8. 約束

リゲル2番街のルエーフが住んでいた、あの家の傍の空き地に飛行機は着地した。

まるでヘリコプターのように、上から下に降り立つ。

雨は止んで晴れている。

「また空都においで。今度は連絡くれたら迎えに来るからさ」

「はい」

「シンバ、アンタ、きっといい男になるね」

「社交辞令なんて必要ないですよ」

「そういうんじゃないよ、本当にさ、そう思ったんだ、だってルエーフ博士に似てるから」

リンクスはそう言うと、ウィンクして、飛行機の扉を閉めた。そして再び、飛行機は舞い上がる。

シンバは飛行機が見えなくなった後も、ずっと空を見上げていた。

遠くの厚い雲にキラリと見える何か——。

空都の影だろう。

『空都に一度来た者は、空都を肉眼で見る事ができる』

その言葉が頭に浮かぶ——。

「シンバーーーーッ!!!!」

ホーキンズが駆けて来る。

シンバもホーキンズに駆け寄る。

「空賊には会えたの?」

「ああ、まぁ、うん」

シンバはジャケットのポケットに入れたブラックホールを取り出し、ホーキンズに見せる。

「なぁに? これ?」

「ブラックホールっていう、最終兵器みたいなもんだ」

「ふぅん。これから使うの?」

「その前に・・・・・・」

シンバは、ホーキンズの頭を撫でると、家に向かって歩き出す。ホーキンズは首を傾げ、シンバの後に付いて行くと、シンバは家の中に入って、あの子供の死体が入ってるダンボールを持ち出して来た。

「どうするの?」

「うん。サンタクロースの正体がわかったんだ」

「え?」

「Solarへ戻ろう」

シンバは大事にダンボールを抱えて行く。

この寒さのせいもあり、まだ腐敗は始まっていないようだ。

シンバはダンボールを抱きかかえ、大事に大事に持つ。

——この命は僕の命・・・・・・。

——痛みはわかってあげれないけど・・・・・・。

——でも痛くなくても、僕と同じ命・・・・・・。

ホーキンズはシンバを見上げながら、やはりオレンに似ていると確信する。

途中でタクシーを拾い、Solarに着いた。

相変わらず、ローカなどに人影はなく、警備員さえいないまま——。

シンバは足早にDissecting Roomに向かい、死体保管室に行くつもりが、トータスに出くわす。

立ち止まるシンバとトータス。

シンバが大事に抱えているダンボールを見ているトータスに、

「見覚えがありますか?」

そう尋ねる。

「いや・・・・・・」

「あなたなんですよね?」

「なにがだね?」

「サンタクロースはあなたなんでしょう?」

暫し、時間が止まる。

二人見つめ合ったまま——。

流れる重い沈黙を破る喉の奥から込み上げて来る笑い。

「・・・・・・くっくっくっく、キミは本当にルエーフそっくりだ。ワシにとってルエーフは部下だった。キミにわかるかね? この仕事をしていて、部下に先を越されるという屈辱が」

「・・・・・・ルエーフ博士とはライバルだったんじゃないんですか?」

「ライバル? そういう風に見られるように見せるのが精一杯だったよ。このワシが、あんな若僧とライバルと言う事が、もう屈辱だがねぇ」

「この子をどうして殺したんですか?」

「意味はない。只、目の色がキミにもルエーフにも似てたからだ」

「似てたから・・・・・・? それだけで・・・・・・?」

「殺人は悪くない。人は何れ死ぬのだから」

シンバはゴクリと唾を飲み込む。

「今迄、ワシは何人もそうやってストリートチルドレンを殺して来た。得に12月24日は、サンタクロースになりすまし、優しい声とちょっとした御馳走をちらつかせれば、喜んで来る。毎年、クリスマスが来るのが楽しみでなぁ。シチューがうまいんだ、それを近所にもお裾分けする。子供の肉入りシチューをな。くっくっくっく・・・・・・ストリートにいる邪魔な生き物だ。誰もがいなくなればいいと思ってる。それを幾ら殺しても、誰も何も思わない」

「・・・・・・あなたに家族はいないんですか?」

「こんな話を聞いて、冷静な質問をするんだねぇ。ワシは若い頃から一人の女を愛する事はできない性分でねぇ。一人の女とずっといて、何が楽しい? それで何年生きる? 後10年か? 20年? 30年? 40年? 長すぎる。今日を愛してくれる者と一日一緒にいる方がマシだ。それが死体相手でもねぇ」

トータスはそう言うとニィっと笑った。今はもう優しさなどは感じない、只、無気味に見えるグリーンの瞳。

「ルエーフの妻だったねぇ、彼女を何度も何度も犯したよ。最後に犯した日、そのままにしておいたが、見たかね? ルエーフが犯したと思ったか? くっくっくっく、それが狙いだったんだよ」

それでも意外にも冷静な表情を保っているシンバ。

「キミの存在は知っていた。知っていたが、会わずにいた。でもワシ達はプラネタリウムで出会ってしまった。得に若い頃のルエーフに似た顔が、ワシに屈辱感を思い出させた。リタチーフを知っているだろう? 彼女は天文学にも興味があり、ワシともよく話をしていた。それに、リタチーフはワシと同じ屈辱感を持っていた。キミにな」

「僕の上司であるリタチーフが、僕に屈辱を感じていたと?」

「心当りはないかね?」

「・・・・・・」

「リタチーフが色々と話してくれたよ。キミが外出許可をもらった事もね。ワシは、キミの突然の行動に何かあると思った。キミのロッカーを探し、服に盗聴器をつけた。そしてサンタクロースになり、キミにプレゼントを渡した。その夜、ついでにリゲルの教会を放火した。意味はない。只、キミにプレゼントをしたかっただけだ」

「プレゼント?」

「望んだだろう? この世の人間全てなくなればいいのにと——」

トータスはニヤニヤしながら、そう言った。まるで心の裏側迄、見透かすように。

確かに、シンバはずっとそう望んでいたかもしれないと、何も言えなくなる。

「当たり前の望みだ。キミもワシと同じで屈辱だっただろう? ルエーフの影に脅えて生きて来ただろう? キミとワシは同じ生き物なんだ。気に食わない奴は殺してしまえばいい。そうだろう?」

