深雪さん

 頭痛が和らいだ僕は、痛む体に鞭を打ちながら、約束の中庭に向かった。途中、あの看護師さんに出くわさなかったのは幸運だ。きっと、あの聡明で美しい看護師さんは僕の青い体を見たら、いや、あの看護師さんでなくとも僕の病的な体を見たら誰もが体調の悪化と、精神の乱高下を予見するはずだ。

 でも、誰もが僕に声を掛けずに、誰もが僕の行く道を邪魔せずに僕の行動を許してくれた。許す? 違う。僕を無視してくれた。僕の孤独の行動を無意識下に容認してくれたんだ。幽鬼のようで、目も暗く、陰鬱な雰囲気をどの患者よりも纏った傲慢な人間を誰もが無視してくれた。

 そのおかげで僕は、自分の肉体的な苦労だけで中庭に出向くことが出来た。

 ただ、中庭には僕の鬱々とした価値観の中だと、僕を傷付ける刃として機能する美しい自然と輝く陽光で満ちている。花弁が散って、葉桜になりかけている緑と桜色が入り混じる桜の木、旺盛にけれども手入れが成された薄緑の芝生と散った花弁の桜色、ほとんど際の無い自然のコントラストは無意識に僕を傷付けてくる。温もりを抱いた春風は、僕にとって腐臭のように感じられる。

 何もかもが鬱々とした中庭の南側のベンチに僕は座った。目の前の小さな花壇には、黄色いチューリップがその花を僕の当てつけのように見せつけている。

 今すぐにでもむしり取ってやりたい。けれど、僕は手を伸ばして花を摘まむことすらできない。僕が出来るのは、ただ恨み深く咲いているだけの花を見るだけだ。僕の脆い手に、美しい自然の棘は手に余る。きっと、触れたならば僕の手は瞬く間に崩れ落ちてしまう。遠目で見ている葉桜でさえ、僕には辛すぎるんだ。

 空間全てが僕を突き刺してくる状況は、僕の弱腰な態度をさらに強めた。今日まで、僕が生きて来れた全ての理由を放棄したくなるほど、僕の心持ちは脆弱に成り変わっていた。

 ああ、自分が抱いた希望? でさえ僕には毒なのか? いいや、そう言う訳じゃない。思い浮かぶ言葉の端々に疑問符が着くだけなんだら毒じゃない。ただ、僕が空間から逃げ出したいっていう心持ちが浮かんでいるだけに過ぎない。つまり、僕の精神の根底的な弱さのせいなんだ。

 軟弱な精神にベンチに座りながらも僕は蹌踉そうろうとする。地面が急にぬかるんで、それまで生命の活動を称えていた桜の花びらに満ちた薄緑の芝生が全部全部、汚らわしい泥濘に変わってしまうように感じられる。もっとも、今の僕には汚れた泥濘の状況の方が良いんだ……。

 精神の景色によって汚された世界に僕は浸る。混沌としてあちらこちらが黒く淀み、色が混じり合った汚らしい極彩が目に入る絶望の境地に、僕は精神を落ち着かせる。

 自然と頭の痛みが抜けていくような気がする。それに、僕の肉体から僕が離れていくような錯覚にも陥る。僕の視線は閉じ込められていた。けれども、今の僕の視線は解放されている。肉体の単一的主観から解き放たれて、どうしてか僕のうらぶれた肉体を客観視できる。ついに僕の体は、薬を使わずともあちら側に行くことが出来るようになったのかもしれない。もしそうだとしたら、僕は想像を絶する修行を耐えきった? いや、単純に僕の精神を蝕む病魔がより進行してきただけだ。じゃなければ、自分が全てが混じり合った世界で落ち込んでいる幻影なんて見れない。


 ベンチに座る病服を着た痩せっぽちの青白い人間。

 忌まわしい幻影。

 混じり合った世界。


 全て僕の精神の幻灯なのかもしれない。心のガラスに描かれた僕の心象風景が、明るい世界の光に照らされて映し出されたのかもしれない。そして、僕の病み切った精神がスクリーンを造り上げたんだ。

 きっとそうだ。そうに違いない。だから、僕は心地良い汚れた世界に身を置くことが出来ているんだ。悪い気分じゃない。けれど、どうして、こんなにも胸がざわついてならないんだろう。僕が居たかったのは、僕が行きたかったのは、混沌と混じり合って僕の自我すら世界に溶け込む場所だったはずだ。なのにもかかわらず、僕の精神はこの世界を拒んでいる?

