第三回 自我の行方
『自我の行方』(春秋社)は、フロイト派精神分析学者・岸田秀とキリスト教学者・八木誠一の興味深い対談集である。最初のうちこそ、論旨をコントロールしようとする八木に対して絶えず視点をひっくり返してゆく岸田の掛け合いが目立つが、やがて自我を共通問題としてがちりと歯車が噛み合い、誰もが目を背けたくなるような人間の本質にまで迫る真摯な議論が展開されてゆく。
この二人の有能な論者のうち、岸田には会ったことがないが、八木は一度だけその講演を聴講する機会があった。今から十二年前、時ならぬ大学受験勉強をしていた頃のことだ。
十代半ばで、私は深刻な心の危機を経験した。その結果高校を一年余りで中退し、実家が寺院であった関係から全寮制の僧侶養成学校に放り込まれた。入学当初、私は「信仰は弱い人間の逃避に過ぎない」と考えていた。しかし、集団生活で様々な人間の姿を見る中で、一握りではあるけれど敬虔な信仰者の立居振舞に触れて、信仰をそのように簡単に断じてしまうことはできないと感じるようになった。四年間の修学を通じて私自身がファンダメンタルな信仰を得る事はなかったけれど、人間にとって信仰とは何か、宗教とは何かという普遍的な問題を、特定宗派の学習機関ではなく客観的な学問の府で学んでみたいと考えた。高校を中退した時には一生縁のない場所だと思われた大学を、そのような思いで志す事になる。二十一歳の春だった。
その夏に大学入学資格検定試験(大検)を受けた直後、私の住む島根県の隠岐島で比較思想学会が開催されるとの新聞記事を見つけた。会長である仏教学者・中村元氏が松江出身であったことに起縁するものだったらしい。一般聴講も可能だという事を確認して、私はオートバイに寝袋を積んで隠岐に渡った。総会で発表された幾人かの講演の中で、とりわけある講演が私の興味を惹いた。講師は八木誠一、キリスト教学会でも一流の学者であるその人の名を意識した最初の事になる。目指していた筑波大学の先生のギリシア思想に関する講演がピンとこなかったこともあり、八木の教える大学に志望変更することも検討したが、東京工業大学という名前から私の資質に合わないものを感じ、諦めた。
結局私は筑波大学に入学し、そこで宗教学という学問と出会うことになる。
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宗教学と一口にいっても、他の学問分野と同様にその内実は様々に細分化されている。諸宗教の教義・教学の哲学的体系ではなく、「人間にとっての信仰」を研究したいと考えた私にとって、最初に関心を持ったのは宗教心理学であった。しかし、とある先生に相談したところ、日本ではまだ未成熟な分野であり『宗教心理学』(東京大学出版会)を著した松本滋の周辺つまりは東大にしか専門の教師はいないだろうとのことで、早々に断念せざるを得なかった(このアドバイスが間違いであり、実際は様々な大学に様々な教師が存在することは、後に知った)。結局私が師事したのは、本稿第一回でも紹介したミルチア・エリアーデの弟子である荒木美智雄だった。結果的にそれが私の学生時代を非常に実り豊かなものとしてくれた。
荒木の授業は非常にアクが強く、学生は傾倒する者と敬遠する者にはっきり二分された。無論、私は前者であった。彼に師事した学生たちも強い個性の持ち主ばかりで、宗教に対して、そして学問に対してそれぞれ独自の一家言があった。そうした個々人の集まりだけに「一心同体」的な感覚とはまったく無縁でいながら、様々な議論を交わす集団としてまとまっていたのも、荒木の不思議な吸引力の故であったろう。口の悪い学生をして「荒木ゼミって、それ自体がカルトみたい」といわしめたのも頷ける。
正直なところ私は、荒木から学問の体系的な手ほどきを受けたことがない。彼の教師としての手法は知識を授けることよりも感性を開拓することに重点を置いており、学生の目的意識や自主性がなければ不親切この上ないものだった。逆にいえば、目的意識のある学生にとっては最良の教師であったと思う。荒木ゼミの自由な雰囲気の中で得ることのできた無形の感性は、私にとって知識以上に大切な財産となっていると感じるからだ。