シンバは只、只、トータスのにやけた顔を見るばかりで、何も言えない。

シンバの足元で大人しく座っているホーキンズはオロオロするばかり——。

「ブラックホールは創れたのか?」

「・・・・・・」

「創れる訳がない。あんなものを想像するなら、映画監督にでもなればいい」

「ブラックホールの論は・・・・・・あなたが考えたものじゃなかったんですね」

「あれはルエーフが考えたものだ。馬鹿馬鹿しい。あんなものをワシに見せ、ワシに言ったんだ。無から何かが生まれる事は可能かもしれない。無に戻す方法もあると考え、規模単位が小さいがブラックホールを思いついたとな! 神にでもなったつもりか? ルエーフが神になったつもりなら、ワシは神そのものになるしかあるまい?」

トータスはそう言うと、シンバが大事に抱えているダンボールを指差しながら、

「生と死の支配者が神だとは思わないかね?」

そう言った。

「・・・・・・」

「無から何かを生み出すというのは大きすぎる事だが、この星に住むのに、そんな事は無意味な事だろう? ワシ等は宇宙で何ができる? この小さな星の事さえ理解すらできぬのに、宇宙に出る事など無意味だ。ワシはこの星で神になればいい。ルエーフは果てしなく続くところまで飛ばされればいいんだ! この星から見えなくなるまで遠くへ遠くへ、それこそ消えてなくなればいい!」

「大きすぎる存在だと認めてる発言ですよ、それ」

「なんだと!?」

「大き過ぎて、見えなくなるって言いたいんでしょう? でも僕はルエーフ博士が大きな存在だと思いません。僕はもっと大きな存在を知ってますから」

「くっくっくっく・・・・・・何を言い出すかと思ったら・・・・・・」

「僕の嘘だと思いますか? 大きな存在など他にはないと決め付けますか? 僕は大きな存在を今、抱えています」

「抱えている?」

シンバの腕にはダンボールが抱えられている。

「あなたが殺した子です。ストリートチルドレン。世の中には戦場で人を殺さなきゃいけない子供もいます。少年兵。僕が少年兵の存在を知ったのは、Solarに入る前でした。知力テストで天才的なIQと言われ、僕はSolarに入る事になりましたが、もしSolarに入れなければ、僕は少年兵として売られる所でした。戦場で僕は人を殺していたかもしれない。それを免れただけでも僕はラッキーだったかもしれない。そうなんだ、本当は誰も殺したくなんかないんだ! でも殺さなきゃいけない時、どうしたらいい? 殺したくなんかないんだ! でも殺さなきゃ殺される。やっぱり誰かを自分の事のように思うなんて難しいんだよ! でも、それでも、僕達は同じ命なんだ・・・・・・みんな大きな存在なんだ・・・・・・」

「よくわかってるじゃないか。命が大きな存在だと。それを支配する者こそ、神だ」

「・・・・・・どうしてだろう?」

どうしてだろう?

どうして人は自分より小さきモノを作ろうとするんだろう?

どうしてだろう?

どうして人は誰かを傷付けて痛さを確認するんだろう?

どうしてだろう?

どうして人は大きな存在になりたがるのだろう?

どうしてだろう?

それでも同じ命なのだろうか——?

シンバのダンボールを抱き締める手が震えている。

それでも同じ命だから——。

「トータス・・・・・・チーフ・・・・・・自首して下さい・・・・・・」

「なんだと?」

「法によって裁かれる他、思いつかないんです。客観的に全ての事柄を見てるのかもしれない。だからうまく感情が出せないのかもしれない。でも僕は——」

「客観的? お前の母親の胎内を切り開いたオブジェを見たかね?」

「・・・・・・」

「盗聴器で知っているんだ。お前は、あの有名タレントと一緒にいただろう? ワシはそのタレントのファンだと言うコンプレックスの塊のような男を探した。探したと言うより、コンピューターでたまたま見つけたと言った方がいいか。出会いなんてものは、簡単にみつかる。今は自殺するにも、仲間を見つけられるんだ。いや、ちょっとした交渉で殺しさえしてくれる。だからあのタレントの自由を奪いたい奴など、直ぐに会えた」

