弐拾参 決行
美冬の行動は早かった。まず最初に静江に話を通した。何をするかも言わずに第三特殊部隊について行くと言う。
静江は美冬についてきた秋人に驚く暇もない。
「任務を投げ出すなら、規律に違反することになるわよ?」
返ってきた静江の指摘はもっともなもので、美冬は黙りこんでしまった。
図星もさらりとかわしていく姪の珍しい反応に静江の方が驚く。
看護婦は軍に属するものとして、規律を
美冬はよっぽど気が急いていたらしい。そうね、そうだわと口の中で繰り返し、再び正面に向いた目はもう力を取り戻している。
「父の名前を出します」
「岩蕗少将は許さないと思うわよ?」
こういうこともあろうかと、と美冬は肩に下げていた鞄から分厚い紙に書かれたものを出してきた。細長く端は折り込まれた紙には『遺言書』と書かれている。躊躇なく開き、一読した美冬は水筒の水を容赦なくかけた。
焦ったのは不可解な行動を見守っていた二人だ。
「あなた、それ、大切なものでしょう!」
悲鳴のような声をあげる静江対し、美冬は紙を傾け余分な水を落とした。描いた絵を確かめるように紙を掲げてから、真剣な顔で頷く。
「大丈夫です。似たようなものを執事に渡していると思いますので」
「思いますのでって! ほら見なさい! 字がにじんで読めなくなってるじゃない!」
静江が言った通り、手紙の大半は字が合ったという事実だけ残して、跡形もない。
美冬は叱責をものともせず、秋人に出来映えを見せる。
紙を覗きこんだ秋人は目を見開いた。偶然、濡れなかったように装ってはいるが、都合のいい言葉が残っている。
『美冬の好きなようにしてほしい。父様はどこにいたってお前を見守っている』
取りようによっては、美冬の行動を許す文言だ。丁寧に父の署名まで残っている。
変化の乏しい表情でも驚きは隠せていなかった。美冬は、仕上げねと満足そうに続ける。
「秋人。お前の火で乾かして」
そういう使い方もあったか、と頭の理解が追い付かない秋人は思わず感心してしまった。諦めたように嘆息して、紙を受け取り言われた通りにしてやる。
美冬はいびつに乾いた紙を折り畳み、腹の前で持った。中隊長の所へ行ってきます、と呆気に取られている静江と秋人に言い残してテントを後にする。暗闇を突き進む姿はすぐに消えてしまった。
破天荒な令嬢に振り回される二人の間に沈黙が落ちる。
静江は未だかつてない盛大なため息をついて、秋人に目を向けた。
「その足は?」
「……問題ありません」
静江は病状を訊いたつもりではあったが、秋人は先回りをして治療を断った。
「……あなたも人と口がきけるようになったのね」
静江は心労が絶えない子がもう一人増えたような気持ちだ。
つい先程、突進していった子はもう止まらないだろう。燃え尽きたように見えた火が、爆発するように燃え上がっているのだから。
出かけた嘆息を飲み込んだ静江は近くにあった椅子を指し示す。
「座りなさい。そんな足で美冬に怪我をさせたら、容赦しないわよ?」
そう言われては逆らうことのできない秋人は椅子に腰を落ち着かせた。
ランプのあたたかい火が静江の横顔を照らしている。細い指が秋人の包帯を外し、傷の回りを切り取ったズボンを露にした。ガーゼを剥がし、化膿止めが塗られただけの傷を見る。指一本分の肉がえぐられるようにできた傷に、どこをどう見たら問題ない傷よ、と嫌みを呟きながら手をかざした。
傷が熱を持ち、真っ赤な肉を見せていた姿を肌色に変えていく。
静江の生家は、治癒を得意とする
引きつれだけになった傷を見下ろした静江はつめていた息を吐く。神力を使いすぎるのもこの異能の難点だ。
「しばらくはぎこちないけれど、全力で走らない限り問題ないわ」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。謝礼は美冬の無事よ。心して護りなさい」
腰を落としていた静江が立ち上がる。秋人が見上げた顔は色を失いながらも清々しい。
治療が終わって間もなくして、満面の笑みを浮かべた美冬が帰ってきた。
静江が問い詰めると、事も無げに事のあらましを説明される。
