6. 追憶
「な、何か言ってよ、オ、オブジェを見た感想、感想とか。そ、その女の子はね、有名なアーティストなんだ、て、手をもぎとったら、ひ、悲鳴をあげたんだ、足をもぎとったら、タ、タ、タレントなのに、凄いブサイクな顔になって、悲鳴じゃなく、ヨ、ヨダレを垂らしたんだ。目、目、目を刳り貫いた時にはもう死んでて、つ、つ、つまんなくなったよ」
——言語に少し障害が見られる。
——少し小太りで眼鏡の奥に光る瞳の色はブルー。
——着ている服は全てブランドもの。
「な、なんだよ、ジ、ジ、ジロ・・・・・・ジロジロ見るなよ」
「・・・・・・Solarの者じゃないな?」
「あはは、は、はは、あ、あんな、と、所は、ば、ば、馬鹿が行く所さ」
——学歴コンプレックスあり。
「この腹部を切り裂いてある女性の死体はどこから手に入れた?」
「うぅん? そ、その、し、死体は元から、し、し、死体だったって、どどどどうして、わ、わ、わ、わかったの?」
男は不気味にニィっと笑う。
その時、パシャッという音と共にフラッシュがシンバと男を包んだ。
振り向くと、男が写真を撮っている。
「うわぁぁぁぁ! やめろぉぉぉぉ! 撮るなぁぁぁぁ!」
「おっと、動くな!」
小太りの不気味な男が、写真を撮っている男に、怒りを露わに襲おうとしたが、その写真を撮ってる男は不敵な笑みを浮かべている。その為、小太りの男の動きが止まった。
「お、お前なんか知らない。ど、ど、どこから来たんだ」
「どこから? パパラッチってのは、どこにでも湧くもんだろ」
「お、おま、おま、お前、報道人なのか!?」
「フリーなんでカメラも俺がやらなきゃならねぇってのが問題ありだよねぇ? 記事もカメラもって結構大変だからねぇ。やっぱどっちか一つに決めるべき?」
「ふ、ふざけるな!」
「スティーア・オックス。オレの名前でぇす、よろしくー!」
男は、勝手に自己紹介をしたつもりか、ふざけた口調で、そう言い終わると、死体の写真を何枚も撮り始める。
「や、や、や、やめろ、せ、折角の作品を、け、け、け、貶すんじゃない!」
しかし、何枚も何枚も角度を変えて、また何枚も、撮りまくった後、
「ではでは、次はインタビューでぇす、ご協力願いまーす!」
と、懐から、手の平サイズのボイスレコーダーを出した。
小太りの男は、この寒いのに汗を一杯かきながら、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
と、悲鳴を上げ、金網に掴まった。
「お、おい、何する気だ?」
スティーアが、そう言いながら、手を伸ばすと、
「来るなぁ!!!! き、き、き、来たら、こ、こ、こここここから、と、と、と、と、飛び降りる!!!!」
小太りの男はそう言いながら、金網を攀じ登る。
きゃぁぁぁと悲鳴を上げるキティン。座り込んだまま、今の目の前の状況に狂ったように涙を流し、悲鳴を叫び続ける。
シンバはずっと母親の死体だけを見下ろしている。
そして更にキティンの悲鳴が大きくなった瞬間、男は金網を超え、飛んだ。
スティーアがやべぇと口の中だけで呟き、非常階段へと走る。そして、
「おっと、もうすぐ警察も来る。キミ達には聞きたい事もある。ここを動くんじゃない。いいな? おい、そこの少年! 昨日、オレと会ったろ? キミが血相変えて走って行くのを見て追い駆けて来たんだ。この事件にキミは何か関わってる筈だ。逃げても無駄だからな。大人しくここにいるんだ、いいな!」
そう言い残し、階段を駆け下りる。
シンバは階段を下りて行く足音が消えると、キティンの傍に行く。キティンはヒックヒックと泣き続けている。
「そのペンダントを貸してくれないか?」
キティンはシンバを見上げ、オレンから貸してもらっていたペンダントをシンバに渡す。
そしてシンバは母の死体の傍に戻り、腹部に捻じ込まれているオレンを見る。
——どんなに痛かっただろう、どんなに恐かっただろう、どんなに辛かっただろう。
——助けてあげれなくてごめん。
——優しくしなくてごめん。
『ボクが死んでも悲しむ人はいないよね』
『・・・・・・』
『誰もいない・・・・・・』
『なんだそれ・・・・・・めんどくさいな・・・・・・いるだろ、ファンとか!』
『・・・・・・そっか』
——ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん・・・・・・。
シンバは心の中で謝り続ける。謝り続けながら、ペンダントの十字架の中央にある黒い石を握り潰した。
ブラックホールとは非情に質量の大きい星が、その末期に死の大崩壊を起こした後、中心核が水の何億倍という高密度の中性子星の段階にとどまるだけでなく、自身の重力で更に更に潰れ続け、その想像を絶する強力な重力場の為に、光さえ、そこから逃げ出す事ができなくなり、ついには宇宙から姿を消してしまう。
その説から創り上げられたブラックホールはオレンを光の粒に変え、オレンだけを吸い込む。
「綺麗・・・・・・」
思わずそう呟くキティン。
オレンの光の粒はシンバを囲むように、宙に舞い上がり、ペンダントに吸い込まれていく。
光の粒に今迄のオレンの記憶だろうか、いろんなオレンの姿が見える。
それがシャボン玉のように、どんどん消えて行く。
消えては浮かび、消えては浮かび。
オレンが生まれた時だろうか、目覚める瞬間のような光景が見えたと思ったら、もう光の粒はなく、ブラックホール自身も消えて失せている。
シンバの手の平に残る十字架の形だけのペンダント。
シンバの頬を伝う涙。
何が悲しいのか、どうして涙が溢れるのか、理由なんてわからない。
シンバはゴクリと唾を飲み込み、溢れて止まない涙を無理に止め、ペンダントをギュッと握ると、キティンの傍に戻った。
雪が降り始める——。
「小型電話・・・・・・」
「え?」
「小型電話とか持ってませんか・・・・・・?」
「も、持ってます」
キティンはコートのポケットから小型電話を取り出し、シンバに渡す。
「借ります」
シンバはそう言うと、電話をかけ始め、
「あ、もしもし、レインハルトです。シンバ・レインハルトです。はい、はい、はい、あのですね、Solarから一体死体が盗まれています。地下街前のモニターのあるビルの屋上で腹部を切り開かれてます。内臓もそこ等に散らばってまして。はい、はい、はい、犯人と思われる男は飛び降りました。それとフリーのジャーナリストらしき男が嗅ぎ付けてまして、はい、はい、名前はスティーア・オックスと言ってました。警察を呼んだようなので、政府側から圧力をかけて下さい。はい、はい、いえ、他に関わった人はいません」
そう言ったシンバを、キティンは見上げる。
「僕はこれからSolarに戻ります。はい、はい、では——」
シンバが電話を切った後、サイレンが聞こえ始めた。
警察が来たようだ。
キティンは今更、我に返ったのか体が震え始める。
シンバは座り込んでいるキティンの腕を持ち、抱き上げるようにして、立ち上がらせる。
「大丈夫。僕達は捕まらないし、何も問われない」
「で、でも話さなきゃいけないんじゃないかしら・・・・・・見た事全て・・・・・・」
「何も見てない。キミと僕は散歩してただけ。ビルの上から見た夜景は綺麗だったね」
「夜景が・・・・・・綺麗だった・・・・・・」
「そう、一緒に見たよね、綺麗だったね」
「綺麗だった・・・・・・」
「ほら、雪が冷たい。風も強いし、ここにいると吹雪いて前が見えなくなる。帰ろう」
「・・・・・・帰ろう」
キティンは幻にでも包まれているかのような感覚で、シンバに身を任せる。
強い風が母の死体を容赦なく襲うようで、それでもシンバは母を一度も見る事なく、非常階段を下りていく。
エレベーターの中でもキティンとシンバは無言のまま——。
クリスマスソングが愉快に流れる街中を二人で手をシッカリ握り合い、しかし二人共、表情は人形のように無く、Solarに戻った。
Solarの入り口でシオンがウロウロしている。キティンがシオンの姿を見つけると、泣きながら、走り出し、シオンに抱き着いた。
驚くシオン。まさかキティンもシンバと一緒だったとは思わなかったようだ。
シンバは事情を話す——。
シオンもビーチルドはまだ移動せず、この建物のどこかに大人しくいるようだと話した。
シンバは疲れた表情で、Solarの内部に入っていく。
キティンはシオンにしがみつき、まだ泣きじゃくっている——。
——誰が母さんの死体を持って行ったんだろう。
——オレンはあの言語障害のある男に恐らく売られたのだろうか?
