5. 臨月

「どうしたんだ、このカード・・・・・・」

「朝、来たら、デスクの上に置かれていたんだ」

「なんだって!? じゃあ、あのダンボールの子供と昨日の教会の出来事は同じ奴が!? 待てよ、これがお前のデスクにあったって事は犯人はSolarの人間!?」

「いや、まだそうとは決められない。朝、この事件のせいでマスコミがSolarのまわりに誰もいなかった。そのせいで警備もゆるい。しかもルエーフ博士が戻って来た事で、上の者達の目もルエーフ博士に集中している。それだけじゃない。ルエーフ博士が戻って来た事は噂として、研究員達の間でも騒がれてる。こんな日に誰かがここに潜り込んでも、おかしくはない! それにSolarに潜り込んだのは昨夜の内かもしれないし!」

「・・・・・・外部の人間がお前のデスクがどれかも知ってるってのか?」

「誰かに聞く事だってできる」

「なら、怪しい人物がここに来てないか聞いてみるか」

「駄目だ、外部の人間かもしれないが、そうじゃないかもしれない! 誰も信用ならない! 誰にも何も聞けない! 犯人の目的がわからない。僕なのか、タレントの彼女なのか、それともルエーフ博士なのか、せめてターゲットが誰なのかさえ、ハッキリすれば!」

シンバはコウが発信機をつけた事を思い出し、誰も信じれないと首を振る。

「・・・・・・カメラは持って来たか? 今、ルエーフ博士はビーチルド保管ルームにいる筈だ。昨日撮った画像を見せ、知人かどうか確認するのが先だな」

「そうする。昨日は彼女どうだった?」

「ああ、うちの娘がファンだったようでなぁ、凄い喜んで騒ぐ娘に、彼女も暗い表情を消して、一緒に楽しそうには笑っていたが。昨日はあれからすぐにマネージャーに電話すると言って、電話を貸した。そしたら朝早くからお迎えが来て仕事に出かけた。一応、仕事を終えて帰る時はうちへ戻るように言っておいた」

「ありがとう、当分、彼女、シオンさんの家においてもらってもいいかな?」

「ああ、別に構わねぇ。娘が大喜びするだけだ」

キティンが喜ぶ顔が目に浮かび、シンバは少し笑って頷く。

「あのさ、ルエーフ博士に会う前に、母さんに逢いたい。母さんに逢って話したい気分なんだ。ごちゃごちゃしてる頭の中を、母さんに話して整理したいし、死体保管室に連れてってもらえる?」

「ああ、わかった、行こう」

シオンとDissecting Roomに向かう。足は急いでいる。気持ちも急かされる。

Dissecting Roomで、死体保管室の鍵がないと、シオンが言い出した。死体保管室の管理はDissecting Roomの研究員となっている。だが、

「ルエーフ博士が死体保管室へ足を運んだそうですから、そのまま鍵が開いてるのかもしれませんし、もしかしたら、ルエーフ博士がそのまま鍵を持っていらっしゃるのかも」

そう言った研究員に、シオンは頷いて、鍵が閉まっているのか、開いているのか、死体保管室へと向かう。

シンバもシオンの後ろを追う。

ドアは開いていた。と言うより、扉は開きっぱなしで、中から冷たい冷気が溢れ出ている。

薄暗い中は異様な雰囲気と妙な臭いで充満していた。

「・・・・・・母さん?」

シンバの母親が裸のまま股を開き、床に転がるように横たわっている。性器から白い液体が出ている。

「・・・・・・なに? これ? どういうこと?」

シンバは立ち尽くし、状況を呑み込めない。暫く、放心状態が続く。

「死体とヤッたって事だな、こりゃ」

シオンはそう言うと、シンバの母親の股を閉じさせ、抱きかかえ、保管カプセルの中に寝かせた。その時にポタポタと床に落ちる精子。

「ヤッた? ヤッたって?」

「・・・・・・性行為だ。セックスしたんだよ、死体と」

「誰が?」

シンバがそう問うが、シオンは黙り込む。

「もしかしてルエーフ博士が?」

「ルエーフ博士が最後にここに来たというなら、そうかもしれん。だが、ルエーフ博士が自分の愛する妻を死体であろうが、抱きたいと思ったにしろ、そのままヤリっぱなし状態に置いとくとは考えられねぇ。俺なら、妻の死体を愛せても、そのまま放置しねぇ!」

「じゃあ誰が!?」

「落ち着け、シンバ」

落ち着いていられる訳がない。シンバは小刻みに震えている。子供の死体では震えはなかったが、自分の母親の死体を犯した人間がいると思うと、怒りもあれば、恐さもあり、そして何より悲しみで震えが止まらない。

「解剖学の研究員に、ルエーフの他に死体保管室に行った人間がいないか聞いてみよう」

「聞いて何て言うの? 母さんが犯されてたとか、そういうのも言うの? これ以上、母さんを見せ物みたいにしないでくれ!」

「落ち着け、シンバ。そんな事言わなくてもいい、只、誰か来てなかったか聞くだけだ」

「じゃあルエーフ博士に聞けばいい!」

「・・・・・・ああ、お前が落ち着いて話せるなら、それでもいいが——」

シンバは死体保管室を出る。後に続き、シオンも出る。鍵はないが、ドアはキチンと閉じた。シオンからは、先を歩くシンバの背しか見えないが、どんな表情でいるのかが、見当がつく。このまま、ルエーフに会えば、間違いなく殴りかかりそうだ。

「シンバ」

少しシンバを落ち着かせねばと、シオンはシンバを呼ぶ。振り向くシンバ。

「死体とヤッちまうって事件は多くある。死体は女とは限らねぇ。男の死体や子供の死体のケツに打ち込んだりする奴がいるんだ。テメェで殺しといてな」

「だから?」

「死体とヤるなんて異常者だ、何か事件を起こすような犯罪者だと思わねぇか?」

「・・・・・・シオンさんは昨日の子供の死体や教会の事件と母さんを犯した奴が一致すると考えてるの?」

「わからねぇ。だが、そういう死体とヤッちまう奴が異性のタレントと一緒に暮らせるとは思えねぇ。創り出した命なら尚更、自分で殺して、また生かしてって命を遊ぶと思わねぇか?」

「殺して? 生かして?」

「それに殺人者は性欲に対しても異様だと言う。そう考えると俺はどうしてもルエーフ博士だと思えねぇし、思わねぇ」

「・・・・・・」

「シンバ、落ち着け。落ち着いてよく考えてみろ。ルエーフ博士が死体となった妻を犯すか? 犯す必要があるのか? あれは間違いなく、愛し合った後じゃねぇ。犯された後だった。そうだろう?」

「だからルエーフ博士に直接聞けばわかるんだ!」

「今のお前は聞くと言うより決め付けて問い詰める勢いだろ」

シンバは頭を抱え、座り込む。

「シンバ?」

「もうわからないよ! 何がなんだか! 頭がおかしくなりそうだ! 全ては5年前から狂い出したんだ! 母さんが死体になって、意味のわからない肉の塊が蠢いている生命体を調査している日常が、もう狂ってたんだよ! 狂い出した事に気が付くのが遅すぎたんだ!」

