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 林の一本道ではない抜け道を使って魔導士の家に着くと小さな家の横に設えたテラスで魔導士はお茶を楽しむところだった。

「やぁ、ロハンデルト、今日もまた道を外れてきたね。そのうち罰が当たるよ ――

お茶はいかがかな。カモミールだ」

「ふむ、いただこう」


 魔導士が優雅な仕種で湯をポットに注ぐ。芳香が辺りに漂い始め、ロハンデルトと呼ばれた男がテラスの椅子に腰かける。

「七日前と四日前、そして昨日、何か起こっただろう?」

カップに注ぎ分けながら魔導士のほうから話を切り出してきた。いや、四日前?


「五日前ではないのか?」

ロハンデルト、つまりロファーが問うと

「近頃感じた異変の中でその三回は、人の命の終焉しゅうえんだったが、ちょっと変だった」

と魔導士は答えた。


「ちょっと変?」

「無理やりの終焉、あるいは突然の終焉。だからロファーがわが結界の内に現れたとき、この件で来たと直感した」


 ふむ……思わずロファーがうなる。この魔導士、どこまで見渡せるのだろう。


 魔導士ジゼェーラ、通称ジゼル、街の評判に反して、並みの魔導士ではないらしい。見た目、まだ若いが年を聞くと『五千年くらい生きてるかな』などとうそぶく。これは冗談だと後でわかったが、言っているときの表情は冗談などと思えない。冗談だと言うのが冗談なんじゃないかといまだに思う。


 いつだったか、おまえはミステリアスだな、とロファーが言ったら

「神秘王と呼ばれているよ」

と笑った。これも冗談なのか、本当なのか常人のロファーには判断付かない。


 死にかけた牛や馬をよみがえらせるところは何度も見た。川で溺れた男の子を生き返らせたこともある。


 魔導士だろうが死者を復活させられないことは常識だ。なのにそれをやってのけた。


 だが、ジゼルにそんなことができると知っているのは、少なくともこの街ではロファーだけだ。そんな術を使うとき、ジゼルは必ず助手以外は人を遠ざけ、助手にはロファーを指名した。そして必ずロファーに釘を刺した。『他言無用』と。ロファーにしても見たままを他人に話す気にはなれない。


 ジゼルが呪文を唱えだすと、部屋は明るくなったり暗くなったりを繰り返し、ジゼルの様相はがらりと変わる。何やら聞き取れない言葉を唱え、対象をじっと見つめ手をかざす。その瞳は赤々と燃え、光を放つ。翳したてのひらから閃光がほとばしることもあり、夢ではないかと疑うほどだ。初めてその光景を見たとき、ロファーは腰を抜かしてしまった。なるほど、巨大なドラゴンを退治したと言うのは事実、長老が言うようにまぐれなんかじゃ決してない。そう確信した。