——だとしたら誰が売った?
——真犯人は他にいる!
——ライトグリーンの瞳を持ったサンタクロース・・・・・・。
シンバが電気も点いていない薄暗いブレイクルームで、一人、そう考えていた頃、ホーキンズはSolarの中をウロウロしていた——。
「本当にここにシンバがいるの? あの男について来てしまって、オイラ良かったのかなぁ? でも、あの男の前では一言も喋らなかったのは正解かも。余り人間を信用しちゃいけないからね! でもシンバが喋る犬とか言った事で、オイラに喋ってみろってうるさかったなぁ。シンバに会ったら、喋る犬って言うなって注意しないと! それにしても、ここはいろんな臭いがして嫌だなぁ。薬品の臭いかなぁ? 鼻がさっきからツーンってして痛いし!」
ブツブツと呟きながら、ホーキンズは鼻をひくひくさせて、うろつく。
ガタン——!
大きな音がして、ホーキンズはビクッとする。
「誰? 誰かいるの?」
音がした方へ、足音を立てずに歩いて行く。ドアは少し開いている部屋がある。
ノアプロジェクトチームと書かれている。
暗い、その部屋をそっと覗くホーキンズ。
むせ返るような臭いと光景が、薄っすらと見える。
受話器が机の上から落ちていて、『もしもし? 今迄の研究経過まとめられました? 誰か手が空いてる方がいましたら、考古学の研究室へ来て頂けませんか? もしもし? 忙しいのかなぁ、受話器とったなら返事くらいして下さいよ・・・・・・もしもし? こっちも忙しいので切りますね?』そう聞こえ、再び、『ツー、ツー、ツー・・・・・・』と聞こえる——。
辺りでは、人が転がっている。
——どうしよう・・・・・・。
——このむせ返るような臭いは、あのダンボールに入れられた子供と同じ臭い。
——人の血の臭い・・・・・・。
——もしかして、人が沢山転がって見えるのは、血だらけで死んでるとか・・・・・・?
ホーキンズは少しだけ空いてるドアを鼻でツンと押して、更に開けて見る。その時、気配を感じて、バッと背後に首を向け、振り返る。
そこには小さな子供が立っていた。
ビーチルドである。
ビーチルドはソッと手を出し、ホーキンズはビクッとし、体ごと、ビーチルドの方へ転換し、威嚇しながら、吠える。
「ウーッ、バウッ! バウバウバウッ!!!!」
ブレイクルームにいたシンバの耳に、犬の吠える声が届く。
「・・・・・・そういえば、コウはホーキンズを連れて来たのか?」
一度、研究室に戻ろうとした時、ブレイクルームに電気が点く。見ると、キティンの姿。
「お父さんがブレイクルームで少し休めって・・・・・・」
「そう・・・・・・」
「そしたら帰れって・・・・・・」
「そう・・・・・・」
「でも一人で帰るの怖くて・・・・・・」
「だよね・・・・・・」
キティンはシンバの傍に来て、隣の椅子にちょこんと座った。立ち上がったシンバだったが、また腰を下ろす。
「お父さん、一緒に帰ってくれないの・・・・・・残業だって・・・・・・」
「うん・・・・・・」
それでも一人で帰す訳にはいかないと思うシンバ。
「シオンさんに帰るように言うよ。女の子の夜道は危険だし」
「・・・・・・ねぇ?」
「うん?」
「あのお腹の中にいたのは・・・・・・オレンちゃん・・・・・・?」
「・・・・・・さぁ?」
「どうやって光の粒にしたの?」
「・・・・・・」
「ペンダントは・・・・・・?」
シンバはジャケットのポケットにペンダントが入ってるか、手探りで確認し、
「僕が持ってる」
そう答えた。
「あそこに着く前に、一緒に夜景見て、恐い事件が多いからって話してたところだったのに・・・・・・」
「うん」
「どうして人は人を殺すのかしら・・・・・・? あのお腹を切られてた人は誰かしら・・・・・・?」
「母さんなんだ」
「え?」
「僕の母親」
「ええ!?」
「僕はね、ルエーフ・レインハルトの息子なんだ。母さんの名前はオレン。オレン・レインハルト。ある日、ルエーフ博士は意味不明な生物を創り上げ、姿を消した。生物兵器を創り出したかもしれないと世間を賑わせた事もあった筈だ。世の中の混乱なども考えて、あれはウィルスで出来た細胞だと公表された。免疫をつくる簡単な生物誕生とも言われたかな。ガン細胞を殺す生物誕生とも言われてな。でも実際はそんなもんじゃなかった。母さんと僕は意味不明な生物の誕生に捕らえられ、母さんは死刑になった」
「死刑・・・・・・?」
「生物兵器を創ってない国はないだろう。皆、どこの国も、それなりの経済力があれば、生物兵器に研究を注いでる筈だ。だけど個人でそういうものを創り上げた場合、その本人しかわからない研究物とは、危険性がわからない。その為、重罪になる。母さんはその罪を被ったんだ」
「・・・・・・お母さん、死体がまだ綺麗だったけど、それは最近の話?」
「まさか。母さんの死体は、ここSolarで保管された。Solarでは死体を買い取ってるんだ。闇ルートで売買されてるみたいだから、僕もどうやって死体を手に入れてるか迄は知らない。でも事実、死体保管ルームという場所がある」
「どうして死体なんかを・・・・・・?」
「実験に使えるんだ。健康だけど事故などで死んだ場合、臓器とか使えるし、皮膚とかもウィルステストできるんだ」
「・・・・・・シンバのお母さんも実験される為に死体保管ルームにいたの?」
「うん。母さんはね、死体保管ルームで、まるで眠ってるようだった。それから僕は謎の生物調査にあたった。その生物を調べていく内に、もしかしたらこれは死者を蘇らせる切っ掛けになるモノじゃないかと思った事もあった。そしてクリスマスイヴ——」
「昨日?」
「ルエーフ博士の居場所を突き止めた。会いに行った。そこにはタレントのオレンという・・・・・・彼女がいた」
「え?」
「ルエーフ博士はそのままSolarに連行された。今朝、僕がSolarに戻り、謎の生物がいる部屋に行くと、謎の生物はルエーフ博士を取り込み、人の姿に身を変え、逃走した」
「逃げたの!? どこに!?」
「今はこのSolarのどこかにいるっぽいんだ。だからシオンさんはキミに少し休んだら帰れって言ったんだと思う。ここも危険なんだ」
「・・・・・・ルエーフ博士は逃げれなかったの?」
「うん?」
「取り込まれたんでしょ? どういう風に取り込まれたかわからないけど、逃げれたら良かったのに。でもそうしたら他に誰か取り込んでしまったのかしら?」
——いや、ビーチルドは自ら胎児の姿を成していた。
——だから、誰でもいいから、誰かを取り込んで、自らの糧にするとは思えない。
——それにルエーフ博士自身がビーチルドに飛び込んで行った。
——そう、何か叫びながら。
『シンバ、———————だ!!!!』
——そうだ・・・・・・。
シンバは突然立ち上がる。
「そうだ・・・・・・ブラックホールだ・・・・・・」
「え?」
「ブラックホール・・・・・・って言ったんだよ、ルエーフ博士は・・・・・・」
『シンバ、ブラックホールだ!!!!』
「ブラックホールなら、ビーチルドを無に戻せる!」
「ビーチルド?」
「謎の生物の事だよ。あのタレントの彼女を無にしたのもブラックホールなんだ! ビーチルドもブラックホールで無にできる!」
「よ、よくわからないけど、何か謎が解けたのね?」
「うん! 行こう、研究室へ! ここに一人でいても危険だから!」
シンバはそう言うと、キティンの手を握り、二人、手を繋いで、研究室まで走った。
研究室にはシオンの姿もあった。コーヒーを片手にテレビを見ていた。
ニュースで、先程の事件が流れている。シンバの母親の事もタレントの事も何も触れられる事はなく、ビルから飛び降り自殺があったとだけ報道されていた——。
キティンはニュースを目に映しながら、ソファーにストンと腰が抜けるような感じで座った。
「シオンさん、ビーチルドは?」
「ああ、まだこの建物の中だなぁ」
「ビーチルドを無に戻す方法がわかったんだ」
「なんだと?」
「ブラックホールっていうコアだよ」
「なんだそりゃ?」
「ルエーフ博士が創りだしたコアだ。そうだ、天文学の研究員も含めて、ブラックホールの性質をどれだけコンパクトにできるか相談しよう!」
「そんなもの創れるのか?」
「創れる! ルエーフ博士が実際に創ったんだ。想像で終わるモノじゃない! 現実に創れる筈だ!」
「そうか。でも見ろ。この状況でか?」
シンバは辺りを見回す。研究室は最早、研究室ではない。荷物や書類がそこらに散らばっている。コンピューターはどれも個人的に使える余裕もなさそうだ。
「どこか別の研究室を借りるしかない・・・・・・」
「シンバ、そりゃ無理だろう。今はどこの研究室、大学もSolarの事件は恐らくながらも耳にしているだろう。今は俺達にできる事しかやらせてくれねぇ。例えそのブラックホールとやらが、ビーチルドを無に戻せるモノだとしてもな、その説と公式など、全てデーターが揃った上で、創り上げる事になるだろう。そんな時間ねぇだろう?」
「じゃあ、どうしたらいいんだ!」
シンバは苛立ちで大きな声を上げた。その時、
「ブラックホールと聞こえたのだが・・・・・・?」
シンバの背後で声をかけてきた男。
「あなたは・・・・・・?」
「ワシは天文学のチーフをやっていたが・・・・・・」
「あ! ああ! 一度、天文学のプラネタリウムで会ってますよね! すいません、あの時は暗かったせいでしょうか、全然、気付かなくて」
「いやいや、ワシの顔など覚えてもしょうがない」
「あ、あの、質量の大きい星が、その末期に死の大崩壊を起こした後、自身の重力で更に更に潰れ続け、その想像を絶する強力な重力場の為に、光さえ、そこから逃げ出す事ができなくなり、ついには宇宙から姿を消してしまうというブラックホール説を知ってますか?」