「もういいんです!!!!」

シンバは突然大声を出す。

「あのオレンとか言う娘の——」

「やめてください!!!!」

「生きたまま、身体をもいでやると——」

「何も言わないで下さい!!!!」

「さすがに止血しながら手足を切っても、首を切り落とす頃には、いや、目をくりぬいたら、死んでいたが——」

「トータスチーフ!!!!」

「しかし、首を落とす前に、中で何度も射精してやったよ——」

そう言ったトータスに、飛び掛ったのはホーキンズ。

ガルルルルルルと獣の怒る唸り声で、ホーキンズはトータス目掛け、牙を向けた。

「やめろ!!!! ホーキンズ!!!!」

しかし、トータスは首の辺りを噛まれ、血が噴射する。

ヒィィィと声にならない声を上げ、倒れたトータスは必死に、腕で顔を隠すような防御しかできない。

「やめろ!!!! ホーキンズ!!!! ホーキンズ!!!!」

シンバはダンボールを床に置くと、トータスの体の上で暴れ回るホーキンズを止めに入る。牙を向いたホーキンズの顔に向かって、

「やめるんだ!!!!」

と、手を出したシンバの、その右腕が、ホーキンズの鋭い牙で抉られた。

ホーキンズは噛み切ろうとしているのが、シンバの腕だとわかり、急に我に返ったのか、大人しくなり、口を大きく開け、シンバの腕を離した。

シンバの厚めのジャケットから血が滲み出る。

シンバはいい子だとホーキンズの頭を撫でた。ホーキンズはすまなそうな表情でクーンと鼻を鳴らす——。

トータスは、血だらけで、床を這いながら、その場から離れると、急いで起き上がり、逃げて行く。追おうとするホーキンズに、

「大丈夫、逃げれないから」

シンバはそう言って、ホーキンズを落ち着かせた。

シンバはダンボールを抱きかかえようとして、右腕に激痛が走る。

「大丈夫? 大丈夫? シンバ? 痛い? 痛い?」

ホーキンズが不安そうに、シンバに尋ねるが、シンバは首を振り、

「平気だよ」

そう答え、ダンボールをしっかり抱えた。

Dissecting Roomに行き、死体保管室へ——。

「ここなら大丈夫だ、このまま保存しておける。ビーチルドの事が終わったら、一緒に警察に行こうな?」

シンバはダンボールを開け、中の死体にそう話し掛けた。

ホーキンズは、シンバの右腕から流れて落ちる血を見つめ、心配そうにしている。

ピロピロピロと妙な音が死体保管室に響いた。

それが何の音なのか、シンバは一瞬わからなかったが、ジャケットに入っているシオンから借りた小型電話だと気付き、急いで出る。

「もしもし?」

『シンバか? 何度も電話したんだぞ!』

「嘘? 全然気が付かなかった!」

電話はシオンからだ。

『娘を家に送ったんだよな?』

「リゲルの駅まで送りました」

『何故ちゃんと家に送ってくれなかったんだ!』

「何かあったんですか?」

『キティンが帰ってないんだよ! 家に! ビーチルドがリゲルに向かっていると電話したよな? あの時、もしかしたら・・・・・・』

「まさか! ビーチルドが娘さんを狙う理由がないですよ!」

『当たり前だ! 狙われてたまるか!』

「ビーチルドは今は?」

『クラウン北西部にある湖水地方の樹海だ』

「湖水地方!?」

『クラウンのルナ湖へ行く入り口の樹海があるだろう。自殺の名所で有名な場所だ。そこで待ってる。急いで来い!』

「ルナ湖!? 車で半日はかかる! 遠いですよ!」

『遠くても来なきゃならんだろうが!』

確かに!

シンバは、わかりましたと、電話を切ると、また急いでSolarを出る。タクシーがなかなかつかまらない。

「シンバ?」

その声に振り向くと、コウとハーゼの姿。

二人、食べ物の買い出しに出たらしい。

何やら急いでいるシンバに、コウが、車なら出してやると言う話になり、慌てながら、話をしてる内に、気が付けば、コウの車の助手席で、シンバはビーチルドの行方について語っていた。ハーゼとホーキンズも後部席に乗っている。

「あ・・・・・・あのさ・・・・・・みんなビーチルドを追うの・・・・・・?」

今更ながら、シンバの妙な質問。

ハーゼはニッコリ微笑み、コウは無言で運転している。

ビーチルドに関わりたくはない、それが本音だろうが、ほっとける筈もないのだろう。

ホーキンズはハーゼに撫でられながら、気持ち良さそうにしているが、シンバの右腕が気になって仕方なかった。

シンバも右腕を不自然に庇う仕草が多い。だが、そんなシンバに、まだコウもハーゼも気付いていない。血は止まらずに溢れているにもわからないまま。

やがて、シンバは眠りにつく——。

「疲れてるんだな」

コウがそう言った。

「シンバ、一人で抱え込む事が多いから・・・・・・」

「ビーチルドだって、結局さ、誰も手を出せなかった。コイツ一人でさ、ずっと研究し続けてたよな」

「でも一度も辛いなんて言わなかったよね・・・・・・」

「苛立ってた事が多かったけどな」

「そうね・・・・・・」

「今になって思うけど、ビーチルドの研究にあたっていたチーム全員を降ろさせたのは、誰にも責任を負わせたくなかったからなのかなって・・・・・・そんな風にシンバに思うなんて、俺もどうかしてるよな」

「ううん、私もそう思う。だってシンバは優しい。わかりにくい優しさだから、誰にも気付かれないんだけど、でもこうして、私達がわかってあげてればいいかな。なんでも器用にこなすのに、性格は不器用だよね、シンバって」

と、ちょっと笑って言うハーゼは、私達じゃなくて、私だけがわかってる事だったら良かったなと思う。そんなハーゼの気持ちを感じとってか、コウは・・・・・・

「ハーゼは・・・・・・」

「ん?」

「ハーゼは好きだって伝えたの?」

「え!?」

「好きなんじゃないの? コイツの事」

「・・・・・・うん」

コウはやっぱりなぁと無理した笑顔を見せる。しかし、

「でも告白する前に、今はその時じゃないってわかったから、何にも伝えないまま」

ハーゼは、流れる窓の景色を見ながら、そう言った。

コウは、運転しながら、

「そうか・・・・・・話なら聞くよ?」

と、優しいお兄さんぶって、余裕をみせるように言ってみる。

「シンバ、好きな人がいるみたい」

そのセリフに驚き過ぎて、

「え!?」

と、コウは思わず声を上げ、ミラーでハーゼの顔を見る。ハーゼは窓の外をぼんやり見ている。そしてコウは、横で寝ているシンバを見る。完全に寝入っているシンバに、直ぐに真っ直ぐ向いて、運転を続ける。

