19  (ビルセゼルト)

 窓がガタガタと音を立てた。と、雷鳴が部屋を揺らす。

(嵐か……)

机の上の書物から目を放し、ビルセゼルトは窓を見た。ポツポツと窓にあたる雨は、見る見るうちに大粒に変わり、土砂降りになるのもすぐだと判る。


 ジゼェーラはどうしているだろう。怯えて震えてはいないだろうか?


 世話係は全て、心優しい魔女に入れ替えた。あの子なら少しぐらい甘やかしても大丈夫だと、そう思った。それでも新たに選んだ魔女たちには『甘やかさないように』と釘を刺しておいた。


 話し相手には知識豊富で経験豊かな魔女がいい。そう思って探しているが、今のところ適任が見つからない。


 突風が窓を揺する。再び雷鳴がとどろく。立ち上がるとビルセゼルトは窓辺に立ち、外の様子を確かめる。


(森の守りは固い。この私にさえも遠見を許さない)

森の結界に阻まれて、見ることは叶わないと判っていても、つい気になってジゼェーラの住処のあるかたを見てしまう。


 ジゼェーラを預けてから、この窓辺に立つと森を眺めるのがビルセゼルトの癖になっていた。


 訪れを察知して、ドアを開ける。入ってきたのはアウトレネルだった。

「よぉ、ビリー。雷の前に立つな。恐ろしくっていけない」

ドアを開けたタイミングで光った稲妻に苦情を言う。同学年で同じ白金寮、気心知れた相手である。


「私はそんなに恐ろしいか?」

 さっさとソファーに座ったアウトレネルの対面に、苦笑しながらビルセゼルトも腰掛ける。


「おまえの後ろで稲光がしてみろ、おまえが怒っていると間違えても仕方あるまい」

「私を怒らせるのは難しいと思うが?」

ビルセゼルトがお茶のセットを宙から取り出し、アウトレネルに勧める。


「だから余計にさ、ギリギリまで怒りを抑えるおまえが怒れば、どれほど恐ろしいか」

 挨拶なしにカップを取るとアウトレネルがカップに口を付ける。直前に魔導術をかけて適温にしたのはビルセゼルトだ。せっかちなアウトレネルがお茶で口を火傷するのはいつものことだ。


「しかし、おまえ、ここ数日、窓にへばり付いてないか? 昨日も一昨日も、俺が来ると窓辺にいた」

「そうだったか?」

「そうだったさ。それになんだか元気がない」


「体調に変わりはないようだ」

「それじゃあ、気持ちに変わりがあるんだな」

せっかちではあるが、抜け目はない。学友の中で一番信用でき、頼れるのはアウトレネルだと、ビルセゼルトは思っている。


 黙っていると、

「ジゼェーラに何かあったか?」

と訊いてくる。

「……」


「ありました、と言う顔だ。まぁ、言いたくなければ言わなくてもいい」

だがな、とアウトレネルが続ける。

「おまえの子はジゼェーラだけではない事を忘れるのはどうかと思うぞ」

「忘れた? 私が?」


「グリンバゼルトにもう少し関わってやれ。あいつにとって今が一番大事な時だと判っているだろう?」

そうさ、だからこそ、一単位、グリンのプログラムに捻じ込んだ。アイツに不足していることを教えておきたい。


「幻惑術をおまえが教えることにしたそうだが、逆効果だと判っていないだろう?」

「逆効果? 幻惑術が逆効果?」


「そうさ、グリンは校長としてのおまえを求めているわけじゃない」

「幻惑術ではなく、私が教えることが逆効果と言いたかったか。まるでアイツが私を求めているような言い方だ」


「ビリー、おまえ、本当に判っていないのか?」

 アウトレネルが本気で呆れる。


「俺はおまえに頼まれてから、おまえがリリミゾハギと別れた時からずっとだ、グリンのことを見守ってきた」

グリンはずっとおまえを追っている。おまえに追いつきたくて、でも、どうやって追えばいいのか判らなくって苦しんでいる。父親のおまえを求めているんだ。


 今さらおまえがリリムを捨てたことをとやかくは言わない。それを言ったらそもそも深い仲になった事から言わなきゃならなくなる。けれど子どもたちは別だ。どうしたって切れやしない。ましておまえはグリンを嫡子と決めている。


「自分の後継と決めておきながら、関わろうとしない。それをグリンはどう受け止めればいい? 中途半端なんだよ、おまえは」

「辛らつだな」

と言いながら、ビルセゼルトは笑みを浮かべる。


「今や私に説教ができるのは、レーネ、おまえだけだ」

「それは……」

アウトレネルが口籠る。頼みにしていた双子の弟は他界し、親友だった男は今や敵対勢力の指導者だ。


「ジョゼシラはどうした? あのおっかない魔女は今でもおまえに言いたい放題なんじゃないのか?」

「そうだね、相変わらずだ。だがジョゼは私を責めてはくれない」


「なんだよ……」

とアウトレネルは少々言い過ぎたかと躊躇ためらい始めたようだ。


「なんだ、おまえは少しばかり偉大になり過ぎた。ちまたでは『孤高の魔導士』なんておまえを言うヤツも出始めている。学友たちも、情けなかったころのおまえを忘れちまって、昔からおまえは今と変わらないと思い違いしている」


「私は情けなかったか?」

苦笑するビルセゼルトからアウトレネルが目を背ける。


「判ってはいるんだ。おまえがどれほどのものを背負っているか。だからおまえは強くならなければならなかった」

だけど、せめて家族の前ではその荷を降ろしてもいいんじゃないか? 辛いと愚痴を言ってもいいんじゃないのか?


「グリンバゼルトの話をしていたんじゃなかったのかい? そう言えば校内からグリンの気配が消えている。家にでも行っているのかな?」

更に苦笑してビルセゼルトが言う。


「それはどうだろう? 今さらママが恋しいこともないだろうが……そうさ、グリンの話さ。おまえの本質を目の当たりにすればグリンは気が付く。おまえが自分に求めているのが何か、そして自分がおまえに求めているのが何か。俺はそう思うぞ、ビルセゼルト」


「そうか……長年の友人の助言だ。考えてみるよ」

話をらそうとしてもアウトレネルは引っかからず、受け入れると見せかけて強引に打ち切ったビルセゼルトだったが、その実、そんな事はもう随分前から判っているんだ、と心の中で呟いていた。だからリリムに逃げたのだ、と。


「それで? ギルドの動きはどうなっている?」

アウトレネルがこの部屋に来た本来の目的にビルセゼルトが戻した。もう、個人的な話は打ち切りだ。


「あぁ、東の陣地内にあるドラゴンのコロニーの件だが……」

これ以上は言っても無駄と、アウトレネルも仕事の話を始めるしかなかった。

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