学生時代に私が得た最大のものは、「人間は誰もが個人的偏見の中に生きている」という事の諦観であった。人がある出来事に直面した時、そこに何らかの感情が生まれる。同じ出来事をある人は哀しみ、ある人は怒り、ある人は嘲笑する。出来事から読みとる意味の違いが、感情の違いに結びつく。家庭環境・社会環境の中で幼児期から培われた意味の体系(=文化)がそうした無意識的価値判断に強い影響を与えているのだが、無論、それだけではない。同じ一人の人間でも、体調や精神状態によって、相手の態度に寛容になることも激しい憎しみを抱くこともある。同じような精神状態にあっても、ある人の行為は許せてある人の行為は腹立たしく心が乱れる。人の心は、実に様々な経験によって形作られ、色づけられているのだ。それはつまり、自我の問題である。
こうした諦観を得た背景は三つあると思う。ひとつは、青年期に誰もが何らかの形で経験するであろう、恋愛を含めた様々な人間関係の体験である。自分の心に起きる出来事や他人のそれを真剣に観察し考える機会は、ひょっとすると青年期にしか得られないものかも知れない。またひとつは、学問上の経験である。自分に理解できない宗教を研究対象にしようと考えた私は、統一教会やものみの塔、オウム真理教など社会と摩擦の多い教団の信者と接触を持ち、卒論では統一教会を取り上げた。その過程で、教団の外部社会に対する観念にも外部社会の教団に対する観念にも、最初から理解を拒絶するような偏見とそこから雪だるま式に派生する悪意があることが鮮明になった。特に教団は「洗脳」をしているのだという外部社会による評は、呪術的恐怖心を表すレッテルであると同時に信者個々人の責任を棚上げにする働きがある、問題の多い言葉だと感じた。最後のひとつは、私自身がどうしようもなく抱え込んでいた自我の在り方の問題で、単純にいえば、「自分は信仰を持っていない」という強固な観念とその裏返しとしての声高な異文化理解論だった。学生時代の大半を背負い続けたその頑なさは、大学院一年の宗教学実習で熊野を訪れた時、ある一連の体験によってゆるやかに崩れていった。その詳細はここでは述べないが、NIFTY-Serve現代思想フォーラムで一九九三年五月~七月の宗教学会議室ログから発言者IDPEC01116を検索すれば、当時の言葉で綴ったレポートが見つかる筈だ。
この実習の直後、父が亡くなった。長男である私は母の残る島根に戻らざるを得ず、大学院を中退した。学業を志半ばで終えることにはなったけれども、私の感じ考える事柄が主として自我の問題を中心としていることに気づき、それまではバラバラの趣味であった読書・小説創作・思索がひとつの筋道の上で見渡せるようになった事は、満足のいく収穫だった。そして、私自身の青年期の自我を巡る遍歴もまた、この時にひとつの終わりを告げたのである。
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科学として最初に自我の問題に目を向けたのは、精神分析学の創始者ジグムント・フロイトだ。彼は人間の心を、エス・自我・超自我の三側面から捉えた。エスとは乳児期から人間が持っている盲目的生存衝動の総体、超自我は文化規範・社会規範等によって形作られる無意識の倫理指針であり、その両者のバランスを取りながら統一的な「私」として現れるのが自我である。
ジグムントはあまり自我の問題を綿密に論じなかったが、その後を受けて自我心理学を確立したのが実娘アンナ・フロイトであった。『自我と防衛』(誠信書房)は彼女の学問の良きまとめであり、自我がエスと超自我の間で起きる矛盾から自身を守る為に、合理化・攻撃・投影などの様々な防衛機制を働かせて一見奇妙とも不合理とも思える人間行動を生み出す様が説かれている。また自我心理学の流れで最も有名なのはエリック・エリクソンであろう。彼の唱えたアイデンティティという言葉は、その訳語である「自己同一性」以上に日本語の中に溶け込んでいる。主著は『幼児期と社会』(みすず書房)であろうが、巨大な事件の渦中を生きた一人の人間の精神史を辿る『ガンディーの真理』(同)を荒木は強く勧めていた。手軽に入手できるエリクソン思想の入門書としては、鑪幹八郎『アイデンティティの心理学』(講談社現代新書)がある。
人間の自我がどのように獲得されてゆくのかを解き明かすのは発達心理学だ。岩田純一『<わたし>の世界の成り立ち』(金子書房)は、乳児から五歳程度までの発達を様々な実験例・観察例を上げながら追ってゆく。現実に一歳七ヶ月の息子を持つ父親としても、非常に興味深く読めた。本書は現在刊行中の認識と文化シリーズの一冊だが、ラインナップを見ると他にも関心をそそられる巻が何冊もあり、今後を楽しみにしている。
