チャットでニートに学んでみた

ニートとは不幸なことなのだろうか。


もし今の収入を保ったままニートになれるのだとしたら、多くの社会人はそれは幸せなことだと考えるだろう。資本主義を皮肉ったエピソードに、こんな有名な話がある。


――小さな村でのんびり魚を釣って暮らしている貧しい男の元に、ある資本家がやって来て「その魚を売って、もっと儲けたらいいのに」と助言する。男が「何のために?」と尋ねると、資本家は「その金で船を購入したら、もっと多くの魚を捕れますよ。」と答える。男が「その後はどうなる?」と尋ねると、資本家は「さらに多くの魚を売って、その金で人を雇い、漁船団を作って経営し、さらに儲けるんです」と続ける。男が「その後はどうなるんだ?」と尋ねると、資本家は得意げに言った。「そうしたらあなたは引退して、小さな村でのんびり釣りでもして暮らすんです。最高でしょう?」


一生懸命働いて儲けた末に、貧乏人と同じ自由を手にいれて、のんびり過ごすのが最高という皮肉である。多くの人々は、お金がたくさんあれば自由になれると考えているように思う。実際、3億円ほどの貯蓄があれば、今の社会では食いっぱぐれることはないようだ。しかし、「お金がたくさんあれば自由になれる」という事と、「お金がないと自由になれない」と言う問題は切り離して考えるべきかもしれない。


Nは、貧乏だが自由な男だ。


彼のお金の使い方は、どこまでも彼の欲求に忠実だ。その時に欲しいものを、その時に買う。貧乏な漁師が、その日食べる魚を釣ってくるように。未来への投資は一切しない。僕が知る限り、ここ数年で彼が金を出したものは、酒、たばこ、競馬とコンビニ弁当くらいだ。「競馬は未来のリターンがあるじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、ここには「馬好き」と呼ばれる人種の独特の共通認識があるようで、彼らは馬に金を賭けること自体に楽しみを見出しているようだ。一種のゲーム参加料と言えるかもしれない。結果的にお金が増える事もあるが、チャットで観察している限り、どうやらNの戦績は芳しくない。負けると分かっていても彼は、競馬をやめない。きっと、3億円を手にしてもそれは変わらないだろう。


考えてみて欲しい。仮に3億円、あるいは100億円でもいい。それだけのお金があったらあなたは何に使うだろうか。家。車。あるいはTwitterで1億円バラまくかもしれない。聡明な読者の中には、もっと有意義な使い方を思いつく人もいるかもしれない。ただ、100億円あってもマックのポテトはそれなりに旨いだろうし、結局Youtubeで面白い動画がないかダラダラと探す生活にもあまり変化はないように思う。人間の欲求には限界があり、100億円はそれを超越してしまった金額と言えるだろう。貯蓄が0だろうが、100億円だろうが、現代社会は普遍的な人間がやりたいことはそれなりに達成できる構造になっている。


一方で、未来のためにお金を使う人達がいる。

それは株であったり、FXであったり、あるいは何かのセミナーへ出向いたり。プログラミング教室や英会話教室へ通ったりする人もいるかもしれない。そういった人達は「何のためにお金を払っているのか」ということを考えてみるべきだと思う。もし、「お金を儲けるため」「就職してお金を稼ぐため」に投資をしているのだとしたら、儲けたお金を何に使いたいのかを考えるべきだ。稼いだお金がタバコやお酒、競馬に消えていくのなら、最初からそっちに直接お金を使ったほうが幸せなのかもしれない。


あなたの今の投資対象はどうだろうか。大金を稼いだ末に貧乏人と同じ行動をするような婉曲的な投資をしているのだとしたら、Nのお金の使い方を見習ってみるのも一つの手段なのかもしれない。

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