こがねの魚と銀の月

29 （シャーン）

　なんてこと？　なんてこと？　どうしてこんな事が起こるの？

　私はジゼルのところから、逃げるように魔導士学校へと戻った。ジゼルが言う男の子、それはきっとグリンだ。いや、絵を描いていたからってグリンとは限らない？　あぁ、でも！

　グリンはあの藪から出てきた。ジゼルが言う緑の沼に行っていた。きっとそうだ。

　あぁ、でも、そうとは限らない？　グリンじゃない誰かであって欲しい。

　そう思いながら、私はグリンだと確信している。グリンはジゼルが自分の妹だと気が付いていないのだ。そうよ、あの森は王家の森、王家の直系しか入れない。でも、でも？

　ほかにも王家の直系の男の子、十六歳になる男の子がいたら？　それこそビルセゼルトの隠し子がいたとしたら？　でも、いたとしても隠すはずがない、あの父が。

　グリンは頑ななまでに父の、ビルセゼルトの全てを拒んでる。南魔導士ギルドの長だという事、魔導士学校の校長だという事、婚姻の誓いを立てたのは南の魔女ジョゼシラだという事、大雑把なプロフィールは魔導士として知ってはいただろうけれど、

それ以外、ビルセゼルトの事を知らない可能性が高い。

　たとえジゼルの存在を知っていたとしても、興味を持つことなく、彼女がどこにいるかなんて考えたこともないだろう。知ろうとするはずもない。南の魔女の居城にいると、きっと思い込んでいる。

　そうだ、ジェネイラにグリンは好きな人がいると言った。魔導士学校の人じゃないと言った。それがジゼルだったんだ。

　なんで？　なんで選（よ）りに選ってジゼル？　あぁ、でも、判らなくもない。私だってこんなにジゼルが好き。

　妹だから……でも、妹じゃなくても、きっとジゼルを好きになった。

　あの子は素直で真っ直ぐで、どこも汚れていない。真っ直ぐに私を見詰めるあの瞳、傍にいて守ってあげたい。

　きっとグリンもそう思ったんだ。一生守ってあげたいと、そう思ったんだ。だから結婚という言葉を口にした。でも、だめなのよ、グリン。ジゼルは私たちの妹なの。

　この事実を知ったらグリンはどう思うだろう。妹なんだ、それじゃあ兄として、なんて切り替えられる？　切り替えられるとは思えない。グリンもまた、真っ直ぐで、純情だ。真っ直ぐだから父を恨むのだ。

　父は？　ビルセゼルトは気が付いている？　ううん、気が付いているはずがない。ジゼルの部屋に来ていたらジゼルはきっと私に言う。あれから父は森に来ていない。

　ジゼルは、ビルセゼルトが一番好きと言った。思わず泣いてしまったけれど、ジゼルが会ったことのある人の中で、ジゼルを一番愛しているのは多分ビルセゼルト、それを彼女は敏感に察知している。だから一番はビルセゼルトなんだ。

　あれ？　ジゼルはビルセゼルトの顔を知っている。だとしたら、ビルセゼルトにそっくりな男の子、とグリンの事を思っていてもおかしくない。も、そんな様子はジゼルにあった？　言葉にしなかっただけ？

　ふぅ、と私は溜息をついた。落ち着かなくちゃいけない。グリンである可能性は強いけれど、グリンかどうかは実際会ってみなければわからない。会って確かめなくては。

　魔導士学校でグリンを探して聞いてみることも考えた。でも、やめた。グリンは頑（かたく）なだ。森の沼に行っているか聞いても、はぐらかされるか相手にされないかのどちらかだ。あの子はジゼェーラよ、と言ってもきっと信じない。

　沼で、グリンの目の前で、ジゼルに自分の名と父親の名、その二つを言わせない限り、ジゼルの口から聞かない限り、グリンが信じることはない。

　あぁ、だけど、なぜジゼルはグリンにカタカゴを渡したの？　カタカゴの花言葉は『初恋』だとグリンは知っている？　

　薬草の研究者である母は頻繁に花言葉を口にしていた。その中にカタカゴもあった。それをグリンは聞いていた？

「これはカタカゴ。花が咲くまで何年もかかるのよ」

やっと咲いた花は心持ち俯いて恥じらっているよう。朝日と共に花開き、日没には閉じてしまう。そして曇りの日には閉じたまま。

「花言葉は『初恋』なのだけど、お日様に恋をしたのかもしれないわね」

魔導士学校の寮に来て、初めてママに会いたいと思った。

　ママはその話、グリンにした？　庭の片隅でグリンはカタカゴを描いていた。その時グリンに話さなかった？

　ううん、もう、今さらだ。グリンが花言葉を知っていても知らなくても、グリンはジゼルに心 惹（ひ）かれた。きっとそうだ。

　今日の講義は散々だった。全く頭に入ってこない。教授が私を指名する声も聞こえず、アモナに何度も突（つつ）かれた。移動の時に、何度かアラン、一緒にいるデリス、二人とすれ違い、声を掛けられたけど聞こえないふりをした。やっぱりアモナが私の代わりに謝っていた。

