25 (グリン)

 そう言えば名前を言っていないし聞いていない。僕が名乗れば、彼女は名前を教えてくれるだろうか。まさか、名前は決まってない、なんてことはないだろう。


 沼からの帰り道、物思いに気を取られて僕はうっかりしていた。


「あ?」

結界を感じて足を止める。


「グリン?」

見るとマグノリアの下のベンチにアランが座り、横にはデリス、そしてシャーン。


「何やってるんだ?」

自分の頭に血が上っていくのが判る。おまえら、僕の妹に何する気だ?


「おまえこそ、何してる? まさか、森に行ってたわけじゃないよな?」

アランが怖い顔で僕を見る。


「それよりなんでシャーンがここにいる? なんでわざわざ結界を張った? 結界を張って何をするつもりだ? シャーンをどうするんだ?」

アランがデリスに向かって肩をすくめた。


「妹思いの兄上は、我らが女性に暴力を振るうと思っているらしい」

アランが言い終わる前に胸ぐらをつかんだ。サッと立ち上がるとアランは僕のその手を掴み返し、反対側の腕を後ろに引いた。ボディーブローを繰り出すつもりだ。


 と、パチンと音がして、僕とアランは弾かれ、尻もちをく。

「やめとけ、お互い痛い思いをするだけだ」

デリスの仕業だった。


「でも!」

「グリン、頭、冷やせよ。本気でそうは思ってないだろう? アラン、おまえも黙れ。わざわざ火に油を注ぐな」

デリスにたしなめられたアランが、言いかけた口を閉じる。あちらを向いて、いい運動になりそうだと思ったのに、とボソっと言った。


「まぁ、なんだな」

とデリスが言う。

「結界を張ったのは僕だよ。他人ひとに聞かれたくない話をしようとしてたんだ」


「他人に聞かれたくない話って?」

「いや、それは、他人に聞かれたくない。つまりグリンにも聞かれたくない」


「僕に聞かれたくないのにシャーンに聞かせたい話ってなんだよ?」


「グリン、いい加減にして」

シャーンが口出しする。


「シャーン、おまえ、少しは自覚しろ」

「何をどう自覚しろと? アランもデリスも信用できない男なの?」


「いや、それは……」

確かに、二人を疑った僕は少し頭に血が上り過ぎている。シャーンが男に囲まれている、そんな場面を見た途端、妹が危ない、そう思ってしまった。


 でも、そう、アランとデリスが乱暴するはずないじゃないか。しかも僕の妹に、いや、妹じゃなくっても。


「ごめんなさいね、二人とも」

シャーンがアランとデリスに謝っている。


「グリンはね、昔……」

「やめろ!」

なにを言い出すんだ、シャーン。その話を他人に聞かせるな。


「僕が悪かった。シャーン、おまえはそれ以上何も言うな」

シャーンはまだ小さいころ、街人に連れ去られそうになったことがある。その時も男二人だった。


 屋敷の庭でシャーンは部屋に飾る花を選んでいて、僕はそれを木の枝で寝転んでみていた。そこへ忍び込んで来た街人(よその街に住んでいたらしいが盗みを働いて追われていた)が忍び込み、シャーンを連れ去ろうとした。


 幸い、シャーンの叫び声と(口をふさいだ男の手にシャーンは噛み付いていた)僕の怒鳴り声に気が付いた母が、移動術で庭に現れ、即座に失神術を掛け二人を捕らえ、事なきを得た。街の魔導士に二人を引き渡したことは言うまでもない。


 そして、おっとりした母が屋敷に不侵入術を使うようになったのはそれからだ。もともと街の魔導士だった母は人を疑う事をしたことがなかった。僕がカッとなったのは、その時の恐怖や憤りが脳裏に蘇ったからだ。