暫し、沈黙の静かな車内・・・・・・

渋滞に巻き込まれ、コウは前の車を見ながら、

「俺、ハーゼの事が好きだよ」

そう言った。

「え? 何か言った?」

よく聞こえなかったようだ。

「ハーゼが好きだって言ったんだ」

「え?」

「あぁ、ふってくれていいよ」

「え・・・・・・?」

「ふられるってカッコ悪いなぁ。内緒だぞ、俺がふられた事!」

コウは笑いながら、ふざけた口調で言う。

ハーゼは、そのコウの優しさに、シンバに好きな人がいる事に、今の状況に、いろいろな想いが込み上げて来て、涙が溢れそうになって、俯いた。そして、

「・・・・・・ありがと」

と、小さな声で囁き、涙をポトポトと膝の上に落とすハーゼ。

ホーキンズはそんな二人を見ながら、人間は、好きな人の事なら自分の事のように考えれるんだねと思う——。

日が沈みかけた頃、クラウン北西部に入る。ラジオで流れているのはオレンの歌。

コウは口ずさみながら、好調に運転を続ける。

ハーゼも無言で窓の外を見続け、ホーキンズはシンバの右腕が気になって、車が揺れる度にハラハラしていた。

「おい、シンバ、おい、起きろ!」

「・・・・・・ん」

「樹海が見えて来た」

コウに言われ、シンバは目を擦り、窓の外を見る——。

遠くに見えるのは海ではなく、樹木の間に広がる大きな湖——。

夕日が全てをオレンジに映している。

「意外と早く着いたな。飛ばしたからな」

「これ・・・・・・オレンの歌・・・・・・?」

「うん? あ、ああ、さっきから流れてるよ。オレンちゃん、今、行方不明らしくて、それでテレビもラジオも、オレンちゃん特集ばっかりだよ」

「そうなんだ・・・・・・」

ラジオから流れるオレンの歌声が、オレンジの景色に、とても合っていた——。

シンバの瞳が夕日を映し出し、オレンジに光る。

車はルナ湖の近くにある売店の駐車場に停められた。

車から降りると、シンバの右腕がズキンと痛み出す。

——痛みに慣れて、痛さを感じなかったのにな。

苦痛に歪む表情を一瞬見せただけで、シンバは直ぐに無表情に近い、いつもの顔に戻る。

ハーゼが売店の横にある掲示板のポスターをジッと見ている。

〈ちょっと待て! もう一度考えよう!〉

そう書かれたポスターは自殺する為にここにやって来た人たちへのメッセージ。

「自殺なんて・・・・・・考えた事さえないわ・・・・・・私は幸せなのね・・・・・・」

ハーゼがそう言って、ポスターから目を背けるように、シンバに振り向く。

「シオンさん、どこにいるのかな。僕、樹海に行ってみるよ」

「え!? 今から!? 駄目よ! もう日が落ちちゃう! 危険よ!」

「危険とか言ってられない状況だしさ。シオンさんは樹海に入ってる可能性高いし。懐中電灯とか持ってないよね?」

「アウトドア用のランプなら車に積んであるけど、どうする?」

コウがそう言って、車の後ろのトランクを開ける。

「ランプでいいよ」

シンバは頷いて、そう言うと、ランプを手に持った。

「大丈夫か?」

コウがそう聞いた。

いろんな意味にとれて、何が大丈夫なのかわからないが、

「大丈夫だよ」

シンバはそう答えた。

樹海入り口で、コウとハーゼに見送られる。

「樹海の中は電波届かないからな、一回りしたら戻って来いよ?」

「わかってる。シオンさんが来たら、僕は直ぐに戻ると伝えておいて」

「ああ」

ハーゼは黙ったままだ。

「じゃあ!」

シンバとホーキンズは、草が生えてない獣道となっている樹海へと入って行く。

まだ日は落ちてないが、木々が高く聳えていて、辺りは真っ暗だ。

ランプの灯りが不気味に辺りを照らし出す。

木は細く高く、枝分かれしている。

足場は凍りついている部分が多くあり、とても悪い。長く歩くと疲れそうだ。

「寒いな。凍りつきそうな気温だ」

「ねぇ、シンバ」

「ん?」

「腕、大丈夫?」

「気にしてるのか? 大丈夫だよ」

シンバはそう言うが、全然大丈夫じゃないとホーキンズは思う。

道の両脇に並ぶ立ち入り禁止の看板——。

噂に聞く自殺の名所と頭に過った瞬間、空気さえ異様に感じた——。



シンバの姿が樹海に呑み込まれるように消える。

ランプの光も見えなくなり、コウは、車を置いた場所に戻ろうとするが、ハーゼはまだ見送っている。

「車の中で待ってた方がいいよ。寒いだろ?」

「・・・・・・でも」

「ハーゼの気持ちもわからなくはないけどさ」

「もう日が暮れるのに、シンバ一人行かせて良かったのかしら・・・・・・」

「みんなで行く訳に行かないだろ。ガーディアスさんもここに現れるかもしれないし」

「そうだけど・・・・・・」

ハーゼは動こうとはしない。コウは溜め息を吐き、仕方なく、そこに留まる。

今の状況で、何を話せばハーゼが笑ってくれるだろうかと考えるが、何一つ浮かばない。

沈黙が重く、白い吐息だけが吐き出されるばかり。

只、立っているというのが、また寒さを倍増させ、コウはその場で足踏みを繰り返し、無闇に体を動かす。

「私ね・・・・・・」

「ん?」

「私、今、どうしてここにいるのか、よくわからないの・・・・・・」

「え?」

「私、只、只、言われるままにここにいるような気がして。いつもそう。誰かに言われるままに行動してて、何故ここにいるのかとか、自分では全然わかってなくて。もう約束されたように、私はここにいて・・・・・・言ってる意味わかる?」

「・・・・・・わかるよ。誰にも逆らえないまま、いつもいつも同じ場所にいるって言いたいんだろう?」

「・・・・・・うん。でもシンバは違うんだろうなって思って」

「どうして? そんな事ないだろ。結局、上には逆らえずにいただろ」

「でもシンバは風だから」

「風?」

「うん、子供の頃から思ってた。シンバは風みたいな男の子だって。誰にも縛られず、自由な想いがシンバにはあると思ってたから」

「・・・・・・ふぅーん」

「最近、シンバ、また風みたいだなって思って」

「それってシンバが頭いいってだけじゃない? 誰にも縛られずってのは、アイツ、ガキの頃から、口が達者だったんだろう? イメージできる。でもって、大人にも反論してたんだろう? 生意気なクソガキだったんだろうなぁ」

「そうかもね。でもそれでも私の憧れだったのよ。風のようなシンバは」

「・・・・・・ふぅーん」

「Solarに来てから、シンバの風が吹く事はなかったけど、でもまた最近、風を起こし始めたように感じるの。どっかに行っちゃいそうな位、強い風を感じるの」

「それはハーゼの直感?」

「鈍感な女の言う事なんてって思ってる?」

笑いながら、ハーゼがそう言った時、

「何してやがる? お前等」

と、背後からシオンが現れた。

「ガーディアスさん!」

コウが声を上げる。

「シンバ、ガーディアスさんを探しに樹海に入ったんです!」

ハーゼが、シオンにそう言うと、

「ああ!? 馬鹿じゃねぇか、日が落ちるのに樹海に潜ってどうするんだ!」

シオンは怒鳴り口調でそう言った。

「大丈夫だよ、一回りしたら戻って来るって言ってたし、湖に出る道を回ってくるだけだ。道のない所には入らないよ」

コウがそう言うが、ハーゼは心配そうに樹海の入り口を見つめている。

——シンバ、風になって遠くに行かないでね?

——戻って来てね?