 矛盾も良いところだ。背反する二つの感情のせいで、このやるせない自我のせいで、僕は自分の感情を肯定することも否定することも出来ない。結局のところ、表は表で、裏は裏なんだ。そして、それが混じり合うことは決してない。妥協点を表裏一体の形而上から見つけることは絶対にできないことだ。死んだ人間が甦ることが無いように、すべての者が天国に行けないように……。

 それだから、ほら、僕の開いた知覚は閉じられるんだ。世界に溶け込みかけた僕の自我の八割は再び僕の下に戻ってきた。残りの二割は、僕の住処に残された。

 精神の不帰還のせいで、視界は酷いことになっている。美しく痛々しい造形された自然の随所に心地よい汚濁が混じり合って、凄惨な光景を成す。花壇のチューリップの黄色い花弁には、ありのままの姿とぐちゃぐちゃに混ぜられた水彩絵の具の混沌が混ざっている。それは醜悪だ。美しくも醜い最も忌むべき存在に成り変わっている。表裏一体の妥協点だ。存在してはならない一体物がそこにある。

 汚れているから美しいんじゃない。美しいものが汚れるから心地いいんじゃない。全てが汚れているから穏やかに成れるんだ。差異の無い世界は、淀んで、穏やかで、だから落ち着けるんだ。

 理想とする世界からかけ離れた世界に放り込まれた僕の視線は、自然と足元に向いた。けれど、どうしても薄緑の芝生の中に汚濁を見つけてしまう。土の中にさえ、汚れた一点を見出してしまう。

 視線の動かしても逃れられない汚染に僕は目を閉じる。でも、目を閉じたら例の文字列が瞼の裏に延々と連判状のように書き連ねられている。目が回りそうだ。そして、眼底が痛み始める。

 ああ、違うんだ。

 僕は瞼を開ける。相変わらずそこには汚濁がある。植物の生命を汚す点が、随所に存在する。

 ああ、これも違うんだ。


「正信? 約束、守ってくれたんだ」


 ああ、これが正解だ。

 醜悪な世界に一条の光が差し込んだ。僕が待ち望んだ人のこげ茶色のローファーが見えた。そこに汚濁は無かった。

 僕は汚濁の無い世界に勢いよく顔を上げる。救済の人に僕は再び出会えたんだから、精神からかけ離れた僕の勢いは、しょうがないはずだ。誰だってそうだ。聖地に帰還した十字架に掛けられた救世主を迎え入れた人々もそうだ。僕の猜疑を晴らして、僕が自刃を完遂させるための手助けをしてくれるかもしれない人なんだから、背反する喜びを抱いたってしょうがないんだ。

 感情の動きに従って動いた僕の目には、精神的な光では無くて、物理現象の強い光が差し込んでくる。温かい光に眩む僕は、残っていた眼底の痛みと頭痛と合わさり、向こう側に置いてきた二割の精神がもたらす浮遊感がさらに加わって、座っているのにもかかわらずバランスを崩した。僕の体は平衡状態を失って、後ろに倒れ込もうとする。

 ぐらり、痛々しい青い空とその中をゆったりと動く雲が見える。そして、僕の長髪がはらりと空に舞う様子も見える。


「正信、大丈夫?」


 ただ、僕はその勢いに従って倒れることは無かった。僕の倒れ込む痩せ細った体は、深雪さんが咄嗟に僕の腕を掴んだことによって何とか支えられた。おかげで僕の頭は内的な痛みと外的な痛みの双方に悩まされずに済んだ。

