幸せの定義

あなたの嫌な事は何だろうか?




会社・学校でいじめられている。容姿のコンプレックスがある。病気がある。などかもしれない。






嫌な事が起こった時、当然、嫌な思いをする。






しかし、嫌な思い自体に、嫌な思いをしているだけなのではないだろうか?






もし、上記の嫌な出来事の見返りに、大金が舞い込んでくるとなると、歓喜に変わらないだろうか?






何が言いたいのかというと、全ては本人の気持ち次第という事だ。








誰が、いじめられて喜ぶものかと、怒る人もいるかもしれない。








私は、子供の頃、宿題もやった事が無く、毎日、先生に怒られ、馬鹿にされていた。




しかし、嫌な思いは全くなかった。どんな最悪の状況でも、心の中は平穏そのものだった。周りの評価で、自分自身が揺らぐことはなかった。今、ここにいるだけで、幸せだと思っていた。




どんな最悪の事であろうと、「無」ほど、最悪のものは無い。少なくとも、最悪だと思っている「自分」が、この世に存在できているという事だ。








思春期になり、全ての事が最悪に見えてきた。小さい頃、あんなに平穏だったのは、無知のなせる業だと思った。恵まれた環境のなかで、嫉妬・怒り・悲しみが心を占領した。








大人になり、子供の頃の思いは正しい反面、その思いは弱いものだったと思う。一度、苦しみを経験し、乗り越えた上の悟りが必要だと思う。






最近は、子供の頃の純粋な思いには近づくのは難しいが、禅や哲学の考えが役に立つのでは、と思っている。「今」のこの瞬間に思いを馳せるような事だ。






不幸な人は、「今」を当たり前だと決めつけていて、不機嫌だ。




幸せな人は、「無」を基準にして「今」に感謝し、上機嫌だ。






あなたなら、どちらになりたいだろうか? 前者だという人は、少ないだろう。




しかし、後者だという人も、簡単には気持ちを切り替えることは難しい。ハッと我に返った時には不機嫌だったりする。いつも、自分の心の状態を見つめる、禅の思想が大切だと思う。

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