シンバはそう叫んだ後、シオンにしがみ付いた。

「ねぇ、シオンさん、僕が何をしたって言うんですか? 僕が何をして、こんな狂った世界に堕とされたんですか?」

「・・・・・・落ち着け。落ち着くんだ」

シオンはシンバの背をさする。シンバは今にも泣き出しそうな表情。

ローカを行き交う研究員達がシンバとシオンをジロジロと見ている。

シオンはシンバをゆっくりと立たせると、ビーチルドが保管されている部屋へと向かい出した。もしもルエーフに殴りかかったとしても、それでも感情を剥き出しで怒るシンバの方が人間らしいと思ったのだ。

シオンは今迄、こんなにも乱したシンバを見た事がなかった。

母親の死体を目の前にしても、平然としていた。装っていたと言った方がいいか。

それがシンバだと思い込んでいたが、よく考えれば、まだ20歳にもならない青年というよりは少年に近い、そんなシンバが、何事にも感情なくこなしていく方が狂っている。

今のシンバが、人間らしい反応であり、シンバの感情だ。

ビーチルドが保管してある部屋へと続く通路には人が沢山集まっていた。皆、上の立場の人間達ばかり。

シンバの属する班のチーフであるリタ・二ーナカインの姿も見られた。

「どうかしたのか?」

シオンが誰に聞くでもなく、そう尋ねると、

「ビーチルドが大変な事になってるらしい。よくわからんが、ガードスーツも着用していないルエーフ博士が中にいるようだ。ガードスーツ着てないから、誰も近寄れない。万が一にも変な細菌をもらって、くたばるのは嫌だからな」

傍にいた人が、そう教えてくれた。

シンバは皆を掻き分け、奥へと向かう。

「レインハルトくん!」

リタのヒステリー声が響くが、シンバは見向きもしない。

シオンもシンバに続いて、奥へと向かう。向かいながら、

「ガードスーツなくて平気なのか!?」

そう言うが、シンバは答えない。

「ちっ、昨日、教会で死んだと思えば恐くねぇか!」

自分に言い聞かせるように言うシオン。

今、ビーチルドが保管されている部屋の扉をシンバが勢いよく開けた。

ドアが開いた音に、ルエーフがゆっくりと振り向く。ルエーフは部屋の中央に立っていた。何かをしているようには見えず、只、呆然と立っていた様子。

そしてルエーフ博士の顔を滝のように流れる汗。

「・・・・・・シンバ、何故ここにスーツを着ないで来た?」

——何故ってスーツなんて着なくても大丈夫だからに決まっている。

「ビーチルドに人という姿をずっと見せ続けて来たのか・・・・・・?」

——!?

シンバはルエーフの言っている言葉の意味がわからない。

そういえばと思い出す。ルエーフが『その方がビーチルドにとってもいいんだ、無機質な研究室でいた方が』そう言っていたなと——。

——無機質の方がいいってどういう意味だったんだろう?

ちょうどルエーフが立っている為、シンバからビーチルドの姿が隠れている。

しかし、身長が高いシオンの視界にはビーチルドが入っているようだ。シオンの顔にも汗が流れ落ち始める。

「それだけじゃない、水溶液は羊膜液に変わっている。これでは新人類の誕生を現人類が手伝ったようなものだ」

——え? 新人類?

「ルエーフ博士、今はビーチルドどころじゃないんだ。母さんが・・・・・・」

シンバは、そう言いながら、部屋にツカツカと入って行き、そして、視界にビーチルドが入った途端、言葉を失った。

ビーチルドの姿は36週から39週目の母親の胎内で成長した胎児の姿そのものだった。

「・・・・・・なにこれ」

驚くシンバに、ルエーフは、

「——臨月が来た」

そう言った。その時、カプセルがピシッと音をたてた。

「カプセルが割れる!? 馬鹿な! 胎児にそんな力がある訳ない!」

「シンバ。ビーチルドは、この星を支配する生命体達だ」

「達!?」

「ビーチルドが地に足をつける時が来てしまったという事は、この星に命を増やす為という事。その最初で最後の命となるには、どんなものも打ち破る力がある。例え鋼鉄でも。何故なら、全ての命だからだ」

「意味がわからない! 一体、あなたは何を創ったんだ!」

シンバがそう吠えた瞬間、シオンが、

「割れるぞぉぉぉぉーーーーっ!!!!」

と、大声を出し、ルエーフがシンバの腕を掴み、シオンのいるドアの方へ突き飛ばした。

ピシピシピシとカプセルが割れる音と、罅割れた場所から羊膜液が流れる音。

そして、突然、突き飛ばされた勢いで、シンバがよろけながら、ルエーフを見た時、

「シンバ、——————だ!!!!」

ルエーフが何か叫びながら、割れるカプセルに突っ込んだ。

——え? 何? 何て言った?

よく聞き取れないまま、流れ出た羊膜液が機体に入り込み、電流が辺りに激しく流れ、シンバが、目を閉じようとした瞬間、胎児の型をしていたビーチルドがグニャッと変形したかと思うと、ルエーフを呑み込んだ。

——!?

バチバチと電気がショートする音と光。

眩しすぎて、目を閉じ、顔を伏せた。

やっと目を開けると、そこには、ルエーフの姿もビーチルドらしい姿もなかった。

只、5、6歳程の、少年らしい者が、一人佇んでいる。

顔つきからして少女には見えない。裸ではない。ルエーフが着ていた服を見事に子供サイズにしたものを纏っている。髪の色はブラウン。瞳の色はハニー。

「・・・・・・ビーチルド?」

シンバがそう呟くと、少年は感情のない表情のまま、口元だけをウニッと上にあげた。笑ったつもりだろうか——?

ゆっくりと歩み寄る少年。

「おい、シンバ! ルエーフ博士は食われちまったのか?」

「わからない、でも、それに近いのかもしれない!」

シオンとシンバはそう言いながら、後ろへ身を引いていく。

近付いて来る少年。しかし、後ろは壁。もう後ろへは引けないシンバとシオン。

少年はそんなシンバとシオンをじっと見つめながらも、無視して、行ってしまった。

ホッとする二人。しかし、

「おい、シンバ、あのガキが行った方向には、人が集ってた。みんな食われちまうんじゃないか?」

シオンが想像したくない事を言い出す。

「喰ったらパワーアップとかしやしないよな?」

またまた考えたくない事を言い出す。

「わからないけど、ほっとけないのは確かだ。捕らえなきゃ!」

シンバがそう言い終わった時、通路の向こう側で悲鳴が聞こえた。だが、シンバもシオンも直ぐには動けない。なんとなくイメージができてしまうからだ。そして行った所で自分達に何ができるかも、まだ何もわからないからだ。

銃声音も聞こえ始める。

「行こう!」

シオンがそう言って、走り出すが、シンバはまだそこから動けない。

頭の中でグルグル回る昨日、今日の出来事——。

精神的に限界だろう。でもゆっくりと歩き始める。しかし、通路を出た所で、シンバが見た光景は、真っ赤な景色で、歩き出した足も動けなくなり、止まってしまった——。

「なんなんだよ・・・・・・」

今迄、憎くて死ねばいいと思っていたリタ・二ーナカインがマネキンのように首だけがこっちを向いて、倒れている。体は背を向いているのに——。

リタの開いた瞳に自分が映っているように見える。

リタだけではいない。辺りは死体だらけ。

全員かどうかはわからないが、ここに集っていた人間が殺されたのだろう。

辺りは血塗れで、まだ倒れている死体から溢れている——。

——ビーチルドがやったのか?