 で、助手のロファーの役目と言えば、元気になった牛や馬、あるいは病人怪我人をジゼルに代わって持ち主や家族のところに帰すことだ。

「間に合ってよかった、と魔導士が言っていた」

と伝えることを忘れずに、だ。


 たとえ魔導士のところに連れてこられた時に手遅れで死んでいたとしても、生きていたと相手に思わせなくてはならない。死者がよみがえることはない、のだ。


 そして報酬をもらって帰る。その報酬は時にかなりの高額だったが、相手が払える範囲だったのは相手を見て金額を決めているのかもしれないとロファーは思った。


 帰ると魔導士はたいてい眠っていて、あるいは眠ろうとして眠れないのか、どちらにしろ寝床で丸まっていた。


 力を使うと体が冷えるらしく、時々ジゼルは

「お願い、暖めて」

とロファーに甘えた。そんな時のジゼルはとてもか弱く見えて、ロファーは従わずにいられなくなる。


 寝床に入ってジゼルを包むように抱きしめると、幼子が母親を求めるようにジゼルは抱き返してきた。そんなジゼルを可愛いと、思わずにいられないロファーだ。


 ひょっとしたら生気を吸い取られているのかもしれない、と恐怖したが、ロファーの健康状態に問題が起こることはなかった。


「と、言う訳で、『愛人』の俺がおまえを引っ張り出すよう命じられたのだ」

とカモミールティーをすすりながら、現時点で判っていること全てをロファーはジゼルに伝えた。

「魔導士が犯人かどうか見てこい、犯人でなければ犯人捜しを手伝わせろと言われたのだよ。まったく、面倒な訴状作成の案件があって、ただでさえ忙しいのに」


「長老のご命令ですか。相変わらずあのおかた、自分勝手だね。それにしてもなんだ、その『愛人』って。あなたは私の助手ではなかった?」

「街で俺はおまえの愛人だってもっぱらの噂さ。ヒモだって奴もいるがね ―― てな訳でさ、ジゼルさんよ、神秘王さんよ、何とかしておくれ」


「私のせいで申し訳ない噂を立てられてしまったね。修正の風を流しておくよ、生業なりわいはなんだったっけ? ―― てな訳で、なんて言われても、それはいやです。犯人じゃないなら犯人を探せ、だと。無料ただで人を使う気だ。要請にはおおこたえし兼ねる、その呼び方にも答えたくない」


「代書屋さ、何とか暮らしが困らない程度にはもうかってる。いやだなんて、そんなこと言わないでよ、神秘王とはもう言わないから」

「代書屋ね、そうそう、文字が書けるし、好みの顔だからあなたを助手に選んだのだった。流行はやり過ぎて助手をお願いできなくなったら困るので、そこそこ流行るようにしておくね」


 唇を尖らせて息を吹くと、額の前でひらひらさせた掌で息を散らすような動作をした。きっとこれで『愛人』とか『ヒモ』とは言われなくなるのだろう。

「お茶のお代わりはいかが? いらないならさっさと帰って」

「お代わり、貰おうじゃないか。美味いお茶だね」


 嘘つきめ……ぼそりと言いながらジゼルはカップにお茶を足した。

「一口飲んで顔をしかめたのを見逃す私と思っているのか」

「ばれてたか……苦くて渋くて香りだけが変に甘い ―― って、おいっ、今、何を入れた?」

「そんなお子ちゃまにはハチミツ入れてあげまちょね」

「ばっかやろ……」

と言いながら笑いだしてしまうロファーだ。


「ロファー、あなたの馬鹿笑、馬小屋まで届いているよ」

「シンザンがまた笑ってる?」

「いーや怒ってる。馬小屋には近づかないことだな、り殺されるぞ」

 ロファーと牡馬のシンザンはもともと折り合いが悪い。ジゼルをロファーに取られてなるものかと、シンザンは思っているようだ。


「それで、五日前じゃないのか、とは?」

 急に話が元に戻り、ハチミツが入れば美味くなるのかと口元にカップを持って行ったロファーが、慌ててカップをソーサーに戻す。


「ボブの娘ミーナが家を出たのは五日前の明け方だ。お前の庭の野イチゴを摘みに行くと言って家を出た」

「あぁ。うちの庭のを摘むがいいと教えてやった。野イチゴを摘むにはミーナの家からはうちが一番近い。うちの野イチゴはたくさん実ったが、摘むのは面倒だと思っていたところに野イチゴを摘むミーナの夢が飛び込んで来たから、そう言った」


「おまえ、人の夢まで覗き見るのか」

「波長があえばね。向こうから勝手に飛び込んでくるのだ。あの時はきっとミーナも夢の中で、うちの庭の野イチゴを思い浮かべていたのだろう。ロファー、おまえの夢に入り込んだことはないから安心していい」


