第6話:切迫した説得
田上沙希
神戸市 路地裏
薄暗い路地裏。二つの人影。一つは白いPKSの制服。もう一つはピンストライプスーツ。
ピンストライプが叫ぶ。
「なあ、おい!」
PKSの制服の肩に手が掛かる。男は振り返る。警棒に手を掛ける。遅かった。
スーツの女から容赦のない右ストレートが飛ぶ。顔面への一撃。気取った高い鼻っ柱がへし折れる。若いPKSの男が吹っ飛ぶ。
「ホットドッグ巡査部長!取調べを行っても宜しゅうございますか?」
スーツの女。田上沙希は、PKSの男に心底楽しそうに言い放つ。下卑た笑みを浮かべる。
男は跳ね上がるように身を起こす。M1911に手を伸ばし、抜き放つ。
肉を叩く音。金属音。どちらも同時に鳴る。銃声は無い。男が手を押さえる。拳が叩き割れ、骨が飛び出している。肉が覗いている。
田上は血だらけの棍棒を手元でクルリと回した。鉄パイプにギアを溶接した無骨な特注品。トレンチメイス。満州の塹壕で生まれた過去の遺物。
実用に特化したそれは哀れな治安維持要員の拳を難なく砕いた。
「お前、さっき屋台の店主に何を渡しやがった?」
田上が棍棒を弄びながら言った。
男は拳の痛みを噛み殺しながら叫ぶ。
「こそこそ後をつけて来やがって!PKSにこんなことをしてただで済むと思っているのか⁉︎」
革靴の爪先が飛ぶ。男の鳩尾を抉る。男がホットドッグの残骸を吐き出す。
「吐き出して欲しいのは店主から貰った方じゃねぇ、お前があげた方だ。OK?」
酷い発音のOKとともに田上は凄んだ。
「エッ、エエグッ、だぁだ、代金に決まってるだろ⁉︎」
田上は弾き飛ばしたM1911を拾い上げながら言う。
「ああ、そうだなぁ。グリーンのピン札を払っていやがったなぁ?」
男の目前に戻ってくる。
「だけど、ミドリじゃなくて、アカい紙もくれてやがった!!!」
田上は怒号する。男の膝に棍棒を叩き込む。関節が砕け、脚は逆向きに反り返る。男が大口を開ける。叫ぼうとする。
突き込まれるM1911の銃口。喉の震えは抑え込まれる。男の歯がスライドを噛み締める。
「アカい紙は徴兵状だって、この国じゃあ決まってたんだよ!」
喉に更に銃口を押し込む田上。
「テメェ、全黎軍だろ? 連中の徴兵状も昔とおんなじ赤い紙だって聞くぜ?」
男が信じられないという目付きで田上を睨む。眼球は血走り、歯は銃のスライドを打ち叩く。
「何で知ってるのかって目付きをしてるなぁ?」
田上の顔面が男に迫る。目は細められ、スティレットの先端を彷彿とさせる鋭さ。
「私もソイツを渡されたことがあるからだよ。お前の同僚共になぁ、糞ったれ。」
首を退け反らせる田上。そして、勢いよく額を繰り出す。鈍い音が響く。男の鼻っ柱に追い討ちがかかり、砕けた鼻骨が肉を抉り、血飛沫が盛大に撒き散る。
男は仰向けに倒れる。力なく横たわる。動きを止める。
田上は返り血だらけの額を、屋台で貰った紙ナプキンで拭いながら、腕時計を見た。
「露助の奴等と待ち合わせにゃあ、間に合いそうもないな。ホットドッグ巡査部長?」
田上はPKSの制服を男からむしりとり、近くに積んであったゴミ袋の一つに詰め込んだ。路地裏自体が同様の臭いが立ち込めていたから、臭いは気にならなかった。
男をパンイチにし、肩に軽々と持ち上げた。軽いもんだ。日本海の向こう側では三人同時に持ち上げた事がある。切羽詰まっていたからだ。火事場の馬鹿力だ。
男を担ぎながら、路地裏を通り抜け、手頃な公衆電話を探す。
二人の浮浪者が通り掛かったが、此方が睨みつけ、スーツの下のホルスターをちらつかせとそそくさと逃げて行った。
運良く、路地の入り口に据えられた公衆電話を見つける。ゴミ山の中に、男を放る。制服から拝借した手錠を男の足にかけ、万が一に備える。遅れた上に手土産無しではコミーお得意の粛清をくらってしまう。
公衆電話の受話器を取った。円とセント二つの硬貨の投入口の円の方に十円玉を放り込む。待ち合わせ場所の店の番号をダイアルする。
「クラブ『Darn Hot』。ご用件は?」
澄んだ女声。声の主はミルコ・タチバナ。会計士兼バーテン。露助とジャップのハーフ。
「田上だ。ブガチョフに繋いでくれるか?」
「ええ、了解です。」
ミルコがロシア語でブガチョフを呼ぶ。革靴が床を打ち付ける音が聞こえる。受話器をむしりとられ、風圧でボソボソッという音が響く。
「遅いぞ! 田上!」
「ちょっと取調べをしていてね。」
「また、やらかしたのか? 誰がケツを拭いてると思ってる?」
「そりゃあ、こっちのセリフだろ。トラヴルバスター田上にお任せあれとね。それに、私が取調べを受けたわけじゃない。私が棍棒で自白を捻り出させる側だ。」
「何奴を取調べたんだ? 俺より素敵な面会相手だったのか?ええ、どうなんだ?」
「聞いて驚け、PKSの制服を着た全黎軍だ。」
「何を言ってる? どうやってそんな確証が持てる?」
「話は後だ。まず、車を送ってくれ。座席とトランクで二人分以上の空きがある車を送ってくれよな。場所は.....」
田上は路地の外の通りを見た。道路の向こう側に安食堂が見える。“GAVIAL DINER”という看板とワニのマスコット。黒い大きなバン。ガラスの向こうの店内には客が独りぼっちでミルクセーキを啜っている。
「GAVIAL DINERって店の正面の路地にいる。なるはやで頼むぜ。噛みタバコの残数が少ない。補給切れだ。」
「くだらない冗談はやめろ。人は送るから、そこで大人しく待ってろ。全黎軍の件、嘘だったら承知しないからな?」
ブガチョフはそう言って電話を切った。
田上は受話器を置き、レッド・マンの缶を取り出しながら、男の方へ行った。
男はゴミのベッドに埋もれてまだそこにしっかりとおねんねしていた。少し肩の荷が降りた気がした。
残り三つしかないレッド・マンの一つを大事に噛み締めながら、田上は近くのゴミバケツの上に腰掛けた。
糸口はどうにか掴めそうだった。
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