「無論だ。しかしかなり古い説だな」
「その説で、人工ブラックホールを創る事は可能ですか?」
「むぅ・・・・・・全てのモノを消し去るという事はできないかもしれんが、何か一つのモノをメモリーさせて消し去る方法なら、今、パッと脳に浮かんだが、勿論それも例えばと言う文字が多くなる理論にすぎないだろう。無理を承知の上で可能と言う事の話だ」
「いいです! それでいいです! 論を出してくれませんか?」
「ああ、いいが、今?」
「今直ぐに! お願いします!」
「しかしその説なら、もう既にワシのコンピューターに入っている。それでいいなら、そのファイルを渡すが?」
「本当ですか! 是非!」
男はコクリと頷き、天文学室へと戻る。
「トータス博士だ」
シオンが煙草をふかしながら言った。
「トータス博士?」
「ああ。嘗て、ルエーフ博士と争った事もあるトータス・マークティー。ルエーフ博士のライバルってところか? 頭脳ではトータス博士の方が上だと言われた事もあったが、ルエーフ博士の方が発想力が豊かだった。頭が良くても発想力に欠けてたトータス博士は地位を捨て、今では天文学の取り締まり役のチーフとなった。まだいたんだなぁ・・・・・・」
シオンはそう言うとフーッと白い煙を出した。
「そういえば、プラネタリウムでルエーフ博士の事を話してました・・・・・・」
「ほぉ・・・・・・それはそうと、ブラックホールを創る論を元に公式を創り上げても、答えを出す設備はどうするんだ?」
「僕のビーチルドを研究してたコンピューターがある! あれはまだロック外してないから使える!」
「ほぉ・・・・・・コンピューターだけで出来上がる代物か?」
「わからないけど・・・・・・」
「出来上がったとしても、ビーチルドを消し去る為にはビーチルドをメモリーしなきゃなんねぇんだろ?」
「うん・・・・・・」
「メモリーできる程、ビーチルドを知ってるのか?」
「知らない。知らないけど、ルエーフ博士の事なら調べられる」
「なに!?」
「ルエーフ博士がビーチルドに飛び込んだ理由がわかったんだ。あれは態と取り込まれたんだ。ルエーフ博士を取り込んだビーチルドはルエーフ博士と一体化してる。ルエーフ博士を消し去る事で、ビーチルドも消し去れる!」
「おいおい! お前、正気で言ってるのか?」
「勿論」
「父親を無にしちまうのか?」
「・・・・・・父と思った事などないです」
シンバはそう言うと、自分のデスクに向かう。シオンは困った顔で煙草を吸い続ける。
しかし、トータスが持って来た論は、余りにも空想過ぎて、公式にはならない。ましてや、Solarの設備が使えたとしても、もっと空想的な設備がないと創り上げれるものじゃない。
それがわかった途端、ビーチルドを無にはできないんだと無気力が襲う。
——そういえば、トータスチーフは何しにここへ来たんだろう?
——ああ、そうか、リタチーフの天文学の資料をまとめに来たのかもしれない。
——リタチーフのコンピューターには天文の論があったからなぁ。
シンバは少し頭を冷やそうと、屋上へ向かう。
キティンはソファーで寝ていた。
シオンは解剖室へ戻って行った。
コウもハーゼも大忙しで、研究資料をまとめていた。
ビーチルドの発信機レーダーは、まだ、この建物を差していた。
時間は0時過ぎ——。
クリスマスも終わり、でも屋上から見るネオンは綺麗で、シンバは風を感じる。
ここ屋上から見る景色が、数時間前に見た光景を思い出させる。
母の死体はあれからどうなったのだろうと、急に涙が溢れ出した。
シンバは額を抑えながら、もうどうしていいかわからないと苦しくなる。
その時——。
ゴォォォォォォォォ——・・・・・・
風が激しく吹き荒れる。
「な、なんだ?」
シンバはグルンと空を見回す。すぐ上を大きな船が通る。
「な、な、なんだ!?」
それは昔の海賊船のような大きな船。翼らしきものはなく、オールが空をかいている。
大きな白い帆が、まるで絵本から飛び出したみたいだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・と、大きな音を宙に響き渡らせ、船は行く——。
[・・・・・・繰り返します・・・・・・昨夜午前0時過ぎ、空賊がニュータナス地方に現れました。空軍からは今日の午前中には緊急記者会見を行う予定で、近隣の住民からの目撃情報などを・・・・・・]
『なんだ? 空賊って?』
『そうか、シンバ、ここに来てから、ずっとSolarから外に出た事ないもんな。屋上くらいだよな、外の空気吸えるのは。だから知らなくて当然か。空賊ってのはさ、空を駆ける船を操る連中でさ、それが凄いレトロな外観の船なんだよ。まさに宝地図を持った海賊の船! 映画の撮影かとも思える船なんだ。それが自由に空を飛んでる。羽がある訳でも空気を出して浮いてる訳でもなさそうなのに、浮いてるんだよ、デカい船が! どこの誰があんな船を開発したのか謎でさ、空軍のミサイルもきかないって噂。船は国境のスカイラインを越え、好き勝手に行き交っててさ、航空会社も迷惑な話だよな。それに、あちこちの国から軍が集まって、戦争になるんじゃないかって。あんな訳のわからない船をほっておく訳にはいかないってのはわかるが、空賊は、賊って言われてるけど、別に何か悪さをしてる訳でもなさそうなんだよね』
「これが空賊・・・・・・? あった・・・・・・あったよ! ここにあるじゃないか! 想像を絶する設備が。ブラックホールを創る場所が!」
シンバはそう言うと、空を優雅に行く船を見えなくなる迄、見送り、また急いで研究室に戻った。
忙しそうにしているコウに、
「なぁ、空賊ってどこにいるとか、全然わからないって言ってたよな? どこまで空賊について調べてるんだろう?」
そう尋ねてみる。
「あぁ!? なんだよ、知らねーよ、忙しいんだから、お前も手伝えよ!」
コウは怒り口調。
「いいよ、そんなのは他の人に任せれば!」
「・・・・・・シンバ、お前なぁ、人を見下し過ぎなんだよ!」
「なんだよそれ・・・・・・」
「これも仕事なんだよ! 俺達はSolarでやって来た仕事をきちんとまとめて、俺達を雇ってくれる大学や研究所に、今迄の成果を渡さなきゃならない。俺達はまだいい、まだ若いから、雇ってくれる所はどこでもあるかもしれない。働く場所も拘らなければ、雇ってくれる所はあるだろう。でも高齢者の研究員はどうする? 名のある研究員じゃなければ、どこも雇ってくれない! だから俺達が一生懸命やれる事をやってるんだろう!」
「わかってる! わかってるよ! でも」
「いいや! お前はわかってない! お前には前から言ってやりたかった! お前は特別なのか? そんなに特別なのか? こういう雑用みたいな仕事はできないか? 今、空賊なんてどうでもいいだろ! そんなのは政府や軍に任せておけばいいんだ! 俺達がしなきゃいけない事は俺達の明日があるようにだろうが! 大体、ビーチルドなんてもの、サッサと調べられないお前が一番悪いんだろうが!!!!」
そこまで吠えて、コウは、言い過ぎだと気付く。
「シ、シンバ、あの・・・・・・俺・・・・・・その・・・・・・イライラしてて、そんなつもりなくて・・・・・・ごめん・・・・・・」
「わかってる」
「え?」
「いいんだ、わかってる」
いつものシンバなら、食って掛かるか、そのまま出て行くか——。
だが、怒った口調もなく、その場から去る事もなく、コウは、シンバに妙な真剣さを感じてしまう。
「僕達の明日があるように、僕も願ってる。だから空賊の事を知りたかった。ビーチルドを捕らえる為に、いや、ビーチルドを無に戻す為に必要なものがある。でもそれを創るのは、Solarの設備じゃ無理なんだ。Solarは世界的にも素晴らしい設備を誇った研究所だ。それが無理だとすれば、どこの研究所でも無理だろう。でも船を舞い上がらせる御伽噺のようなモノを造り上げる設備がある所なら、ビーチルドを無に戻すモノも創れると思うんだ」
「・・・・・・ビーチルドを無にするのか? それは上の者に報告したのか?」
「してない。きっと捕らえろって命令を受ける。でも捕らえられたとしてもビーチルドという存在はあるべきものじゃない! 誰の手にも負えなければ消し去った方がいいんだ」
「そんな事をして、お前、只じゃすまないだろう!」
「いいんだ、僕は。僕は元々研究員になりたかった訳じゃないし、人生、無駄に過ごしてきたようなもんだ。だからもういいんだ」
「もういいって・・・・・・」
「責任は僕がとる。だから協力してほしい。空賊の事が一刻も早く知りたいんだ」
「・・・・・・わかったよ、すぐ調べてみる」
「うん」
コウは今している作業を近くの研究員に引継ぎさせ、空軍について調べ始める。
シンバは、今度はハーゼの所に行く。
「ハーゼ、ルエーフ博士のデーターを探してほしい。EyeTypeとかFingerprintとかVoiceprintとか、そういうルエーフ博士と断定できるデータ—がほしいんだ」
「ええ、いいけど、今直ぐ?」
「うん、今直ぐ」
「ん、わかったわ」
ハーゼは何も聞かず、今している仕事を途中でやめ、シンバが欲しがっているデーターを調べ始める。
シンバは再び、自分のコンピューターに向かい、ブラックホールの論を少しでも公式に当て嵌めようと考える。
——それにしてもトータスチーフが発想力に欠けていたなんて思えない。
——この論だけでも充分、想像力豊かだと思う。
——ルエーフ博士の方が発想力豊かだったって言うけど・・・・・・
——ルエーフ博士はこれ以上の発想を!?
