第4話「木苺マフィンと、新たな出会い(2)」


 スライムの逃げ足は速かった。

 必死に追いかけ、何度か紙袋マフィンを取り返せそうなチャンスもあったけど、そのたびにひょいっと軽やかにかわされてしまうのだ。


 追いかけっこは結局、私の限界で終わりを迎える。

 スライムは余裕たっぷりに路地の向こうへ走り去っていってしまった。




「……はァ……はァ…………もうムリ」


 倒れる様にしゃがみこみ、まずは息を整える。



「ってかこの街、スライムいるんだ。まぁ魔物がいる世界なら、スライムぐらいいてもおかしくないか……それにしてもあのスライム、意味わかんないぐらい速かったな」


 奴は移動に迷いが一切なかった。

 しかも追いかけにくい障害物がある道や、細道みたいな嫌な道ばかり選んで逃げ回る上、小回りが聞く小さな体を活かして「バスケのフェイントか!」とツッコみたくなるレベルで私を右に左に振り回す。


 どう考えてもエイバスの街を知り尽くしているし、私より一枚も二枚も上手うわてだった。


「このまま追いかけても捕まえられる気しなかったもんなぁ……あ~あ、私の木苺マフィンが……」


 今日の木苺マフィンは最近作ったお菓子の中でも改心の仕上がりだった。

 最初に焼きあがった瞬間からバターの芳醇な香りがキッチンいっぱいに漂ってて、私までよだれがでそうになったもんなぁ。

 焼き上がりの色も完璧だったし、絶対すごくおいしかったはずなのに……


 ……ん? 香り……?



「あ」



 ここで私は気づいてしまった。

 焼き立てマフィンの匂いが、すごくから漂ってきているということに。


 この食欲そそる甘い小悪魔的な誘惑焼き立てバター菓子の香り……幼い頃から祖母ばあちゃんと共に堪能し続けていた私が嗅ぎ間違えるなど、ありえるはずがないッ!




「こっちだな……!」


 木苺マフィンを諦めきれない私は、本能のまま香りの出所でどころを捜索することにした。





 ***





 ひたすら焼き立て菓子の匂いを辿る。

 より香りが強くなるほうへと歩くうち薄暗い路地へ出た。道も細いし、入り組んだ建物と建物の影になっていて、心なしか妙に湿っぽい。



「……そろそろか」


 バターの香りがだいぶ強くなった。そろそろ本体マフィンも近いはず。



 意を決して目の前の角を曲がると――。



 ――泣きじゃくる “” がいた。




 瞬間、心がきゅっとした。


 周りと同じく陰気な空気漂う路地裏の一角。

 それなのに幼女だけがキラキラしていて、その泣き顔から目が離せない。



 ……いや、ほんとに光っているわけじゃない。だけど輝いて見えるんだ。


 見た目年齢は5歳ぐらい。石畳の地べたに座り古い建物の壁にもたれかかっているにも関わらず、彼女はまるで天使のように美しかった。

 青い瞳は満天の星空、流す涙は小粒のダイヤモンド。

 ふわっと細く淡いピンクがかった銀の髪はさながら光の糸だろう。



 幼女は瞳一杯に涙を浮かべつつ、マフィンを頬張っている。

 そして彼女の横には、紙袋をかかえたスライム……。




「あっ、私のマフィン! それにさっきのスライムッ!」


 思わず声が出てしまう。



 私の声にびくっと反応する幼女とスライム。

 素早く紙袋を捨てたスライムが幼女をかばうように前に出たかと思うと……。




 ――ブオォンッ!




「きょ、巨大化した?!」


 軽く数十倍は膨張した巨大ゼリースライムは、私の身長なんかより遥かに大きい。




 え……こちらへ勢いよく覆いかぶさってきただと⁈


 あまりに速く、あまりに突然。

 何も反応できぬまま、飲み込まれる、とだけ思った瞬間。




「やめてッ!」

 

