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蓮乗十互

第一回 創造の愉楽

 同人ぐりふぉんが活動を開始した。同人成立の経緯についてはnadja氏が詳しく書きとめてくれることと思うが、端的にいえばぐりふぉんは強い創造性と表現衝動を持った人々の集まりであり、無論私もその一人である。

 私が意識的に物語を創り始めたのは小学校の後半のことだ。

 当時、子供の間で人気のあった(そして大人が顔をしかめた)コミック『トイレット博士』の中で、主人公の子供たちが「めたくそ団」というサークルを結成していた。団員バッヂや合い言葉などの子供心をくすぐる要素があり、模倣の楽しみに夢中になれる年頃であった私たちは、やたらに**団を結成したものだ。だが、そのほとんどは「いぬねこ団」といった、自分たちにすら意味不明なもので、しかもほぼ全ての団の構成員は同じ顔ぶれなのだ。無意味といえばあまりに無意味なのだが、大人には無意味であるのにも関わらず子供の感性を強く魅了して止まない事柄はいくらでもある。

 そうしたいくつかの団の中に「かきかき団」があった。

 これは、小説を書いたり漫画を描いたりする、珍しく目的のはっきりした団だった。主唱者は他ならぬ私だ。自宅から歩いて一分の所にあった市立図書館に日参し、さほど多くはない少年向けのSFや推理小説を幾度も飽きず読み返して、漫画雑誌の発売日には何時間でも本屋の冷たい床に腰を降ろして読みふけっていた私は、既に物語の快楽に貪欲であった。そんな私が「自分で面白い物語を創ってみたい」と思いつくのは、とても自然な事だったように思う。

 所詮は子供のやること、と馬鹿にしてはいけないのだろうが、何らかの作品が完成する事はやはりなかった。私たちは壮大なSF世界や殺人事件のトリックをわいわいがやがや話し合い、小説の冒頭の数ページを書いては飽き、コミックの絵コンテを描きなぐっては飽きして、やがて団は自然解散した。けれど、そうした創作の「気分」を、私たちは存分に楽しんでいた。

 あの頃から二十年。今でも私は小説というスタイルで物語を創ることを続けている。


        *


 思えば私は、幼い頃から空想癖の強い子供だった。TVヒーローと一緒になって悪者とカッコよく戦う自分を想像しては悦に入っていた。無論、子供は多かれ少なかれ、そうした想像の世界を楽しむものなのだろう。ただ私の場合、その度合いが幾分強かったのではないだろうか。

 想像は単なる夢想としてではなく、誇らしい気持ちや喜びや悲しみや時に不安や怒りといった、様々な感情を伴うものとして経験された。そうした強い感情価を伴う想像力は、非現実の空想に対して以上に、現実の日常生活と人間関係に向けられた。例えば、いじめっ子にいじめられた体験を想起し怒りを募らせ、その感情の故に更に強く体験が刻み込まれて、雪だるま式に「不安」と「偏見」が育ってゆく。私の対人関係の不器用さは、そうした私自身の想像力によって培われたものである。

 人間にとって想像力が果たす役割を概説してくれるのが、内田伸子『想像力~創造の泉をさぐる』(講談社現代新書)だ。認知心理学・発達心理学を専門とする内田は、幅広い事例を紹介しながら平易に、そして深く人間の経験の問題を解き明かしてゆく。噂やデマとパニック、幼児の言語獲得、空想上の生物、そして文学創造。人間が持つ想像力の機能はポジティブにもネガティブにも働き、世界に様々な破壊と様々な創造をもたらす。広く一読を勧めたい好著である。

 人間は世界から受け取った知覚から想像力の機能によって情緒的経験を得る。それは決して一様で平板なものではなく、恥や意地や様々な「無意識」の働きによって歪められ、人格を形作っている。この無意識の概念を発見したのは精神分析学の創始者ジグムント・フロイトだが、その無意識の創造性を強調したのはフロイトと袂を分かつこととなったカール・グスタフ・ユングであった。『創造する無意識』(ちくまライブラリ)は、人間の創造性に言及したユングの小文を編纂したものだ。作家の病的心理を指摘する事が芸術理解に役立つわけではないとしてフロイト派の文芸批評を批判した上で、無意識の衝動が強い創造性を産み出すと同時に、時には作家自身を破滅させるほどの暴走をする様も述べていて興味深い。ユングの著作としては平易なものに当たると思われるので、初めてユングを読むのに適しているかもしれない。