——それじゃあ、只の空想癖なだけになると思うが・・・・・・
「シンバ、これ、ルエーフ博士のデーター。EyeTypeとFingerprint。Voiceprintはわからないわ。声紋って残ってないかもしれない。でもどうしても欲しいなら、もう少し調べてみるわ。ルエーフ博士もSolarの一員だった訳だし、どこかに保存されてる可能性もあるし」
「いや、EyeTypeとFingerprintがわかっただけでも上等。ありがとう」
「どうするの? それ」
「うん、ちょっとね、ビーチルドを無にするのに必要なんだ」
「そう・・・・・・他に手伝える事ある?」
「いや、今は別にないよ」
「そう・・・・・・ねぇ、シンバ、ちょっと休憩付き合ってくれない?」
「え?」
「駄目? 本のちょっとだけでいいんだけど」
「ああ、別に、いいけど?」
何か話しでもあるのかと思い、シンバは頷いた。
ブレイクルームに着いて、シンバは自販機でコーヒーを2つ買った。そして1つをハーゼに手渡す。ありがとうと言って、受け取るハーゼ。
「もう2時になるのか。仮眠とらなくても平気なのか?」
「うん、なんか、目を瞑ると色々と鮮明に思い出しちゃうし・・・・・・」
「そうか・・・・・・」
「シンバ、あのね、私、Solarに就職できるって決まった時、凄く嬉しかったんだ。シンバにまた逢えるって思ったから。頑張って沢山、勉強して良かったって思ったの」
「ん?」
「子供の頃のように、またシンバと一杯・・・・・・笑ったりできるって思ったから・・・・・・」
「あぁ・・・・・・そうなんだ・・・・・・」
「でもね、シンバは、想い描いてたシンバじゃなくて——」
「どんな僕を想い描いてた? 僕はハーゼの中でどんな風に成長してた?」
「うまく言えないけど、オレンちゃんのような感じ」
「オレン? あのタレントの?」
「そう! オレンちゃんは女の子なんだけどね、なんとなく笑った表情とかシンバに似てるって思ったの。Solarで再会したシンバは笑ったりしなくて、だから、ちょっと悲しかったよ。でもオレンちゃんを見る度に昔のシンバを思い出してね、私、オレンちゃんが出るテレビは必ず録画してるの。ファンクラブまで入っちゃってて」
「へぇ・・・・・・そうか・・・・・・うん、そうかもしれないな・・・・・・」
「え?」
「僕が、違う生き方してたら、彼女のようだったかもな」
そう言った後、シンバはゴクリとコーヒーを一口飲み、
「似てるってよく言われるんだ」
と、ふざけた風に笑いながら言った。その笑顔は本当に久し振りに見る笑顔で、ハーゼは子供の頃の記憶が蘇る。
「シンバ、子供の頃、よく紙飛行機つくってくれたよね」
「・・・・・・そうだったかな」
風に乗ってどこまでもどこまでも飛んで行く紙飛行機——。
「シンバ、最近、何か変わった事あった?」
「ここ2、3日で色々ありすぎたよ」
「そうじゃなくて、なんていうか・・・・・・恋してる?」
「は?」
「なんだ、違うのか。そんな顔するなら、恋じゃないか」
「なんで恋? なんでそう思ったの?」
「なんでって・・・・・・」
シンと静まる——。
ふとテーブルの上にファイルが置いてあるのが目に付いた。見ると『ノアプロジェクトチーム』と書かれている。
——忘れ物かな。
そう思いながら、シンバはそのファイルに手を伸ばし、
「片想いだよ」
そう言った。
まさかシンバがそんな事を言うと思わなかったらしく、ハーゼは驚いて、目を丸くする。
シンバはファイルをパラパラと捲る。
「その人、彼氏いるんだ」
「そうなの・・・・・・?」
「その彼氏がさ、また嫌味なくらいカッコいいんだ」
「カッコいいって、Solarの人・・・・・・?」
「違う。車椅子バスケしてる人」
「車椅子・・・・・・?」
「うん、障害者なんだ。でも僕より逞しくて、僕より男らしくて、何より自信に満ちた表情が頼りになって、何もかもが完敗に思えるくらいの人でさ」
「・・・・・・」
「悪い所があるとしたら、障害があるって所くらいで、僕はそこしか責めれない。そんな自分もカッコ悪くて情けなくて。でもね、こんな時で良かった。だって言われなきゃ、恋してるなんて気付いてもなかった。今だって、恋してるのか?って、自問しても、よくわかってない。でもホントそれで良かったよ。今は恋なんてしてる場合じゃない出来事が身の回りに起きてて、恋に集中なんて出来ないし、寧ろ、してる暇はない。それに恋に夢中になって、無様な自分を晒して、余計にカッコ悪くなりたくないしね」
「でも相手は障害者なんでしょ?」
「そうなんだ、僕もそう思ってた。相手は障害者だ。でもだから何なんだって思わされた。障害があってもなくても、関係ないんだよな。知的障害者とセックスできないだろって、そう思ってた自分が情けない。そんな風に思わされたのに、考えを改めたって、素直に言えない自分がいる。どこまでもカッコ悪いだろ? ホント、自分が嫌になる」
「・・・・・・シンバ、カッコ悪くなんかないよ。カッコ悪いって思うのは、きっと恋をしてるからだよ。恋をすると、誰だってみんな、カッコ悪くなっちゃったりするんだから」
「ハーゼってさ、いつもそうやって、僕の味方なんだよね」
「え?」
「僕の捻くれた性格を、ハーゼはいつも正論付けしてくれて、味方になってくれた。覚えてるよ、ハーゼとの子供の頃の想い出」
「覚えててくれてるの?」
「覚えてるよ。忘れるわけがない。今迄、想い出話なんてできる雰囲気じゃなかっただけだよ。ハーゼがSolarに来た時、あ!って思ったよ。ハーゼだ!ってね。子供の頃、一緒に遊んだなぁって、大好きな友達だったなぁって、思ってた」
「大好きな?」
「うん。僕は変わっちゃっただろうけど、キミは変わらずで、変わらず僕の大好きなままで、ホント変わらず、最低なクソ野郎の僕の味方でいてくれるんだもんな」
「私はいつだってシンバの味方だよ」
そう言ったハーゼを見ると、
「だって私達、友達でしょ? 変わってしまっても、どんなに大人になっても友達は変わらない。友達が困ってたら手を差し伸べてあげるのが友達だもの」
と、笑顔で言った。
「・・・・・・そうだね」
頷きながら、シンバは、これから先、どれだけの人間と知り合い、友達と呼べる仲になり、どれだけの人間に手を差し伸べられるのだろうかと考える。
そして、ハーゼに対しても手を差し伸べた事があるのだろうかと考える。
パラパラと捲るノアプロジェクトチームのファイルには、この星に住む様々な生物が書かれている。
新種、古代生物、絶滅寸前の動植物、人間についても細かく調査内容が書き込まれている。
遥か昔栄えたであろう恐竜、海の生物、空の生物、微生物についても——。
シンバはコーヒーを飲み干すと、
「これ、ノアプロジェクトチームに渡して来る。そしたら研究室に戻るよ」
と、ファイルを閉じて、そう言った。
「あ、うん、ありがとう、休憩付き合ってくれて」
「そういえば、何か僕に話とかあったんじゃないの?」
「え、あ、ううん、ちょっと子供の頃の話したくなっただけ」
「そう?」
「うん」
「わかった・・・・・・じゃあ!」
シンバは、ハーゼに手をあげ、ノアプロジェクトチームに向かった。
ハーゼはフゥと溜め息を吐き、コーヒーをゴクリと一口飲む。そして立ち上がって、
「ガンバレ!」
自分へ激励の言葉を贈る。
——彼氏持ちなら、まだチャンスはある!