——小さい頃、飛ばした紙飛行機は・・・・・・

——戻って来なかった・・・・・・。

ハーゼは祈るように、俯いている。

「お前等、車か? 俺はバイクでここ迄来てなぁ。悪いが車で温めさせてくれよ。さっきからトイレで温まってたんだけどよぉ」

「やっぱり個室の方が暖かいですか? ハーゼ! ガーディアスさんが凍えるし、俺達も暖を取らなきゃ! 一度、車に戻ろう!」

「・・・・・・うん」

仕方なく、ハーゼは、シオンとコウの後ろを、トボトボと付いて行く。

「おい、電話持ってるか? 俺の電話、シンバが持っててなぁ。公衆電話が向こうの方にあるんだけどよぉ」

「俺、持ってますよ、車に置いてあります」

「そうか、貸してくれ。うちに電話したいんだ。娘がな、帰ってないんだよ。胸騒ぎもしてなぁ、心配なんだ」

シオンが、そう言いながら、車のドアを開け、

「なんだこりゃ?」

そう言った後、

「これ・・・・・・血じゃねぇか・・・・・・?」

呟くように、吐かれたセリフに、ハーゼは駆け寄って、助手席のシートにこびり付いた黒いものを手で、擦ってみる。

それはカサブタのようにカリカリになっていて、手の平で見ると、確実に血だとわかる。

「シンバ、怪我でもしてたの!?」

ハーゼがコウにそう尋ねるが、コウは首を振り、わからないと言う表情。

「おいおい、アイツ、どうなってんだ?」

「車ではシンバは寝てました。どこも怪我してるようには見えなかったけど・・・・・・そういえば、右腕を庇ってるような感じだったか・・・・・・?」

コウは思い出したようにそう言うと、

「シンバ、探しに行かなきゃ!」

そう言って、ハーゼが走り出す瞬間、シオンに腕を掴まれ、止められた。

「今はシンバが戻って来るのを待った方がいい。もう直に日は落ち、樹海に入る奴は自殺志願者しかいねぇ。俺達まで迷ったら、戻って来たシンバに余計負担がかかる。そうだろう? それにビーチルドは樹海にいるんだ。シンバがどうこうできる相手とは思わねぇが、シンバに賭けてみるのも悪くない」

シオンにそう言われ、ハーゼは力を無くすように、立ち尽くす。

——そうね、風向きはシンバが自由に変えれるわ。

——だって、シンバは風そのものだものね・・・・・・。

——シンバの風を、信じてるから・・・・・・。



シンバは右手をジャケットのポケットに入れているが、ランプを持っている左手の指先が寒さで感覚を無くしていた。

「シンバ、オイラ達が歩いてる道って、なんかおかしくない?」

「ん? そうか? 一本道だっただろ?」

血が流れすぎたせいか、シンバの目は霞んでいた。

「でも、なんか道じゃないよ、草が沢山生えてるし、足元が悪いもん」

「でも真っ直ぐ行けば、湖に出る筈なんだ」

シンバはそう言って、足を止める事はない。

ホーキンズは、そんなシンバに何も言えなくなり、黙って付いて行く。

足元に、衣服があり、シンバはビクッとする。

気がつけば、いろんなモノが落ちている。

まだ残り雪が積もっていて、ハッキリとはわからないが。

バック、腕時計、帽子、靴——。

自殺をする為に、ここに来た人のモノだろうか——?

気温の低さの寒さとば別の寒さが、ゾクッと背中に走る。

「変な臭いがするね・・・・・・」

ホーキンズは鼻がいいから、得にわかるのだろう、死体が腐敗した臭いが・・・・・・。

シンバはゴクリと唾を飲み込むが、何も言わず、前へ前へと進む。

「ねぇ、シンバ、自殺ってどうしてするの?」

「え?」

「どうして人は自殺するの?」

「・・・・・・どうしてだろうね」

「シンバも自殺しようって考えた事ある?」

そう聞かれ、シンバの足が樹海に入って始めて止まった。

「シンバ?」

「・・・・・・あるよ。何度も何度も死のうと思った」

「死んだらどうなるの? 死んだ方が楽しいの? だから死のうと思ったの?」

「・・・・・・死んだらどうなるんだろう? わからない。でも死んだ方が楽だと思ったんだ。多分、みんな、そう思って死ぬんだよ。生きてる今が辛いから」

「ふぅーん。でも死んだらどうなるかわからないんでしょう? もしかしたら、死んだ方が辛いかもしれないよ?」

「そうだね」

「そしたら、また生き返れる?」

「生き返る事は二度とできない」

「・・・・・・そうなんだ。そうだよね。ねぇ、シンバ、オレンはもう戻って来ないんだよね?」

シンバは右手をポケットから出し、ホーキンズの頭を撫でた。

「オレンはもう戻って来ないよ。死んだら、生き返る事はできない。でもね、みんな生まれた時から、死に向かって歩いてるんだ。生きてる者はいつか死ぬ。だから、自分で自分を殺すなんて駄目だし、誰かを殺す事も駄目だよね。命を勝手に止める事なんて、誰もしちゃいけない。死は誰にでも訪れるんだから、それ迄、どの命も大事にしなきゃね」

