第10話
いつもこんなに浴びるほど、飲んでいたんだろうか。
修は、松原のピッチの速さが気にかかりながらも、だんだんと混み始めた柳の店内であわただしく働くうちに、松原に意識を向けられなくなっていった。
「修、切り干し大根、出して」
「修ちゃん、今日は忙しいみたいやなあ、焼酎のお湯割り頼むわ」
「すんません、茶わん蒸しひとつ」
てんてこ舞いのなか、修がふと気づくと、カウンターの端の席は空だった。白木のカウンターの上には、札が3枚置いてある。明らかに多い。
それに、その席はまるでほんのさっきまで人がいた気配が漂っていた。ほんのわずか席を外しただけのような、名残りがあった。
修は、広くはない店内を見回した。少し客足の引いた店内には、オレンジ色の光がともり、楽し気な人がさんざめく。そこに、影の薄い細身の男が入り込む余地などなさそうだった。
「琥珀烏賊と焼き茄子、上がったよ!」
大将の声に、修は我に返った。
「修、なにボーっと―――」
してんだ、という言葉の続きを大将に発させなかった。
「俺―――俺、ちょっと、追いかけてきます」
修はそう言い終わらないうちに、カウンターの札を掴んで駆け出していた。
からり、と引き戸は軽やかな音を立てて開いた。途端に、リンリンティンティロリン、リンリン、と虫の声がいっせいに襲ってくる。思わず空を仰いだ修は、虫の声に包まれて、秋の夜空がぐらりと回った気がした。
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