——嫌われてはないし! 大好きな友達だし!
——女友達なら、私が一番身近な存在の筈!
——大丈夫! フラレた訳じゃない!
ハーゼはそう思いながら、一人頷き、研究室へと戻って行った——。
ノアプロジェクトチーム——。
ノアの箱舟という聖説がある。
ノアと言う男が、大きな箱舟で、生物を乗せ、自然災害から免れたという話。
ノアプロジェクトチームとは、この星の様々な生物のDNAを集め、それをストックしてあり、ストックされた生物は、いつでもクローンとして誕生できるようになっている。
もしも何かの生物が大量発生、または絶滅に追いやられ、それはこの星の生きる者全てに悪影響を催す生態系の狂いだった場合、ここのチームが動き出す。
それがノアプロジェクト。
即ち、ここがノアの箱舟と言っても過言ではない程、多くの生物が集結している。
しかし、シンバが見たノアの箱舟は血塗れの死の舟であった——。
暗い室内で、電気をつけた瞬間、目に入って来たのは、白衣を着た女性の死体。
次々に目に入って来る死体の数々——。
駆け寄って近寄らなくてもわかる。それは死んでいる。
——誰が?
——ビーチルドが?
——ビーチルドはここに来たのか?
——なんのため?
——いや、それともサンタクロース?
シンバは辺りに何かメッセージが残されてないか見るが、何もそれらしいメッセージは残っていない。だとすると、サンタクロースではなく、ビーチルドがやった事なのだろうか?
シンバは急いで研究室に戻り、ビーチルドの位置をレーダーで調べる。ビーチルドはまだこの建物の中にいるようだ。
——この建物にいるのは何の為に?
——もしかして、ここの人間全員殺す気か?
「シンバ!」
その声にハッとする。足元にホーキンズの姿。
「お前、どこに行ってたんだ?」
「シンバ探してた。だってここにシンバがいるって言うから。でもどこにもいなくて、やっと会えた。ねぇ、オレンはまだ仕事かなぁ?」
「オレンは・・・・・・ずっと仕事で帰れないみたいだ」
「え?」
「お前はもうオレンとは逢えないんだ」
「・・・・・・なんで?」
「これからは僕と一緒に・・・・・・」
そう言った後、オレンのようにはなれないだろう自分に気付いて、シンバは何も言えなくなる。ホーキンズは大きな黒目の澄んだ瞳でシンバをジッと見ている。
「シンバ、やっぱり空賊については無理だ!」
コウがそう言って来た。そしてホーキンズを見て、
「お、コイツ、全然喋らないじゃないか! 喋る犬ってコイツでいいんだろう?」
そう聞いた。シンバは頷くが、ホーキンズは喋ろうとせず、ツンと澄ましている。
「軍の方も空賊については何もわかってない。情報が早いと言われるサイトにも繋げてみたが、クソみたいな情報しかない」
「そう・・・・・・ありがとう・・・・・・」
「ああ」
コウはそう言うと、自分のデスクに戻る。シンバはまたもや振り出しに戻ると溜め息を吐きながら、頭を抱えるように、額に手を置いた。
「空賊について調べててるの?」
コウが傍にいなくなると、喋り出すホーキンズ。
「あぁ・・・・・・空賊と連絡をとりたいが、空賊ってどこの誰で何者なんだ?」
「連絡とれるよ」
そう言ったホーキンズを見る。
「ルエーフ博士は空都に行ってたから」
「空都?」
「空賊って言われている者達が住んでる所だよ」
シンバは座り込み、ホーキンズと目線を合わせる。
「どこに住んでるんだ?」
「どこっていうのはわからないよ、ルエーフ博士が行ってただけだから。オイラとオレンは話を聞いただけだもん。けど、ルエーフ博士のコンピューターで連絡がとれるよ」
「本当の事だよな?」
「オイラがそんな嘘ついてどうするの」
——そりゃそうだ。
「よし! 行こう、リゲル2番街へ!」
そう言ったものの、ビーチルドがこの建物にいる事が気になって、この建物から出ていいのかどうかわからない。
「ホーキンズ、お前、ここで待ってろ。ちょっとシオンさんに相談してくる」
シンバはDissecting Roomへ走る。
それぞれの研究室で、皆、忙しく動いているが、ローカは人が少ない。誰もいないローカもあり、そこを走っていると、自分の足音だけが響き、恐怖を感じる。
ましてや、ここ2、3日で他殺死体を何体も目の前で見た。それが浮かんで来てしまう。
——気が狂いそうだ。
このおかしな事から抜け出したら、気が狂わなくてすむのだろうか? いや、憎む対象となった父もなくなり、死から生を与えたい野望の対象となった母もなくなり、仕事の対象となったビーチルドもなくなり、Solarさえなくなる。
——全てなくなった時、僕は本当に気が狂うんじゃないだろうか?