 ユングの思想はオカルティズムとの親和性が強い印象があり、その為に敬遠する人も多いようだ。例えばシンクロニシティの概念は、フロイトとの激論中にユングの予言通り隣室からラップ音が聞こえたという有名なエピソードとセットになり、現実主義者からはユングを胡散臭いオカルティストと思わせる理由のひとつとなっている。だが実際にユングがどれだけオカルティックな事柄を事実として受け入れていたのかは怪しい。そうした事柄に傾倒した時期は確かにあるのだが、生涯を通じてはむしろ、事柄の事実関係よりも人間の内面に起きる出来事に目を配っていた。

 想像力によって人間の内面には固有の意味世界が現れる。人間が生きるという事は意味を生きる事に他ならず、それが事実か否かとは別のレベルで、人間の内的経験を支えているのだ。渡辺学『ユングにおける心と体験世界』(春秋社)は、ユングの思想体系をそうした解釈学的立場から捉えなおした労作である。著者の博士論文を下敷きにした著作のためかなり歯ごたえがあるが、蒙を啓かれる所が多い筈だ。

 フロイトは主に神経症を研究対象とし、ユングは分裂病を扱った。フロイト自身神経症を患い、ユング自身分裂病的傾向にあったことは、皮肉というよりも必然であったのかも知れない。武野俊弥『分裂病の神話』(新曜社)は、ユング派の知見に立脚しながら、宗教や芸術において分裂病的資質の者が生み出す様々な表現を考察している。特に、画家エドワルド・ムンクが連作絵物語『アルファとオメガ』の創作を通じて自らの病を乗り越えてゆくエピソードは圧巻である。「分裂病者=優れた芸術家」というステレオタイプの愚劣さは近年諸処で指摘されているが、本書はそれを乗り越えて魅力ある内容となっている。


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 精神分析学や分析心理学は、ファンタジーを中心に諸文学を研究対象としたのみならず、文学の側にも実作品・創作理論を問わず強い影響を及ぼしている。

 梨木香歩『裏庭』(理論社)は、ユング派好みのイメージに満ちた重厚なファンタジーである。主人公・照美は、幼い頃に知恵遅れの双子の弟を亡くしており、父や母が自分によそよそしいのは、弟の死の原因が自分にあるからではないかと考えている。ある日、親友の祖父が危篤だと知らされた彼女は、その祖父が教えてくれた古い洋館の大鏡の向こうに広がる不思議な世界「裏庭」に入り込み、分割された一つ目の竜の骨を元にもどす冒険の旅に出る。ユング派をかじった事のある人間なら、あまりにツボにはまりすぎていて逆につまらなく感じる部分もあるかも知れない。だが、丁寧で綿密な描写力、錯綜する伏線や人間関係を統御しきった構成力は、一見の価値がある。重苦しい物語の果てにたどり着く美しいラストシーンには、実作者として強い羨望を覚える。

 アーシュラ・K・ル=グウィン『夜の言葉』(岩波書店同時代ライブラリー)は、人類学者を父に持ちユング派にも造詣の深いファンタジー作家が、自らの創作行為にまつわる思索を語ったものだ。「人間は昼の光のなかで生きていると思いがちなものですが、世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです」との一文がタイトルの由来である。代表作であるゲド戦記シリーズ第一巻『影との戦い』(岩波書店同時代ライブラリー)は、予想されるように自らの影(シャドウ)との対決がテーマとなっているのだが、テーマが先にあってストーリーが構築される時の不自然な作為は微塵も見られず、作家が自らの内なる創造性に突き動かされて書き上げた作品の好例であろう。

 現代日本文学の先端をゆく作家・筒井康隆は、虚構と現実の関係を深く思索し文学表現に反映させる希有の仕事を続けている。個人的に彼の最高傑作と見なしている『夢の木坂分岐点』(新潮文庫)では、少しずつ少しずつ位相のずれた世界をさまよいながら、筒井文学の本質である「世界から受ける哀しみ」が見事に描かれている。そしてそのモチーフの底にあるのは夢の感覚だ。創作論集『着想の技術』(新潮文庫)を見ると、彼が早くからフロイトやユングの理論に目を向けていたことがわかる。特に所収の「夢||もうひとつの現実(虚構)」は、彼の見た夢とその自己分析を実作にからめて述べており、作家の精神活動の貴重な記録としても興味深い。

