32 (ビルセゼルト)

 森が騒いでいる ――


 校長室の窓から、いつものようにビルセゼルトは森の様子をうかがっていた。


 数日前に感じた胸騒ぎ、それよりも数段強い不安を感じてビルセゼルトは窓辺に立った。あれから森は騒ぎ続けているが、その騒ぎが今日は強くなっている。だが、やはり警告ではない。


 森の結界はビルセゼルトの目を拒み、中の様子を窺わせてもくれない。森で、何が起きているというのだ?


 ノックの音に振り向けば、アウトレネルが入ってくる。


「また森を見ているのか?」

今日は呆れる様子がない。


「森が騒いでいる。それが気になる」

 ビルセゼルトの言葉に

「何を騒いでいるのか聞いてみたのか?」

とアウトレネルが問う。


「おまえに話すことはない、関係ない、と森は言った」

「ふむ……ならばそうなのだろう、きっと」

アウトレネルは何かを考えているようだ。


「何か心当たりがありそうだ」

「いや、実はグリンバゼルトの事が気になる」

「もっと手を焼けと? この前もそう言っていたな」

「そうじゃない。アランから気になる事を聞いた」


 ビルセゼルトは窓辺から、アウトレネルの対面に移り腰かける。すでにテーブルにはティーカップが二客、湯気を立てている。


「アランは頼もしくなってきたな。『属性の強化と進化』を受講するよう勧めたら、悩みもせずに受講を決めた」

「ん? あれは強制したんじゃないのか?」


「選択科目を強制? なるほど、校長に勧められれば断れない、それを強制と言ったか」

愉快そうにビルセゼルトが笑う。


「難易度が高いと言われる講座の受講を照れた、そんなところだろう」

「照れる、と言えばあいつ、やっと女の子に興味を持ったようだ」


「ほぉ、話がまとまれば、レーネ、おまえも一安心だな」

「それがなかなか手ごわい相手らしい」


「手ごわい相手、誰だろう。黄金寮のエンドリッチェルラは白銀寮のサウザネーテルラムと正式に婚約したし、赤金寮のマデラリューシェラあたり?」

「ふん、聞いて驚くな。俺は驚いたが」

アウトレネルがニヤリと笑う。


「白銀寮のシャインルリハギ」

「え?」


「相手が手ごわい上に、手ごわいライバルもいるらしい。アランの親友デリス、赤金寮のデリトーネデシルジブ」

「そりゃあいいや、アランは果たして勝ち抜けるかね?」

ビルセゼルトが愉快そうに笑うのを見てアウトレネルが胸を撫で下ろす。


「俺はおまえが怒り出しやしないかと冷や冷やしたぞ」

「シャーンに虫がついた、とでも? その二人ならどちらに不足もない。シャーン次第だ。それにシャーンはまだ十三、二人以外と結ばれないとも限らない」


「もし、二人から選ぶとなると、どっちがいい?」

「うん?」


ビルセゼルトがニヤリと笑う。子どものことになると、お互い、ただの親だな、と思ったが言わずにいる。


「デリスの魔導士としての才能はまだ計れない。パワーがあるが器用さに欠ける。程よい強さで術を掛けられない。が、それをクリアできれば申し分のない高位魔導士となる。性格も穏やかで、少し控えめ過ぎるきらいもあるが、それもまたデリスの良い所とも言える」

「うん、それで?」


「アラン、あれはある意味天才だ」

そう言って、ついビルセゼルトは笑ってしまった。


「ある意味ってなんだよ?」

「アイツは子どものころから面白かった。気紛れで、興味が次から次へと変わっていく」


 そのくせどれも一通りはマスターしてしまう。しかも普通レベルじゃ納得しない。必ずそれ以上を目指し達成している。器用貧乏とよく言うが、アランはそれ以上だ。


 知識を吸収するのも早く、応用力にも優れている。術を扱うテクニックも充分備えている。体力のなさとそれに伴うパワー不足が難点だが、それを克服する努力をしていて、入学当初よりは随分改善されている。パワーで言えば上の下といったところ。


「アランの一番の長所はその性格だ。公明正大、そのくせ抜け目ない。他者を傷付けることを嫌い、相手のために自分を悪役とする事もできる。実に面白い」


「それで? どっちを選ぶ?」

ビルセゼルトが肩をすくめる。

「どっちも選べないな。シャーン次第と言っただろう?」


「それでも、選べ」

「おや、命令されてしまった」

苦笑しながらビルセゼルトが言う。


「アラン、と言いたいところだが、それではレーネが小躍りしそうだ。だからデリス」

「おまえ、そんなに意地の悪いヤツだったのか?」


「そのようだ。特に娘に男ができるとなるとそうなるようだ」

とビルセゼルトが笑えば、アウトレネルも声をあげて笑った。


「そう、アランからの報告だが、グリンバゼルトにも恋人ができたらしい」

「ほう、恋をしてもおかしくない年頃だ」

そう言いながらもビルセゼルトの表情から笑みが消える。


「そりゃそうなんだが、こちらは相手に問題がある」

「相手に問題?」


「ある女学生がグリンに恋文を渡した。その子は断られたが、その時、魔導士学校以外に好きな相手がいる、と、グリンが言ったそうだ」

「魔導士学校以外か……」


「だが、グリンは街に遊びに行ったりしない。グリンは実家でも滅多に家から出ない。では、どこで知り合ったのか」

「恋人ができたと、見栄を張ったという線は?」


「アランが言うには『ない』だ。グリンはこのところ、生き生きしているとアランは言っている。それと……」

「それと?」


「森に行っている可能性があると、アランが言っている」

「森に?」

ビルセゼルトの顔色が変わる。


「学校から気配が消えるのは森に行っているんじゃないか、とぶつけてみたそうだ。その答えに『絵を描くのに結界を張っているからじゃないか』と答えたそうだ」

「行っていない、と否定しなかったという事だね」


「まぁ、森に行って絵を描いているんだろうけれど、まぁ、なんだな、森にはジゼルがいる」

 えっ? とビルセゼルトがアウトレネルを見る。


「レーネ、おまえ、グリンの恋の相手がジゼルだとでもいうつもりか? 自分の妹だぞ」

「グリンは妹だと知っているのか? おまえを拒絶すると同時に、おまえに付随するすべてをグリンは拒否しているぞ」


「だからと言って、妹だ。許される事じゃない」

そう言いながらビルセゼルトが青ざめる。


「違う、夏至げしだ。十八年目の夏至だ。何かが起こる」


 サリオネルトの遺書に『十三年目と十八年目の夏至に注意しろ』とあったことを、この時、ビルセゼルトは思い出していた。だが、口外不要の術はいまだに有効で、アウトレネルに説明できない。


「しっかりしろ、ビリー。夏至が何だっていうんだ? 確かにもうじき夏至が来るが」

何も知らないアウトレネルはビルセゼルトに呆れるだけだ。


「どっちにしろ、グリンの相手がジゼルだと決まったわけじゃない。けどな、妹と知らなければ女の子の一人だ」


愕然がくぜんとするビルセゼルトにアウトレネルが追い打ちを掛けた。


「恋に落ちても不思議ない」

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