第3話

「大変だ〜〜っ!誰か来てくれ〜〜っ!」

 階段を駆け上がり、赤く実った果樹の枝をかい潜って姿を現したのは、店の階下に入り浸っているおやじだった。

「大変だ〜っ!吟遊詩人の歌も語りも急に面白さを増したんだ!これはみんなで聞かないともったいないぞ〜〜!」

 おやじは捲し立てた。

 彼は、階下に陣取っている吟遊詩人による冒険譚に惚れ込んでいるのだ。

 ただ、彼の最初の叫び声にもっと異なる方向性の緊急事態かと身構えた男たちは、

むしろほっと脱力したのである。

「良かったじゃね〜の、面白いんなら」

 ハーディーは、軽く手を振ってあしらおうとした。

「そうさ!普段はなぜか戦闘についてはスルーする吟遊詩人が、さっきから突然、戦闘シーンを熱唱するようになったんだ!」

「さっきから突然?」

 セティーは引っかかりを覚えた。

 耳を済ませば、件の吟遊詩人が、いつもとは段違いに激しく弦楽器をかき鳴らしているのが聞こえてきた。未来世界のロックンローラーすら凌駕するような激しさだ。

「今日こそは俺様の思いの丈をぶち撒けてやるぜえーー!!

 あ〜る〜日ぃぃいいい!

 森の〜な〜かぁぁあああ!

 カブト虫〜にぃぃいいい!

 エンカウントオオオオオ!!!」

 そして、戦闘シーンを声の限りシャウトしているのも聞こえてきたのである。

 男たちの視線は、いつしか、赤いナースキャップにスカート丈の短い白衣、そして黒のガーターストッキングを纏った女が、ニンマリとした笑顔で縦ノリを始めた有様に吸い寄せられていた。

「うふふ♡階下の吟遊詩人さんには、実は先程、加湿器をプレゼントしましたの。

 お仕事柄、喉を痛めては大変でしょうから♡」

 ポムは嘯いた。状況からしてその加湿器には、噴霧式の自白剤が仕込まれていたのだ!何か考えがあってのことだろうが、いったい何を考えているのだ!?

「俺は帰らせてもらうぜ!ボスとクスリの対価を決めなきゃならねえ。大先生のために、1Gitでも多く上積みできるように頑張るからよ!」

 ハーディーはヒラヒラと手を振った。いずれこの辺りまで及ぶかもしれない自白剤なぞ吸い込みたくはないし、ポムは、新薬の研究開発のために費やす金をいつもいくらでも欲しがるから、こんな挨拶をすればすんなりとこの場から逃れられるだろうと踏んだのだ。

 しかし、ふと見れば、店の出入り口には、いつの間にやら合成人間たちが大勢詰めかけていて、とても出て行ける状態ではなくなっていた。

「……こいつは、どういうこった?」

 ポムは、合成人間たちとハーディーの間に、すかさず割って入ったのだ。

「ああ、紹介しますわ。実は彼らは、このたび私が立ち上げました『見境なき愛の医師団』のメンバーですのよぉおう♡」

 見た限り、ポム以外は全員が合成人間らしい。そして、ポム自身、未だ医学生であり、医師免許の取得には至っていないはずだが……

 合成人間たちの中から、一人が店内に進み出た。

「無理はするな。運動はしろ」

 ハーディーの目を真っ直ぐに見つめて告げたのである。

 彼女は、普段から合成鬼竜の艦内に詰めており、アルドとその仲間たちに休憩用のポッドを使わせてくれたり、サンドイッチを作ってくれたりする。

 そして……ハーディーが艦内にて人間ドックを受けた際には、ポムの助手を務めていたのである。

 さらに、二人目の合成人間も進み出た。

「私は、人間はともかく、人体の断面が大好きだ!

 後で縫合するなら人体を切開しても良いと聞いて志願した!」

「それもまた愛ですわねぇ♡」と、ポムは、まずは合成人間に微笑みかけてから、「実技は私が鋭意指導中ですわぁ♡」と、人間たちに会釈したのである。

 そして、ポムはセティーへと向き直った。

「セティー捜査官、実はあなたとは、お金の話以上にプライスレスなお話をしたかったんですの。

 私ども『見境なき愛の医師団』がエルジオンでも活動することを黙認するよう、司政官に働きかけていただけません?はっきり申し上げて、アルドの冒険よりは遥かに地道な活動しかしていませんものぉおう♡」

 ポムは現状、合成鬼竜を活用してエルジオンの法が及ばぬ時空へ移動したうえで、医師団としての活動を行なっているのだ。

 例えば、改良版の自白剤に関するデータ収集は、全て中世にて行った。

 ハーディーの人間ドックの際も、乗艦後に、「ここではない、どこか遠くへ!」と、合成鬼竜にお願いしたのである。

「きみが、違法性を認識しているうえに、遵法精神らしきものも持ち合わせているとはな。正直驚いたよ」

 セティーはポーカーフェイスで応じた。

「きみの『医師団』の活動を、俺の働きかけで司政官が黙認した場合、人類が得られる利益は?」

「もちろん、あなたの個人情報をうっかり収集したとしても、秘密厳守がなされることですわ」

「俺個人ではなく、人類全体に公益性は見込めないのか?」

「いつの間にやら医学が進歩した、な〜んて日がいつかやって来るはずですわぁ♡」

 セティーは、ゆっくりと首を振った。はっきりと横に振ったのである。

「法が及ばぬ時空でなら、あるいは黙認してもらえるようなら、好き勝手のやりたい放題……

 きみには遵法精神はあるのかもしれないが、倫理観があまりにも欠如している。

 よって、俺はきみの要求には応じられない——以上だ」

 ポムは、たちまち子供じみた膨れっ面となった。

「それって、あなたの本心ですの?いえ、いいわ……本心かどうか確かめて差し上げます!」

 次の刹那、誰もポムの膨れっ面を見ることができなくなった。

 彼女は、ちゃっかり自分だけ防毒マスクを装着すると、愛用の巨大注射器を高々と掲げた。いや——それはよく見れば、注射器ではなく噴霧器ではないか!

 階下の加湿器の効果がここまで及ぶのを、もはやのんびりと待つつもりはないということだろう。

 しかし、さらに数瞬の後、ポムの顔は再び露となった。ひょっこりと現れたとある人物によって、防毒マスクを手際良く剥ぎ取られてしまったからだ。

 幸か不幸か、自白剤は未だ噴霧されてはいなかった。

「ポム、どうかヤケは起こさんでくれ」

 防毒マスクを取り上げておいて、穏やかな口調でそう言ったのは……星の夢見館のあるじだった。

「司政官には、私が掛け合おう」

 あるじは、しっかりと頷いたのである。

 そして、不服を申し立てようとするセティーに向かって、ふさふさの白い眉毛の下で、ウインクなぞして見せた。

「公益性は発生すると思うぞ?」

 それだけ言い残すと、星の夢見館のあるじは、静かに姿を消したのだった。

 

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