8

 サッフォは長老の家の敷地に入ることさえ嫌がった。もともと長老の馬だったが、ドラゴン退治の時に借り、長老に返そうとしてもどうしてもジゼルの傍を離れないサッフォに根負けして、長老がジゼルにくれた馬だ。おかげでドラゴン退治の報酬は貰えなかった。


 もとより報酬を貰うつもりもなかったジゼルにとっては、長老の家で虐待されていたサッフォを助けることができて好都合だったし、サッフォは賢く、忠実で、そのとき馬を持っていなかったジゼルには願ってもない褒美となった。


「いいよ、いいよ、よっぽどつらい目に合っていたんだね」

 ジゼルは門の外で待つことをサッフォに許した。ついでだからとシンザンもそこに残され、こちらは不貞腐れてロファーを威嚇することで憂さを晴らしていた。


「おまえの馬は三頭とも曲者くせものだな」

 門から玄関へと続く敷石を歩きながらロファーがぼやく。

「ジュリなんか人間の言葉をしゃべる」

するとジゼルが首を傾げた。

「ジュリが喋る? 私は一度も聞いたことがない」


 長老は大喜びで二人を迎え入れ、干した果物をふんだんに入れて焼き上げたケーキや、いろいろなジャムを乗せたクッキーを振舞ってくれた。お茶も上等なものだ。

「それで、犯人の目星は着きましたかな?」

お茶を勧めながら長老が聞いてくる。


 すぐさまカップに手を伸ばし、口を付けるとジゼルは、返答を待つ長老に答えることなく次にはケーキの皿を取り、フォークでケーキを切り分け始めた。


「長老には、昨日お届けした報告、お読みいただけましたか?」

場を持たせようとロファーが代わって答えた。


「おお。あれか、読ませてもらったとも」

判りやすく今回の件を理解するのに大いに役に立った、と長老はべた褒めだ。


 横目でジゼルを見ると、ケーキを一切れ口に放り込んだところだ。ニコリとしている。お気に召したようだ。


「しかしあれではちと……まるで魔導士様が犯人のようで、いえ、まさかそんなことはないと判っておりますが」

「まぁ、魔導術は魔導士以外にとっては不思議なものですからね。そう思われるのも仕方ないかもしれません」


 またもロファーが答える。ジゼルはケーキが終わってクッキーに手を伸ばしている。

「だが、長老もおっしゃるとおり、魔導士ジゼル様があのような惨いことをなさるようなことは決してありません。いつも街人のお役に立てるよう、魔導術をお使いです」

「うんうん、この街にお出でになった頃はどんなものかと思いましたが、その後のご活躍、ありがたく存じておりますとも」

「今日はこうしてここに参ったのは、街を巡回し、犯人の手掛かりを探してのこと。いまだ見つからぬ犯人ですがいずれジゼル様が解決してくださるものと信じております」

言い過ぎたかな、と思ったが言ってしまったことは引っ込められない。


 ジゼルが怒りだすのではないかとロファーは冷や冷やしたが、ジゼルはクッキーに専念しているようで、食べつくす勢いだ。その上、自分でポットを取って、カップにお茶を注ぎ足している。冷や冷やどころではないロファーは冷や汗を掻き始める。


「助手のロファーがそう言ってくれるなら、私としても心配することはございません。魔導士様、よろしくお願いいたします」

 内心、長老はジゼルの行儀の悪さに立腹しているか呆れているかだろうに、そんな顔を見せない。


「ふむ」

 丁度お替わりしたお茶を飲み干したジゼルがカップを置くと鷹揚に頷き、

「話はすんだようなので帰るとしよう」

と立ち上がる。


 ちょっと待て、と言いたいロファー、そうとは言えずにジゼルに従う。長老だって気持ちは同じだろう。

「では長老、またいずれ。馳走になった」

にっこりと微笑むジゼル、つい笑顔になってしまう長老、あぁ、また騙されている、とロファーは胸中で呟いた。


 ジゼルが姿を見せるとシンザンは大喜びで、ヒンヒン言いながら尻尾を振り回した。サッフォの馬面を撫でてからジゼルはシンザンに手をかざして大人しくさせる。


「手を貸して、ロファー」

 家を出るときは自分でひらりと馬に乗ったジゼルだが、ここではだれが見ているかわからない。余り魔導術を使うところは見られたくないのだろう。ジゼルの背丈では自力で馬に乗るのは不自然だ。


 ロファーがひざまずくとその肩を踏み台にジゼルは馬に乗った。ロファーの肩がジゼルの重さを感じることはなかった。


 長老の家でのしつけを責めたいロファーだったが、急いで帰るよ、とジゼルは駈歩で行ってしまう。後を追うロファーはジゼルが急いで帰る、と言いながら遠回りしていることに気が付き、止めようとしたが合図に気づかずジゼルは行ってしまった。


 ドアの前で馬を降りると、ジゼルは指でクイッと馬小屋を指してシンザンに帰るよう命じ、ロファーが下りたサッフォの馬面を撫でてからポンっと優しくお尻を叩いた。サッフォにはそれで通じるのだろう、馬小屋に向かってゆく。