 シャーンは二人にその事を話し、僕が逆上したことに理解を求めようとしたのだと思う。だが、そんな話には尾ひれが付きやすい。他人にしちゃいけない。


「まぁさ、グリンが心配するようなことは何もないし、グリンがシャーンを心配するのも判るよ」

とデリスが場を納める。するとアランが

「そうだな、デリスの言う通りだ。取り敢えずカラスの刻になる。食堂に行こうじゃないか」

と言った。いつも通りのアランだった。


 夕食が終わったら部屋に来い、とアランが言う。マグノリアのベンチでの事を蒸し返されるかと思うと気が重かったが、先に突っかかって行ったのは僕だ。きっちり謝って関係を修復した方がいいと思い、出向いて行った。


 すると

「なぁ、グリン。このところ、どこに行っているんだ?」

と、アランにしては珍しく真顔で聞いてきた。

「いや、どうして?」


「このところ、学校内に気配がない時があるから心配しているんだよ。グリンの性格から、街に出ているとは考えにくい。でもさ、森に行っているとも考えにくい。あの森は森自体が結界を張っていて、はいれないだろう?」


「そうなんだ?」

「実は僕も、入学したての時、こっそり冒険しようと行ってみた」

ところが森にはいろうとしても弾かれる。森が結界を張って侵入を拒んでいると思った。


「で、思ったわけさ。もし、グリンが森に行っているんだとしたら、森の魔物に魅入られたんじゃないかって」

「森の魔物? だって、それ、冗談だろう? 冗談と言うか、伝説で」


「そりゃあ僕だって伝説だと思っていたさ。でも、もし、僕をれなかった森が、結界を解いてグリンをれたとしたら、と考えると、森がグリンを取り込むためにれたんじゃないかと思ってね」


「心配させてしまったね。もし、僕の気配が消えていたとしたら、きっと庭で絵を描くのに張った結界のせいだ。邪魔されないように結界を張る時もあるから」

「あぁ、確かに。そのほうがが集中できるな」

アランは安心したようだ。


 嘘は言っていないが、真実も話していない。ちょっと気が引けたけれど、禁止されている森に行っているとはとても言えない。


 話は終わったはずなのに、まだアランは言い足りなさそうだ。


「まだ何か?」

「うん……」

怒らずに聞けよ、とアランが言う。


「僕は本気でシャーンを口説くぞ」

なんだ、それ?


「何言ってる、シャーンはまだ」

「もう、十三だ、今年度中には十四になるはずだ」


僕の抗議をアランがさえぎる。アランのヤツ、僕を言いくるめる気だ。


「そ、そうだな」

「僕は十六だ、今年度中には十七になる」


「まぁ、そうだな」

「そして僕は卒業年度だ。今年度末には卒業後、何者になるか決めていなければならない」


「うん、僕もだ」

「僕は今、迷っている。父が言うようにギルドに入るか、はたまた学校に残り学者の道を進むか。それとも子どものころから憧れている街の魔導士になるか」


「街の魔導士に憧れているんだ?」

初耳だった。アランならギルドと言われても学者と言われても驚かないが、街の魔導士には驚きだ。魔導士の職業として、ランクがかなり下になる。


「迷った挙句あげく思った。人生のパートナーになるべく女性に相談したい。一緒に生きていく相手だ、相談するには一番の相手だ」

「それで?」


「だが現状、そんな相手はいない。で、欲しくなった」

「そうだな、おまえはフラれてばかりだ」


「それは違うぞ、グリン」

「違うのか?」

つい笑いそうになって引っ込める。


「今まで一度だって、本気で口説いたことがない。でも、それはどうでもいい」

確かに、自分が連れてきた女の子に他の男が近づいても、アランが気にしたことはない。むしろ、面白がって見ていたぐらいだ。


「では、どんな女性をパートナーにしたいか。理性的で理論的、僕の話を理解しようとしてくれる、そんな女性がいいと僕は思った」

「ふむふむ」


「そして、そこにシャーンが現れた」

「シャーンに白羽の矢を当てた、と?」


「黄金寮の談話室で、シャーンにちょっかい出すとグリンが怖い、と冗談を言ったヤツがいる。おまえが談話室から出ている時だ。その時シャーンは『グリンに文句は言わせない』と言った」

