夜の声

日向 諒

第1話

 「最近、あのお客さん、毎晩、飲みに来はんなあ」

 修が大将から話しかけられたのは、のれんを扉の内側に仕舞おうとしていたときだった。時間はもう午前1時を過ぎようとしている。

 「あのお客さん?」

 修はとぼけてみたが、大将が誰のことを指しているかは見当がついていた。頭のなかには、すぐにその人の映像が思い浮かんだのだ。

 「ほれ、カウンターの端にいつも一人でいてはって……」

 大将は、カウンターの内側で日本酒の一升瓶を仕舞いながら、そのお客がいつも座っている場所に視線をやった。修は、すでに暖簾を片付け終えて、大将の方に向き直っていた。

 大将が指し示しているのは、やはり修が予想した通りの場所に座る客だった。

 「そう言われれば……」

 修は、ちらりと大将の示した場所に視線を移して、初めて気づいたような顔をした。すぐに布巾で白木のカウンターを丁寧に拭き始める。

 「お客をよく見てるお前が、気づかないって、珍しいなあ」

 大将は不思議そうな声で言いながら、カウンター横の厨房に消えていく。拭いている卓に顔を向けている修は、大将の方は見ずに、声が遠ざかっていくのに耳をそばだてていた。

 なんとなくそのお客のことに触れたくなかった。

 顔を上げて、店の中を見回す。閉店後の深夜の居酒屋は、しんと静まっている。なのに、先ほどまでの華やかな宴席の残り香がそこここに漂っているようだった。この深夜の片付けの時間が、修は好きだった。

 

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