「シャーン、シャーン。何があったの？」

心配したアモナが何度も聞くけれど、アモナに話せるわけもない。ごめんなさいと言うだけだ。

　そしてヒヨドリの刻になった。今日最後の講義が終わる時刻。きっとグリンもあのマグノリアの木の下を通り、森へと行くだろう。あそこでグリンと鉢合わせするわけにはいかない。

　藪（やぶ）が見える場所で待とう。グリンが通った気配を探ろう。そしてグリンが行ってから、私はジゼルの住処に行こう。

　沼がどこにあるのか聞いていないけれど、きっと同じ道ではないはずだ。少なくとも、私がジゼルのところに行く道の途中に沼はない。

　藪に一番近い建屋の角、あそこなら藪から死角になっている。行くとお誂（あつら）え向きにベンチがある。よし、ここでグリンをやり過ごそう。

グリンは今、どこにいるだろう。気配を探ってみる。するとすぐ近くだ。あ、この建屋、黄金寮、私、黄金寮の出入り口のベンチにいる。ここじゃダメ、グリンが通る。

慌てて立ち上がり、場所を移そうとしたが、遅かった。

「やぁ、マメルリハちゃん。僕に会いに来てくれた？」

　お気楽な声は、言わずと知れたアランだ。そうだ、アランも黄金寮だ。寮から出てきたところだ。

「昼間はなんだか元気がなかったね。心配で、白金寮に行こうかと思ってたんだ」

「えぇ、ちょっと疲れてしまって」

「それはいけないね。入寮六日目かな。疲れが出る頃だ」

「えぇ……」

　なぜだろう。アランに打ち明けたくなった。打ち明けて、助けて、と頼みたい。でも、だめ、アランには頼れない。事実を知ればグリンは打ちのめされる。それをアランに知られたら、グリンはプライドを保てなくなる。

　それに、何しろここを離れなくては。グリンがここを通る前に。なんといってアランを追っ払おう。

「そう言えば、昨日、街人の女の子と会っていたって？　デリスから聞いた。その子の事で何か厄介ごとが起きているとか？」

「ううん、そうじゃないの。あの子の事じゃないの」

そう、私が心配しているのはグリンの事だ。と、グリンに意識が戻る。

　マグノリアの木の上にグリンがいる。木登り上手な兄は、枝伝いに部屋を出たんだ。

「あの子の事じゃない。すると別の事？　デリス、とか？」

デリス……そうだった、デリスに返事をしなくちゃいけない。でも、今はそれどころじゃない。

「デリスの事でもないわ」

それにしても、アランはデリスが私に告白したと知っている？

「そっか、可哀想にデリスのヤツ、フラれる運命か」

「デリスが私になんて言ったか、知っているの？」

「いいや、知らない」

クスリとアランが笑った。

「なんとなく察しただけだ。デリスはすぐ顔に出る。昨夜、藪のところでキミに偶然出くわしたと聞いた時、ひょっとしたらと思っただけさ」

「カマを掛けた？」

「ごめん、マメルリハちゃん。気になって仕方なかったんだ」

「どういう意味？」

ううん、聞かなくても私は判っていた。でも、聞きたい。

　アランは少しだけ私をじっと見つめた。そしてこう言った。

「言いたいけれど、今は言わない。何があったか知らないけれど、今、キミは何かに追い詰められている。そんな時に気持ちを告げるのは狡（ずる）いと僕は思う」

「アラン……」

　なぜだか涙が出そうになった。煩（うるさ）くて落ち着かないけれどこの人は、やっぱりとても優しくて暖かい。

「白銀寮に帰るなら送るよ。キキョウインコちゃんに用事があるんだ。キミにも会いたかったけれど、ここでこうして会えた。心配だけど、僕の出る幕じゃなさそうだしね」

「ありがとう。だけどここでいいの。私、グリンに会わなくてはいけないから」