——喰わなかった?

——喰わずに殺した?

——何故?

シンバは血の海の中で、ぼんやりと自分に問い掛けている。

——ビーチルドはどこへ行ったの?

——どうして僕を殺さずに行ったの?

「シンバ!」

「シオンさん・・・・・・」

「ビーチルドが外へ出たらしい!」

「え!?」

「私が外へ出て行くのを見たの」

シオンの後ろからハ—ゼが来て、そう言ったが、血だらけの景色にギョッとして、ハーゼは、それ以上、近寄って来ない。

シオンは死体を跨いで、シンバの傍に来た。

「この現場にいて逃げた奴から聞いたんだが、銃で撃った連中がビーチルドに殺されたと言っていた。ビーチルドはこっちが手を出さなければ、何もして来ないんじゃねぇか? 言葉がわかるなら説得という形でビーチルドに接触したらいいかもしれねぇ」

「・・・・・・どうやって? 喰らわずにどうやって殺したの?」

「ああ、なんでもビーチルドが手を広げたら見えないものが刃のように人を裂いたとか、指先から火の玉が出たとか、まるで魔法みたいな事を言っていたが——」

「見えない刃って風かな・・・・・・?」

「風?」

「この星の四大元素をビーチルドは持っていて、それを自在に操れるのかもしれない」

「なに!? 四大元素を持ってる!?」

「風、火、水、地。ルエーフ博士が新人類だと言っていた。僕たち人類が次に誕生する新しい人類だと認めるとしたら、それは神に近い程の能力者だと思う。神は教会で崇められている空想的発想の創造者だけじゃない。自然現象で起こる災害を元にある自然神は誰もが恐れる。それをビーチルドは持っているのかもしれない」

「だとしたら、あのガキは大地震も起こせるし、水害ももたらすし、火山を目覚めさす力もあるし、嵐も呼べるって訳か?」

「そこまでかどうかはわからないけど、銃で向かって来る人を殺せるだけの力はあるみたいだ・・・・・・」

シンバは辺りを見回し、そう言った。

シオンも辺りに転がる死体を見回す——。

「ルエーフ博士から新人類って言葉を聞いて、ふと思ったんだ。最初は何もない無の状態から神の一撃で宇宙が誕生したと、ある聖書にはそう書かれていたりするけど、それを考えるとルエーフ博士は神として無から何かを創りだした。しかしルエーフ博士は人間。つまり神が科学的に証明された瞬間だったんだ。だけど、その結果、神を創り上げてしまった。ほら、なんだったけ、人が作り出した紛い物が神なのか、神が作り出した紛い物が人間なのか?って言った人がいたでしょ?」

「あのガキは神だと?」

「いや、神じゃない、新人類だ。だけど、僕達より優れた能力があれば神にもなる」

シンと静まる中、ハーゼは口を押さえ、走り去っていった。

「この死体の数だ、気分も悪くなる」

シオンは舌打ちをしながら、死体の数を数え出した。

「どうするの、この死体・・・・・・警察は呼ばないんでしょ・・・・・・?」

「さぁなぁ、上の連中がもうすぐ来るんじゃねぇか?」

「他人事だね・・・・・・」

「わからねぇもんはしょうがねぇだろう。それより上の連中にビーチルドの事を報告する前に、報告できる段階までにしとかねぇとなぁ。そうだろう?」

「そうだね、やっぱり追うしかないか、ビーチルドを。僕はハーゼにビーチルドが向かった方向を聞いて来る」

「俺は他にビーチルドを見た奴がいねぇか、聞いてみるか」

「じゃあ、お互い情報収集からって事で!」

シンバはそう言うと、シオンに手を上げ、走って行く。シオンは懐から煙草を出し、咥えると火をつけ、フーッと煙を吐いた。死体だらけの血の海の上で一服しながら、走って行くシンバの後姿を見つめて、

「まさか、この年齢になって、走り回る事になるとはなぁ」

と、呟いた——。



研究室に来ると、コウが、

「シンバ、なんか騒がしいけど、大丈夫なのかな?」

不安だらけの顔で、シンバに尋ねて来た。

「大丈夫かどうかなんて、僕に聞かれてもわからないよ」

「そ、そうだよな。な、何か手伝える事でもある?」

「別にないよ」

素っ気無いシンバの態度に、コウは困った顔をして、

「やっぱり怒ってるよな、俺の事・・・・・・」

そう言った。

「何を怒る必要がある訳?」

「・・・・・・」

「言えよ」

「・・・・・・」

「発信機の事だろうが!」

何も言わないコウに、シンバがイライラして、自分から言い出した。

「や、やっぱりバレてたよな。お前、発信機付けたままだったから、まだバレてないかなって思ったんだ・・・・・・」

「え?」

「ほら、付けっぱなし」

コウはそう言うと、シンバのジャケットの左肩の所にある小さな発信機を取って、シンバに見せた。

「なにこれ・・・・・・?」

シンバはそれを手の平に乗せ、まじまじと見つめる。

「なにって、俺が付けた発信機だよ」

それは黒くて丸いモノ。

「いや、なんか糸くずみたいな奴じゃなかったか? 時々、赤く点滅してさ!」

「俺が付けたのはこのタイプだったよ。糸くずみたいな奴じゃない」

「じゃあ、僕が握り潰したアレは・・・・・・?」

「盗聴器じゃない?」

その声はハーゼ。

口をハンカチで押さえ、シンバの背後から現れた。多くの死体を目にしたせいだろう、少し顔色が悪い。

「盗聴器?」

「糸くずみたいに見える細いコードで出来た盗聴器があるのよ」

「コウ! お前、盗聴器まで付けたのか!」

「俺じゃないよ! 確かに発信機は付けた! 付けろって命令されたから! でも盗聴器までは命令されてないから付けてない!」

「だったら誰が・・・・・・」

——誰が盗聴器なんか・・・・・・?

——更衣室は誰でも入れる。

——ロッカーには僕の名前が書いてあり、貴重品など入ってないし鍵はかかってない。

——ジャケットに盗聴器をつける事は誰でもできるが・・・・・・。

——でも僕がジャケットを着るだろうとわかる奴だ!

——僕が外出する事を知ってる奴。

——それは・・・・・・

——シオンさん、コウ、リタチーフ・・・・・・。

「コウ、盗聴器を付けろって命令は誰から?」

「リタチーフだけど・・・・・・」

——そうだよな、そうなるよな。

——でもシオンさんは僕の行き場所も、何しに外出をとるのかさえ、知っている。

——そんなシオンさんが盗聴器を付けて何になる?

——じゃあ、誰が?

——誰が盗聴器なんか付けたんだ?