「シンバ・・・・・・」

「さぁ、行こう。止まってたら寒いからね」

と、シンバは、また右手をジャケットのポケットに入れる。

しかし、シンバの視界がぼやけて来ていて、フラついてしまう。

白い吐息の数が多くなり、嫌な汗が、シンバの頬を流れ、細い顎のラインで滴る。寒いのに汗でびっしょりだ。

目の前に見えるのは、いる筈のないルエーフの姿。



『シンバ、この先だ、この先に、丘があるんだ』

ルエーフは無邪気な子供のように、はしゃいでいる。

手招きをして呼んでいるのは、小さな男の子。

足場が悪くて、よろけながら、一生懸命、ルエーフについて行く。

『こっちだ、こっち! 迷わないように、お父さんにしっかり掴まって』

男の子に手を伸ばす。

『そこは天然のプラネタリウムだ』

男の子は、ルエーフの手を迷わず、握り締める。

『そこで紙飛行機を飛ばそう。風にのって、遠くまで飛ばそう』



ルエーフの幻影を追うように、歩いて行くと、やがて辺りの木々がなくなった。

幻影も消え、気がつくと、小高い丘が見える。

「・・・・・・ここは」

ここは樹海の中にある丘。

草原のように、長さの揃った草が靡いている。



『シンバ、ほら、紙飛行機だ』

『父さんが作る紙飛行機は遠くまで飛んで行くね!』

『風にのって、海までいくぞ』

『海まで!? 本当!?』

『本当だとも! 違う国にシンバの紙飛行機が着くかもしれないな』

『本当? 嬉しいな! どんな国に着くのかな、僕、その国の人と友達になれるかな?』

『なれるさ、シンバはどんな人とも仲良しになれる! そして、皆から愛されるんだ』

『本当? たくさん友達ほしいんだ、いろんな人と僕は友達になるんだ』

『そうか、たくさんの友達か。シンバ、約束しよう。シンバは、あの飛行機のようにどこまでも自由に飛ぶ事ができる。きっと大人になったら、シンバはたくさんの友達と、この広い世界のどこかで笑ってるよ』

丘の上で飛ばした紙飛行機——。



「ここは・・・・・・ルエーフ博士と来た事がある・・・・・・」

シンバは一歩一歩、丘へと登って行く。

「ルエーフ博士と約束した場所・・・・・・」

何かに誘われるように、呟きながら、丘の天辺が見える所に来た時、シンバの足が止まった。天辺に何かがある。それが人であり、寝そべっているのが確認できた。

「ホーキンズ、ここで待ってて。もし何かあったら、来た道を戻って、コウとハーゼに伝えて」

シンバは、中腰になり、ホーキンズにそう伝えた。ホーキンズは頷き、シンバが、歩き出した背を見つめる。

シンバは、寝ている人にゆっくりと近付きながら、誰だろう?と、まさか自殺志願者じゃないだろうかと思う気持ちもあり、恐る恐る近付く。

「キティ!!!!」

キティンだとわかると、シンバは、丘の上まで駆け上がった。

寝そべっているキティンは、仰向けで、ぼんやりとした表情で、上を見上げている。

「キティ! キティ!? 大丈夫か!?」

「・・・・・・シンバくん?」

「何してるんだ、起きて、立てる? キティ?」

「アハッ、初めてだね、名前呼んでくれたの」

「何言ってるんだよ? 大丈夫か!? ほら、起きて」

抱き起こそうとした時、キティンが拒否をした。

「いいの、このままで、見てるんだから・・・・・・」

「見てる?」

「見て、プラネタリウムみたい」

そう言われ、シンバは空を見上げてみる。

「綺麗ね・・・・・・シンバくん・・・・・・ティガーにも見せてあげたい・・・・・・」

「綺麗だけど」

「ほら、シンバくんも・・・・・・寝そべってみて・・・・・・」

「い、いや、こんなトコで寝てたら、寒くて、凍えてしまうよ」

「いいじゃない・・・・・・もう・・・・・・」

「え?」

「みんな・・・・・・死ぬのよ・・・・・・」

「死ぬ?」

「みんなみんな・・・・・・死ぬんだって・・・・・・」

何を言っているのか、シンバは眉間に皺が寄るばかり。その時——

「ママに近寄るな!」

その声に振り向くと・・・・・・

「ビーチルド・・・・・・?」

「ママに近付くな!」

「ママ?」

「ママから離れろ!」

その声は、子供らしい声で、シンバは少し途惑いながら、一歩だけキティンから離れる。

突然、キティンがオレンの歌を歌い出す。

寝そべって、星を見ながら、歌い続ける。

「ママ、子守歌はまだいいよ」

ビーチルドがそう言うので、

「子守歌?」

と、シンバの眉間に余計に皺が寄る。

「お前、何しに来たんだ」

ビーチルドはそう言って、シンバを睨み付けた。

「お前・・・・・・喋れるんだな? ママってのはキティの事なのか?」

「あっちへ行け!」

「いや、ビーチルド・・・・・・? 喋れるなら、僕はキミと話がしたい」

「ぼくはお前なんかと話したくない」

「・・・・・・どうして?」

「お前は嫌いだ。ぼくにイヤな事しか言わない」

「イヤな事?」

そう聞き返しながら、シンバは、ビーチルドがまだビーチルドらしかった時の事を思い出す。カプセルの中にいた物体に、シンバが吐く言葉は憎しみだらけだった。

ルエーフ博士について、リタチーフについて、気に入らない事全て、愚痴り出したら止まらない程で、それはビーチルドに対しても怒りをぶつけるような暴力的言語を吐き出していた。

「ぼくは無機質な場所に置かれ、何も知らないまま、知力だけが成長する一方だった。最初はお前の言葉さえ理解できなかったぼくだけどその内、お前の言う事がわかるようになった」

——知力が成長してたなら、僕が話掛けてた事は、理解できるようになる。

——言語は、親が喋る言語を、子供は理解し、真似て、自然と喋れるようになる。

——僕はイヤな言葉を吐いて、聴かせて、憎悪を理解させてしまった・・・・・・?

「お前が来るだけで、今日もイヤな事を聞かされるのだと思った。それでもお前はぼくを育ててくれた。消毒臭い水溶液から優しい温もりの液体に入れ替えてもくれた」

——僕は、僕と言う見せてはいけない人間を、コイツに見せて来たって事か?

「だからぼくは最後にお前の望みを叶えた」

「望み?」

「ルエーフ博士がいなくなればいいと願っただろう?」

「・・・・・・僕がそう願ったから、ルエーフ博士を呑み込んだの?」

「そうだよ。それに誰かをぼくの一部にしなければ、この世界に生きている人の体の仕組みを理解はできなかった。カタチをそれなりに創れても、カタチだけでは無理がある」

ビーチルドのセリフを聞きながら、視線を落とすと、ビーチルドの足元の草が枯れている事に気が付いた。

暗いせいでそう見えるのかもしれないが、シンバは、ゴクリと唾を飲み込み、

「お前、もしかして、お前に長く触れていると、生きているモノを死なせてしまうのか?」

そう尋ねてみる。

「どうしてそう思うの?」

と、ビーチルドは訪ね返し、シンバの視線を辿るように、足元を見る。

「死んでるね。ぼくの本能かな」

「本能・・・・・・?」

「ぼくはどうして生まれたのか、ぼく自身よくわからない。でもね、ぼくは、この世界にショックを受けているんだ。いろんな生き物がい過ぎてて、ぼくは何になればいいのかわからない。いや、何を見ても、どれもこれも、この星に合わな過ぎるんだよ。だから全部全部殺さなきゃいけない。でもこれだけ増えた生物を全部なんて殺せない。じゃあ、どうするか、考えた。答えは直ぐに出た。ブラックホールを創ればいいんだ」

