第2章 出会いと始動

第3話「木苺マフィンと、新たな出会い(1)」


 異世界に飛ばされてから3週間も経つと、ここでの暮らしに慣れてきた。


 真っ先に覚えたのは、この世界の調理について。

 赤の石窯亭のキッチンで働く以上、最低限は叩きこんでないと仕事にならない。


 といっても基本的な “調理という概念” 自体は、実は日本とそんなに変わらないっぽいんだよね。野菜や肉を切ったり焼いたり煮込んだりして、良い感じに味をつける。穀物の粉に水分を足して、こねて丸めて焼く。教えてもらった料理はほぼそんな感じだった。


 日本の調理との違いは、その “方法” だと思う。




 そもそも「電気やガスを使う」って文化が無いから、電子レンジ・冷蔵庫・ガスコンロなど、お馴染みの電化製品やガス機器が一切存在しない。


 だけどこの世界には “日本に無いもの” がある。


 そう、『』だ!

 まさにファンタジーって感じだねぇ。




 魔術調理を見たいなら、夕暮れ時のエイバス中心街がおすすめだよ。


 この時間の中心街の名物は、何と言っても立ち並ぶ『屋台』。大通りにずらっと屋台が並ぶ食べ歩きの激戦区で、どのお店も晩ごはんのメニューに迷う人々を呼び込もうと毎日必死。


 だから屋台の近くをちょっと歩けば、火や水の魔術なんかを派手に使った “魅せる調理” の数々を、すかせたお腹を刺激しまくる香りと共に楽しめるんだ!


 まぁ屋台実演の魔術調理はあくまで「魅せる用の特殊部類パフォーマンス」で、うちの石窯亭みたいな一般飲食店や一般家庭の調理とはだいぶ違うけど。一般的な調理の場合は「魔術を使う」ってところまでは共通で、使い方がもっと地味というか……実用性に極振りなんだよね。




 ただしみんながみんな魔術を使えるわけじゃない。

 魔術を自分で発動できるのは、ほんの一握りの特別な『スキル技能』を持つ人だけに限られる。


 ちなみに私も見よう見まねでこっそり試してはみたけど、呪文を唱えてみても何も起こんなかった。やっぱり “選ばれし者” じゃなかったかぁ……残念。



 でも、そんな私でも大丈夫!

 『魔導具』を使えば簡単に魔術が使えちゃうんだ!


 ひとことで言うと「魔導具=誰でも簡単に『魔術』を使える道具」って言えば分かりやすいかな。

 正直なところ仕組みとかは私もいまいち分かってない。だけど今はとりあえず「使えればいいや」て思ってる。




 まぁでも聞いただけじゃ分かりづらいかもだよね……。


 ……百聞は一見にしかず。

 さっそく営業中の石窯亭のキッチンにて、魔導具の使い方を実演して見せましょう!



 例えばこちら、当店の代名詞である『赤い石窯』。

 これも魔導具ってことで、今日は石窯で木苺マフィンを焼いてみるね。


 まずは生地作りから。


 室温に戻した『バター』をよ~く練ってから、『砂糖』『木苺の1/3量』『卵』『牛乳』を順番に加え、その都度しっかり混ぜます。

 ここに加えるのが『小麦粉』と『膨らし粉ベーキングパウダー』。粉を入れたら切るようにササッと混ぜて、最後に『木苺の2/3量』を入れて軽く混ぜたら生地完成!



 そして作った生地を、紙を敷いた金属型に流し込む。

 ここまでは日本と一緒。


 違いはここから。

 生地入りの型を石窯に入れて、ふたを閉めたら……横についてる『魔石』を触って、『魔力気合い』 を籠めるッ入れるッ



「ふんっ!」


 ――ボワンッ




 ド派手な音と光が出たところで、石窯の蓋を開けると。



「よしっ、木苺マフィン焼き上がり!」




 完璧なキツネ色に、香ばしいバターが混じる甘い匂い――。




「ん~~! マキリちゃん、今日のお菓子も美味うまいねぇ!!」


 ……と、目にも止まらぬ早業はやわざで焼き立てを試食するのは奥さん店長。

 『試食』といいつつ数人前は食べちゃうこと含め、もはや恒例行事だ。



 店長ったら焼き菓子の時はいつも石窯から取り出すと同時に食べ始めるもんだから、そのうち火傷するんじゃないか、と最初は気が気じゃなかった。

 だけど彼女いわく「焼きたてパンの試食で慣れてる」とのことで、今のところ怪我する様子はないみたい。窯から出したての焼き菓子って鬼みたいに熱々なのに、なんで笑顔でかじりつけるんだよ!