 文学における想像力の役割を強く意識した作家としては他に、大江健三郎が挙げられる。『小説のたくらみ、知の楽しみ』(新潮文庫)は、彼の創作論をまとめたエッセイ集だ。彼はいう、「小説のたくらみとは、ある時事的な出来事をとらえて、それに宇宙論的な感覚へと外に広がる方向付けと、人間の内の暗がりに深く沈む方向付けとを、ふたつながらにあたえる企て」であると。大江は宗教学者ミルチア・エリアーデに度々言及している。私は宗教学徒としてエリアーデの孫弟子に当たる、というと学問を断念した身としては口幅ったいのだが、やはり本書に引用される様々な彼の言葉には強く共感を覚える。例えば「私はノスタルジアをつうじて貴重なものごとを再発見する。そしてその仕方によって、私はなにものも失うことがないと、なにものもかつて失われたことはないと感じるのだ」という言葉などは、私自身が文学で表現したいと考えている人間的テーマと重なり合うのだ。それについては、studio niya houseの同人誌『りぶれびぶれ』(休刊中)に発表したいくつかの作品を読んでいただければ、その巧拙を別として納得いただけるかと思う。

 実はエリアーデ自身、世界的な宗教学者としての顔とは別に、幻想文学作家としても幾つかの作品を残している。彼が自らの文学創造に言及した文章としては、『ユリイカ 詩と批評』一九八六年九月号・エリアーデ特集(青土社)所収の「文学的想像力と宗教的構造」がある。彼は学究の合間に小説創作の強い衝動にとらわれ、ついには学術的著述を一時中断して小説に取り組んだ経験に触れた後、次のように述べている。


■--------引用ここから

 私は、私の精神の平衡状態||どんな創造性にも欠くことのできない条件||は、学問的研究と文学的想像力の間のこの振り子運動によって保たれているのだ、と考えた。多くの人々同様、私は精神の昼の様式と夜の様式を交互に生きている。もちろん、精神活動のこの二つのカテゴリーは相互に依存し合っており、深い所では一つである。両方とも同じ「主題」||人間||を扱わねばならない。つまり、人間固有の世界内存在様式と、この存在様式を引き受ける人間の決断を扱わねばならないからである。

エリアーデ「文学的想像力と宗教的構造」 前掲書 二一〇頁

■--------引用ここまで


 先に引用したル=グウィンや大江の言葉との間に、驚くべき類似がある。

 私は小説を構想し執筆する際、強いヴィジュアルイメージに没頭する。極端な表現をするならば、目を開いていながら外界を知覚せず、内的スクリーンにキャラクター達が動き回るのを、彼らと感情の起伏を共にしながら観察しているような感覚だといえる。この「感情の起伏を共にする」想像力が、私の人格上の、そして文学創作上の、時にポジティブで時にネガティブな特性であると自覚している。私は昼間は公務員として煩雑な事務作業に従事しているが、非文化的な昼のストレスが溜まるほどに、夜のイマジネーションが豊かに耕されてゆくのを感じている。


        *


 創造的人間の行状にも興味深いものが多い。

 一昨年頃にNHKで「涙たたえて微笑せよ」というドラマが放映された。大正時代の作家・島田清次郎の生涯を描いたもので、私はこのドラマで初めて島田の存在を知った。本木雅弘が己の才能をぶつけるように島田を好演し、また筒井康隆が新潮社社長の役で登場している。

 島田は二十一歳で出版した処女作『地上』(新潮社 現在は季節社から刊行)により大ベストセラー作家の地位に就く。主人公の青年壮士は、没落商家に生まれ強い自意識と社会への呪詛をバネに生きてきた島田自身の似姿であり、熱く社会改革を語る内容は当時の大衆の圧倒的な支持を受けたという。私も読んでみたが、様々な物語作品のあふれる現代の目から見ると、さほど傑出した作品とは感じられなかった。興味深いのはやはり、島田清次郎という人物の行状である。感情の暴発を制御できず、傲慢な態度で周囲を辟易させた島田は、海軍少将令嬢誘拐監禁事件など様々な騒動を起こした末に、早発性痴呆症(今でいう精神分裂病)と診断され精神病院で三十一歳の生涯を閉じる。杉森久英『天才と狂人の間』(角川文庫)は綿密な取材をもとに島田の生涯を追った作品で、昭和三十七年の直木賞を受賞している。また様々な才人を描いた森田信吾『栄光なき天才たち』(集英社文庫)でも島田を扱っている。

