弱者とは何だろう

最近は何でも病気にしてしまって、正当化している傾向がある。


例えば、鬱病は当時者にしか苦しみは分からないとか、自慢気に言っているが、そんな事を言いだしたら切りが無い。当事者でないから語る権利もないという事だが、人間には想像力が備わっているのだ。


「人に苦しみを中々分かって貰えず、苦労しています。」とか、インタビューで訴えているが、「冬の朝はとても寒いのに分かって貰えず、さっさと起きて仕事に行けと言われて困ってます。」と言っているのとそう変わらない。


名前をつけると医者から太鼓判を押された気分になる。

自殺願望は、生きるのイヤイヤ症候群

お尻が痒いのは、お知りカユカユ症候群

弁当を食べたら眠くなるのは、弁当ネムネム症候群


逆に、体に重篤なハンデがあっても、力強く生きている人はすごい。


私達は、身体障害者や難病の人から、多くの事を学べる。なぜなら、彼らはハンデを乗り越える為に、精神が相当強くなっているからだ。前出の病気などは、精神が強ければ、背中にできたオデキみたいなものだ。


バリアフリーを「弱者に優しくしてあげるシステム」と、意味を履き違えている人が多い。身体障害者は健常者より強いのだ。体が不自由イコール弱者とは、短絡的な発想だ。健常者が身体障害者と体が入れ替わって、どれだけの人が挫折せず生活を送れるだろうか。


バリアフリーのまちづくりや制度は、やる気のない人を助けるものでは無い。誰でも身体は不自由になる可能性がある。ハンデがあっても、安心して暮らせる、成熟した社会という事で、すべての人の為のシステムなのだ。



という事で、鬱病の方は、身体障碍者の施設でボランティア活動をする事が、一番の治療にならないだろうか?病院は信用できない。完全に治療してしまうと、商売にならないので、薬漬けにされるのがオチだ。

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