 部屋に入ると一息つくこともなくロファーが長老の家での無作法を責め始めたが、

「珈琲淹れて」

とジゼルは取り合わない。


「腹が減っていたのか? だから家を出るとき、何か持って出るかと聞いたのだ。籠に入れたイチゴもあったのに」

 豆を挽きながらロファーはなおも責める。


「ふん、常人のロファーは、私たちを付けている『だれか』には全く気が付かなかったようだ」

「え?」

思わずロファーが手を止める。それを見たジゼルが指をくるくる始めそうだったので慌てて作業を再開する。


「そいつは昼前に、やっぱり姿を消した。気配を消したと言った方が正しい」

「って、気配だけが付いてきていた、ってことか?」

「そうだ、どこかで遠隔視しているということだ。厄介なのは遠隔視で人が殺せるか、ってことだね……犯人は別の誰かかもしれない」


 危険を冒して結界の外に出た甲斐があったと、ジゼルがニンマリする。

「ちょっと待て、危険を冒してってどういうことだ」

「小言は聞きたくない」

「夏至が近いこの時期に何を考えている」

ロファーは本気で怒っているようだ。そんなロファーをちらりとジゼルが盗み見る。

「そうだね、ロハンデルト。あなたの言う通りだ」


 これからは慎むよ、とジゼルが言えば、さらに追及できるロファーではなかった。


 さらに判ったことがある、私たちは食べ物を持たず家を出た。だから、三人の犠牲者が食品を保持していた事にはこだわらなくていいと思うし、朝食についても同じだ、ジゼルの言葉に

「それは遠隔視していたヤツが犯人だった場合だろう」

と珍しく鋭いことをロファーが言った。


「おまえ、犯人を呼び寄せるつもりで出かけたのか?」

「そうできたらいいな、とは思った……怒らないで」

 先制されれば小言も言えない。


「あーあ、判った、怒らない。で、ほかに何かわかったのか?」

「一番多い情報は……言うとロファーが怒りそう」

 上目遣いのジゼルに

「怒らないから言ってみろ」

すでにロファーの声は怒気をはらんでいる。


「不思議だったんだけど、ロファーって街の人気者? 男も女も、特に若い女の人のほとんどがロファーの噂話をしていた」

「どうせ悪口だろうよ……俺がおまえの愛人だのなんだの、そんな噂は聞き飽きた」

「大方そんなところだけどさ、判らなかったのは、昔おまえに気があったっていう女たちが口を揃えてそのあと笑った事だよ」

「?」

「でもロファーは『役立たず』だから、諦めて他の人を選んだ、そう言って笑っていた。魔導術で治して貰ったと推測する人もいたね」


 ロファーの顔からサーーっと血の気が引き、次には真っ赤に変わってゆく。

「おまえ、おれを揶揄からかうのもいい加減にしたらどうだ」

怒鳴り声に、ジゼルはキョトンとするだけだ。


「だって、なんか含みがあるようで、気になったから。私はあなたを治す魔導術なんか使っていないし」

「意味が判らないなら気にしなくていい」


「怒らないで、って言ったのに……」

「って、だいたいその話は殺人に何か関係あるのか?」

怒らないから言ってみろ、自分の言葉に後ろめたさを感じ、少しロファーは語気を弱めた。


「ごめん、関係ないね……関係ある情報は長老の家のクッキーが教えてくれた」

「長老のクッキー?」

「生地をねながら噂話をしていたんだろうね。メイドたちの声がかなり練り込まれていた」

「それであんなにバクバクと……」


「ケーキは異国の果物も入っていたようだけど、干されてしまって声は微かにしか残ってなかったよ、どこの言葉かも聞き取れなかった。まぁ、こちらも今回の件とは関係ない」

「さっきは小言を言ってごめん。だけど、もう少しやりようはなかったのか?」


「ごめんと言いながら、小言を言うロファー」

 皮肉を言うジゼル。

「長老の相手はロファーがしてくれると信じていたよ」

ジゼルがニッコリ微笑めば、騙されていると知りながら、ついロファーも笑みを浮かべる。


 気になる情報、と言っても具体的にどうつながるかは判らない。


 長老のクッキーによると、街長の一人息子は九年前に貰った養子で、今年十八、

妻になるのは隣街の金持ちの娘と決まっていて、息子より三つ年上、花婿の誕生日に結婚する予定……


「この街では十八で結婚する人が多いみたいだね」

 ジゼルの質問に、答えるロファーの顔はかなり嫌そうだ。

「まぁな、十八になる前に相手を決めてしまうことが多いよ」


 そして年若が十八になるのを待ってすぐ結婚する。男が二十五を過ぎても独身だと『貰い損ね』と言われ、女が二十二を過ぎても独身ならば『行き損ない』と陰口を叩かれる。


 姉さん女房もないことはないが、同じ歳が一番多く、次いで女房が一つ二つ下の組み合わせとなる。


「あぁ、なるほど。それで五年くらい前のロファーはモテモテだった。と」

「言うな」

「気持ちを動かされたことはなかったの?」

 事も無げに聞くジゼルに

「ないよ」

と明らかに嘘だと判る顔でロファーが答える。そしてジゼルがクスクス笑う。


 長老のクッキーからの情報はもう一つあった。犠牲者は皆、瞳が琥珀こはく色だったということだ。調べようと思っていたことだったから、手間が省けてよかったとジゼルが笑う。ロファーは笑うどころではない。


「で、ロファー、琥珀の瞳で私を見つめるロファー、あなたはせいぜい気を付けるように」

 私無しで、私の結界から出てはいけない。きつく命じる、とジゼェーラが言った。

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