第二回 明るい笑い、黒い笑い

 私が子供の頃、テレビお笑い界のスターはドリフターズでありコント55号であった。他の子供たちと同様に私も彼らの番組が好きだったけれど、私の親は彼らを嫌っていた。そうしたテレビのお笑い番組を「一億総白痴化」と二重に差別的な仕方で呼んだのは誰だったろう。現代でも状況は同じだ。ダウンタウンやナイナイの番組が広く支持される一方で、弱者いじめの手本を見せて子供に悪影響を及ぼすものだと非難する声が、新聞の投書欄などで根強く見られる。

 やはり子供の頃の出来事として、印象的な出来事がある。当時圧倒的な人気のあった下品系ギャグ漫画『トイレット博士』(とりいかずよし 集英社)の影響で、友人たちといくつものグループを結成した事は前回に触れたが、そのひとつに「死ぬか団」があった。意味はない。合い言葉で「死ぬか!」という、ただそれだけのナンセンスな遊びだった。正月、私は団員宛に大きく「死ぬか!」とだけ書いた年賀状を書いた。勿論それは、自分と相手との間で確かに通じる筈の笑いであり、それだけに親密さを託したものでもあった。しかし、投函する前にそれを見た親は、私を強く叱った。年始にそんな不吉な言葉を相手に投げつける事は非礼だというわけだ。私は、この賀状にそうした通常の「死」のイメージや悪意など微塵もないことを強く主張したけれど、とうとう納得してはもらえなかった。どうしてこの人たちは自分の固定的な価値観と異なるものがある事を認めようとしないのだろう、という理不尽さに大きく憤ったのを覚えている。

 ちなみに、仮に十年先に私の息子が同じような賀状を書いたならば、私はやはり諫めると思う。社会通念を教える事が親の務めであり子の為だから、などと殺菌されたように美しい嘘をつくつもりはない。人は自らの価値観を他人にも与えようとするのであり、それが社会通念と合致しているかどうかは、あまり関係がないのだ。

 現在の私が「死」という言葉から読みとるイメージは、小学生の頃のそれとは比べものにならないくらい、様々な経験を反映した重いものになっている。そうした私の感覚は、「死」に重きを読み取らず遊戯的に用いるような態度に、単純に不快を覚える。私は私の感性の弱くて脆い部分──コンプレクス──を刺激するものに対してネガティブな態度を取るのだ。その時息子は、二十年前の私と同じように理不尽を覚えるのだろう。彼は、そのような観念複合から自由な場所にいるのだから。

 笑いを巡るこうした支持と非難の対立は、時に宗教・人種・国家などを巡るそれと同じくらいに、双方とも頑ななものとなる。笑いというものが、それだけ人間の自我と密接に結びついているからなのだと思う。笑いは自我がそうであるのと等しく、時に明るく、そして時に暗いものであり得るのだ。


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 私にとっての「笑い」が先鋭化しはじめたのは中学生の頃だ。

 小学校時代、「あいつは奇人だ」と噂に高い男子がいた。中学二年で彼と同級生になり、その言動を身近で見るようになると、確かに彼は奇人の名に値すると思われた。「普通の靴がないから」と晴れの日でも長靴で登校し、そのまま長靴で体育に参加しながら、砂場ダッシュでぶっちぎりの早さを見せる。手をいつもピグモンのように少し持ち上げ、呼びかけられると「うひょ?」と応える。天然的に常識を越えた発想と言動で日に数回は周囲を爆笑させる彼のポケットには、ジグムント・フロイト『精神分析入門』(角川文庫)が潜んでいた。