「シンバが持ってる、その発信機、外に出て行った男の子にも付いてるわ」

そのハーゼのせリフにシンバは驚く。

「外に出て行った男の子って、もしかして・・・・・・」

「ええ、ビーチルドへ続く部屋の通路から出てきて、みんなを・・・・・・その・・・・・・攻撃したっていうか、なんていうか・・・・・・あの男の子の事だけど・・・・・・」

「誰が発信機なんか?」

「俺が・・・・・・」

「コウが!?」

「昨日、その発信機、失敗するかもしれないからって予備にもらってたんだ。でもうまくシンバに付けれたから、1つ余ったまま、ポケットに入れておいたままで、それで、今朝はシンバも来てたし、ルエーフ博士も現れたという噂も耳にしてたから、発信機の件はうまくいったのかなって思って、予備のは返しに行こうとリタチーフを探してたんだ。チーフルームにいなかったから。そしたら小さな男の子が歩いて来るから、どうしたんだろう?って思ってて、何か悲鳴とか聞こえてたし、事件かなとか考えて、でも男の子の表情が普通っていうか、何もないっていうか、余りにも当たり前の無表情過ぎてさ、事件に関係あるかもしれないと思って、引き止めようとしたんだけど、誰かが、その子供に触れたら駄目だとか殺されるぞとか吠えて来て、俺、思わず、発信機、男の子目掛けて投げたんだよね。そしたらうまく背中に張り付いて」

「嘘だろ? そんなに簡単に張り付いたのか?」

「本当の事よ。私が見てたもの。それで男の子が外に出て行くのを見て、ガーディアスさんが走って来たから、男の子なら、外に行ったわって私が教えたんだもん」

「そうなのか。なら、その発信機を追跡できるレーダーがどこかにある筈だよな」

シンバがそう言うと、

「リタチーフが持ってるんじゃないか?」

コウが少し考えながら、そう答えた。

「なら、チーフルームを漁れば出て来るかな」

「漁るって、おい、シンバ、リタチーフに言えばいいんじゃないか? それにあの男の子はなんなんだ?」

「リタチーフは死んだ。その子供にやられた」

「はぁ!?」

「リタチーフだけじゃない。研究員をまとめるチーフクラスの奴等が、略やられた。ルエーフ博士がビーチルドの部屋にいて、興味本位で通路の所に集ってた奴等の殆どがチーフクラスの連中だったから。ルエーフ博士はビーチルドに呑み込まれた。あの男の子はルエーフ博士を呑み込んだビーチルドなんだよ」

「シンバ、何言ってんだ? 死んだとか呑み込まれたとか、やられたってどういう意味なのか、俺にはサッパリわからないよ」

「私は見たわ。リタチーフの死体を。だからシンバの言ってる事の意味が、混乱してても、少しはわかる・・・・・・」

そう言ったハーゼを見ると、口元をハンカチで押さえ、今にも嘔吐しそう。

「リタチーフだけじゃなかったわ。大量の血が床一杯に溢れてて、みんな、みんな死んでた。多分、ここももう終わりじゃないかしら・・・・・・」

気持ち悪そうに、それでもハーゼは言葉だけを一生懸命に吐いた。

「終わりって・・・・・・?」

コウは理解できずに、眉間に皺を寄せっぱなし。

「これだけの人が死んだんですもの。それに死んだ人間がチーフクラスの者ばかりだとしたら、Solarはそれぞれの学部を治める人間を一気に失った事になるわ。どこかの研究所や大学からチーフになれる人材を集めたとしても、こんな大量に人が死んだ所へどれだけの人が来てくれると思う? これは隠しきれるような事件じゃないわ。Solarはもうお終いよ」

ハーゼのセリフにコウは絶句する。

「シンバ、私も手伝うわ。発信機のレーダーを探すのを!」

気持ち悪そうながらも、シッカリしたハーゼに、いざとなれば、女の方が強いなと感じる。

「ちょっと待てよ! あの男の子がビーチルドって事は人間じゃないって事だろ? みんなを殺したんだろ? 化け物じゃないかよ! そんな化け物追ってどうするんだよ!?」

「追って捕らえなきゃならない。このままだと、政府だのなんだのと国のお偉いさん方の登場となりそうだ。そうなった場合、報告できる段階迄にしないと、それこそSolarの連中全員が死刑とかになりそうだろ」

「待てシンバ! 死刑って、俺、ビーチルドとは何も関係ないぞ!」

「関係あるとかないとか、この際、そんな事は関係ないんだ、責任って形を誰かがとるにはな。ビーチルドがこの国だけじゃなく、世界を脅かす存在だから」

「Solarの者全てが責任を負わされるのか・・・・・・?」

「多分、そうなりかねない」

放心状態のコウ。

「コウ、急ぐから、僕はチーフルームに行くよ。じゃあ!」

シンバは呆然としているコウに、そう言うと、研究室を出た。ハーゼもシンバの後を追い、チーフルームに向かう。コウは暫く呆然としていたが、頭をグシャグシャと掻き毟った後、クソッ!と口の中で呟き、シンバの後を追った。



チーフルームで、シンバはコンピューターをいじる。ハーゼは棚の引き出しや本棚などを捜し、GPS付きの小型のコンピューターらしきものがないか探す。

コウは二人の行動を見て、棚の引き出しを漁り出した。

シンバはコンピューターにレーダーとなるファイルなどが入っているかもと思ったが、それらしいトップアイコンさえ見当たらない。

——天文学のファイルがある・・・・・・。

何気なくそれを開いてみる。

「リタチーフって天文学に興味あったんだな」

「ん? ああ、あれじゃねぇか? 来年の春にある宇宙論の発表。世界各国の天文研究所から出される新しい論のイベントだからやりたいんじゃねぇの? いい評価もらえるとそれなりに地位も上がるらしいよ」

「あぁ・・・・・・Solarの人間はみんな論を提出するんだろ? そこからいい論だけ選ばれるのか?」

「そう聞いてたんけど、考古学の連中に聞いたら、宇宙論なんて出してないって言うんだよね。俺等サイエンスだけが宇宙論出してるっぽい」

「サイエンスだけが!?」

「勿論、天文学の連中は宇宙論書いてるだろうけど」

「・・・・・・ふぅん」

「なんか天文学の連中に優秀なのがいないらしくてね、サイエンスの研究員に手伝ってもらう事になったとか聞いたけど」

「・・・・・・へぇ。でもなんでサイエンスなんだろうな?」

「リタチーフ、プライド高いから、うちの研究員ならこんなの簡単にやっちゃうわとか言ったんじゃねぇの?」

「有り得そう・・・・・・」

「俺等にとったら迷惑だよな。忙しいのに天文学まで知らねぇよって感じ!」

「僕は論提出とか言われてなかったから、迷惑も何もないんだけど・・・・・・でも天文学の地位が上がってもサイエンスは上がらないだろう? リタチーフの地位だって上がらないんじゃないの? 例えサイエンスから優れた論が出たとしてもさ」

