17  (ジゼル)

 今日は庭のベンチに座って、小鳥たちにパンを分けてあげた。昨日、シャーンが座っていたベンチ。あのあたりをシャーンは見詰めていたっけ。すると、腐虫が土中から触手を伸ばし、小鳥が砕いたパン屑を、隙を見てはさらっていく。やっぱりシャーンは腐虫を見ていたんだ。


 うーーん、腐虫は触手しか土から出さない。まぁ、腐虫はそんな虫なのだから仕方ない。シャーンは全体を見てみたかったのかな? 私も見てみたい。触手は何度も見たけれど、それ以外を見た事ない


 釣ってみようか。確か糸の先に餌を付けて、その餌に腐虫が触手を伸ばして掴んだときに、そっと引っ張り上げれば釣れるはずだ。本で読んだことがある。


 糸にパンを付けるのには苦労した。刺繍のように何度もパンの中に糸を通し、何とか付けた。腐虫、釣れるかな?


 小鳥がパンをついばみ終わり、たくさんの腐虫が触手を出して後片付けを終えてから、そっと糸を垂らしてみる。


 そこに誰かが来た。誰だったっけ? 大好きな人。そうだ、シャーンだ。でも、タイミングが悪い。


 来ないで、と黙ったまま、てのひらを広げて合図してみると、シャーンは判ってくれたみたい。向こうでこちらを見守っている。でも心配。待たせてシャーンは怒らない? あ、腐虫が触手を出した。


 パン屑をつかむのをじっと待っていると、ゴソゴソとパン屑を探しているのが判る。やった、パン屑を掴んだ。これでそっと引き上げれば……


 パン屑を逃がすまいと、腐虫は触手をもう一本出して、しっかり掴む。よし、頭が出てきた。あら、触手に比べて小さな体。


 そっと瓶に落とし込むと、驚いたのかグルっと瓶の縁を回った。何する、阿婆擦あばずれ、と叫んでいる。阿婆擦れってなんだろう?


 大人しくしていればすぐ開放すると伝えたら、ふん、と、掴んだままのパン屑をハサミのような触手で砕き始める。食べ終わってからにしろよ、とか、ぶつぶつ言っている。


 よし、捕獲完了。シャーンが怒っていませんように。


 良かった、シャーンはあのまま私を見ている。


「シャーン、大好き」

昨日シャーンに教わった通り、私はシャーンを抱き締めた。


「私もよ、ジゼル」

シャーンも抱き返してくる。嬉しい。


 シャーンが腐虫を欲しがっていると思ったのは、私の勘違い。でも、以前、千切れた触手を見せた魔女のように『気持ち悪い』とは言わなかった。そしてシャーンは不思議なことを言った。


 私がシャーンを喜ばせるために腐虫を捕らえたとシャーンは思ったようで、確かに私はシャーンに見せてあげたかったけれど、それでシャーンが喜ぶとは思い当たっていなかった。


 でも、そう言われれば、そうなのかな、と思う。私はどうしてシャーンに腐虫を見せたいのかなんて考えていない。考えていれば、シャーンを喜ばせたい、と答えが出ていたような気がする。


 シャーンが喜ぶかは関係なく、私は間違いなく喜んでいた。シャーンはきっとビルセゼルトが寄越したお話し相手。


 ビルセゼルトは『好きなように、好きな言葉』で、『話したい相手とは、どんどん話していい』と言っていた。


 だからどんどんお話ししたけど、

「今日はよく喋るのね」

とシャーンが言う。


はしたなかった?」

どうしよう、どうしょう。しゃべり過ぎを端ないと思う人もいる、とビルセゼルトも言っていた。シャーンは私を端ないと嫌ってしまう。


「ジゼル、どうしたの?」

シャーンの顔をじっくりと見る。不思議そうに私を見ている。


「端ない、なんて思っていないわ。いっぱい話してくれて、私は嬉しいのよ」

シャーンが私の髪を撫でる。


「嫌わない? シャーンは私を嫌わない?」

 シャーンの不思議そうな顔が今度は驚いた顔に変わる。


「私がジゼルを嫌う? なぜ? そんな事にはならないわ」

なぜ? なぜシャーンはそう言い切れるの? でも、嫌わないでいて欲しい。だからそのままでいい。


「大好き、シャーン」

私はもう一度、シャーンに抱き付いた。そんな私をシャーンも抱き止めてくれる。


 よかった、シャーンも私が好き。だけど、油断すれば嫌われる。いなくなる。私を抱き締めてくれたあの魔女のように。


 そうだ、ダンスだ。昨日、シャーンは小鳥のダンスを見たいと言った。


 私はシャーンを放し、ツンとすまし顔を作って深くお辞儀した。まずは礼を尽くすこと。小鳥は私にそう教えた。シャーンは、どうしたの? と言って私を見守っている。


 お辞儀のあとは、これから踊るよと合図、ステップを踏みながら丸く移動する。その時、相手の顔から眼を放してはダメ。


 ううん、このダンスは片時も相手から目を離してはいけない。好きだよ、とずっと相手に送り続ける。笑顔とともに送り続ける。それから腕を上下させ、ここからは自分をアピール。どう? 私のこと好き? 好きになってくれる?


 膝を折った低い姿勢は、あなたが大事と言っている。あなたを決して傷付けない。ねぇ、だから、こっちを見て。素敵なダンスだと言って。楽しいダンスだと言って。


 右腕を挙げ、顔を指先に向ける。この時も視線は相手の顔から離さない。左腕は後ろに引いて、左の足も後ろに引いて、どう? 綺麗? 綺麗に見える? 綺麗なもの、好きでしょ?


 左腕を挙げて、今度は左右を入れ替えて、同じようにもう一度アピール。右と左、どっちがより綺麗に見える?


 シャーンは最初驚いたけれど、小鳥のダンスと気が付いて、それからはニコニコと見ていてくれる。いつの間にか小鳥たちが集まって、賑やかにさえずって、はやしたてている。


 私はますます調子に乗って、動きを早くする。するとシャーンが手拍子を取り始めた。嬉しくって、つい笑い声が出る。シャーンも楽しそうに笑っている。小鳥の囀りがますます賑やかになる。


 と ――


 急に動きを止めた私をシャーンがいぶかる。シャーンには今のとどろきが聞こえなかった? 小鳥たちも驚いて、一斉いっせいに囀りを止めたのに?


「雷が鳴った」

そこに風が吹く。

「もうすぐ雨が降り出すと、風が言っている」

風が次々と吹いて、木々を揺さぶり始める。本気で吹き荒れるようになるまで、幾らもなさそうだ。


「シャーン、帰ったほうがよさそう」

「そうね、急に暗くなってきた。ジゼルも部屋に入ってね」

ダンス、楽しかったわ、とシャーンは帰って行った。


 風はますます吹きすさぶ。遠くの雷もだんだん近づいて来る。


 あの男の子はどうしているだろう。昨日、会ったのはもう少し遅い時間だったけれど。明日もあの場所にいると、言っていた。つまり今日も、あの場所にいる。


 あの沼には風が吹かない。木立の上部だけにしか吹かない。森があの沼を守っているから。あの男の子は嵐に気が付かない?


 どうしよう。今から行って、嵐の前に帰って来られる? 森と嵐の戦いに巻き込まれない?


 考えても答えなんか出ない。私はあの沼に向かった。嵐が来ると男の子に伝えたい。


 森は沈黙を守っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る