「ブラックホール!?」

「全ての生き物を無にしてしまうモノだよ」

ルエーフ博士を呑み込んだビーチルド。ルエーフ博士の思考は、ビーチルドのものでもある。つまり、大した設備もない場所で、ブラックホールを創りだす事だってできるという事だ。

「沢山のいろんな生物がい過ぎて、生物全部をブラックホールにメモリーするのは大変なんだ」

「だからノアプロジェクトチームで、生物達を調べたのか・・・・・・」

「調べても、まだまだ足りない。この世界にある命はもっともっと沢山あるって感じるんだ」

「・・・・・・キティを・・・・・・彼女をどうするの?」

寝そべって歌い続けているキティンを見て、シンバがそう聞く。

「ママは必要だろ? ママがずっと一人になるのを狙ってた。ママの命を感じて、追い駆けて追い駆けて、やっと会えても、なかなか一人になってくれなかった。やっと一人になったママをぼくは掴まえたんだ」

「どうして彼女をママだと?」

「子守歌を歌ってくれるのはママだ」

「なんだそれ・・・・・・? 絵本か何かを見たのか・・・・・・?」

そういえば、カプセルに入ったビーチルドに歌を聞かせていたのはキティンだったと思い出す。いや、別に子守歌じゃなくても良かったんだ、ビーチルドに優しい言葉をかけるだけで良かったんだ。優しい歌詞と歌声は、知能あれば、母親をイメージする——。

「この世界は腐っている。みんな自分を傷付けて、笑っている。自分を主張する癖に、他は主張する事を認めない。そんな命はない方がいいんだ。終わりにするんだ。無にして、ぼくが始まりを創りだす。ぼくは全ての命を消した後、小さな小さな命に分散する。そして、大きな命になる者、小さな命のままの者、様々な命になり、互いを大切にするんだ。命がもっと増えたら、全ての命を思いやるのは難しいけど、同じカタチになった者同士は力を合わせ生きるんだ。ずっとずっと——」

「お前のその想いは全ての命に継がれないよ」

「・・・・・・やっぱりお前は嫌な事しか言わないな」

「そうじゃない、お前が、もう既に、憎しみの塊だからだよ。僕を嫌いだと言うのは憎いからだろう? そんなお前から始まる命が、そんな綺麗事だけの命にならないだろ」

「今溢れてる命よりマシだよ!!!!」

ビーチルドはそう吠え、シンバに怒りの表情を見せる。シンバはフッと笑い、

「そうだな」

そう呟いた瞬間、ジャケットのポケットに仕舞っていた右手を出した。

その右手に持たれている黒いコア。

ブラックホール。

ビーチルドの表情が強張る。

「残念だったな、僕の方が先にお前を無に戻す方法に辿り着いてたよ」

「やめてぇ!」

突然、歌を止め、キティンは起き上がり、チーチルドに走り寄り、ビーチルドを抱き締めた。そしてシンバを睨み付け、

「どうして? どうしてそうやって傷付ける事ばかりなの? だったらこの子の言うままに、消えてなくなった方がいいよ!」

と、涙を流しながら、訴える。

「おい、何してるんだ! キティ! ソイツから離れろ! お前、ソイツに長い時間触れてると死ぬぞ!」

「みんな死んじゃえばいいのよ!」

「何言ってるんだ!」

「どうせ、いつか死ぬのよ! こうしてる時間にも誰かが殺されたりしてる世の中なのよ!」

「キティ! いいから離れるんだ!」

「シンバ、離れたら、この子を殺すんでしょう!」

「無にするんだよ! ソイツは無から生まれたんだ! 元に戻すんだ! キティが離れなくても無にできるんだ! 離れないなら、今直ぐに無にしてやる!」

「どんな命だって生まれた以上は大切じゃないの!?」

「キティ・・・・・・」

「ねぇ、シンバくん・・・・・・この子、温かいのよ・・・・・・この子を消してまで・・・・・・自分が助かりたい・・・・・・?」

「・・・・・・助かりたいよ」

シンバは俯いて、そう囁いた。

「だって、キミみたいな優しい命だってある。そういう命を守りたいよ。僕みたいな嫌な奴ばかりじゃないんだ。オレンだって、ビーチルドに近い命だとしても、この世界に生まれて、みんなから愛された命だ! ハーゼだって、こんな僕を見捨てないでいてくれる命だ! コウだって、お節介な程、僕を気にかけてくれた・・・・・・シオンさんは・・・・・・キミのお父さんは、まだ僕が幼かった頃から、ずっとイロイロと助けてくれてた・・・・・・それからキミの彼氏は、最高にカッコ良くて、障害なんて全く気にならない程の素敵な人だよ・・・・・・そんな命もあるんだよ・・・・・・僕は守りたいよ・・・・・・そんな命を守りたい——」

シンバのそのセリフは、ビーチルドを頷かせる。

ビーチルドはキティンの腕の中をスルリと抜け、シンバを見る。そして・・・・・・

「ぼくを、この星以外の星に——」

「え?」

「生命体のない星にぼくを——」

「それは・・・・・・お前が始まる星を探せって事か?」

「うん」

「簡単に言うなよ、生命を育む星がそう簡単に見つかる訳ないだろ。それに多分、もう 無理だろ。お前みたいな命の始まりになるモノは宇宙に沢山いるんじゃないか? でも様々な星に落ちても、命がうまく育まないから、絶えるんじゃないか? この星は偶然にも命を育める。だけど、既にもう育んでいる僕達がいる。きっと、僕達が知らないだけで、小さな肉のような塊は、この星に落ちてるんだと思う。でもそれは、先にいる僕達が本能的に殺してるんじゃないか? 例えば、お前の足元の草が枯れてるように、命の始まりが落ちて来たら、それは、この星の命に、長く触れてると死ぬんだ。長くと言っても、数分程度で。植物でも、動物でも、小さなカケラは、この星の住人である命に、数分間ぐらい触れると死んでしまう。でも、お前はもうある程度、育ってしまった為、触れても死ぬ事はなく、逆に、新しい命として、僕達を死なせる事ができる・・・・・・つまり、お前は、もうこの星の生物として命を始めるしかない、他の星になんて・・・・・・」