「どうなんだろうな? チーフクラスの奴の考える事は俺にはわからん」

「確かにね。心理学の奴等でもわからないかもね」

などと冗談を言いながらも、

——何か引っ掛かるんだよなぁ・・・・・・。

と、思っているシンバ。

コンピューターに流れる文字を目で追い、只の宇宙論だなと確認し、ファイルを閉じた。

「あ!」

突然、ハーゼが声を上げる。

本棚から手の平に収まる程のコンパクトなコンピューターを発見したのだ。

コンセントが繋がっていて、充電している。

折りたたみ式で開くと、ピコンピコンと丸いモノが点滅して動いている。

シンバとハーゼとコウは、それを見て、

「あったぁ!」

と、声を合わせて、そう言った。

「じゃあ、僕はこれを持ってビーチルドを追うよ」

「私は何したらいい?」

「ハーゼはここにいてよ。夜には一度ここに戻るから、その時に僕がいない間のSolarの状況報告してほしい」

「わかったわ」

「俺も・・・・・・何か手伝える事あるか?」

「コウは・・・・・・リゲル2番街ポストナンバー3時計台裏って所に行ってほしい。そこから路地に入るんだけど、今、地図を書くから」

シンバは言いながら、デスクにあるメモ用紙に地図を書いた。

「ここに行って、犬を連れて来てほしい」

「犬?」

シンバはあの家には、当分は帰れそうにないと考え、餌の心配がないとしても、死体と一緒にずっとホーキンズを置いておけないと思った。

「結構大きな犬だけど、シンバが呼んでるから行こうって言えば、大人しく付いて来ると思う。多分、かなり用心してると思うから玄関のドアの前で、根気よく説得してみて」

「はぁ・・・・・・? 説得って犬にか?」

「大丈夫、喋る犬だから」

「はぁ!?」

「名前はホーキンズ。よろしく」

「え、あ、おい! ちょっと!」

コウは困ってシンバを呼び止めるが、シンバは急ぎ足でシオンを探しに行く。

シオンはすぐに見つかったが、止まって話してる暇はない。シンバは誰かと話してるシオンの腕を引っ張り、そのまま連れて行く。

「ビーチルドに発信機を付けた奴がいて、そのレーダーがこれ。直ぐに追いたい。バイクで走ってくれるよね?」

「発信機を!? 確かな事なのか?」

「うん、多分ね」

「わかった、バイクは駐輪場にある!」

シオンがそう言い終わるのと同時に、二人は走り出す。

駐輪場で、シンバが目にしたバイクは驚く程にでかく、

「これってハーレー!?」

と、思わず言ってしまう程。

「ハーレーに似せたバイクだ。ドラッグスターシャドウって言う」

「凄い名前だね・・・・・・あれ? でも昨夜うちに来た時のバイクとは違うよね?」

「あぁ、あれもカッコイイだろう? でもコイツは一際かっこいいだろう?」

シオンの自慢気な口調で、幾つかバイクを持っていると言う事と、話が長くなりそうと言う事がわかり、

「うん、そうだね、どれもかっこいいね、じゃあ、早速ビーチルドを追おう!」

シンバはそう言った。

「お前、そりゃあ、バイクの事を流しすぎだろ・・・・・・自慢のバイクだぞ・・・・・・」

納得いかなそうなシオン。それでも今は緊急事態な訳で、シオンはシンバにメットを渡す。

そして二人メットを被る前に、レーダーで位置確認をする。

「ん? 電車でも乗ったか?」

「いや、多分、車とかにしがみついてとかじゃないかな。っていうか、大きな事件や事故が起きてなければいいけど」

ビーチルドは思ったより移動が速かった。

「とりあえず北だな」

シオンがそう言ってメットを被る。

ピコンピコンとレーダーはまだ動いて反応している。

「遠くになるにつれ、音も小さくなっていく。これって何メートル迄の範囲を追跡できるんだろう? とにかく少しでも近付こう!」

シンバもそう言ってメットを被り、バイクに跨り、シオンの腹部に手を回した。

バゥン、ドッドッドッド・・・・・・

エンジンがかかり、バイクは命が吹き込まれたように拍動し、一気に走り出す。

シンバはシオンにシッカリと摑まっている。

最初は走り出すスピードなどに緊張していたが、慣れて来ると、余裕も出てきて、いろんな事を考える。

ビーチルドの事は勿論、ルエーフ博士の事、母の事、母と同じ名のタレントの彼女の事、盗聴器の事、ストリートチルドレンの死体が入ったダンボールの事、サンタクロースの事——。

シンバの頭の中で破裂しそうなくらい、全てが鮮明過ぎて、恐いくらいリアルに映る。

ふと見ると高いビルの上にあるモニターにオレンの姿があり、臨時ニュースが流れている。

『人気アイドルであるオレンが失踪・・・・・・』

よく読めないのは、距離的に遠いのもあり、バイクの振動の所為もあり、文字が流れてる所為もある。でも失踪という二文字がハッキリと見えた!

——失踪!?

「シオンさん! シオンさん! ちょっと止めて! シオンさん!」

シオンは、暴れるシンバに何事かと、バイクをロードサイドに停める。

「見て、あのモニターに流れてるニュース!」

メットをとり、シオンは目を細め、流れるニュースを目で追う。

「どういうこった? あの娘、朝早くマネージャーと出て行ったぞ。後はマネージャーとずっと一緒だろう? 何かの事件に巻き込まれたのか!?」

「わからない。どうしよう・・・・・・」

「失踪って言っても、朝はいたんだ。まだそんなに時間も経っちゃいねぇ。その内、ひょっこり現れるかもしれん。それにニュースになってると言う事は事務所側が警察に連絡を入れた筈だ。そっちはそっちに任せ、俺達はビーチルドに専念するのがいいだろう」

「・・・・・・警察に? だとしたら、イロイロとバレるんじゃないかな」

「捜査次第だろうな、今、俺達にできる事は、ビーチルドを追う事だ」

「・・・・・・そうだね」

再び、バイクは走り出すが、シンバはモニターが見えなくなる迄、ずっと見上げ続けていた。歌っているオレンの姿が、軽やかにダンスしているオレンの姿が、笑顔で手を振るオレンの姿が、ずっとずっと見えなくなる迄、シンバは見ていた——。

バイクで走ると、風が強く向かって来る。

風の強さにシンバは目を閉じる。

メットを被っているから、顔に風が直接来る事はない。勿論、シオンの背があるから、そんなに風の抵抗はない。それでもシンバは体に当たる風を感じている。

目を閉じて、目蓋の裏に見える景色は紙飛行機が青空を駆けるところ——。

風に乗り、どこまでもどこまでも飛んで行く。

あの頃、僕は何を思い、何を描いて、風の中にいたのだろう——?



バイクを一時間ばかり走らせた所に来ていた。

レーダーは強く反応している。

シオンは近くにバイクを停めれる場所を探して来ると行ってしまい、シンバはレーダーを見ながら、スクールを見上げていた。

「学校だよな・・・・・・?」

そう呟きながら、シンバは裏門になるだろう、その鉄格子が開いている為、そこから中へ入る。冬休みのせいか、人を見かけないが、裏門が開いていると言う事は誰かいる筈。

花壇には残り雪が積もっている。

「ビーチルドは、なんでこんな所に? 立ち寄っただけか? それともここが目的地か? それともレーダーが間違ってるのか?」

疑問を一人で呟きながら、シンバは学校内の運動場に出た。

——まさか滑り台とかシーソーとかジャングルジムとかで遊んでるって事はないよな。

——いくら5、6歳に見えるって言っても、ビーチルドは人間の子供とは違うしな。

——精神的成長がどうなってるのか謎だけど・・・・・・。

運動場にある遊具で遊んでる子供達が数人いたが、ビーチルドではない。

——ヤバイな。

——ビーチルドがここら辺にいるって事は、みんなを避難させた方がいいかもしれない。

——でもどうやって?

