第3話
「……ただいま」
修は、アパートの玄関を開けて言った。返事はない。部屋は暗い。
六畳間と小さな台所があるだけの部屋。玄関を入ると、六畳間の奥の窓が見える。今夜はその窓の向こうに夜空が見えていた。カーテンを閉め忘れたのだ。
都会の夜は明るく、星は少ししか見えない。電灯の点いていない部屋の中からは、窓の外の夜が輝いて見えていた。
修は、ゆっくりと部屋のなかへ上がる。深夜2時。周囲は寝静まって、人の動く気配はない。しかし、夜にしかしない物音もあって、静かながらもそこここで様々な気配のするこの時間帯に、修は窓際で外を眺めるのが好きだった。
犬の遠吠えの声がする。サイレンの音も遠くで聞こえているようだ。
窓の桟に寄りかかりながら、タッパーからおかずを口に放り込む。甘鯛の焼いたものが入っていた。修は、「ぐじ」という名前を関西に来て初めて聞いた。修が高校生まで暮らしていたところでは、口にされることのないものだった。ほろりと崩れる身が、口のなかでしっかりとした弾力を持って歯を押し返してくる。噛めば噛むほど旨味の出てくる魚だった。
修は、コップに汲んだ水道水を飲みながら、窓の外の都会の夜を見る。修の住んでいる古いアパートは中心地から離れた住宅街にある。住宅街自体が少し高台へ伸びるように広がっているので、ネオンが光り続けている街は遠くに見下ろせた。
(今日も、いつの間にかいなくなってたな……)
修は、大将が話題にした人のことを、いつのまにか思い浮かべて考えていた。夜の街の音は、ここまでは届かない。無音で光り続けるスノードームのようだと思った。
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