シンバは、その後、何も言えなくなる。

「そんな事を聞いてる訳じゃない」

「え?」

「これだけの星があるんだ。どこかにぼくが始まれる星だってある」

ビーチルドは空を指差し、シンバは空を見上げる。

満天の星空。

——ああ、そうか、これはコイツの優しさなんだ。

——わかりにくい、不器用な優しさ・・・・・・。

シンバは右手をジャケットのポケットに仕舞った・・・・・・。

シンバもキティンも空を見上げ続ける。

素晴らしい星空に、只々、涙が溢れて止まらない。

「キティ・・・・・・どうしてこの場所に来たの・・・・・・?」

「私が死ぬ前に綺麗な星空が見たいって言ったの。話を聞いて、全ての事柄に罪と罰を感じて、人は死ぬべきだと判断したわ。不思議ね、子供相手なのに・・・・・・子供相手だから恐くなかったのかもしれない。だから一緒にこんな所まで来たのかもしれない」

キティンは死体を目の当たりにしているのもあり、殺人者がリアルに目の前にいた事もあり、罪と罰を感じたのもあるだろう。

「この場所は、僕が小さい時に、父に連れられて来た場所なんだ。ビーチルドの中の父がここに導いたのかもしれない。この星空を見せたくて」

言いながら、シンバは星を見上げ続けている。

キティンも、ずっと星空を眺め続ける。

この夜空に埋め尽くされている輝く星々は、命を育むのに適さない。

沢山の星があるのに、どれも命を永くは続かせない。

きっと、僕達は、物凄い確率で、この蒼き星と廻り合い、奇跡的に世代交代する程の永き時の中、生きて来られたんだ。

二人は、いつまでも、夜空を見上げ続けていたが、シンバが、ふいに首を下に落とし、振り向いた。

そこにはビーチルドの姿はなく、ルエーフ博士が倒れていた。駆け寄り、ルエーフ博士が生きているのを確認する。そして、辺りを見回し、小さな肉の塊を見つける。

「シンバくん、それ・・・・・・?」

シンバの手の中の細胞——。

「大丈夫、生きてるよ」

脈打たない細胞に、シンバはそう答えた。

憶測で言ってみた『この星の命に触れたら死ぬ』と、いうのは当たりだったようだ。

ビーチルドはルエーフを吐き出し、自ら死を選び、死を迎えられる姿に戻ったのだろう。

生まれた時の身の大きさになって、その未熟なままで、この星の命である草に触れて、生きる鼓動を止めた——。

そして、今、シンバの手の中、あっという間に腐り果て、カラカラになり、砂のようにサラサラと風に乗って、どこまでも飛んで行ってしまった・・・・・・。

とても簡単な終わり方で、とても小さな肉の塊だったが、シンバは大きな大きな命を失った事を悟り、涙が止まらなくなる。

「シンバ、私と約束したよね」

「・・・・・・約束?」

「何かあったら騎士になって飛んで来るって」

「あぁ・・・・・・」

「約束守ってくれてありがとう」

「いや、別に・・・・・・」

その約束を守った訳じゃないんだけどなと、シンバは頭を掻く。

まだビーチルドが生きて、シンバの手の中にいると思っているキティンは、

「約束を守ってくれるって信じてるんだよ。あの子が住む星がきっとあるって、私も信じてる。シンバが約束を守って、星を探してくれるって、あの子も信じてるから、シンバの手の中で、安心してると思う」

そんな事を言って、優しく微笑むから、シンバはキティンから目を逸らしたくなる。

——ビーチルドの死の代わりに、僕達の命は続いて行く・・・・・・

——守りたい命はある。だからこれで良かったと思う。

——だけど、本当にこれで良かったのか、本当はわからないんだ・・・・・・

自分の心境を例えるなら、それはブラックホールの誕生に似ていた。

星は自分の重力の強さに自分も潰してしまう。

闇に溶けて消えて行く事は、宇宙全てから見ると、大した事はないだろう。

この世界は宇宙から見たら、とても小さい。

とても小さな場所で、何が起こっても、大した事はない。

闇に溶けて消えてしまう程、小さな出来事になる。

でもこの星は輝いている。

命溢れる星として、廻り続けている。

「綺麗な星空だ」

その声にルエーフが気が付いたのだとわかる。

シンバがルエーフの顔を覗き込むと、

「シンバか・・・・・・ここはお前と約束した丘だな・・・・・・」

そう言った。

——約束・・・・・・

シンバは気を失うように、倒れた。

「シンバくん!?」

「シンバ!?」

驚いて起き上がり、シンバを抱き寄せるルエーフ。

血の気のない顔に、

「オイラが噛み付いたんだ。右腕に。かなり深く噛んだんだ。だから、その血が止まらなくて、ずっと流れてて、シンバは無理してここまで来たんだよ。オイラ、何もできなかった。何もできなかったよ」

ずっと見守っていたホーキンズが、倒れたシンバの傍に来て、鼻を鳴らしながら、そう言った——。



それから数日後、シンバは病院のベッドの上で目が覚めた。

ルエーフ博士は全ての責任を背負い、終身刑を受け、トータスは凶悪殺人犯で全世界に指名手配を受けていた。

シンバは、丘の上で約束した事を、入院中、ずっと考え続けた。

忘れる事はできないだろう。

果たされる事のない約束。

嘘の約束。

それをわかった上での約束。

そして、あの綺麗な星空とあのセリフ——。



『ママは必要だろ? ママがずっと一人になるのを狙ってた。ママの命を感じて、追い駆けて追い駆けて、やっと会えても、なかなか一人になってくれなかった。やっと一人になったママをぼくは掴まえたんだ』



——どうして一人になるのを待ったんだろう?

——邪魔な人間は殺せば良かったのに。

考えても考えても、答えは出ず——。

退院する日が来た——。

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