7
パチパチと木が
それで寒くなって暖炉に火を入れた。体を冷やしてはいけないと教えたのに、世話の焼ける……
このまま眠りに戻るか、起きてジゼルに小言を言おうか、ロファーが迷っているうちに髪は乾いてしまったようだ。
すっと立ち上がったジゼルの足元に、体を包んでいたキルトがはらりと落ちる。薄闇に浮かび上がった裸身は暖炉の炎に照らされて、命の香しさを漂わせて輝いている。が、後姿で性別を見分けられるほど成熟していない。あぁ、やはりまだ、幼いのだ、ぼんやりとした意識の中でロファーは思う。
はらりと散らされた髪が黄金色に輝く。細い腕を伸ばして傍らに掛けてあったローブを取り身に
深い眠りが
今日は出かけるから供を頼む、とポテトサラダを突きながらジゼルが言う。今朝もロファーが食事を用意した。たっぷりのバターで作ったスクランブルエッグにほうれん草のソテー、そしてジゼルが苦手なグリーンピース入りのポテトサラダ。もちろんお決まりのミルクティーもたっぷり、パンは昨夜焼いたのが十分残っていた。
「ポテトに人参、レタスにきゅうりにタマネギ、それで十分なのに、なんでグリーンピースを入れるかな……って、きゅうり、やっと実ったんだね」
「歩いていくのか? シンザンと同行するのは気が引ける。昨日言われたリストは寝室のテーブルに置いたよ ―― 子どもじゃないんだから、好き嫌いするな。なんでも食べないと育たないぞ。収穫できたのは三本だけだよ、あとはまだ小さい」
「じゃあ、きゅうりにグリーンピース、食べさせよう。早く大きくなるかも……私が乗っていればシンザンは暴れないし、サッフォがあなたを守るから心配ない」
「俺はグリーンピース、好きだがな。珈琲豆の隣に置いてあったからついでに買ってきたんだ。彩が良くなって、サラダがさらにおいしそうに見える。出かけるならさっさと食べて支度しよう」
きゅうりが豆を食べるのかい? 笑いながらロファーが言った。
やっとのことでジゼルが食事を平らげたころ、バスを使ったロファーが着替えて戻ってきた。
「そうそうおまえ、バスを使うなら必ず湯を沸かせ。体を冷やすな、と言っただろう」
「あぁあ、朝から小言ばかりだ。いつからロファーは私の教育係になったんだか。急いで支度する必要があった。ギルド長から呼び出されたのでね」
「ギルド長? だからあのローブか。どうりで魔導士らしいはずだ」
「見ていたのか? 今、バスを見て、昨夜私が使ったと察したのではないのか?」
ジゼルが顔色を変えた。
「血相を変えてどうした。あのローブが正装なのか? 着替えているのは見たけれど、すぐにまた眠ったよ。夜中に出かけているとは気が付かなかった」
その言葉にジゼルが安堵する。
「なるほど……あなたが見たのはローブを着たところまで、っと。良かったよ、そこで眠ってくれて」
あのあと暖炉を通じて魔導士ギルドの長がこの部屋に来たんだ、とジゼルが言った。
「母があなたのことをギルド長に伝えたんだと思う」
「おまえの母上が? なぜ?」
「私をあなたの傍らにいさせていいものか迷った」
「ふん、やっぱりおまえは相当『いい家』の生まれなんだな。で、いさせていただいてよろしいのでしょうか」
「そんな言い方しないで」
ジゼルは少し怒ったようだ。
「悲しくなる」
「うーーん……だって、言いたくなるじゃないか、そばにいることさえ、親やギルド長の了解がいるなんて」
ロファーがジゼルから顔をそむける。ジゼル以上にロファーは気分を害しているようだ。
「おまえの周囲が俺を認めるとは思えない。ただの人間の代書屋ごときを認めるとは思えない。お前は俺を置いて何処かに行っちまいそうだね」
「こっちを向いて、ロハンデルト。あなたが私の傍にいるんじゃなくて、私があなたの傍にいるんだよ。傍にいたいんだよ」
「でも……」
「それに誰もあなたを認めないなんて言ってない。父はあなたを大切にしろ、と言って帰った」
「母上の次は父上の登場か。で、帰ったって、いつ来たんだ」
と言いながら、ロファーが慌ててジゼルに向き直る。
「まさか、昨夜?」
「母だって最初は激怒したけれど、今の暮らしぶりを話したら安心して帰って行った。二人は心配なだけだと思う」
ロファーの疑問に答えずジゼルが続ける。
「私は二親と言葉を交わした記憶が今までない。物心つくころには魔導士学校にいて、そこで育てられた。周囲から『あれが父親と母親だ』と教えられて、そうかと思っていただけだ」
「・・・」
「挨拶する以外、私が二人に話しかけたことはない。その挨拶にさえ、向こうが答えたことはない。『愛して育ててくれた』とロファーが育ての親を語ったとき、ロファーもまたその二人を愛していたと判った。羨ましい、とはきっと、その時わたしに芽生えた感情を言うのだろう」
「もういい、やめろ」
ロファーがジゼルの言葉を遮り、そっとジゼルを抱き締める。
「もういい、おまえがどんな生まれだろうとそんなことはどれ程のこともない」
「ロファー?」