私が「自我」という言葉を使う時には、実は精神分析学とは少し違ったニュアンスを込めている。世界から意味を読みとり世界に行為を投げ返す一連の人間の経験、私はそれを自我と呼ぶ。精神分析学でいう自我は主体であり、時には主体から見られる像としての客体である。私のいう自我は、いや、自我という言葉を使うことで表現したい事柄は、むしろその機能なのだ。
自我の機能のうち、世界から意味を読みとる面を綿密に論じたのが加藤茂『人は自我の色眼鏡で世界を見る』(勁草書房)だ。加藤は、人間の自我は三つの段階で偏見に彩られるという。生理-生物学的レンズ、社会-文化的レンズ、個人-心理的レンズの三つである。例えば人間の目は特定の波長の光しか認識することができないという生理的限界があり、日本人には涼しげに聞こえる風鈴の音が外国人には単なる騒音に過ぎないという文化的限界があり、幼児期に腐った魚を食べて吐いて以来魚が食べられないという心理的限界がある。ありのままの世界を人間が認知するまでの間に、こうした三段階を経て像は歪み色づけられてゆくのだ。ベストセラーとなった解剖学者・養老孟司の『唯脳論』(ちくま学芸文庫)もまた、脳機能の観点から認識・認知の問題を解き明かす名著である。
心理学、哲学、生理学など近代西洋の学問ばかりが自我の問題を追っていたわけではない。釈迦当時の初期仏教は、現代日本の仏教の印象とは大きく異なり、思弁的な内容だった。『ブッダのことば』(中村元訳)をはじめとする岩波文庫の初期仏典は、自我を巡る素朴な、しかしシビアな思索に満ちている。愛するものを失うことは苦しみだから愛するものを作らない(出家無所有)という発想は過激だ。現代インドの哲人ジッドゥ・クリシュナムルティも、自我を巡る膨大なモノローグとダイアローグを遺した。You are the world、彼のよく使った言葉だ。一人の人間の心の中に、世界のあらゆる経験の可能性がつまっている。世界のどこかで起きている争いや憎しみや哀しみや喜びや慈しみの根は、一人一人の心につながっている。ならば、心はどのようなものであるのか、静かに観察してみようと彼は呼びかける。多数の翻訳があるが、『ザーネンのクリシュナムルティ』(平河出版社)など最初は講演録から読むことをお勧めしたい。
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自我という機能は、喜びや悲しみや怒りといった情緒的経験を人間に与える根拠でもある。それだけに、物語表現においても登場人物の自我の変転が物語自体を引っ張ってゆく原動力となり得る。
芦原すなお『スサノオ自伝』(集英社文庫)では、幼い頃のスサノオはナーバスで世界から様々に傷を負わされる者として描かれている。可愛がっていた駒鳥をいじめっ子グループに殺され、呆然とした気持ちの中で彼は気づく。「生命とは粘液なのだ。人間も、駒鳥も、犬も、皆、もとを正せばクラゲなのだ」と。池に浮かび漂いながら、スサノオは自分ばかりが馬鹿正直にクラゲの心で震えていたこと、自分だってクラゲじゃないふりをして「粘液の悪ふざけ」に参加できることを思う。世の無意味を知り、自我の暴力的主張が許されることを知る。イメージの奔流、圧倒的な物語性、お勧めの一作である。
自我の問題を思弁的に物語に組み込んだ希有の作家がいる。坂口尚だ。初期の短編にもその気配は感じられたが、長編『VERSION』(潮出版社)で彼は正面から自我を取り上げた。近未来、人工素子「我素」を巡るSF冒険譚である。その中には二つの存在の仕方が登場する。エゴイズムを必要悪として貪欲に追い求める者と、世界との暖かなつながりの中で勇気を持って一人在ることを肯定する者。こうした「悪」と「非悪」の対照的構図は、遺作となった『あっかんべえ一休』(同)でより鮮明に描かれている。一休宗純の生涯をモチーフに、坂口は見事に自らのテーマを表現し切った。
坂口が青年期の思弁であるとするならば、少年期の情動で凄まじい物語を織り上げたのが三原順だ。熱狂的マニアは『はみだしっ子』(白泉社)が一番いいとする人が多いようで、私のように『Sons』(同)を最高傑作と見なすのは少数派らしい。『Sons』は絶筆となったムーンライティングシリーズの登場人物たちの少年期の物語である。大人の様々な思惑に翻弄されながら、少年たちが自分の在処を求めて苦闘する様が、緻密な人物設定と練り上げられたストーリー展開の中で描かれている。