 私はすぐに彼と意気投合した。早熟な自我を持て余した者として互いに響き合うものがあったのだと思う。

 私は彼に、小学生時代から好きだった江口寿史『すすめ!パイレーツ』やコンタロウ『1・2のアッホ』(ともに集英社)を薦めた。どちらも、当時としては相当に不条理なギャグマンガで、私たちの感性に強く響くものだった。また昼休みになると、私たちは屋上で『井上ひさし笑劇全集』(講談社文庫)に収録された、てんぷくトリオの為に書き下ろされたコメディ舞台の練習をしたものだ。小学校の半ばに新聞連載小説『偽原始人』(新潮文庫 連載は朝日新聞)を読んで以来、私はずっと井上ひさしファンだった。

 逆に彼から薦められた「笑い」には、例えば魔夜峰央『パタリロ』(白泉社)がある。現在では妙に安心感のあるマンネリさのパタリロだが、第一話の「こういうものだ」「なんだ、手帳屋か」といったアップテンポなギャグには、デパートの書籍コーナーで立ち読みをしていて、腹を抱えて笑ったものだ。当時の彼は特に「花とゆめ」などの白泉社系コミックに強かったが、パタリロのような破壊的なギャグとともに、『空の食欲魔人』などの川原泉のナーバスな笑いにも、更には沈鬱で深刻で常に読者投票の低位を彷徨っていた三原順『はみだしっ子』にも、彼のアンテナは強く響いていた(私がこれらの面白さを理解できるには、もう数年が必要だった)。


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 彼は当時、「優秀な怪奇作家は優秀なギャグを生み出す」と語っていた。魔夜峰央も元は(決して出来がいいとはいえないが)怪奇作家であり、また怪奇物の極北ともいえる作品群を発表しつづけた梅図かずおが『まことちゃん』(小学館)ではじけた事も、彼の説の根拠だった。

 このテーゼの正しさは、その後の私自身の読書体験が裏付けている。例えば『腸詰め工場の少女』(東京三世社)など独自のブラックな幻想世界を展開していた高橋葉介は、『真琴グッドバイ』(朝日ソノラマ)でコメディの才能を見せ、『夢幻紳士活劇編』(徳間書店)でギャグに開花した。今は短編連作『学校怪談』(秋田書店)で、低俗なホラーと秀逸な幻想とを往還しながら、子供向けの娯楽作品を紡いでいる。

 特筆すべきは日野日出志によるパロディコミック「銅羅衛門」だ。この作品は昭和五十六年発行の『パロディ・マンガ大全集』(奇想天外社)に収められており、高信太郎「テラへ!」や梶尾真治「未来中年コナン」などの破壊的なパロディ作品の並ぶ中で、特に異彩を放っている。ジャイアンの似顔絵に鉛筆をぷすぷす刺して楽しんでいた「のぶた」に、銅羅衛門はミニ地獄マシンを与える。「ここから写真を入れると、その人間が豆つぶぐらいになって出てくるんだ。そいつをこの地獄でいじめるのさ。未来社会ではすっごくはやってるんだぜ。ひひひ」と血走った目で語る銅羅衛門。いやな未来社会もあったものだ。『地獄変』(青林堂)など、読者に激しい恐怖を植えつける作品を生みだした日野日出志が、このように自らを戯画化する作品を描いたこと自体、私には大きな驚きだった。


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 自我の膨れ上がろうとする十代半ばにあっても、私は必ずしもこうした先鋭的・破壊的な笑いだけを追い求めたわけではなかった。小学生の頃から愛読していた井上ひさしや星新一の延長にある、様々な「ユーモア」小説が私のもうひとつの渉猟対象だった。

 定番といえるO・ヘンリーを読んでからしばらくは、翻訳物のユーモア作品をよく読んでいた。ファーレイ・モウワット『犬になりたくなかった犬』、アート・リンクレター『ほざくなチビッ子』、アレン・スミス『いたずらの天才』といった、文春文庫の赤い背表紙シリーズは、軽くて読みやすいので特にお気に入りだった。

