第9話:万物への背信
ジョージ・ヤマダ
神戸市 工業地帯
俺はやってきていた。切り詰めた散弾銃をジャケットの下に隠し、渡された赤紙に書かれていた住所に。
散弾銃は以前に路地裏で拾ったものだった。何処かのチンピラが殺し合いの末に、野良犬がクソを漏らすように打ち捨てたのだろう。弾は入っていない。それでも、脅しにはなる。素人の握ったソードオフショットガン以上に恐ろしいものはない。
奴等の指定した住所は、港湾部の工業地帯の離れだった。奇妙に一本佇む蒸留塔。馬鹿みたいに広いトタン張りの倉庫。そして、隔絶するように周囲に建てられたコンクリ塀と鉄門。
俺は鉄門にゆっくりと手を掛けた。鉄門は耳障りな音を立てながら開いた。鍵はかかっていない。既に狐に包まれている感覚に陥る。
中はどうしようもなくだだっ広く、砂利の平地が広がり、荒涼としている。倉庫や蒸留塔ははるか遠くに聳えている様な錯覚に陥る。実のところ、百メートルも離れてはいやしないのだろうが、平地の真ん中に佇む砂利山が遠近感を狂わせていた。
砂利山の天辺には、奇妙な旗が立っている。
黒地に赤で日章旗が描かれている。その真ん中には白頭鷲と鎌が形どられ、鎌は白頭鷲の首を掻き切ろうと、白頭鷲は鎌の柄を握りつぶそうと躍起になっている。
俺は、その馬鹿げた旗を傍で見ようと砂利山を登った。理由は分からない。でも、多くのものが私と同様の選択肢を取ることは分かる。人というのは、あらゆる主義主張の興亡を目の当たりにしても、次の旗印を探しに行く生物だからだ。兎角、旗が好きなのだ。
砂利山の上に到達し、旗を仰ぎ見た。やはり、馬鹿げたシンボルが捧げられている。悲しいことに、其処に真実はない。我々が、個々人が、それぞれが、思い思いの答えを見出す。そういった類のシンボルだ。
山を少し蹴り崩し、腰を下ろすスペースを作り出す。其処へ腰を下ろす。眼下には、荒涼とした砂利の平地とコンクリ塀。その先には、延々と広がる化学プラントや軍需工場が広がっている。そこでは、敵味方それぞれの武器を造り合っている。お互いの頭をぶち抜き、肌を焼く道具が産まれているのだ。
俺は何だか面白くなってきた。意味もなく叫びたくなった。
そこで、すぐ隣で声がした。
「此処にいると叫びたくなる」
隣には、薄汚れた白のシャツと黒のスラックスを着た女が佇んでいた。
「そうだろう?」
俺は何も言えなかった。ただ、ざんばら髪の女を見詰める外なかった。
「戦争が終わって、いや、終わっちゃいないのかもしれんが、兎角、いろんなことが変わった」
女は確認を取るように、笑いかけてきた。黒ぶちの眼鏡の下に隈だらけの目が目尻に皺を寄せた。吸い込まれそうなほどに黒い瞳が瞳孔をかっ開いていた。
俺は無言でただ頷くことしかできなかった。
「暮らし向きは順調かい、ショージ・ヤマダ君。君は帰化した日系人らしいじゃないか?」
俺は首を振るった。自分でも信じられないぐらいの反応速度だった。恐らく、あの暮らし向きの良さそうな筋骨隆々の与太者女を見た影響もあったかもしれない。紛うことなき嫉妬も混ざっていたかもしれない。
「昔の偉い人はこういう事を言ったらしい。『かくも単純なことも分からない奴がいる。このだだっ広い世界に上手くいかないことが山ほどあってもおかしくないということが』それで、君はそれを誰の所為にしている?」
女は此方を嘲笑う様に睥睨する。
「白人の、黒人の、他の黄色人種の、神の、共産主義の、資本主義の、帝国主義の、ああ数えきれない」
女の声が響く。異常なことに心中とダブって聞こえる。出来の悪いクスリでトリップでもしているように。世界のどこに、トリップしながら現世の揉め事を難物を論議したがる奴がいる。ヒッピーの阿保共は何も考えちゃいない。
「分かっちゃいない連中が多すぎる。そうだろう?」
女の声が響く。
「思い知らせる必要がある。そうだろう?」
女の声が響く。
「独りよがりな正義を成そうとする連中に、独りよがりな暴力を思い知らせる必要がある。そうだろう?」
女の声が響く。
「全ては
俺の視界が遮られる。女の手が伸び、俺の頭に麻袋をひっ被せた。痩せぎすの男の抵抗むなしく。意識は闇の中へと消えた。
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