「俺はただお前を失いたくないだけだ。おまえがいつか何処かへ行ってしまうんじゃないかと不安になっただけだ」
「私があなたの傍を離れるようなことがあるとすれば、ロハンデルトが『去れ』といった時だけだ」
「本当に?」
「本当に」
強くそう言ってジゼルが微笑む。
「ロファーのおかげで初めて両親と向き合って話すことができた。二人が無関心だから私に構わなかったわけじゃないことを知れた。感謝しているよ」
久しぶりにジゼルと出かけられてシンザンはご機嫌だった。ロファーを見て少しだけ威嚇してきたが、ジゼルが
出かける間際、昼にはまだあるが出かけていいのか? ロファーが投げかけた疑問に、
「私まで引きこもっていたら、誰が犯人を見つけるんだ」
と答えるジゼルにロファーは肩をすくめた。
まずはロファーが作ったリストの不参加者の家を巡り、様子を見るとジゼルは言った。様子を見ると言っても家の前で馬を止めて、遠くを見るような目で家を見つめる。それだけで、「次ぎ」と、また馬を歩かせる。
リストにない場所でジゼルが馬を止めた。
「ここは?」
大きな門の前だ。
「ここは街一番の金持ちの家」
ロファーが答えると
「街長ではなくて? 家族は何人? 使用人はいる?」
と更にジゼルが問う。
「街長ではないよ、親戚ではあるがね ―― 夫婦とその息子が一人、執事、メイドが五人、下僕が二人に庭師が二人、その中で住込は執事とメイド二人」
「なるほど。お金持ちだね。庭に墓地さえある。生業は何?」
「地主でいいと思う。土地を貸して地代を取っている。この街の借地の大半はここの主の持ち物だ。そう言えばマグの炭焼き小屋の土地を貸しているのはここの主だし、ミーナが見つかった水車小屋はここの持ち物だ」
ふうん、と言いながらジゼルは門の奥を見つめている。
「で、やはり息子が後を継ぐ?」
「本来ならそうなるのだろうけれど……メイドが言うには一人息子は病気で寝たきりだそうだ」
「なるほど。で、話をしてくれたメイドはまだ若くて、ロファーとワケあり」
「な、な、なにを言う!」
慌てるロファーに、
「今、二人のメイドが中で噂話してる、犯人は誰だろうとね」
「それで、なんで俺とメリッサが訳ありになるんだ」
「メリッサという名か。昔、あなたに振られたと、そのメリッサとやらが言ったのさ」
いや、あれは、もう五年は前の話で……
ロファーの言い訳に貸す耳も持たず、馬を進めるジゼルを慌ててロファーは追いかけた。
ロファーが馬を並べると
「息子は病気だそうだが、年齢は? 看病はメイドがしているの?」
と聞いてくる。
「最近はどうだか知らないが、息子のことは一切母親がしているらしい。息子の顔を見たことがないと言っていたね。俺と同じ年齢だったはずだ」
「あぁ、顔を見たことがないと言ったのはメリッサだね、俺なんかよりお屋敷のお坊ちゃんにしたら、ってロファーが言ったからだ」
「いい加減にしないと怒るぞ」
ロファーの言葉にジゼルが声をたてて笑った。
ロファーの家の前を通るとき、ちゃんとポピーを差したんだね、偉い偉い、とジゼルが笑った。
「なんだかさ、すごく馬鹿にされてる気分だが?」
ロファーが苦情を言う。
「そう言えば伝令屋はこの近く?」
「いや、もっと長老の家の近くだ」
「長老の家には最後に行くから、その前に寄ってみるといい。あなたを心配しているかもしれないから」
ジゼルが言った。
一通りリストを回り終わると時刻も昼を過ぎて、人々が家を出て各々の作業を始める。魔導士とその助手が道を行くのを見て、ある者は挨拶をよこし、またある者は見ていないふりをして家に引っ込んだ。家に引き込んだ者たちはきっとジゼルが犯人だと思っているのだろう。
最後に長老の家に行く予定で街を巡ってきた。長老の家はすぐそこだ。
「ここが伝令屋だよ」
ロファーが馬を止めた。
「親爺さん、いるかな……もちろんジゼルも一緒に来るよね」
そう言いながらロファーが馬を降りようとすると、急にサッフォが足踏みを始めた。まるでロファーを降ろすまいとしているようだ。するとジゼルが顔色を変え、
「ごめんロファー、伝令屋さんはまたにしよう。長老の家に行くよ」
さっさと速歩で行ってしまう。おいおい、と後を追うしかないロファーだ。
しばらく馬に速歩をさせていたが、またも大きな屋敷の前でジゼルは馬を止めた。
「そこが街長の家だよ」
ロファーの案内に
「長老の家の隣だな」
とジゼルが言う。
「あの二人、隣同士に大きな屋敷を構えていて、とても仲が悪い」
「へえ、長老と街長は犬猿の仲……なんでそんな二人がわざわざ隣に住んでいるんだか」
「昔から仲が悪いってわけじゃないのかもね。当代は仲が悪いってだけで」
そこでもジゼルは遠い目をして屋敷を見つめていた。きっと中を覗いているんだろう、とロファーは少し怖い気もしながらそれを眺めて待っていた。
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