 エーリヒ・ケストナー『一杯の珈琲から』(創元推理文庫)は、国境の町の喫茶店で不可抗力から一杯のコーヒー代に困った男が陥る、恋とドタバタの物語だ。全般にわたるコミカルさとおしゃれな感覚は、当時の私の目指す小説の模範でもあった。特に、暗闇の中でヒロインが主人公をベッドに誘導するシーンには、「こういう気のきいた描写をしたいものだ」と嘆息したのを覚えている。ケストナーといえば一般には『飛ぶ教室』なのだろうが、私にとってはやはり『一杯の珈琲から』の作者なのだ。

 当時、推理小説のジャンルでもユーモア物がはやっていた。一番好きだったのは天藤真で、特に、山林王の老婆を誘拐した筈の3人組が逆に老婆に翻弄される『大誘拐』(角川文庫)は秀逸だった。この作品は著者の死後に映画化されるなど、意外と根強いファン層を持つようだ。『最長不倒距離』(角川文庫)などの都築道夫も好きだった。この人はホラー短編も書いていて、それがまた怖くて、つくづく上手い作家だと思った。

 ユーモア推理物といえば欠かせないのが、角川商法で大ヒットした『セーラー服と機関銃』(角川文庫)を始めとする赤川次郎作品だろう。ご多分に漏れず、当時は私も角川文庫の赤川作品を読みあさったものだ。だが、ある時期からすっかり飽きてしまい、先年久しぶりに新刊『ミス』(新潮文庫)を読んでみて「つ、つまらん……」と絶句した。ご都合主義の展開、薄い描写、リアリティのない会話。少なくとも今の私には赤川次郎は面白くない。けれど、十代の頃の私には、そうした要素がむしろ「読みやすさ」としてプラスに受け取られ、純粋に楽しむことができたのだろう。


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 がむしゃらに「笑い」を求めていた十代に比べると、三十代の今は、随分と余裕がでてきたといえる。笑いに限った話ではないのだが、あの頃の感性に響いていたものの多くが今はふるい落とされ、逆にあの頃は理解できなかった、または否定していたものの価値を認めるようになった。

 それはしかし、決して過去を否定することではない。逆に、十代の頃にあれだけ見境なくいろいろな物事にアンテナを伸ばしていたそのことが、現在の素養を培うことに結びついているのだと思う。最近では仕事が忙しくてなかなか本も読めなくなったが、それでもなるべく未知の作家・未知のジャンルに手を出したいと思っている。特にコミック類はすぐに読めることもあり、表紙の感じなどでふと手にとって、結局ファンになってしまう事も多い。

 三年前に結婚する際、書店でみつけた『セキララ結婚生活』(メディアファクトリー/以下同様)をなにげなく手にして以来、けらえいこ作品にはまっている。その後人気が出て『あたしンち』では文春漫画賞も受賞したが、一番好きなのは『いっしょにスーパー』だ。この下等動物のような結婚生活は、まるで我が事を見ているかのようで笑える。「シゲキより、シリよね……」は名言だ。

 二ノ宮知子『平成酔っぱらい研究所』(祥伝社)は、レディースコミック作家である著者の酒びたりの日々を描いたエッセイコミックだが、その酒豪度・酒乱度のすさまじさには腹を抱えて笑ってしまう。他の作品を読んだことがないのだけれど、このギャグのテンポには期待が持てる。

 伊藤理佐の場合、最初に表紙の絵柄のかわいさで『おるちゅばんえびちゅ』(双葉社)第一巻を購入し、予想と中身のあまりの乖離に無性に腹が立って「こんな作家は認めん!」とまで思った……筈なのだが、今ではすっかり癖になってしまった。『微熱なバナナ』(双葉社)も後半マンネリ化した部分はあるが、身も蓋もない下ネタで笑わかす力技には一見の価値がある。


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 ある種の「笑い」を生み出す力と、芸術家に多い自意識の働きは、大きく結びついている。そういうセンスを持つ作家を見ていると、いわゆるオタク的感性の持ち主が多いように思われる。