 転倒せずに済んだ僕は、深雪さんの手が手前に引いてくれた勢いに動かされて、元の体勢に戻る。


「ええ、問題ありません。大丈夫です」


「そっか、それなら良かった。こんなところで転んで、怪我したなんて二束三文の笑い話にもならないからね」


「確かにそうですね」


 元の通り座り込んだ僕は、今度はそっと顔を上げて困り眉を作っていた深雪さんに何の問題も無いことを伝えた。すると、彼女はニコッと歯を見せることなく、落ち着き払った様子で笑って見せた。

 純粋無垢に見える笑みは、深雪さんが清廉潔白な体裁であることを如実に表しているみたいだ。けれど、この人は僕と同じ香りがする。その視点を持って彼女を見れば、清廉潔白な人じゃない。あくまでも、僕と同じでどこかが汚れて、どこかが壊れているんだ。もっとも、僕にはそれを見抜けない。

 明るい声に淡白な声で答えた僕の隣に、深雪さんは座る。相変わらず灰色のブレザーと短くした黒いスカートを履いている。小さな顔の横顔も綺麗だ。まつ毛が長い。くるっとしたボブカットはふわふわと動く。

 小動物みたいだ。リスとか狸とか、愛くるしさしか持ってない様な動物みたいな雰囲気だ。それにこうして隣に座られると、自分よりも年下だっていうことを分かりきってるのに胸がドギマギする。僕は恋をしたことが無いし、これからもするつもりは無い。だから、このドギマギが恋の前兆なのかも分からない。けれど、何か胸騒ぎがする。ただ、ここに来てから感じてきた嫌な奴じゃないまた別のやつだっていうことは確かだ。

 ああ、でも愛じゃない。そんな崇高なものじゃないことは確かだ。つまり、恋じゃないってことも確かだ。だって、胸の奥が温かくならないんだから。ただ、縮こまってぶるぶると震えているだけだ。

 恐れか畏れか?

 胸の奥が何の変化もなく、ただ震えるのは、このどちらかのせいなのかもしれない。けれど、それにしたって何の変化も無い。緊張もしないし、気まずさも無い、弟と一緒に居る時みたいだ。気が許せるとまではいかないけれど、叔父さんや看護師さんと話す時の様な壁を感じられない。

 目に見えない壁は、僅かな会話だけで取り払われた。もしくは、あまりにも僕と深雪さんの精神が近似しているのかもしれない。それだから、僕は深雪さんを拒絶しないし、拒絶できない。視界に落とされた無数の汚濁もこの人には現れない。隣に座る深雪さんの横顔は美しい。


「どうしたの? 私のこと見つめちゃって。もしかして、あまりにも可愛くて見惚れちゃった?」


「いえ、惚れていません。ただ、どうして、僕の唯一心を許し合える人と同じような気がしてならなかったんです」


「ふうん。ちょっとだけ傷付いちゃった。私、この見た目通り高校じゃすごいモテるからさ」


 深雪さんは自分の顔を自慢する様に、ぐるっと勢いよく首を僕に向けた。それから、僕の見る目が無いように拗ねたような調子で声を紡いだ。

 可愛らしい調子だけれど、僕はそれに合わせることが出来ない。だから、思い浮かぶままに言葉を紡ぐ。それしかできないんだ。


「それくらい何となくわかりますよ。見た目の華やかさは僕の弟と同じくらいですからね。あいつも学校じゃ、すごくモテてましたし、今でも多分、深雪さんと同じくらいモテてます」


「へえ、でも男子と女子じゃ魅力は違うよ?」


「同じです。本質的には同じで、生物的に違うだけです。人間は変わりませんよ」


「どういうこと?」


「人間は皆、表面上の魅力に魅かれます。まず間違いないことです。良い具体例が深雪さんの顔、僕の弟の顔です。その他にもカッコいい自動車だとか、可愛らしい服だとか、壮麗な建造物だとか、言い始めれば切がないですけど、とにかく人は表面的な魅力をよく受容する生き物なんです。そして、その表面的な魅力は基本的に誰にだって分かります。僕だって深雪さんの顔をとても整っていると思いますし、ダヴィンチの絵画を見たら美しいと感じます。これを感じないという人は嘘です。やくざ者です。嘘を吐いちゃいけないんです。まあ、ともかく人は表面を生きる生き物なんです。決して裏側を知ろうとはしない。いや、出来ないって言った方が正しいのかもしれませんね。どんな人間であろうとも、例え美容だとか芸術だとかに深い造詣がある人間でも、その人、その芸術品の根底にある美しい砂金の様な込められた魂は見れないんですよ。僕個人の意見ですけどね」


