第2話

 あのお客さんのことは、知っている。

 修は、閉店後の静まり返った店内で、白木のカウンターを丁寧に拭き清めながら、いつの間にかその客の事を思い浮かべていた。厨房の方からは、大将が流しの水を出している音がとぎれとぎれに聞こえていた。

 この店―――「柳」は、大将の名前をつけた居酒屋である。カウンター六席に卓が三つの、小さな店である。総勢十人余りも入ると、料理を運ぶのにも「すみません、すみません」と言いながら、椅子を避けてもらわなければならない。しかし、その小さな店はいつも繁盛していて、営業中はたいてい満員御礼である。暖簾の下に頭を突っ込んで店内を見てから、諦めて帰る客も後を絶たない。

 気軽な居酒屋の体をしているが、白木のカウンターは磨きこまれ、料理は名のある料亭での修業を想像させる仕事ぶりなのに、値段は良心的で、客は引きも切らないのだった。

 料理は、大将と二番板で受け持ち、修は下拵えと料理や酒の配膳を任されていた。開店直後の午後六時から午後十時までは、アルバイトの女性が入ることもあった。

 「修、遅なったけど、これ、持って帰りーや」

 大将が厨房の奥から叫ぶ声が、物思いに耽っていた修の意識を呼び起こした。

 「あ、はいっ!」

 反射的に大声でハッキリと返事をする。客からの注文を受けたときに、ぼそぼそとした返事では印象が悪いので、反射的に大声で返事をする癖がついていた。

 「こんな時間にまで張り切らなくてもええんやで」

 笑いながら、大将が大ぶりのタッパーを持って出てきた。

 「あ、はい……」

 「お前がここに来てもう1年かあ。最初は、蚊の鳴くような声やったのになあ」

 「あー……」

 修は笑って、曖昧な返事をした。大きな声で返事ができるようになっても、こうやって他人と一対一になったりすると、シャイなところは何も変われていなかった。咄嗟に、口ごもってしまう。それが修だった。

 

 

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