 疑わしいもんだと思いながら、

「で、ミーナはここに来たのかい」

とロファーが問う。

「ここには来ない。摘んでいいよと夢の中で私が言ったことは彼女の中では本当に起こったことになっている。断りに来なくていいとも言っておいた」


 ミーナと顔を合わすことはなかったが、野イチゴを摘みに私の結界にミーナは入っているし、程なくして結界を出ている、とジゼルは言った。


「そのまま家に帰ったと思っていたのは私の不覚だな」

ミーナが自分の家の戸を開ける音まで追わなかった。そんな必要があるなど思いもしない。

「しかしミーナは家に帰らなかった。どこにいたのだろう ―― 殺されて命が絶たれたのなら、それは翌日の朝だ」


 彼女の命が弾ける衝撃波を感じたのは翌朝だ。そしてそれまでジゼルは何の異変も感じていない。何の音も聞いていない。


「つまり、なんだ、行方不明になってから翌日の朝までミーナは無事だった、何の変化もなかった、そういうことか」

「うん、しかも助けを求めるなんてこともなかった」

求めていれば私が気付かないはずはないとジゼルは言った。


 確かにそうだろうとロファーも思う。男の子が川で溺れたときも、突然頭上にやってきたツグミが、目の前に紙片を落とした。紙片には『川へ急げ、ブランが溺れている 連れてこい』とジゼルの字があった。


 驚いて、大急ぎで駆けつけると、ジゼルが言う通りブランが川に落ちたと、子供たちが騒ぎ、数人の大人も集まってきていた。ロファーは考える間もなく川に飛び込みブランを岸にあげた。ブランはもう、息をしていなかったが、ジゼルは連れてこいと言っている。


 集まって来た街人たちに「魔導士のところへ行く」とだけ言ってブランを抱えてロファーは走った。結果、ブランは息を吹き返し、家族の元に戻された。


 似たようなことが何度もあった。『飛び込んでくる』とジゼルは言うが、それはそれで、気が休まる時がなかろうとロファーは思う。そんな能力は絶対持ちたくないと思うロファーだ。


 そんなロファーを知ってか知らずか、

「落命の瞬間の波動は感じたが、ロファーが言うように誰かに殺されたのならば直前に恐怖を感じているだろうに、それはちっとも届かなかった」

と事も無げにジゼルが言う。


「恐怖は強い感情だ。まして命を奪われるかもしれぬ恐怖は底知れず強いはず。それを私が感じられなかったということは、三人とも死に際でさえも自分が死ぬとは思っていなかった、ということだ」

「じゃ、殺されたわけではない、と?」

「いーや、恐怖を感じるもなく殺された、ということだよ」

ニヤリとジゼルが笑う。


「それと『残忍な手口』……目玉を抉りだす魔虫はいるにはいるが、この辺では冬の虫だ。爽やかな風が青葉を揺らす今時期に出てくるのはおかしいし、そいつなら目を抉った後、耳と鼻も抉る。当然出血も並大抵じゃない」


 つい想像してしまい、やっと吐き気を抑えているロファーに気づかず、ジゼルはさらにこう続けた。

「だから、虫ではない。犯人は人間だ」

ここでやっとロファーの様子に気が付き、背を撫で始める。


「納まらないようなら、梅酒を少し上げよう。楽になる ―― 人間だとしたら、そんなことができるヤツを探せばいい。私以外のね」

「探すったって、どうやって?」


「まずはもっとヒントがほしいな。明日、ボブにあって、こう聞いてみて。それと炭屋のジェシカねぇさん、これは体調次第、明日、牛飼いのマーシャに薬を頼むから、いくらかよくなっているとは思うけど聞けたらでいい。レイモンのところは娘のマナミにも話を聞いてきて。頼んだよロファー」


 そうと決まれば、こんな話は終わりにしよう、梅酒を出すかい? 夕飯までゆっくりしてるといい、もちろん食べてゆくよね。誰かと一緒に食事をするのは久しぶり、ちょうど珍しい食材が手に入ったところなんだ、腕を振るうよ……


 ジゼルの機嫌は悪くないようだ。そして ――


 とりあえずジゼルは犯人ではない、そして犯人探しに協力してくれるようだ。ほっと胸を撫でおろすロファーだった。

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