第11話:ねじれたピザハウス

 田上沙紀


                 神戸市 ピザ・ハウス『peppino』


「俺はお前みたいな女が嫌いなのさ。分かるか、田上」


 ピザ・ハウス『peppino』の店主、シチリア移民のハリー・コーエンは言った。


「それとみかじめを払わないことに何の因果関係があるんだ。教えてくれよミスタ・マカロニ」


 田上は挑発するように言った。

 カジノの警備員の仕事に食いっ逸れたために仕方なく、花代集めの代行をしているのだ。しかし、強面と図体がものを言う世界、少しばかり女の田上には不向きだった。


「良いか。俺がみかじめ料を払わなけりゃ、お前の代わりに人が雇われる。そして、お前はくいっぱぐれ、露頭に迷うわけだ。これ以上に愉快なことがあるか?無いだろう?」


「そいで、アンタはみかじめ料の納期を先延ばしにできるわけか。中々、頭が切れるじゃないか。そのぐらいこの間の戦争も上手くやってりゃ、もう少しマシになってんじゃないか、ミスタ・マカロニ?」


「カミカゼしか能がない連中に言われたくないな。ジャップ」


「言われたくなきゃ、さっさとみかじめ料を出すんだな、ハリー。此処じゃ、組織犯罪は合法なんだ。税金がない代わりにみかじめ料がある。そういうもんだ。だから、払うんだ」


 ハリーは苦い顔をした。田上のジャケットの膨らみに視線をやった。乳房の膨らみでもなんでもなく、その下には万人を説得するための道具の膨らみだ。すなわち、棍棒と拳銃。


「分かった。ようく分かった。払う。払おう。払わせてもらう」


 ミスタ・マカロニは思いのほか、あっさりと折れた。ピザの箱を田上へと渡した。当然のように、二重底になっている。Lサイズピザ以上の重みが感じられる。サラミマシマシマルゲリータ季節のドル札を添えて、という感じだ。


「えらく、早く折れたじゃないか。ハリー。いったいどうしたんだ?」


 箱を手元に置きながら田上は心底、不思議そうに問う。しかし、ハリーはそれを無視して店の奥へと消えてしまった。

 店内には、無名のビッグバンドが演奏するフリクリ・フニクラが流れるばかりで、田上以外に人っ子一人いなくなってしまった。

 いや、訂正だ。端っこのボックス席に一人の女が座っていた。人種はアジア系。色白だが、日本然としている。白のシャツに黒い細身のスラックスを履き、阿呆みたいな山高帽と黒ぶちの眼鏡をかけている。髪はざんばら髪で、山高帽の端から飛び出している。チャールズ・チャップリンの女版みたいな奴だ。

 女は飲んでいたバニラシェイクから唇を離した。


「相席よろしいかな。お嬢さん」


 眼鏡女は此方の視線に気づいたか、気付かないか、突然に振り向き、田上にそう言った。

 田上は確かに面食らってしまったが、それでも取り乱さず応えた。狂人相手に受け答えするなら、常ににこやかにいるべきだ。相手のペースに呑まれてはならない。真に受けてはならない。笑い飛ばしてやらねばならない。


「構わないさ。コメディアン」


 田上の苦し紛れの返答に、眼鏡女は気を良くしたようににこやかにバニラシェイク片手に隣の席へとやってきた。金属底の革靴が鳴った。

 田上は会話の取っ掛かりとして、質問した。


「あんたはタップダンサーか、それともコメディアンか?」


「どっちも」


「客のウケの方は?」


「こんな時代だよ。大盛況間違いなし。誰もかれもが悪い事の原因を互いに擦り付け合ってる。まるで出来の悪い冗談みたいに」


「じゃあ、出来の良い冗談っていうのを教えてくれよ。コメディアン」


「出来が良いってのは、つまり、皆がハッピーになれるってこと」


「チャップリンの映画みたいにか?」


「あれは及第点といったところ。例えば、『独裁者』という作品があるけれど、アレを見たものの中では、少なくとも鉤十字が好きなちょび髭は面白くなかっただろう。だれも傷つかない冗談というのは、無限の発電機を生み出すことと同じくらいの難物なんだよ」


「じゃあ、お前はどうしてコメディアンなんかになったんだ?いっちゃあ何だが、コメディアンなんて誰かを傷つけ、自分自身も傷つけ、聴収に細やかな笑いをもたらす悲しき役回りだ」


「世の中が全て悪い冗談なら、コメディアン以外、何に成れる?私からすれば、貴方も洒落たコメディアンだよ。田上沙紀?」


 眼鏡の女は、田上の名前を言った。初対面にも関わらず。


「いや、少し悪いんだが、アタシはそんなに有名な人物だったか?うぬぼれてるわけじゃない。ただの疑問だ。どうしてアタシの名前を知っている?」


「古い友人から聞いたんだよ。腕の立つイカレポンチだと。米国とアカの間を行ったり来たりしながら、上手くやってる女がいるとね」


「アンタがアタシの名前を知っていて、アタシがアンタの名前を知らないってのは不公平じゃないか?不公平ってのは良くないことだ。争いってのは、いつだってそこから起こる」


「それはそうだ。しかし、不公平も不平等も仕方がないこと。それを分かっていない奴がいるから、争いが起きる。原因は其処じゃない?」


「詭弁野郎め、ケツを吹き飛ばされたいのか?」


 田上は自分でも理解できない程に頭に血が上っていた。異常な程に、眼前の女が嫌いだった。世の中には、俗にいう相容れない奴というのがいるのだ。


「それを同族嫌悪という。知ってたか田上?」


「じゃあ、ド頭までミンチになっても、文句は言えないな。コメディアン」


 田上は眼鏡女へ、上着の下に隠していた南部拳銃を突き付けた。


「それで、白人たちの仲間入りをしたつもりか?さっき言った詭弁を振りかざしているのは、お前の方じゃないか?どうなんだ田上」


「ああ、その通りだ。だから、お前の頭をぶち抜いても構わないのさ」


「良いのか?貴方のボスにご報告申し上げることになっても、唯一の手掛かりの頭を吹き飛ばしたと。まあ、どちらのボスに伝えるかはしらないが」


 そう宣いながら、眼鏡女は手元でぴらぴらとあの赤紙を揺らした。間違いなく、全黎軍の徴兵状だ。

 田上の視線が揺れた。


 その瞬間を逃さず、眼鏡女は懐から銃剣を抜き放った。


「言わずと知れたインテリ・ガンマンのドク・ホリデーはかく語りき。『ナイフは銃より早し』」


 眉間に突き付ける銃口。喉笛に突き付けられる剣先。銃剣には見覚えのある紋章が見えた。

 紛うことなき相互確証破壊の状況下。現在のソ連と米国の如く。


 その状況を打ち破ったのは、店の前に乗り付けた二台の車であった。片方のマスタングの運転手はガイ・スト―ナー。もう片方のラーダの運転手はブガチョフ・アイマートフであった。


 眼鏡女は目ざとくそれに反応し、わざと銃剣を取り落とし、身を大きく捩った。銃剣へと視線を誘導させた。そして、その隙を突き、離脱する。店のバックヤードへと飛び込む。

 田上は銃剣を傍目にそれを追う。舌打ちを挟む間もなく。


 しかし、眼鏡女は消えた。見失ってしまった。紋章付きの銃剣を残して。バックヤードにハリーの刺殺死体を残して。

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