「確かに、厭世的な考えだけどそうだね。けど、正信は私の顔を認めてるんだね。でも、私に惚れないんだ」


 そんな質問を投げ掛けられた僕は、ビクッとした。それは別に春風が少しだけ冷たかったからじゃない。深雪さんの目が一瞬、その言葉を紡いでいる瞬間だけ、嫌に昏くったからだ。もしかしたら僕の見間違いかもしれないけれど、深雪さんの目は淀んで、深い深い暗闇を映し出した。それまで、安らかな春の光を皓々こうこうと映えさせていた玉の様な瞳は忌むべき漆黒に堕ちた。

 けれど、光が失われた玉は、ほんの一瞬の内に元に戻った。愛らしく、世の男性を惹き付ける瞳に戻った。僕はその瞬きの暗闇の中に、僕と同じ陰鬱で救いようの無い阿鼻地獄染みた何かを見出した。言葉にするには難しい。強いて言えば、誰にも解決できない劣等感だとか自己嫌悪に、足掻いて足掻いた苦悩の証を見出した。

 僕はそれにビクッとした。そして、この胸騒ぎの正体も分かった。隠された泥の腐臭が僕を震わせた。

 腑に落ちる。

 ほんの少しでも、僕は深雪さんの汚れに近づけたような気がする。苦悩の原因が何かは分からないけれど、僕はこの人の心理に、それこそ僕がさっき言った砂金の様な魂に近づけた。

 嬉しい? 違う。

 同情? 違う。

 ああ、分からない。

 けれど、どうしてか僕の孤独を望む精神とは矛盾しているはずなのに、荒れ果てた僕の精神に慈愛の雨が僅かに降った。

 背反する満足感に僕の精神は犯される。けれど、僕はそれを決して快く受容したくない。僕は孤独を望むんだ。それこそが僕の人生だ。

 ただ、満足感を抱いたという事実は消すことが出来ない。恩を仇で返すことは、最後だけで良い。だから、今はこの感覚を僕に抱かせてくれた深雪さんの質問に答えよう。けれども、僕の口から気の利いた答えは出ないだろう。


「ええ、僕は深雪さんに惚れませんよ。だって、僕は貴女を好きになれない。もちろん、LOVEの意味です。僕は僕と同じような人を愛せません。もっとも、僕は人を愛したことなんてないんですがね。それに深雪さんの輝きは贋物です。ただ、僕がさっき言ったように、本当の輝きなんて見えないです。そして贋作の輝きでも美しいものはあります。それどころか、贋作が本物を上回ることだってあります。けれど、僕は贋作を愛そうとは思いません。贋作に惚れ込むこともしません。それは自惚れです」


「そうなんだ……」


 僕が実直に思ったままのことを言うと、深雪さんは目を見開いた。それから、ボソッと小さな声を漏らすと顔を背ける。心なしか深雪さんの耳は赤らんでいる。果たして、一体全体何を思っているんだろう?

 まあ、考えられるとしたら僕の言葉が深雪さんの共感性羞恥を呼び起こしたってことくらいだ。僕も他人からあんなことを言われたら、恥ずかしくて耳と目を潰したくなる……。

 振り返ってみると、何で僕はあんなことを言ってしまったんだろう? 僕が思ったままの言葉を吐き出したまでの話だ。

 けれど、まったく、どうして、僕の本能はこうも臭いんだ? どうして何時までも成長しないんだ?

 分からない。分かりたくない?