何の為の今迄だったのか、シンバは記憶を遡り、考える。だが、考える前にDissecting Roomに着いた。今、想い出に悔やんで、縛られる暇はなさそうだ。
「シオンさん! シオンさんいますか?」
大きな声でそう言うと、少し遠くのデスクで、シオンは手を上げ、顔を出した。
「シオンさん、ブラックホールを創れるかもしれません!」
言いながら、シオンに駆け寄って行く。
「空賊って知ってますか? あんな船を創る輩です。ブラックホールを創れる設備があるに違いありません! しかも空賊とルエーフ博士は繋がりがあったみたいで、リゲル2番街のあの家のコンピューターで空賊と連絡がとれるみたいなんです!」
「それは確かな情報なのか?」
「はい。僕はこれからリゲル2番街に行こうと思います、でもSolarにいるだろうビーチルドをどうしようかと思ってるんですが」
「ビーチルドはレーダーで俺が見てる。動きがあれば俺が追う。お前はリゲルに行け」
「わかりました!」
「それから」
「はい?」
「リゲルに行くついでにキティンを送ってやってくれないか?」
「・・・・・・そうですね、彼女は家に帰した方がいい。その方が安全だ」
「悪いが、頼む」
「わかりました。シオンさんもビーチルドとは距離をとって下さい。決して一人で無茶はしないで下さい。ノアプロジェクトチームの連中が全滅してました。恐らくビーチルドの仕業だと・・・・・・」
「なに!? 全滅!?」
「はい、ですから、一人で無茶な考えと行動は控えてください」
「わかった・・・・・・ああ、ほら、俺の小型電話を持っていけ。ビーチルドに動きがあったら直ぐに連絡する」
シンバはシオンの小型電話を受け取った。
再び、猛スピードで研究室に戻る。気が付けば、ずっとジャケットを着たままで汗びっしょりになって動いている。
シンバはブラックホールを創る論とルエーフのデーターをメモリーカードにコピーし、ズボンのポケットに入れた。
キティンを起こし、ホーキンズと共に、Solarを出る。
時間は3時半過ぎ。まだ始発の電車は動いていない。その為、タクシーを使う。この際、お金がかかってもSolarのタクシー券を使えばいい。今は一刻も急がなければ——。
「リゲルの駅迄で平気だから」
キティンがそう言った事でリゲルの駅で、キティンだけを降ろしてしまった。
駅で、キティンを見送る為、一緒にタクシーを降りた時、
「ねぇ、シンバ、何かあったら助けに来てね?」
そう言われた。寝て起きても全ては夢ではなく、不安は消えないままなのだろう。
「何かあったら助けに来てくれる王子様は僕じゃないでしょ」
「そっか・・・・・・」
キティンは俯いて、バイバイと手を振ると、シンバに軽やかに背を向けた。
シンバはその背に、
「約束する」
そう言うと、キティンは振り向いて、首を傾げた。
「王子様じゃないけど、騎士にはなってもいいかな。だから何かあったら直ぐに飛んで行くよ。必ず助ける。約束するよ」
シンバは約束と言い、小指を立てて見せる。
キティンは笑顔で、頷き、小指を立て、
「うん、約束!」
そう言って、また背を見せ、軽やかに駆けていった。
その背を見送り、シンバは再びタクシーに乗り込む。
シオンから借りた電話が鳴る。ビーチルドがリゲル方向へ向かったと——。
直ぐにタクシーでUターンしてもらい、リゲル駅付近を探したが、キティンの姿は見当たらない。
シオンの電話にキティンの番号が登録されている。無事に家に着いたかどうか、キティンの電話を鳴らすが、出ない。
——きっと大丈夫。無事に家に着いてる筈。
そう自分に言い聞かし、タクシーを走らせてもらう。
リゲル2番街ポストナンバー3時計台裏でホーキンズと共に降りた。
雪はいつしか雨に変わっている。
まだ小降りだ。
雨のせいもあり、足早になる。
白い息を吐きながら、ホーキンズはシンバを見上げる。
——シンバって本当にオレンにそっくりだな。
——ここから見る角度なんて、そのまんまだ。
——あの男の子にも、なんとなく似ている。
——あの小さな男の子・・・・・・。
——オイラの頭をイイコイイコしてくれる温かい手がオレンにも似ていた。
——オレンも時々、シンバのように思い詰めた真剣な表情をしていた。
——でも歌ってるオレンが一番カッコよかった。
——オレンは歌で世界中の人と友達になるんだって言ってたっけなぁ。
——沢山の友達をつくるのが夢だったんだよね。
——いろんな人を知りたいって言ってたなぁ。
ホーキンズはシンバを見上げながら、オレンを想い出し続ける——。
雨が激しくなって来た頃、丁度、雨宿りするように、シンバとホーキンズは家に駆け込んだ。玄関の所で、ホーキンズは体をブルブルと震わせ、水を弾いた。シンバも肩のあたりのジャケットについた水滴を落とす。
そして一緒に玄関を開けた。鍵はかかっていない。中は誰も入った様子はなく、テーブルの上にダンボールは置かれたまま——。
シンバとホーキンズは二階へ駆け登る。
コンピューターは3台。1つは変な改造がしてあるので間違いなく違う。ホーキンズが、
「このコンピューターだよ」
と、教えてくれたコンピューターに電源を入れるがパスワードでロックされている。
「・・・・・・パスワードか」
こんな時に気が付く。自分の父親の誕生日すら知らないのだと——。
「パスワードが解けても、認証は厳重かもしれないよな。その後に他のコードでロックかかってる可能性もあるなぁ・・・・・・全解除できる方法は他のコンピューターから入り込むしかないか」
そう呟いた時、
「そのパスワードだけだよ。そしてそのパスワードはシンバの誕生日」
ホーキンズがそう言った。
「・・・・・・僕の?」
眉間に皺を寄せ、なんで?と言わんばかりの表情で、ホーキンズを見るシンバに、ホーキンズはやれやれと首を振る。
「シンバ、自分の命について考えた事一度でもある?」
「・・・・・・そりゃあるさ。死のうと思った事だってある」
「違う違う違う、シンバ、全然わかってない。死のうと思ったけど生きようと頑張ったとか、そういうんじゃないんだ、自分の命について考えるって言うのは! どうして命が生まれるとか、どうして死ぬとか、そういう事でもないんだ。どれだけ大切にされてるかって事なんだ」
「・・・・・・大切? わかってるよ、命は大切って事だろ?」
「違うよ! 全然違うし、わかってないよ! 簡単に命は大切とかって適当な事じゃないんだよ! シンバはとても大切な存在なんだよ。シンバがこの世で生きてるってだけでルエーフ博士は今日も頑張れるんだ。ルエーフ博士、いつも言ってた。シンバがいなかったら生きる気力さえなくなるって。そんなシンバを生んでくれたシンバの母親の存在も何よりも大切だって言ってた。つまり、シンバの命は、誰かの生きる糧って事。とっても大切って事!」
「・・・・・・そんな話聞きたくない」
「シンバは贅沢だよ」
「何が言いたいのかサッパリわからない」
「オレンは! オレンはどうなるの!?」
「・・・・・・どうなるって」
「オレンは愛されたくても誰にも愛されないままだよ。ルエーフ博士がくれてたものは愛じゃなく、優しさだもの。でもオレンは寂しくなったら歌をうたうんだって、笑顔を絶やさなかった! シンバ、例えばね、世界中にはいろんな人が溢れてて、全然知らない人が沢山いて、でもその人を愛してる人は、どこかにいる筈。オレンのように誰にも愛されてない人も、いつか巡り会う筈。そして命はまた生まれる。その命はまた誰かに愛されるんだよ。だから全然知らない命も、簡単に殺しちゃいけないんだ・・・・・・でもオレンは・・・・・・」
まるでオレンが死んだ事を知っているかのように思えた。それとも下にあるダンボールに詰め込まれた子供の死体の事を、オレンに例えて言っているのだろうか?
シンバはそんなホーキンズの頭をソッと撫でる。
「そうだな、その通りだよ。でもオレンは誰にも愛されなかった訳じゃないよ。ホーキンズ、お前がこんなに愛してるじゃないか」
ホーキンズは撫でられながら、ジッとシンバを見つめると、少し微笑んだシンバの顔がオレンに見え、クーンと鼻を鳴らした。
シンバはコンピューターに自分の誕生日を入力する。
コンピューターは解除されたが、空賊との連絡のとり方がわからない。
いろんなアイコンをクリックはしてみるが、どれも違う。メールの方もチェックしてみるが違う。本当に空賊と連絡がとれるのだろうか?
——あれ? このファイルに入ってるデーター・・・・・・
——やっぱりブラックホールを創る論だ!
——これって、トータスチーフの論とまるっきり同じじゃないか・・・・・・
そう思った瞬間、研究室でファイルを渡して来た時のトータスの笑顔が浮かんだ。
目尻の皺が優しく垂れた笑顔だった——。
——あれ? あの人、なんで瞳の色がグリーンなんだ?
——あの人の瞳、プラネタリウムではダークグリーンだった。
——そうか、辺りが暗いからグリーンって色が反射されずにダークに見えたんだ。
——あぁ・・・・・・そうか・・・・・・
——白い雪が反射したんだ、だからライトグリーンに見えた!
——サンタクロースの正体はトータスチーフだ!
——あれ? でも待てよ? だとしたらどうしてこの場所が?
——トータスチーフには僕がルエーフ博士を探しに行くのがわかってたのか?
——だとしたら、盗聴器はトータスチーフが?
確かに最初にこの場所に来る時、タクシーに乗り、運転手に尋ねたりと、発信機じゃなくても盗聴器だけで場所はわかるだろう。
——でもどうしてあの日、僕がルエーフ博士を探しに行くと知ったんだ?