 とり・みきは『くるくるくりん』(秋田書店)の頃からファンなのだが、独特のリズムで読者の足元を掬う優れた表現者だ。普通の意味でのギャグ作品としては『ポリタン』(白泉社)辺りが絶頂で、私も何度も読み返し笑い転げたが、近年は民俗学的モチーフの伝奇SF『石神伝説』(文藝春秋)など、自らの感性を次第に研ぎ澄まして作品づくりに取り組んでいる様が分かる。

 とりの畏友ともいえるゆうきまさみは、私と同世代のオタクに爆発的に受け入れられた雑誌『OUT』(みのり書房)の出身である。はじめはアニパロ(=アニメ・パロディ)小品を手がけていたが、少年サンデーに連載された『究極超人あ~る』(小学館)で開花した。この作品は高校の光画部、つまり写真部を舞台にした学園コメディなのだが、写真というもの自体が昔からマニアックな世界であり、そこに集う面々とその青春の日々には「あるある」と思わず納得してしまうリアリティがあった。ギャグセンスも秀でていたけれど、それ以上にこのリアリティが『あ~る』の魅力であるといえる。その後、『機動警察パトレイバー』『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(いずれも小学館)など、人と人との関係に対する理性的な視線を深層に沈めた優れた物語づくりをしており、こういうものを描くうまさは、『わずかいっちょまえ』(徳間書店)『夢かもしんない』(小学館)などの星里もちると共にコメディ作家の中では筆頭だと考えている。

 ゆうきまさみが趣味心と大人の視線を併せ持つ作家だとすれば、世界に対して斜に構えるという意味でよりオタク的感性を発揮しているのが、唐沢俊一・なをきの兄弟だろう。

 最初に唐沢なをきを読んだのは、今では結構な古書価格がついているらしいデビュー単行本『八戒の大冒険』(徳間書店)だ。三蔵法師のお供が三人とも猪八戒というスラプスティックな表題作のラスト一コマ、「ドロシー、油が切れたようだよ、ぎちぎち」に大爆笑して以来、惚れ込んでずっと追いかけている。『かすみ伝』(徳間書店)や『怪奇版画男』(小学館)など、コミックの約束事を次々と茶化してゆく実験作品群は何よりもギャグとして秀逸だ。

 唐沢なをきを読むうちに原作に兄・俊一を迎えた唐沢商会名義の作品が出版されるようになり、最初は「何者だこの兄貴は」と胡散臭く考えていたが、すぐに『脳天気教養図鑑』(青林堂)『怪体新書』(光文社)などの凄まじい蘊蓄の魅力に取り付かれてしまった。彼の本領は古書オタクであり、エッセイ『古本マニア雑学ノート』(ダイヤモンド社)には、同じ本好きの人間として強い共感を持った。その後の活躍は周知のことだろう。と学会の創設会員として『トンデモ本の世界』(洋泉社)で大ヒットをとばし、岡田斗司夫・眠田直と蘊蓄トリオ・オタクアミーゴスを結成してNIFTYのコメディフォーラムに会議室を開設、『オタクアミーゴス!』(ソフトバンク)を出版し、全国各地を公演している。一度は見に行かねばと思うのだけれど、島根に来ることはないと思われるのが残念だ。


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 唐沢兄弟の知的な笑いが好きなのと同じ理由で、今のお笑い芸人の中で一番好きなのは爆笑問題だ。ボケ役・太田光は「思考のずらし」を実に見事にやってのける。

 彼らは漫才だけではなく、NHKなどのトーク番組の司会もこなすのだが、近著『爆笑問題のピープル』(?)にそうした番組でのやりとりが記録されている。各界の代表的人間の話を引き出し、知的好奇心を大きく満たしながら彼ら独特の笑いをちりばめるあの手腕は素晴らしい。処女出版『爆笑問題の日本原論』(宝島社)は実質的に太田が一人で書いたものだが、オウム事件など時事ニュースを漫才に取り上げる形式で、これもまた笑い転げたものだ。