考えてる暇はない。子供なんて適当に話し掛けて、家に帰るように言えばいいと思い、

「キミ達、遊んでないで帰りなよ」

と、子供達に近付いて、思ったまま、シンバは無愛想に行き成りそう言った。子供達は顔を見合い、一人の子が、

「でも体育館でバスケの試合してて、それの応援にパパと来たから、それが終わるまで帰れないよ。パパは応援に体育館にいるから、試合が終わったら迎えに来るから、ここで遊んでてって、パパが言ってたし」

そう言った。

「バスケ?」

シンバが問うと、子供達は頷いて、体育館を指差す。その方向を見ると、校舎の向こう側にある建物で歓声が聞こえて来た。そこが体育館だろう。

シンバはそこに向かう。

体育館は人が多く集っている。入り口からは中は覗けそうにない。上り階段があり、そこから体育館の中に入り、二階の応援席へと来た。

「すげぇ!」

目に入った景色に、思わず声を上げる。

バスケはバスケでも、車椅子バスケ。迫力満点の試合が繰り広げられている。

「シンバ?」

名前を呼ばれ、振り向くとキティンの姿。

「え!? なんでいるの!?」

「それは私のセリフです。シンバ、車椅子バスケに興味あるの?」

「え、いや、ちょっとね」

「一人で来たの?」

「いや、シオンさんと」

「ええ!? お父さんと!? 私に会った事は内緒にして下さいね?」

「シオンさん、体育館に来るかどうかわからないけど、なんで内緒?」

「・・・・・・お父さんに反対されてるから」

「反対?」

「彼との事」

「・・・・・・あ、ああ、デートか。彼と試合を見に来たんだ? そっか、障害者の先生だもんな、こういうのも見とかないとって奴か。それでここに彼を付き合わせたって奴? クリスマスなんだから、もっとムードのあるデートスポットとか行けばいいのに」

——なにベラベラ喋ってんだ、僕は!

——デートくらいするだろ、そりゃ。

——クソッ! 突然の登場に何を話していいか、わからなくなってる!

「彼が出てるの」

「出てる?」

「うん、試合に。だから応援に来ただけ。残念ながらデートじゃないんです」

「試合に出てるって、彼って車椅子・・・・・・」

「事故で足をね・・・・・・バスケットの選手になりたくて頑張ってたから、凄く荒れてね、でも車椅子でもバスケットが出来るって知って、彼、頑張ったの。今はこうして試合にも出れる有名な選手なんですよ、ほら、あの赤いユニホームの4番」

赤いユニホームの4番がシンバの瞳に映る。

「・・・・・・凄いね」

その迫力と吸い込まれるような魅力で、自然と口を吐いた。

シンバに言われた凄いねと言う一言が、キティンの表情を変える。今迄にないくらいの幸せそうな笑顔に——。

その顔に自慢の彼なんだと直ぐにわかる。

「でも障害者じゃん」

「え?」

「障害者なんかと一緒にいて楽しい? だってさ、車椅子だとデートもつまんなくない? 行ける場所も限られて来るし、今は付き合ってるだけだろうけど、結婚相手とは考えられないでしょ? 将来不安じゃん。彼の世話とかどうするの? それこそ綺麗事で済まない話だよね、トイレとかの問題もあるだろうし。シオンさんが反対するのも僕はわかるなぁ」

そんな事をどうして言ってしまったのか、キティンが怒るのはわかっているのに——。

「つまんなくないよ、車椅子だからこそ行ける場所もあるもん。確かに今は付き合ってるだけ。でもプロポーズされたら、私は嬉しいです。不安なんてないですよ、彼はこんなに頑張ってるから、将来も頑張ってくれると信じられます。健常の人だからって、将来、必ず幸せに過ごせるとは限らないでしょう?」

キティンが怒らずに、そう言った事は、シンバにとって、不快にしかならない。

「確率の問題だよ。健常の人との方が幸せになる確率が高いだろ」

「でも幸せって人それぞれでしょ?」

「それぞれ幸せは違うなんて、幸せじゃない奴が言うセリフだよ。世の中、ある程度、幸せは決まってるよ。金、地位、名誉、そういうのが幸せの形ってもんじゃないか? もしくは平凡とかね。つまんない人生ってのが本当の幸せって奴だよ」

「つまんない人生が幸せなんて、私は嫌です」

「苦労したって、泣くだけだろ」

「シンバにとったら苦労と思う事が、必ず私も苦労と思うとは限りません」

「苦労と思う事は皆、大体同じだろ」

「大体でしょ?」

「じゃあ、障害者と一緒にいて具体的に何が楽しいんだよ!?」

シンバがそう言った時、歓声が沸いた。どうやら赤いユニホームの方が試合に勝ったようだ。キティンは見逃しちゃったと唇と尖らせる。そして、にっこり、シンバに微笑んで、

「紹介します、来て下さい」

と、シンバの腕を引っ張った。

「え、おい、いいよ、紹介って、される程の仲でもないだろ!」

「いいからいいから」

「迷惑だよ!」

「ティガーは迷惑なんて思わないから」

「いや、僕が迷惑なんだよ!」

「あ、彼の名前、ティガーって言うの」

——聞いてないよ・・・・・・ていうか、聞けよ・・・・・・

また階段を下り、体育館入り口で、キティンは人混みを掻き分けて、選手の所へ行く。選手達はキティンに勝った勝ったと喜びの声を上げる。どうやらキティンは選手達の間では顔パスのようだ。4番の彼と付き合っていると皆に公表してる仲なのかと、シンバは思う。

「ティガー!」

「キティ! 見たか? オレの最後のシュート!」

「えへへ、見逃しちゃった」

「なんだとぉ!? お前の為のシュートだったんだぞ!」

「ごめーん!」

「なんてな。実はキティが彼と話してるの見えてた。応援しろっつったのにしてねぇなぁって思いながらもシュート決めたぜ! まぁ、キティの応援なしでも大丈夫って事かな?」

「ひどーい!」

「あはは、酷いのはお互い様。で、彼は?」

ティガーはキティンの横にいるシンバを見て、尋ねた。

「シンバって言うの。お父さんの職場で働いてる人なの」

「え! Solarで働いてるの!? 凄いなぁ。オレはティガー・マグネス。よろしく」

ティガーはシンバに手を差し出し、握手を求める。シンバはその手を見る。

大きくて、腕は筋肉質で、まさに男性の手という感じで、シンバの腕が物凄く華奢である。

足が不自由でも充分、頼りがいのある体と、自信に満ち溢れた笑み。

何もかも、シンバの方が劣っているように思えた。

「シンバです、シンバ・レインハルト」

シンバはそう言うと、握手を求められた手を無視して、ペコリと頭を下げた。

差し出してしまった手を、なかなか仕舞えずに、ティガーは苦笑いしながら、その手で自分の頭をペンペンと叩いてみせた。

「シンバって、レインハルトって言うの?」

キティンが目を丸くして聞く。ティガーも、

「レインハルトって、もしかしてルエーフ・レインハルトの血族の者とかだったりして?」

などと聞いて来た。

「・・・・・・ルエーフ博士はどこへ行っても有名ですね」

冷めた口調で、シンバがそう言った。

「そりゃあ、あの人の発明は今や世界中で活躍しているって言うし、一時は生物兵器まで創ったと噂され、この世の終わりかってニュースが流れ、小さな出版社の雑誌にまで書かれたくらいだし! 批判も多く聞くしね。勿論、誉れを聞く事の方が多いけど、いろんな意味で世の中を賑わす人だから、いくら体力だけが取り得のバカなオレでも、ルエーフ・レインハルトは知ってるよ。今は行方不明って言われてるよね?」