「シンバ、なんかコンピューターから音が鳴ってるよ!」
ホーキンズがそう言って、シンバは思考世界から我に返り、コンピューターをいじりだす。
コンピューターからはメロディが鳴っている。
「なんだこれ? 何の音だ? どれか押せばいいのか?」
ホーキンズはわからないと首を振る。
シンバは、わからないまま、キーを適当に押してみる。すると画面に人が映った。
「あら? ルエーフ博士は?」
画面の向こうで、そう言って来た人は女性に見える。
「あ、これテレビ電話みたいなもんか? そうか、キーをどれか押せば、受話器を取った事になるのかも?」
「何の独り言? ルエーフ博士いらっしゃる?」
「あ、いや、えっと、ルエーフ博士は留守にしてます」
シンバは、このまま画面を見て話せばいいのかと、オドオドしながら、そう答える。
「いつ戻る? ずっと連絡してるのに、全然開いてくれないんだもの」
「あ、ああ、こっちの電源ずっと切ってましたから。それでこっちの画面が開かなかったんだと思います。ルエーフ博士はもう戻らないかもしれません・・・・・・」
「ええ!? どういう事!?」
「いや、ちょっと・・・・・・今は行方がわからないんです・・・・・・」
「困ったわ・・・・・・」
「何かあったんですか?」
「船の操縦が壊れてるから見てもらう約束してたんだよね」
「船・・・・・・ですか・・・・・・?」
シンバがそう尋ねた時、足元で、
「空賊の人だよ、その人!」
ホーキンズがそう言った。本当か?と信用なさそうに、そう聞きながらも、
「あの! その船、僕が見てみます!」
シンバはもうそう答えていた。
「アンタが? 無理よ」
ロングの赤い髪をかきあげ、クスクス笑いながら言う。
「どうして無理だと思うんですか?」
そう言ったシンバを青い綺麗な瞳に映し、
「只の船じゃないからよ」
と、口調は笑っていないが、その瞳は笑っている。
「只の船じゃないって言うのは空に浮かぶ船だからですか?」
「そうね。というか、アンタは、どうしてそこにいるの? ルエーフ博士のおうちでお留守番なの?」
「僕は・・・・・・」
「もしかして、ルエーフ博士の地上での研究仲間とか学者仲間とか? あ、アンタ電子工学者? 地上の電子工学者じゃあ、アタシ達の船は直せないわ」
「電子工学者じゃありません」
「アハハ、じゃあ整備士さん? 兎に角ムリムリ」
「どうしてルエーフ博士に頼めて、僕じゃムリなんですか!」
もうシンバの口調は怒りに近くなってきている。
「あのねぇ、坊や!」
コンピューターの画面に映ってる人も怒り口調になった瞬間、その画面の向こうで、
「リンクス、その少年を、空都へ——」
男性の声がそう言った。
「な!? 何言ってるんですか! スローン様!?」
画面の人が後ろを振り向いて、驚いた声をあげ、席を立った。
映っているのは白い壁が見える只の部屋の景色——。
それでもシンバは、『』その少年を、空都へ——』そう言った声に期待し、画面に再び人が現れるのをジッと待っている。
暫くすると、さっきの人が現れた。
「地上の者が空都へ来る道は、たった一つ。追憶と呼ばれる道」
「追憶?」
「ヒトは死ぬ瞬間、今迄の己の行いなどの記憶が蘇るらしい。死者は天国と呼ばれる場所に行くとも言われている。そして天国とは空にあるとイメージされてる。つもり我々の住む空に来るならば死を覚悟した上で来いと言う事だ。勿論、覚悟だけでは来れない。空都への道を知り、足を踏み入れた者は死んだ者ばかりだ」
「・・・・・・船で迎えに来てくれるんじゃないんですか?」
「怖気づいたのか? 迎えに行く我々に何のメリットがある? なんのメリットもなければ迎えになど行く意味がない。船を直すと言ったが、それはアンタにとって、ついで、だろ? 我々に何か用があるんだろう? スローン様はそう察しておられる」
「・・・・・・その追憶と言う道はどこにあるんですか?」
「どこにでもある」
「どこにでもって・・・・・・」
「アンタ達の住む地上とは、星である。追憶とは、その星の記憶を意味する。地に足をつけ、星に問い掛けてみろ」
「はぁ!? 意味わからないんですけど」
「アタシの名はリンクス。またアンタが空都にやって来れたら逢いましょう」
そう言うだけ言われ、画面は消え、トップに戻る。
「え!? あ、おい! ちょっと待ってくれ!」
シンバはキーを手当たり次第押してみるが、どうにもならず、ガンッと机に拳を落とす。
「意味がわからない。どうしろって言うんだ! 地に足をつけ、星に問い掛けろ? 何を?」
「シンバ、きっと念じるんだよ、超能力だ」
ホーキンズがそう言うが、シンバは馬鹿だろと罵る。
「でも何もやらないでいいの? きっと空からシンバの事見てるかもよ?」
「成る程。そうやって僕が意味不明な行動をとるのを見て笑うんだな」
「ええええ!? なんでそうなるの?」
「だってそうだろ、星に問い掛けろだと? 何を問うんだ? 僕は星に疑問など抱いてない! 問う事など何もない!」
「誠意とかじゃないかな、本当にシンバは言われた通りの事をするかなって空から見てて、誠意を感じたら、お迎えに来てくれるんじゃないのかな?」
「僕を試してるって事か」
「シンバって捻くれ過ぎてるよね。もっと素直に前向きな行動をとろうよ!」
「前向きってどう前向きになれるんだ! こんな馬鹿げた事!」
「じゃあ、何もやらないままなの? それでいいの?」
「・・・・・・よくない」
シンバはムカムカしてる気持ちを、必死で押さえる。
——クソ! 偉そうに! 意味不明な事ばっかり言いやがって!
——あのリンクスって女、美人だったから許してやる。
シンバとホーキンズは外に出る。
まだ雨が降っているが、傘がない為、濡れ放題。流石に風が拭くと濡れた手や顔が凍るように寒い。厚手の靴下を履いているが、濡れた靴が雨を更に染み込ませ、冷たさが足先に届き、ジンジンする。
ホーキンズは玄関先で雨に濡れないように、雨宿りしながらシンバを見ている。
——星に問う、星に問う、星に問う、星に問う・・・・・・
——えっと、ご機嫌いかがお過ごしですか・・・・・・?
——ああ、えっと、もうかれこれ、約45億年以上も生きてて大変ですよね・・・・・・?
——最近は温暖化などもあり、体調が優れないでしょう・・・・・・?
——なにやってるんだろう・・・・・・僕は・・・・・・
「ていうか、寒い!」
シンバは家の中に入り、もうテーブルの上のダンボールなんてかまってられないとばかりに、普通に通り過ぎ、暖炉に薪を入れると、火をつける。
火は紙などに燃え移り、大きな炎は薪にも燃え移り、パチパチを音を出し始めた。
シンバはジャケットを脱いで、椅子にかけ、暖炉の火で濡れたものを乾かし始める。
ホーキンズは入って来ない。まだ外にいるのだろう。
「おい、寒いから中に入れよ」
声をかけてみるが、返事さえない。その内、寒くなったら来るだろうと、シンバはほっとく事にした。
炎を見ながら、
——どうしよう・・・・・・
——ブラックホール・・・・・・
——創れないよ・・・・・・
と、考え込み始める——。
数分後、身体も温まり、濡れた髪も乾き始めるが、思考はまとまらないまま——。
ガタンと玄関で音がして、ホーキンズが入って来た。見ると、傘を咥えている。
「お前! ずぶ濡れじゃないか!」
「シンバの為に傘捜してたんだ」
「何やってんだよ、早くこっちに来て温まれよ!」
「うん」
ホーキンズはシンバの傍に来て、シンバを見上げる。口に咥えてる傘を差し出してるように思え、シンバは傘を受け取ると、ホーキンズは体をブルブルと震わせ、水を弾いた。
「バカ! 冷たいだろ!」
「あ、ごめん、水かけちゃった?」
「・・・・・・これ、どうしたんだよ?」
「盗んじゃった。悪い事だけど、シンバが困ってるみたいだったし」
「余計な事するなよ」
「でもシンバが濡れるのが嫌だったから」
シンバはキッチンを抜け、バスルームへ行き、バスタオルを持って来た。それでホーキンズの体を拭き始める——。
「それでお前が濡れてたら意味ないじゃん・・・・・・バカだなぁ・・・・・・」
シンバは呟くように、そう言って、ホーキンズの濡れた毛を拭く。冷たくなりきった体はガタガタと震えるばかり。
「シンバ、オレンみたい」
「え?」
「オレンもそうやってオイラの体を拭いてくれたよ」
「お前の中の記憶はオレンだらけなんだな」
「そうだよ、だって、オレンとオイラは仲良しだもん! シンバの記憶には誰が沢山いるの?」
「僕の記憶には母さんがいる。ルエーフ博士がいる。全部、悲しい事ばかりだよ」
「体を拭いてくれたりとかないの?」
そう言ったホーキンズに、シンバはフッと少しだけ笑う。ホーキンズはどうして笑ったのか、首を傾げる。
「楽しかった想い出も、悲しい事が多いと、辛い想い出になるんだよ」
「ふぅん。じゃあ、辛い想い出も、楽しい事が多いと、笑える想い出になるの?」