 幼女が叫んだ。

 同時にスライムの動きが止まり、プシュゥと縮んで元の大きさに戻る。





 気がつけば、私の腰は抜けていた。

 何が起きたかよく分かってないけれど……どうやら助かったみたい。




 幼女がトコトコ駆けてきて、私の前で止まる。

 目に涙を浮かべたまま、食べかけの木苺マフィンを突き出して言った。


「このおやつ! つくったヒトは どこ?」

「え……私、だけど――」


「ウソは だめ」

「いやいやほんとだって。それさっき私が焼いた木苺マフィンだよ」

「ぜったいウソ。ほんとのことを いいなさい!」



 この幼女、全く信じる気がないな。



「じゃあ逆に聞くけど、なんで嘘だって思うの?」

「だってこれ、うちのおやつ係が つくったのと 同じ味が するもの。あたしの舌は だまされないわ! はやく おしえなさい、おやつ係は どこにいるの?」


「えっと……その『おやつ係』ってのが誰かは分からないけど、たぶん作り方が似てるだけなんじゃないかな」

「どういう、こと?」

「お菓子は使う材料や作る手順が似てると、出来上がりも似た味になりやすいんだ。そのマフィンは一般的なレシピで作ってるから、私以外にも似たような味のお菓子を作れる人ならたくさんいると思うよ」



 私のお菓子のレシピはほとんど祖母ばあちゃん直伝だ。そして祖母ちゃんのお菓子は、基本に忠実な王道中の王道ばかり。


 彼女の言う『おやつ係』とやらに心当たりは無い。だけど私も市販のお菓子を食べて「祖母ちゃんの味に似てる」と思ったことは1度や2度じゃないし、彼女の気持ちも分かるといえば分かる。



「そんな……やっと、やっと、会えると おもったのに……うわぁあぁぁん!」


 幼女はくずれ落ち、せきを切ったように泣き出してしまった。






 最初は私の木苺マフィンを取り返すべく、泥棒スライムを追いかけていたはずだった。


 だけど追いついてみればマフィンは幼女に食べられていた。

 さらにはスライムに襲われかけて、よくわかんないうちに幼女大号泣。



 マフィンを取り返すとかそんなのもはやどうでもいい。

 幼女は現在も泣き止む気配が全く無くて、声をかけられる雰囲気じゃない……。



 ……かといって、小さい子を放っておいて帰るのもどうかと思う。






 私が何もできずにいると。少し離れた所にいたスライムがこちらに滑ってきた。



 さっきの出来事飲み込まれそうになるが頭をよぎり、バッと反射的に後退。

 だがスライムは私には目もくれず、幼女のひざにぴょこんと飛び乗ったかと思うと、何やらごにょごにょ動いている。


「……うん…………そうだね……あたしは の ムスメだもんね、泣いちゃいけないわ…………え? なるほど……」



 どうやら何か会話が行われているっぽい。だけど幼女が一方的に喋るだけで、スライムが何か声を発している様子はない。


 幼女は残ったマフィンを平らげると、腕でごしごし涙をぬぐう。

 そして立ち上がって私を向いた。



「あんた、きょうから あたしの 2人めの “おやつ係” に してあげるわ!」

「……は?」

「ちょっと なに ぼさっと してんのよ。そこは『ありがたきしあわせ』とかいって よろこぶとこでしょ? あんたが つくった おやつ、とても おいしかったもの!」




 ぶっちゃけ意味が分からない。

 なぜこの幼女はこんなにも偉そうなんだ。の顔が見てみたいよ……。


 ……そうだ、親!

 こんな幼女が1人で出歩いてるとか物騒にもほどがある。迷子だったらおうちに返してあげないといけないし。




「ねぇお嬢ちゃん、おうちはどこ? ご家族は? お父さんやお母さんはおうちにいるかな?」


 幼女の顔が曇る。


「お父さまは……いないわ」

「でもさっき自分で『お父さま』って言ってた――」

「むかしは いたの! でも もう いないの。あたしの前で 殺されて しんじゃったの! おうちも その時 ぜんぶ こわれて なくなって、おやつ係も きえちゃったわ!」

「え……」



 やってしまった。


 こんなに幼いのに目の前で父親を殺されるなんて、どんなに辛かっただろう。しかも家も壊れて無くなってしまったと。




 それなのに私ときたら……。



 ……無神経にも、ほどがある。





「ごめん……」






「………………べつに、あやまる必要は ないわ。あんたのせいじゃないもの……お父さまは よわかった。だから ころされた……ただ、それだけだもの」


 幼女は笑った。だけどちょっと無理をしているようにも思えた。




 ――きゅるぅ……



「「あっ」」


 せつない音をたてたのは幼女のおなか。

 慌てておなかを押さえたその顔は、真っ赤に染まっている。



「……よかったら家に来る? なんか御馳走するよ」

「ま、まぁ とうぜんね。あんたは あたしの おやつ係だもの!」


 懸命に強がって見せる姿が、なんだか健気に見えてきた。

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