「あぁ、あいつなら言いそうだな」


「シャーンはちゃんと自分を持っている」

「なるほど」


「そして冷静だ、さっきのベンチでの対応を見ればグリンにも判っただろう」

「あいつは落ち着きすぎだ」


「前にも言ったが理論派で賢い」

「理屈っぽいのは認めよう」


「そして先入観にとらわれず、本質を見る目を持っている。少なくともそう見ようとしている」

「そうなのかな?」


「僕を『実は優しい人』とのたまわった」

「アラン、嬉しそうな顔だね」


「つまり、彼女はすぐれ過ぎている。言うまでもないが、魔女としての力も抜きん出ているわけで、そんな彼女の夫には少し歳上の、魔導士としても優れた男がいいと僕は思う」

「それって自分の都合じゃないのか? と言うか、自分を優れた魔導士と言ってはばからないのだね」

今度こそ笑ってしまった。


 アランは少しばかり恥じた様子だったが、

「まぁ、とにかくだ、僕の相手としてシャーンは最適だし、シャーンの相手が僕であっても不足はないはずだ」

と、結論付けた。


 なるほどね、とは思う。だけど何かに落ちない。それにだからと言ってシャーンがまだ十三だという事も変わらない。でも、ここで僕はふと気が付いた。森の彼女は十二と言った。その彼女に僕は恋をしている。そして彼女も僕の事を好きだと言ってくれた。


 そりゃあ、彼女の好きと僕の好きはニュアンスの違うものかもしれないが。いや、違うんだろう。彼女の好きは小鳥が好きと、きっと一緒だ。それでも僕は彼女を好きで、彼女の好きがいずれ恋に変わると信じている。


 そうか、僕が腑に落ちないのは、アランのシャーンに対する気持ちだ。アランは理屈だけでシャーンをパートナーにすると決めている。


「なんか、アランには、大事な何かが欠如してるような気がする」

「グリン、それは気のせいだ、と僕は思いたい」


「結婚って、理論でするものか?」

すると、アランが驚いて、僕を見た。ほかに何がある、と言われそうだ。


「そんなわけないだろう、グリン、しっかりしろ。言わなくったって判るだろう。大前提だ」

「え?」

アランの答えは、僕の予測の反対側を行った。


「まだシャーンにも伝えていない恋心を、幾ら彼女の兄とはいえ、グリン、おまえに聞かせるなんて御免ごめんこうむる」

思わずアランを見た。アランは顔をそむけた。


「本気なんだ……」

「冗談で、こんな大事なこと言えるか」


「でもシャーンは本当にまだ子どもで、答えてくれるか判らないぞ?」

「うん、そこが一番の問題だ」


苦笑するアランを見て、なんだか僕はホッとした。


 アランは強引なことはしないはずだと思った。しかもシャーンの性格ではアランはうるさがれるだけだ。面白いのは、きっとアランもそこに気が付いているだろうという事だ。


「とにかくだ、グリン、僕がシャーンに近づく邪魔をしないで欲しい。僕は彼女を大事にするし……」

「判った、判った。よほどのことがなければ、邪魔なんかしない。だけど、シャーンがアランに答えてくれるかは別問題だからな」


「よほどの事ってなんだろう」

考え込んだがアランには答えが見つからなかったようだ。


「ま、グリンが妨害しようとシャーンのあの性格だ、もとより僕は心配していない」

それよりも、とアランが言った。


「僕の最大のライバルはデリスだ。デリスとシャーンはかれあっている。まだ二人とも、気が付いていないのが僕にとっては救いだ」


そしてアランは頭をかかえた。

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