平気なんだよ」


 まあ一人で身体も洗えないってことはないよね。でもねって……そこじゃない! 服を脱いだ、だと⁉ しかし――。



「……そっか。じゃ、たのむ」

 俺が言えたのはそれだけだった。


 様々な葛藤が内心であったとはいえ、いろいろと至福な時間だっとだけいっておくとしよう。

 あの『カレのおふとん』の続きって、どうだったっけ?

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