43 (シャーン)

 魔導士学校十五日目。グリンが水槽に入れられてから四日目。


 アランの街屋敷にジゼルを逃がす計画は予定通りに実行され、そして成功した。アランとデリスが交代でジゼルの様子を見に行ってくれている。


 今の私ではアランの街屋敷までは遠すぎて、移動術を使えなかった。自分の屋敷からなら可能だけれど、頻繁に帰宅したら母が不審に思う。母のいる街屋敷を経由することはできなかった。


 あの日、前触れなく現れた私たちに母は驚いたが、『これがアラン? 立派になったこと……アウトレネル様はお元気でいらっしゃる?』と歓待してくれた。デリスについては、『まぁ、本当にご立派な……ご両親もお喜びでしょう』とお茶をにごした。背の高さにどうしても目が行ってしまったようだ。


 ジゼルの事は私の同級生とだけ告げた。『綺麗なお嬢さんですこと』と目を細めたけれど、何かを考えるように首をかしげた。が、それ以上追及されなかったので、私をホッとさせた。


 巧くアランが話を振って誤魔化してくれたお陰だ。そうでなければ、ビルセゼルトによく似た顔と、南の魔女と同じ髪の色、瞳の色から、ジゼルではないかと疑ったかもしれない。何しろ、アランに会えたことが、母を喜ばせていた。


 そして私たちは母の目を盗み、アランの屋敷に飛び、ジゼルを置いて、再び戻ると、暖炉を使って魔導士学校に帰った。


 帰りにジゼルがいないことに母は気が付かなかっただろう。アランが話し相手をしているうちにバタバタと火のルートを使ったからだ。せいぜいジゼルの事を、あの挨拶もできないキレイな子、名前が思い出せないわ、と思ったくらいだ。


 だが、その母が今日、談話室の暖炉から姿を現した。


「シャーン、グリンに何かあったの?」

と私に問う。


「ハッシバロブル先生に呼び出されたの。グリンの事で話があるから校長に会いに来てくれって」

「ママ、私も一緒に行く」

何が起きたか、母は一切知らされていないようだった。


 魔導士学校を懐かしんで、

『あの広場で、よくあなたのお父さんがサリオネルト様やアウトレネル様と剣術の稽古けいこをなさっていて、よく物陰からこっそり盗み見たものよ。覗いていたのは私だけじゃなかったけどね』

なんてクスクス笑いながらお気楽な話をしている。


「剣術はアウトレネル様、弓はサリオネルト様、やりはホヴァセンシル様。そしてお父様は馬術がお得意だったわ」


 それどころではなかったが、『ホヴァセンシル』が私の興味を引いた。

「ホヴァセンシルって、どんな人だったの?」

「……さぁ。どんな人だったかしらね?」


それきり母は黙ってしまった。今、自分で口にしたじゃない、そう思ったけど、面倒なので私も黙った。


 校長室のドアを叩くと、中からアウトレネルが顔をのぞかせた。


「シャーンは呼んでいないぞ」

と言うアウトレネルに、中からビルセゼルトの声が『構わん、入れろ』と言う。良かった、ビルセゼルトは復調している。


「久しいな、リリミゾハギ」

 母に向けるビルセゼルトの視線は優しい。


 燃えるような髪はいつもより若干くすんでいるような気がしたけれど、レンガ色の瞳には生気が戻っている。


「お久しゅうございます、ビルセゼルト様」

心なしか、母の顔が輝いているように見える。母はやはり今でもビルセゼルトが好きなのだ。


 そのあとアウトレネルと無沙汰の挨拶をする。アランが街屋敷に来たと言いださないかと私を冷や冷やさせたが、母がアランの事を言い出すことはなかった。


 そしてビルセゼルトが話を切り出す。

「今日は、あなたに謝らなくてはならないことがある。それでお呼び出しさせて貰った」

グリンはあれからどうなったのだろう。校長室に先日有った水槽はない。


「こちらへ……」

 ドアの一つを開けて、ビルセゼルトが母を促す。その部屋に入っていく母の後を追おうとしたら『やめた方がいいぞ』とアウトレネルが私にささやいた。優しい声だったが、私は逆らって母に続いた。