「・・・・・・さぁ? 僕は興味ありませんから」

「興味ない? だって、キミはSolarで働いてる学者さんだろう? だとしたらルエーフ・レインハルトは目指す目標じゃないの? オレはバスケの有名な選手とか密かに目標にしてたりするぜ? でも目標が高いから、誰にも言ってないけどね」

「そうなの? ティガー、誰を目標としてるの? 教えなさいよぉ!」

「ほぉらな、こういう聞きたがる奴がいるんだよ、だから言えないっつうの!」

ティガーはそう言うと、キティンと笑い合う。

——何が楽しくて笑ってるんだろう。

——馬鹿としか思えない。

——誰を目標にしたって、なれっこない。

——それにコピーじゃあ、オリジナルには勝てない。

——・・・・・・勝ち負けの問題なのか?

——僕は勝ちたいのか?

——誰に?

ふと、ティガーと目が合う。短髪の黒髪とブラックの瞳の色。肌の色は小麦色。車椅子に座っているから、座高だけの高さしかない。その為、見下ろすようになるが、なのに、とても強い逞しさを感じる。肩から腕にかけて、太く、大きく、胸板も厚い。

それに引き換え、シンバは女の子のように華奢で、見下ろしていても、逆に小さく感じる。

「キミ、誰かに似てると思ったら、オレンに似てるな」

シンバを見て、ティガーがそう言うと、

「あー、昨日、うちにオレンちゃんが来たんだよぉ」

と、キティンが言い出した。

「嘘つけ。彼女はタレントだぞ。しかも超有名人」

「本当だってば! お父さんが連れて来たの! 今朝、オレンちゃん、うちから仕事に行ったんだから!」

オレンが行方不明だと言うのは、キティンもティガーも知らないようだ。

「じゃあ、僕はこれで」

シンバはペコリと頭を下げ、体育館を後にする。

わからない圧迫感がシンバを襲う。とても嫌な気分。悲しみさえ感じる。

「シンバーーーー!!!!」

体育館を出て、運動場の方へ向かってたシンバを追ってきたキティン。

駆けて来るキティンに、苛立ちを感じる。

息を切らせ、

「シンバ、彼、とってもかっこいいでしょ、少しは障害者のイメージ変わりました?」

と、笑顔で言って来た。

シンバは、キティンの首から下げられているペンダントトップに目を奪われる。

揺れている十字架。中央に輝く黒い丸い石。

「ソレどうしたの?」

「これ? 昨日、オレンちゃんに貸してもらったんです」

「貸してもらった?」

「うん、明日、大好きな彼の試合なんだって話したら、お守りだから貸してあげるって。試合に勝ちますようにって」

「そうなんだ・・・・・・」

「綺麗な石でしょ? 真っ黒だけど輝きがあるの。なんて宝石かなぁ」

「ブラックホール」

「ブラックホール?」

「そう言ってた」

「誰が?」

「・・・・・・興味ない人が」

「え?」

「なんでもない。じゃあ、僕は行かなきゃいけないから。それにここら辺にいたら、シオンさんに見つかるよ。いいの?」

「駄目です。じゃあ、父には内緒でお願いしますね?」

キティンはそう言うと、また駆け足で体育館へ戻って行った。

駆けて行くキティンの後姿に呼び止められない自分の未熟さを悟る。

「シンバ」

擦れ違いで現れるシオン。

「駐輪場があったんだが、二輪が多く停まってやがって、空いた場所探すの大変だった。車も満車状態みてぇだったが、体育館で何かやってるみたいだな。何やってんだ?」

「車椅子バスケ」

「・・・・・・ほぉ」

シオンは懐から煙草を取り出し、咥えると火をつけ、フーっと煙を鼻から出した。

「多分、ビーチルドも体育館にいると思うんだ。でも人が多すぎるし、僕達を見て、ビーチルドが何を思うかわからない。今はビーチルドを刺激したくない。子供もいるし——」

——シオンさんの娘さんもいる訳だし・・・・・・。

「こんな所で暴れられたくないから、ビーチルドが移動するのを待とうと思う」

「暫く様子見って訳か」

「うん、レーダーがまた動く迄の間、休憩って事で」

とは言うものの、校庭の花壇の傍で、張り込みのように立っているシンバとシオン。

レーダーの動きもなく、時間だけが過ぎる。

シオンの足元には数十本の吸殻が落ちている。口元には新しい煙草。

残り雪の所為で足元が冷える為、シオンは足踏みしている。

シンバは眠気が襲って来てるらしく、立ちながら器用にウトウトしている。時々、身体の力が抜け、ガクンとなり、目を覚ますが、また直ぐに目を閉じる。

シオンは灰色の低い空を見上げる。

「なぁ、シンバ」

シンバはシオンの声に反応しない。

「人はよぉ、何故、障害を持っても生きるのかなぁ?」

シンバが寝ていて、聞こえないのを承知の上の独り言。

「人はよぉ、この星でどれだけ命を続かせるのかねぇ? 例えどんな命でも生まれた以上、愛さなきゃなんねぇって神父は言うぜ? 犯罪を犯す奴の事も愛する人がいるのは、なんでかねぇ? 愛はどこから来て、どこへ去るのかねぇ? 命はどこから来て、どこへ去るのかねぇ? 何もわからねぇのに、俺は確実に生を受けてから死への道を歩いてる。どこへ向かってるのかねぇ?」

シオンは空を見上げたまま、フーッと煙草の煙を吐いた。

シンバはコクリコクリと眠っている。

多くの人の気配で、シンバはパチッと目を覚ます。バスケの試合が終わり、皆、帰るのだろう、シンバとシオンの前をゾロゾロと行く。

シンバはレーダーの反応を見る。

「まだ付近にいる! 何してるんだろう? 試合を見てたって事はないよね・・・・・・?」

「でも試合が終わり、人が減る。ビーチルドを探すのに丁度いいじゃねぇか」

「そうだね!」

シンバが頷くと、シオンは煙草を足元に落とし、踏み潰した。

そして、体育館へと向かう。だが、体育館には誰もいない。キョロキョロと辺りを見回していると、レーダーが反応し始める。

「移動している!?」

——ここへ来たのはどうして?

——まさか本当に試合でも見てたって言うのか?