 得も言えない嫌悪が僕の胸の中を蝕み始める。その何もかもを猜疑する乾いた突風は、もたらされた慈雨の湿り気を全て乾かして行った。僕の心は、再び荒れ地となってしまった。


「やっぱり、正信は変だ」


 ただ、そんな僕をいざ知らず、深雪さんは目尻に愉快な涙を浮かべて笑いながら顔を上げた。無邪気な笑みだ。やっぱり一切の汚れを感じさせない純白の良く似合った笑みが、精神の像として写っている。

 けれど、僕はその笑みに答えられそうにも無い。再度、心は荒廃してしまったんだから。いいや、違う。再度、じゃない。ずっとそうだ。それが、本当に偶然、矛盾した喜びを享受したために『再度』なんていうお門違いな言葉が出て来ただけだ。

 それじゃあ、どうして僕は今まで通り笑えない?

 違う。

 僕は笑える。今までもずっと作り笑顔、人との会話をやり過ごす笑みは浮かべられたんだ。なら、それをすればいい。口角をほんの少しだけ上げればいいだけだ。それから適当は返事を紡ぐんだ。

 でも、口角は動かなかった。その代わり、口は妙な感じで動いた。


「ええ、僕は変人です。Creepです」


「おしゃれって言えば良いの?」


 深雪さんは僕の意味の無い言葉にクスッと笑って、わざとらしく首を傾げた。

 特に意味も無くて、下らない言葉だって知っているはずだ。けれど、この人は意地悪く尋ねてくる。

 なら、僕はそれに屈さない。けれど、深雪さんを前に嘘を吐けない。そういうなら、僕は本音を吐こう。飛びっきり、ありのままに。深雪さん度肝を抜くくらいの。


「いえ、ほんの洒落ですよ。何の意味も無い。少しだけ自分を演出したいだけですから。英語を使えば、さっき自分が言ったことすら、インテリに見えるかと思っただけですから」


「贋作の?」


「そうです。僕は贋作を愛せない。だから、僕は贋作です」


「言葉遊びみたいね。それも飛びっきりつまらない」


「それなら、この問答もまた意味がありませんね」


 当てつけのように僕は、深雪さんに向かって笑みを浮かべる。それに深雪さんは、目を普段よりも少しだけ大きく開いて驚いている。

 してやったり。


「変なの」


「僕は変ですよ」


 僕の笑みに深雪さんはふてくされたように、たった一言吐いて、そっぽ向いて花壇を見るだけだった。考えても見れば、僕は年下の女性を驚かせて何を喜んでいるんだ? 毒にも薬にもならない時間を浪費するだけの無意味な行動に過ぎない。僕はそんなことのために、ここまで生きて来た訳じゃない。

 もっとも、無意味なやり取りの結末なら上等だ。一人の女子高校生に一本食わせた、その結果だけは本当に喜劇だ。瞬きの喜びだ。

 ともあれ、本当の目的を忘れちゃならない。


「そんなことはどうだっていいんです。僕らがこうして再びここに来たのは、こんな下らないことじゃないはずです」


「そう?」


「そうです」


 僕らの出会いの理由を今一度提示したみたけれど、深雪さんはキョトンと首を傾げた。可愛らしいことこの上ない。けれど、この人が僕の言葉に首を傾げちゃいけない。僕らは、僕らが生きる理由を見つけるためにここに居るんだから。

 生温い喜劇を興じるのが、目的じゃないんだ。そんなのは、副産物に過ぎない。目的から逸れたことは、確かに大切かも知れない。けれど、あるべきは目的物だ。それだけを求めて一心不乱に歩まなきゃならない。それだけが、僕の足元を照らす微かな灯なんだから。


「ねえ、正信」


「なんですか?」


「星の王子様も本当に大切なものは見えないって言っていたでしょ? そう、つまり理由は見えないところにあるの。それを分かるようになるために私たちは今、一緒に居るんだよ? まあ、私に王子様だった頃は無かったけれど。それに王子様にものを教えることもできないけど」


「どういうことですか?」


「見えるものにするためには、見えないものを掴む必要があるんだよ」


「つまり、理由は無いんですか?」


「そうかもしれないね」

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