 以前、同僚から「笑える本を貸してくれ」といわれ、私はこの『日本原論』を貸した。すると翌日、彼は「こういうブラックなのはどうもだめだ。気分が悪くなる」と渋い顔をして返してきた。爆笑問題がブラックだという考えがまったくなかったため、私は少なからず驚いた。

 なるほど、読み返してみると、不謹慎といえるネタはいくらでもある。坂本弁護士一家の遺体が発見されたニュースで「殺して土の下に埋めるなんて許せないですよね」「まったくね……」「日本じゃ土葬は違法ですからね」「そういう意味で許せないのかよ!」というやりとりなどは、事件の痛ましさを考えれば、あまりといえばあまりかも知れない。

 けれど、最初に読んだ時には、私はまったく気にならなかった。素材になった事件との関連よりも、その発想のずらし方の芸に目を奪われていたからだといえるが、もっと根本的な問題もあるように思う。それは、作品の中で、状況を見つめる目の在り方の問題である。他者を嘲笑うものであるのか、そうでないか、ということだ。

 爆笑問題のネタには悪意はない。弱者をいたぶる澱んだ精神はない。ひとつには、田中裕二の常識人的つっこみがうまくバランスを取っているからでもあるけれど、そもそもの太田の発想自体がそういう陰湿なコンプレクスとは無縁なものなのだろう。彼はあくまで表現者であるのだと思う。


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 例えば昔、ふとこんな事を考えた事がある。

「トムとジェリー」で車に轢かれたトムがぺしゃんこになってヒラヒラと宙を舞う描写がある。私たちはそのナンセンスさを純粋に楽しむけれど、肉親を交通事故で亡くした人が見たら胸が破れるような悲しみに襲われるかも知れない。では、それを理由として、そのような描写を一切しない態度を表現者に求め得るだろうか。

 この問いは、文章表現を続ける者としていわゆる差別表現の問題について考える中で、思考実験としてではなく、「こんな表現も、状況によってはたまらない気持ちになるだろうなあ」とつらい感覚を伴って自分の内にわき上がったものだ。

 しかし、問いに対する私の答えは否である。交通事故遺族会の集まりでそのような映画を上演しないという類の、ごく当たり前の感覚があれば、それで十分だと思う。

 表現のうちに悪意はない。小さなジェリーがいじめっ子のトムをひどい目に遭わせる痛快さが根底に潜んでいるのだとしても、視聴者に同様の感情を喚起する類の描写ではない。もし、「根底にある優越者への悪意」を全て否定するのであれば、例えば官僚に対する戯画的一コマ漫画も差別であるのだし(実際あれはまさに差別表現なのだが、不思議とそれを糾弾する声は聞かれない)、最後には「愛する者と別れることが苦痛なのだから家庭を作るな、憎い者と会うことが苦痛なのだから他者と交わるな」とする初期出家主義仏教の諦観に行き着く。何故ならそれは自我の根元的な働きなのだから。私は初期仏教の諦観に、人間の根源を見据えたものとして強く共感しながらも、それでも自分は在家の立場で-つまりは、自我の働きを基本的に肯定しながら、他者とのつながりの中で倫理を探る在り方で-生きていこうと思う。こういうと理念的に聞こえるが、どちらかといえば、内的な声に耳を澄ませた応答を言葉にするとこうなる、ということだ。

 私の小学生時代に『東大一直線』(集英社)というギャグ怪作をものし後に完結編『東大快進撃』(集英社)で凄まじい自我の物語を見せた小林よしのりは、差別問題についてまとめた『ゴーマニズム宣言差別論スペシャル』(解放出版社)の出版に際し、描きおろし作品のラストをめぐって出版社と対立した経緯がある。小林は、人を見下す醜い心の澱を撃ち、世界に生きてあることを肯定する論を展開した上で、ラストにハゲを茶化した表現を持ってきた。それは小林のギャグ作家としての矜持でもあり、四角四面になりがちな差別問題を肩の力を抜いて考えようという信念の現れでもあったのだろう。しかし出版社側は、それを差別表現だとして、描き直しを強く迫った。小林は折れなかった。結果、作品は縮小した形で掲載され、その上段と下段にそれぞれ小林と出版社の見解が文章で載せられることとなった。