「父様の残した遺言書を濡らして慌てて読んだ私は居ても立ってもいられず、看護婦に志願したと言ったの。伯母の力を借りて異国に渡り、世話をしていた幼馴染みの葛西大尉とも再会。岩蕗が秋人を世話していたのは有名な話だもの。そこで、中隊長は話を信用し始めたわけ。手紙と異能を見せたら、えらく感動したみたいでね、一緒に北上して父を助けに行きたいと言ったら頷いてくださったわ」
嘘が嫌いな美冬だが、上手く言葉を組み合わせるのは得意だ。
看護婦は兵站病院までという決まりがある。
第三特殊部隊は異能者の集まりで、特別な任務を任されることもある。旧知の仲とはいえ、看護婦をつれ歩くわけにもいかない。
指摘すべき所はたくさんあるが、情に訴えてかわしきった。
信じられないと互いに顔を見合わせた静江と秋人は次の言葉にさらに度肝を抜かれた。
「運がよかったわ。結婚した幼馴染みの妻と幼い娘を持つ中隊長だったのよ。深く考える前に泣き落とししたらすぐよ」
「……泣き落とし」
「間違えたわ。嘘泣きよ」
秋人の平坦な指摘に美冬は悪びれもなく髪を払う。
神さえもあざむいてしまうのではと馬鹿な考えに至るぐらいの奇跡を起こしてしまったのだ。
申し出をはねのけられた場合、美冬はどうするつもりだったのか、静江も秋人も聞かないでおこうと決めた。
⊹ ❅ ⊹
部隊を北に移動させる早朝、秋人の前に隊員達は整列した。隊長の隣には看護婦がいる。何事かと目を向ける隊員達に秋人は彼女は岩蕗少将のご息女で看護婦として我が隊についてくると説明した。
紹介された美冬は一歩、前に出て、名乗るでもなく、まず近場にいた詞に三つのことを訊ねる。
どんな異能を持つのか。どこまで物を持ち上げられるか。隠れるのは得意か。
佐久田は、一つ目の質問には、見えない糸で物を操りますと、二つ目には、大人二人分ならいけると答えた。三つ目の質問の意図がわからず、それなりにと濁す。
それを陸軍第三特殊部隊全員に繰り返し、覚え書きもせずに美冬は頭に入れた。
上からものを申す看護婦に、隊員達は不審な目を向ける、岩蕗少将の血縁と言われても、やたらと気位が高い女にしか見えない。
美冬は隊員一同の疑いの眼を気にも止めずにしばし考え込む。何かを閃いたように顔を上げ、左から右へ隊員達を一望した。
次の出方を待つ隊員達は、一人が唾を飲み込み、また一人が対抗心剥き出しでにらみ返す。
各人各様の反応に冷めた目を向けていた顔が一転した。爛々と光る瞳、吊り上げた口端、ひどく底意地が悪い笑顔。看護婦は天使だと吟われるが、これは真逆のもの――看護婦の皮をかぶった悪魔だ。
見覚えのある秋人以外、全員が後ずさった。
表情をつまらないものに変えた美冬は、失礼ねと吐き捨てる。
勘の鋭い陸軍第三特殊部隊隊員達はに得体の知れない看護婦に逆らってはいけないと直感した。
作戦を発表する前に美冬は一つの謎かけを出す。
手を上げられたら、何だと思うか。
それが両手にのる大きさの木箱を持ち出した美冬の第一声だった。答えない隊員達にしびれを切らした美冬は佐久田を指名する。
「殴られる、でしょうか?」
「あなたの親って厳しいのね」
美冬の意見に何人かが首をひねる。
目をすがめた看護婦はやれやれと首を振った。木箱を片手に持ち直し、空いた手を肩の高さまで上げる。甲を上に手の平は下の状態だ。
「わかりやすく質問を変えてあげる。一生に一度も殴られたことのない人は手を上げられたらどう思うか」
質問と微妙な手の位置に佐久田は目を見開いた。
美冬は肩をすくめて答えるよう促す。
「……撫でられる」
「そう。ようは刷り込みよ。殴られ続けた者は手を上げたら殴られると思うわ。逆に殴られたことのない者は撫でられると思うわけ」
美冬が木箱を開くと、軽やかでありながら物悲しい音が流れ始めた。
紡がれるのは夢物語ではない。地獄へ
「刷り込むのよ、
うっとりと悪魔は目を細める。
誰もが息を止め、聞き入っていた。
「深い恐怖はね、怪我みたいに治らないの。下手したら一生、消えないわ」
奇策はこうして始まった。
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