 ある意味、試食のプロである。

 ここまでくると尊敬の念すら覚えるほど。



 まぁ毎日こんなに喜んでもらえるからこそ、作りがいがあるともいえるかも。





 ***





 そして昼下がり。

 今日の勤務を終えた私は石窯亭を後にした。




 抱える小さな紙袋には、店長が持たせてくれた木苺マフィンが1個。

 さっき焼いたばかりだから袋越しでもまだほんのり温かい。


 家に着く頃には冷めてるだろうけど、冷めたままでもおいしいし、魔導オーブンで温めてもおいしいはず。


「今日はどうやって食べようか……うん、あたための気分だな、オーブンで軽く焼くか。帰ったらこの間買った紅茶も淹れておやつにしようっと!」




 店長は時々お菓子を多めに焼くよう指示しては、帰り際に従業員みんなにお土産として持たせてくれるんだ。


 この世界の給料相場は分からないけど、少なくとも石窯亭の給料だけで暮らしてけるぐらいは貰ってる。

 初日に冒険者に貰ったお金のおかげで当面の生活必要アイテムは揃ってるとはいえ、今後どうなるか分からない以上、無駄遣いは怖くてできない。


 だからこうやってお土産をもらえるの、食費的には正直ありがたいんだよね。






「明日は休みかぁ……そうか、今日は『本の日』だ!」



 異世界の仕事は短時間勤務で週2も休めるってことで、自由時間が一気に増えた。

 でもパソコンもスマホもテレビも無いわけだから、動画も見れないしゲームだって遊べない。暇を持て余してるだけでそわそわ落ち着かないし、いつの間にか無意識にスマホを探しちゃってる自分に気づく瞬間もあった。


 そりゃ最初は「起きたら元の生活に戻れるかも」って期待してた時期もあったよ?


 でも何回起きても景色は異世界。しかも同じような日々が毎日続くだけで、全くもって帰れる要素が見当たらないんだよねぇ……。 


 悩みに悩んで出した結論は、人間、諦めが肝心ってこと。「無いものは無い」「異世界ここで暮らすしかない」と受け入れてしまいさえすれば、すっと心が軽くなった。




 だけど時々……ふと、虚無に、押しつぶされそうになる。


 ――自分は何をしてるんだろう。

 ――何でここにいるんだろう。


 考え始めると止まらない。




 そんなこんなで最近は、時間さえあれば本を読むクセがついた。


 この世界についての知識も深められるし、いつかどこかでこの経験が活きることが来るかもしれない。それに本を読んでる間は……全てを忘れられる。




「おもしろい本、入ってるといいなぁ」


 休みの前日が来るたび、仕事帰りに1冊だけ本を買う。

 これが今の私の唯一の贅沢だった。


 私はこの習慣を『本の日』と呼んで、密かな楽しみにしているのだ。






 ちなみにこの街で驚いたことの1つが「本屋がどこにも見当たらない」こと。


 日本での私の生活圏には、商店街とか駅ビルとか探さなくても本屋があった。ネット通販で買ってもいいし、紙書籍にこだわらないなら電子書籍っていう選択もあり。

 なのにエイバスに来てからというもの、大きい通りを端から端まで歩いても、普段行かない曲がり角を曲がってみても、本屋っぽいお店が1軒も無い。



 だから異世界に飛ばされた数日後、たまたま入った雑貨屋の片隅で本も売ってるのを見つけた時は本当にうれしかった。

 本を読み始めたのもそれがきっかけだ。


 値段は割と高めだし、専門店じゃないから置いてる本の種類も多くない。

 だけど数日おきにのぞくと毎回数冊は初見タイトルが増えてるから、定期的に入荷はしてるみたい。





 ***





「いやぁ~収穫収穫っ♪」


 上機嫌の私が抱えているのは、職場で貰った木苺マフィン入りの紙袋、そしてさっき見つけて購入した絵本入りの布包み。


 なんとこの絵本。

 私が異世界に来てから初めて出会った “” なんだ!



「しかも内容が『勇者が仲間と共に魔王を討伐に向かう冒険譚』ってことで、ファンタジーの王道中の王道! やっぱりこういうのって、定期的に浸りたくなるんだよなぁ~」



 この世界に来てから何冊も本を読んだけど、だいたいが『誰かの覚え書き』『ハウツー本』的な実用書ばかり。確かに生きていくにはそういう本のほうが役立つかもだけど、それだけじゃなんか物足りない。


 だからさっきこの絵本勇者と魔王の物語を見つけた瞬間、「これだッ!」って思ったね。たぶん私、アニメとかゲームみたいな創作物語ファンタジーに飢えてたんだなぁ。




「あ~早く読みたいよぅ……!」


 ほんとは帰ってから読んだほうがいいのは分かってる。だけど……。





「……ちょっとだけ、読んじゃおっかな」


 中心街から離れた我が家まで、歩いてあと15分はかかる。正直そんなに待ちきれない。

 人通りは無いし、邪魔にならないところで少し読むぐらいなら、たぶん誰にも迷惑はかけないと思うんだ!




 そそくさと道の端に寄り絵本を開こうとしたところで、手が滑ってマフィンの袋を落としてしまう。地面に向かって真っ逆さまな紙袋。拾おうと慌てて手を伸ばす私。


「おっと……え?」


 瞬間、紙袋マフィンが “不自然な軌道” で右にスライドし、地面にスチャッと着地した……。





 ……いや違う。


 紙袋マフィンをキャッチしたのは、大きさ20cm弱の半透明なゼリー。





「す、スライム?!」


 ぐにゃぐにゃ震えるその姿は、どう見ても、なスライム以外の何者でもない。私があっけにとられていると。




 ――ピュウーッ……


 スライムが滑るように逃げて行く。ってかはやっ⁈




「あッ私のおやつ……待って!!」




 こうして、“お魚くわえたドラ猫” ならぬ、“木苺マフィンかかえたスライム” と私との、必死の追いかけっこが始まったのだった。

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