 小林に「ハゲ」に対する悪意がないのは明らかである。しかし、悪意の有無ではなく、その表現自体を捉えて出版社は否定した。それは、様々なコンプレクスを持つ二つの自我がぶつかる地点での出来事であり、両者の見解を載せる調停の仕方は、そのような状況下ではむしろ理想的なものではなかったろうか。


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 他者に対する放縦な悪意の笑いという点では、例えば榎本俊二『えの素』(講談社)が顕著だ。主人公が自分を解雇した社長の身体的特徴=ハゲを嘲るシーンなどは、小林の表現に目くじらを立てる者なら即座に糾弾の声を上げるだろう。私はモーニング誌上で『えの素』第一話を見た時、かなり不快な気分になった。けれどいつしかその魅力に取りつかれ、単行本が出る度に購入している。

 『えの素』の不快の原因も、魅力の源も、主人公親子が自我を一切規制せず解放しているところにある。他者の幸福はすべからく妬ましいものであり、食欲も性欲も排泄欲も、そして弱者をいたぶる快楽にも素直である。そうした自我の開放感が作者独特のナンセンス表現によって増幅され、作品のエネルギーとなっている。

 雑誌『ガロ』(青林堂)は、昔からアンダーグラウンドな作品・作家を育てていた。丸尾末広・花輪和一といった、さくらももこ『ちびまる子ちゃん』(集英社)で人口に膾炙した名前の作家は、分裂症的で悪意に満ちて自我を垂れ流し他者を嘲笑し蹂躙する作品群を作り続けている。丸尾は『パラノイア・スター』(河出書房新社)、花輪は『御伽草子』(双葉社)の名を挙げておこう。近年では『混沌大陸パンゲア』(青林堂)の山野一が凄まじい。先頃自殺した山野の妻・ねこぢるも、社会的に善とされているものを全て偽善と呼び自らの攻撃衝動に素直な作品群を遺した。

 白状しよう。呪詛と嘲笑に満ちた彼らの作品を読むと、私はとても辛く苦しい気持ちになる。ここまで自我の醜さを描くことに、耐えられない気持ちになる。しかしその一方で、強い魅力も感じるのだ。分裂と汚辱と破壊と破滅の香りに、遠ざけたい不快と共に、くらくらと魅きこまれるような快楽をも覚えるのだ。

 だからこそ、行政職員である私は、こうした書物を有害図書指定するべきだと考える。現在地方自治体の有害図書指定はほとんどエロメディアに限定されていると思うが、相原コージ・竹熊健太郎が『さるまん』(小学館)の中で、スカンジナビア半島は金玉に似ているから有害だと笑いのめしたように、エロ本なんて基本的には害のないものだ。むしろこうした、人の心の混沌とした暗闇に横たわる危険な快楽を喚起する書物こそ、体制は拒否し否定してみせるべきではないだろうか。感情は、特に荒々しい感情は、とても容易に広く伝染するのだから。

 そして、私は一人隠れて読むことにしよう。


        *


 笑いは自我の解放を示す。だからこそ私たちは笑いを求めるのであり、穏やかな笑いは心をも穏やかにする。その一方で弱者を、または自分を抑圧する強者を安全な地点から嘲うことも、やはり自我の解放であり、快楽であるのだ。

 自我の発露を全て否定すれば、私たちは社会的・文化的に生きることが叶わず、全て肯定すれば、倫理にもとる。戦後民主主義の弊害を指摘する声は過剰なほどにあふれているが、自己肯定と欲望の放縦を混同したままでいる私たちの自我は、果たしてどこに流れようとしているのだろう。次回はそんな事を考えてみたい。


 続く

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