「イドの怪物」という言葉がある。イドはすなわちエス、無意識の衝動が理性を凌駕する様を表したものだ。新井英樹『The World is Mine』(小学館)は、(精神分析学でいうところの)自我の力が弱まってエスの暴力衝動が垂れ流しになってゆく人間と、そうした存在を持て余す現代日本を描く、今もっとも注目すべき作品だ。ヒグマドンという存在や総理大臣のキャラクターなどの荒唐無稽さと、殺人という出来事の冷徹な描写と、主人公二人の絶妙な人物設定。これらが巧みに合わさって圧倒的な物語が展開される。特に、二人の暴力行脚がTVを通じて全国に伝染し様々な類似事件を生み出す描写は、現実社会での毒物事件を思い合わせ、ネガティブな感情は容易に伝染するのだという事実を突きつけられたようで暗鬱になる。
心はとても弱いものだ。傷つけば、自分が傷ついた以上に誰かを傷つけようとする。自我が弱まるとエスが漏れ出す、個人の心の中で起きる出来事は、社会でも同じように起きる。不況など世の中が悪くなればなるほど、自我を守る物語が必要とされ、どこかに敵をつくり攻撃衝動を解き放とうとする。サム・キーン『敵の顔』(柏書房パルマケイア叢書)は、戦時中の敵性人に対してどのような描写が行われたか(つまり、どのような物語が与えられたか)を丁寧に追った好著だが、著者はその中で人間の攻撃衝動を「絶えざる人間的誘惑----深い不信と自己防衛と冷笑的態度に身をゆだねたいという誘惑」と表現している。戦時中の日本軍人を肯定する中で「敵」を虐殺する快楽をも肯定的に描写した小林よしのり『戦争論』(幻冬舎)は、それが人間の事実だという意味で、決して否定も無視もできない作品だと思う。現代日本社会に対するカンフルとしての意義もまったく理解できないわけではない。しかし、インターネット等で見かける市井のフォロワーは、その攻撃性のみをなぞって「人間的誘惑」に身を委ねているように感じられてならない。新しい歴史教科書を作る会事務局長を務めるいわば身内の民俗学者・大月隆寛が、彼らを「地に足つかない『朝日』批判、『サヨク』叩きに熱狂し、まるでゲームのようなノリで知ったかぶりの歴史観論争に没頭する醜態」(『論座』十二月号 朝日新聞社)と論じ、薬害エイズ運動に参加した青年に「日常へ帰れ」と叫んだのと同じことを今の状況に叫ばなければと書いていたのが、我が意を得たりの思いだった。
弱い心は、しかし、愛する対象を得ることで強くなれる。それは家族や恋人かも知れない。神や仏への信仰かも知れない。ラジオから流れてきた歌声や、ふと目にした一遍の詩であるかも知れない。自分の傷が苦しくて誰かを傷つけようとするどうしようもない気持ちが、そうした何かとの不意の出会いから溶けてゆくことがある。逢坂みえこ『永遠の野原』(集英社)は、人間のそうした暖かな可能性を描いた名作だ。日常生活の中で等身大の登場人物が織りなすドラマは、時にはコミカルで時には胸が苦しくなるくらいつらいけれど、根底に流れる著者の人間への憧れや信頼が、心に勇気を与えてくれるのだ。
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冒頭で触れた『自我の行方』の中で、二人の論者の違いは「真の自己」を巡る思索に収斂したように思う。岸田は『幻想の未来』(河出文庫)でも述べているように、ユング派が自我(エゴ)に対置させるように用いる自己(セルフ)の概念を、それもまた自我の枠の中で追い求める幻影であるという。八木は、確かに自我は人間からなくすことのできないものだけれど、絶えずその自我を相対化してゆくような在り方を保つことは可能なのだという。科学者と宗教者の違いを良い意味で現しているようで、とても興味深い。
私はユング派の語る言葉に深く共感する者でありながら、この「自我」と「自己」を巡る問題に関しては、岸田のシビアな見解を支持する。心のある状態を自我と呼び別の状態を自己と呼んでみせる事には、ある種の分かりやすさがある一方で、固定化した理想像への執着によって足下を掬われかねない危うさを感じるのだ。それは例えば、『あっかんべえ一休』の中で少年期の一休がとらわれていたことだ。
だがそれは、八木やユング派が自己という言葉で表そうとしている事柄を否定しようというのではない。自我の在り方には、確かに、好ましく望ましい在り方がある。「いかにあるべきか」を声高に語るのではなく、「いかにあるか」を知り、感じて、自分の中に沸き上がる快と不快の質を手探りしながら、世界と良い関係を結ぼうとすることが大事なのだと思う。
心はどのようにして「世界の中にある勇気」を得るのか。その鍵を探る為に、次回は自我の鏡に映る世界像の問題に焦点を当てて考えてみたい。
続く
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