自分発見!

私は最近人生に悩んでいるので、禅に挑戦しようと考えた。




本を買って実行しようとしたが、禅とはできる限りのものを無くし、自分を向き合うことなのに、本を読んで考えている時点で失敗だ。本代を無駄にしてしまった。




シンプルに床に座り、広大な宇宙で「自分一人」だけ居る、という感覚で瞑想を試みた。すこし、うまくいった気がする。




だが問題にぶち当たった。


「自分」って何だ?


想念を消していって、どうしても消せないのが自分なのだろうか?


自分が自分である証拠はどこにあるのか?自分にも分からない。




今までも、この瞬間も、これから先も、自分だと信じているが、誰にも証明できない。




記憶が繋がっているではないかと言うかもしれないが、記憶ほど曖昧なものはない。


その証拠に、私はさっき食べた昼ごはんも思い出せない。それに記憶が自分である証明だと言うならロボットでも良いのだろうか?




「我思う、ゆえに我在り」有名なデカルトの言葉である。




「少なくとも、思ってる存在は居るはずだ。」という意味か。でも、想像でしかない。哲学者でさえ、こんな感じでは、本当の意味で自分を確認した者はいないと思う。




子供の頃、世界は自分だけの為にあると思っていた。私の目が届かない所は存在がなく「無」だ。その代わり、私の後ろには必ず自分がいるが、私が振り向くと消える。電光石火で振り向けば見ることができるが、同時に首の骨を折って死ぬ。




答えが見つかった。




自分とは、脳内の電気信号のことである。これでほぼ間違いないだろう。なぜなら、昔、子供番組か何かで見た気がするからだ。なによりの証拠に、電光石火という言葉の「電」が被っている。




自分とは電気なのだと、長年、人類が追い続けてきた真理を発見したお祝いに、自分へのご褒美ケーキを食べて、脳に糖分を補給するとしよう。

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