 その部屋にはベッドが置かれているだけだった。


「グリン……?」

母がベッドを覗きこむ。


 ザーッと、足元に水が流れる。それをビルセゼルトが消したと思った。


「グリン?」

母が今度は傍らに立つビルセゼルトを見た。ビルセゼルトが頷く。すると、もう一度、母がベッドを見た。ザーッと、また足元に水が流れ、消える。


「あ、あ……」

 母の足元がくずおれる、ビルセゼルトがすかさずそれを支える。


「すまない、私が付いていながら……」

ビルセゼルトが苦しげに言う。母がそのビルセゼルトの顔を見詰める。


「あ……」

そして母の目から涙がぽろぽろと流れ始めた。それとともに、母の髪が逆立ち始める。部屋がガタガタと揺れ始める。


「あ、あなたが付いていながら? なぜ、なぜこんな事に?」

母がビルセゼルトの頬を打つ。そして泣きながら拳でビルセゼルトの胸を打ち始める。


「なぜこんな事に?」

母の声は叫び声となり、更に部屋を揺さぶっている。その中でビルセゼルトを打ち続ける。


 ビルセゼルトは抗いもせず、母のしたいようにさせている。勢い余って倒れそうな母をさり気なく抱き止め守っている。


 隣の部屋に控えていたアウトレネルが異変に気付いて部屋に飛び込んできた。母を見ると顔色を変え、母を後ろから抱き締め止めようする。


「やめろ、リリム、ビリーのせいじゃない」

そして母が泣きじゃくり、水浸しの床に崩れる。アウトレネルが傍にひざまずき、母をのぞきこんで慰める。ビルセゼルトがまた床の水を消した。アウトレネルが母の肩を抱く。


 そうだ、母に気を取られ、ザーッと水が流れてくることを忘れていた。不定期に流れてくる水、ベッドの下から流れ出す水、これは何?


 私は一歩踏み出して、ベッドの中を覗きこんだ。


「グリン……」

そこにグリンはいた。横たわっていた。だが、あの綺麗な金色の髪はなく、頭皮が剥き出しになっている。目は見開かれたまま、口も丸く開けたままだ。そして時々掛け布団がうごめく。手足を動かしているのだ。


 表情のない顔から目を離せずいたら、見開いた瞬きしない目が瞳を動かして私を見た。すると、一瞬口を閉じ、パッと口を開いた。同時に耳から水を噴出させた。魚だ。グリンは姿は人に戻ったけれど、まだ自分は魚だと思い込んでいるんだ ――


 水はベッドに染み込み、足元に流れ出る。ビルセゼルトがまたそれを消した。


「グリンは魚に姿を変えてしまった」

ポツリとビルセゼルトが言った。


「やっと元の姿に戻した。体毛はうろこと共に剥がれ落ちてしまった。そして、まだ、グリンは自分を魚だと思い込んでいる」

 だが、じきに自分を取り戻す。解術は成功している。あとはゆっくり休ませ、眠らせ、回復を待つだけだ。


「リリム、街屋敷に連れ帰り、世話をしてくれないか? 私の許にいてはグリンも心安らかではいられないだろう。母親のあなたなら、グリンも心安く甘えることもできよう。二、三日で水を吹かなくなる。体毛は既に生え始めている。色は以前とは違うようだ」


 母はアウトレネルに肩を抱かれたままうずくまり、まだ泣いている。でも、わずかに頷いたように私には見えた。


 ビルセゼルトはベッドに近寄り、腕を伸ばすとグリンの頭を撫でた。グリンはぎょろりと瞳を動かし、その手を見た。そしてまた、パクッと口を動かし、耳から水を吹いた。


「私はまだおまえを取り戻せていない。だが、必ず取り戻す」

グリンの頭を撫でるビルセゼルトの手元が光りを弾いて、赤く揺れた。

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