「そうかもしれないな」
「でも、シンバ、悲しい事が多いなら、それはこれから楽しい事が多くあるって事だね」
ホーキンズが無邪気にそう言うから、シンバは黙り込んでしまう。
「シンバ?」
「なんか変だな。お前の体温や脈や喉を通る唾液で、お前の気持ちを人の言葉にしてくれる首輪・・・・・・だったか? でもお前が本当にそう思ってるのか、誰にもわからない。だってお前、脳では人間の言葉、理解してないだろう? 言葉ってさ、人種によっても変わって来るんだ。ましてや、お前は犬だ。何を言ってるか、なんとなく悟れても、完璧に理解なんて不可能だろう? なのに会話してる。もしかして、その首輪、話し相手に、そう言ってくれたらいいなって思う事を言葉にしてるのかな」
ホーキンズは何も言わない。いや、ホーキンズの首輪が何も反応してないのか——。
シンバはホーキンズの首輪を外し、首の辺りも拭いてやると、ずっと首輪していた部分が痒いのか、気持ち良さそうに、首を伸ばす——。
「さぁ、誠意とやらを見せに行きますか!」
シンバは立ち上がり、ジャケットを着る。
「お前はもう少し温まってろよ」
そう言い残し、行こうとするが、ホーキンズはシンバに一緒について、外に出た。
止まない雨に傘を開く。
グリーンの少し大き目の傘。
だが、星に何を問えばいいか、やはり思いつかず、シンバは溜め息を吐く。
「ねぇ、シンバ、星ってなぁに?」
「うん? 星っていうのは、夜とか、空にキラキラしたのがあるだろ? あれだよ」
「ふぅん」
「僕達がいる所も星なんだ。わかるかなぁ?」
「うーん、じゃあ、星に住んでるんだから、空の星も誰かが住んでるんだね?」
「いや・・・・・・そうだな、宇宙のどこかには生物が存在する星があるかもしれないなぁ。でもここから見える星には、生物の確認はされてないんだ」
「ふぅん。じゃあ、どうしてここは生物が住んでるの?」
「太陽という星とこの星の距離が丁度いいんだよ。同じ距離にある月は小さすぎて重力が、この星の1/6で、水分子を引力圏内にとどめておくことができず、宇宙空間に逃げてしまうんだ。この星より太陽に近い惑星では、水はすべて水蒸気になり、この星よりも外の惑星では氷結してしまうんだ。簡単に言うと、この星は海がある。それが生物が住める理由の大半の理由だ」
「よくわからないや。じゃあさぁ、誰かは海があると来るの? どこから来るの?」
「来る!?」
「来ないの?」
ホーキンズの問いが余りにも変で、シンバは何て言えばいいか、考え込む。
「何て説明したらいいかな。無生物から原子細胞が誕生して、後にそれらは単細胞へと進化する。つまりバクテリアとかが進化して、動植物になるんだよ。ちょっと違うけど・・・・・・」
「どうしてオイラはシンバとは違うんだろう?」
「え?」
「オイラは犬って生き物で、でもシンバは人間って奴だろう? でも最初は同じバクテリアって奴だったんだろう?」
「いや、だから、それはさ・・・・・・」
「バクテリアは置いとけば、いつかは進化して、何になるの?」
「え?」
「置いておけば進化するんだよね? それで、えっと、オイラ達みたいになるんだよね?」
「何世代も時間を超えて、その時に合った形になっていくんだ。只、置いておいても進化はしない」
「オイラは犬って生き物が合ってたの?」
「え?」
「シンバは人間が良かったの?」
「良かったっていうか・・・・・・」
ホーキンズの問いに、シンバも首を傾げ始める。
「そうだよな、よく考えたら、進化ってなんだ? 生物進化は個体の生存と繁殖にとって有利な突然変異の蓄積によって起きるって論があったなぁ。だけど突然変異で様々な生命体ができるもんなんだろうか? それに進化して今があったとしても、確かにこの星に合った形態が、今、存在してるとは思えないなぁ。と言うか、前々から不思議に思ってた事があるんだ。恐竜って生命体の存在。どうして陸に、あんな巨大な生命体が生まれた? 重力の抵抗無視で、あんな生命体ができるのか? それが進化なら有り得ない。海ならわかる! 重力の抵抗が少ないから、巨大な生命体がいてもおかしくはない! だが陸にいたんだよなぁ、恐竜は・・・・・・恐竜が滅びた理由は様々あるが、定説になってるのが隕石だ。それが本当だとしたら、隕石が落ちなければ、恐竜はまだ栄えてたと言う事になる。考えられない。重力の抵抗無視の生命体が栄えるなんて。だとしたら、それは進化じゃなく、そういう生命体が、ここにやって来たと考えるべきなのか? なんかそうやって簡単な疑問が疑問として残らない世界にいたから、うまく答えれなくなってるのかもしれない。理屈で考えてばかりだからなぁ」
「もしかしたらテストだったのかもね。この星はテストで創られたものなのかもしれないよ。恐竜という生命体を送り込んでみたが、この星は星のままであり、文明を築けないままであった。その為、恐竜を滅ぼす為に隕石を落とした。そして次の生命体を送り込んでみた。その結果は、まだテスト中・・・・・・」
「犬の癖に面白い事を考える奴だな。でも過去の事は全て憶測に過ぎない。全て真実を知ってるのは、この星自身だ。そうだな、この星の記憶に入り込んで、追憶するしかないな。命のはじまりを教えて下さいってな感じでさ」
そう言いながら、ふとホーキンズを見た瞬間、シンバは凍りつく。
「ホーキンズ・・・・・・お前・・・・・・」
「うん?」
コテンと首を傾げ、ホーキンズはシンバを見ている。
「首輪・・・・・・」
「え?」
「首輪、さっき、僕がとっただろ、お前、今、首輪してないだろ」
「うん?」
「・・・・・・なんで言葉? お前、喋ってるのか!?」
その瞬間、シンバの足元が何やら熱を帯び、赤く輝いてるのがわかる。
「な、なんだ!?」
「シンバ、空都へ行けるんじゃない?」
「い、いや、まだ星に問い掛けてない!」
シンバはその場から身動きとれないと知る。逃げれない!
『——命のはじまりを教えて下さいってな感じでさ』
——そのセリフか!?
——それより、ホーキンズが何故!?
——突然、言葉を覚えた? 有り得ない!
——突然変異!? 有り得ない!
——でも例えば誰かに何かされてとかは? 有り得る!
——でも誰に何をされるんだ?
「お前! お前もしかして、Solarでビーチルドに接触したりしてないよな!?」
「ビーチルド?」
「小さな子供に会ったりしてないよな!?」
「ああ、したよ」
「なんだって!?」
「あの子、ビーチルドって言うんだ? とてもシンバに似てるよね。顔の形とか。それより、シンバ、赤い光に呑み込まれてるけど平気?」
平気所じゃない、赤い熱を帯びた光は、もう、シンバの胸の辺りまで来ていて、そこから下がなくなっている。
「っていうか、なんだ、なんなんだ、これぇぇぇぇぇぇぇーーーーっ!!!!??」
そのシンバの悲鳴と、グリーンの大きな傘だけを残し、シンバは消えた。
「・・・・・・シンバ?」
ホーキンズは消えたシンバを探すように辺りを見回し、鼻を鳴らす。
また一人ぼっちでお留守番。
「オイラは待ってるからね。必ず帰って来てね」
その言葉はオレンへのメッセージでもあった——。
赤い光に飲み込まれたシンバは、何もない場所にいた。
足元もなく、上も下もない、真っ白い闇の久遠の空間。
空を飛んでいるように、自分の重さも感じず、まるで意識だけの状態。
突然、わからない眩いものに包まれる。
それは白よりも光る熱いもの。
シンバは瞳を閉じるが、それは一瞬だった。真っ白の何もない空間が一気に闇に変わる。
何かが弾けたのか、闇の中には、カケラがふよふよと漂い始める。
振り向くと、闇は更に広がり、もう見えなくなった——。
「なんだ? ここはどこだ?」
暫く、シンバは身を任せるように、ふよふよと浮かんでいると、見覚えのあるモノが見え始める。それは青い星——。
「な!? ここって宇宙空間!?」
太陽もある。
そして、あの衛生は月だろうか? そう思った瞬間、シンバのすぐ目の前をウニウニと得体の知れないモノが通り過ぎて行く。そしてそれも見覚えのあるモノ——。
「・・・・・・ビーチルド?」
そう、カプセルに入って蠢いていたビーチルドに似ていた。
常に姿形を変える生命体の為、はっきりとビーチルドとは言い切れないが、似ていた。
そして、それは青い星に落ちた——。
「どういう事? ビーチルドってなんなんだ?」
青い星は美しく、回り続ける——。
これが青き星が知る追憶——。
人の脳では考えられないモノ。
夢のまた夢の更に夢の遠い記憶の空想的な出来事。
シンバは星に何を問い掛けたのか、思い出していた。
『——命のはじまりを教えて下さい』
これがその答えなのか、本当の星の追憶なのか、まだ何もわからない——。
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