 作家ではないが、アメリカ人ベーシスト、ジャコ・パストリアスは島田とよく似た芸術家であった。彗星のように現れ天才として圧倒的な支持を受けながら、感情を制御できず周囲と様々な問題を起こし、音楽界を追われて精神病院に入院する。その最後は、バーで暴れ回り用心棒に殴り殺されるという悲劇的なものであった。無名時代に「俺は天才ベーシストだ、このデモテープを聞いてくれ」と人気フュージョンバンドであったウェザー・リポートのジョー・ザビヌルにテープを押しつけ、一端は怒鳴られて追い返されたものの後に押しも押されぬウェザー・リポートのスタープレイヤーとなったエピソードも、同様に評論家・生田長江に原稿を持ち込みデビューした島田と符合する。ビル・ミルコウスキー『ジャコ・パストリアスの肖像』(リットーミュージック)は彼の天才と悲劇を余すところなく伝えてくれる。

 水木しげる『東西奇ッ怪紳士録』(小学館)を読むと、平賀源内もそうした傲慢な自意識と天賦の才を持ち合わせた人物であった事が分かる。高松藩の足軽の子に生まれながら学問に没頭し、本草学(植物学)から広く博物学的興味で各地を留学、エレキテルなどの発明や土用の丑の日にウナギを食べるキャッチコピー、秋田藩に西洋画の技法を伝え秋田蘭画発生の糸口を与えたり、大衆娯楽小説を執筆すれば大流行などなど、マルチな活躍をしている。だがその尊大な自尊心はやはり対人関係をいびつなものにし、最後には自分の土木工事の設計を盗まれたと猜疑して無実の町人を殺し投獄され、獄中で破傷風を患い死んでいる。

 直木賞作家・高橋克彦は、『小説家 直木賞作家になれる・かもしれない・秘訣』(講談社文庫)の中で、自分の創作歴を熱く述べている。幼い頃から読書家で、小学校高学年の頃には親に隠れて江戸川乱歩と谷崎潤一郎を読みふけっていた彼は、やはり早熟の部類に入るのだろう。中高生時代は演劇脚本に熱中し、その後作家を志すがなかなか芽がでず、大学講師を務めながら書き上げた『写楽殺人事件』(講談社文庫)が乱歩賞を受賞することで夢が実現した。その後の活躍は周知の通りだ。自意識過剰の天才型創作者とは違い、夢を持った情熱的努力家である高橋の自伝は、アマチュアで小説を書き続ける私の胸を熱くさせてくれた事を告白する。


        *


 結論的に述べておこう。

 人間の認識の仕組みを考える時、物語とは架空の夢物語のみを意味しない。私たちが日々の暮らしの中様々な人たちの間で経験する、喜びや哀しみや怒りや妬みといった、ポジティブであれネガティブであれ様々な感情価を担う一連の意味の流れ。それが広義の物語だ。そうした基本的概念を踏まえると、創作作品としての狭義の物語もその力の源を露わにする。

 フィクション/ノンフィクションを問わず、物語を創るという事も、物語を受け取るという事も、人間に特有の現象すなわち文化だ。人間の想像力は無定型な世界から豊かな意味を読みとり、そこから様々な情緒的反応が生まれ世界に行為を投げ返す。人間が生きるという事は、そうした相互交流的な「経験」を本質としていると思う。

 つまり表現するという行為は、世界への憧れなのだ。無論、憧れは簡単なことで呪詛に転換してしまう。人間の心は暗くて澱んだものを常に抱えずにはおられないからだ。世界を憧れるのか、それとも呪うのか、それは私たちが何に出会い何を感じるかという感性の問題に大きく左右される事柄である。

 私達はぐりふぉんを通じて世界へ憧れ続けてゆく。そうして産み出された表現が、読者の方々の胸に新たなる憧れを産み出すことができたなら、ぐりふぉんは豊かな創造の場であったと誇れるようになるのだろう。


 続く

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