「おいおい、戻ってるじゃねぇか」

レーダーは来た方向へと動いている。

「まさかSolarに戻る気か?」

「わからねぇが、こりゃ車か何かで移動してるな。急いで追い駆けよう。今なら、追いつくだろう」

シンバはシオンに頷き、二人、駐輪場まで走った。

しかしレーダーは正確な場所を指定する訳じゃない。大体の方向しか映さない。車で移動していても、どの車にビーチルドが乗っているのかもわからない。

ヒッチハイクなのか、それとも走っている車にしがみついているのか。まだそれならいい。運転手を殺して、ビーチルドが運転してるのかもしれない。

シンバの脳に膨らむ想像——。

時間は夕方の5時。

だが空はもう夜のように暗い。

雪解けで、道路は水だらけ。

クリスマスで飾られた景色とキラキラ光るネオン。

——オレンはどうなったんだろうか?

ビルの上のモニターで踊るオレンの姿を、またシンバはバイクの後部で見ていた。

二人、Solarに戻って来たのが6時過ぎ。

誰もいないビルのように、Solarは静まり返っていた。

研究室に足を運ぶと、数人の研究員がいた。

「シンバ!」

ハーゼがシンバとシオンに駆け寄る。

「警備員もいなくなってるけど・・・・・・? マスコミの連中もいないね。まだ教会の放火事件の方にいるのかな?」

「警備の人達は警備会社から雇った人達だったでしょ、Solarに直接関係のない人間は帰ってもらったみたい。マスコミの方は私も知らないけど、放火事件の方へ行ってるのかもね、だってクリスマスに教会を放火するなんて、神への冒涜だし、死んだ人の数が半端じゃないもの。来年のクリスマスには教会で過ごす人なんて誰もいなくなる事件だわ。私達はSolarでの研究材料全てを別の研究室や大学に移す作業してるの。上からの命令でね、もうここは閉鎖するみたい。それで言われるまま今迄の全ての研究結果などをまとめてるところ。死んじゃった研究員がやってた研究とか、どうまとめていいのか・・・・・・それと数人の研究員がビーチルド捕獲に向かってるの。もし何か事件が起きても、昨日の放火事件の事もあるし、今なら、揉み消せるから、今の内に捕獲しろって命令が出てて」

「捕獲に向かってるって、ビーチルドの行方、わからなくないか? ビーチルドにつけた発信機のレーダーが他にもあったのか?」

「ううん、だから闇雲に探してるんだと思う」

「そうか・・・・・・」

「シンバ達の方は? どうなったの? ビーチルドは?」

「奴はSolarにいる」

「え?」

「戻って来たんだよ、奴は。ここに! このSolarのどこかに潜んでるんだ」

レーダーは確かに反応している。

「どこに?」

「わからない。Solarって言っても広いからな。一応、アイツが元々保管されてた部屋に行ってみるが、この事は誰にも言わないでくれ」

「うん、わかった。パニックになっても困るもんね」

ハーゼはコクンと強く頷く。

「俺は銃を確保してくる。銃がきく相手でもなさそうだが、ないより心強ぇだろう?」

シオンはそう言うと、行ってしまった。

「あ、シンバ、ビーチルドの研究経過あるでしょ? それもまとめなきゃいけないんだけど、ビーチルドについての研究は全てパスワードでロックされてて開かなくて」

「ああ、じゃあ、ロック外すよ」

シンバは自分のデスクの上のコンピューターに電源を入れる。

今となってはビーチルドを研究してきたものは全てゴミのようなもの。盗まれても大丈夫な程、何一つ合ってなく、ビーチルドは全く違うもの——。

いや、今も全くわからないもの——。

何の為の研究だったのか——。

「シンバ、電話」

突然、コウがそう言って、シンバに受話器を差し出して来た。

「僕?」

「ああ、なんかレインハルトくんをお願いしますって」

「誰?」

「聞いたんだけど、言わなくて。男性だ」

「・・・・・・そう」

コウはシンバに受話器を渡すと、また忙しそうに動き始める。

シンバは受話器を耳に当てた。

ボウボウボウと妙な音が聞こえる。

「・・・・・・もしもし?」

「レインハルトくんかね?」

「はい」

「一番高い場所においで」

「はい?」

——プッ、プー、プー、プー・・・・・・

シンバは切れてしまった電話の受話器を首を傾げながら、置いた。

「誰から?」

ハーゼが聞いた。

「男だったからな、彼女じゃないだろ」

笑いながら、コウが言った。

「悪戯電話っぽい」

シンバがそう言うと、

「気味悪いね」

ハーゼがそう言った。

「悪戯ってなんだって?」

コウが聞いて来たが、シンバは意味不明とばかりに首を傾げ、電源の立ち上がったコンピューターを動かし始める。だが、動かしてる指の動きがピタリと止まり、シンバは恐い顔で、一点を見つめ、黙り込んでいる。

「シンバ? どうしたの?」

ハーゼがそう聞いた途端、シンバは行き成り走り出し、研究室を出る。

「シンバ!? どうしたの!?」

ハーゼが、突飛なシンバの行動に驚く。コウも、

「なんだアイツ?」

と、首を傾げている。

「電話、誰からだったんだろう?」

「中年の男の人っぽい声だったけどなぁ」

「シンバに何の用事だったんだろう?」

「さぁ?」

コウはわからないと首を振る。ハーゼは心配そうな表情。その時、

「あの・・・・・・」

と、研究室に現れたキティン。

「あ! あなたは!」

と、コウがキティンに近付く。

「あ、良かった、シンバ・・・・・・くん、帰ってます?」

「シンバなら、今、出て行ったけど、また戻って来ると思いますよ」

「そうですか・・・・・・」

「今、ちょっとSolarは色々と手が離せない事が多くて、忙しくてね。散らかってますが、待ってます? お父さんと御一緒ですか?」

「あ、ううん、お父さんとは一緒に来なかったんです。今日は外も静かで、無断で入り込めちゃいました。ごめんなさい、いけないですよね」

キティンは笑いながら、そう言って、

「帰ります、シンバくんによろしく」

と、手を上げ、研究室を出て行った。



シンバはエレベーターの上のボタンを押していた。なかなか来ないエレベーターにシンバは階段を駆け登り始める。

——あれは風の音だ。

受話器から聞こえたボウボウという音。

屋上に来たが、誰もいない。

ハァハァと息を切らし、やっぱり悪戯かと、シンバは屋上を後にしようとして、再び、振り向き、屋上から見える景色を見る。

遠くに見えるビルのモニターの画面が切り替わる時に、色がチカチカと変わる。

恐らく、そのモニターにはオレンの踊る姿が映されてるのだろう。

シンバは暫く考える。

そしてまた走り出した。

階段を一気に駆け下りるが、呼吸を乱してる暇はない。研究室に勢い良く駆け込み、

「ハーゼ!」

大声を上げた。驚くハーゼ。だが、コウがシンバに話しかける。

「シンバ、お前、どこ行ってたんだよ。シオンさんの娘さんが」

「ハーゼ! ここら付近で一番高いビルってどこ?」

「おい、シンバ、聞けって、シオンさんの娘さんが」

「ハーゼ! どこなんだよ!?」

「ち、地下街前のモニターがあるビルじゃないかな? 一階にスキューバーダイビングのスクールがあるビルだと思うけど・・・・・・」

ハーゼからそう聞くと、シンバはまた研究室を走って出て行く。

「おいシンバ! シオンさんの娘さんがお前に会いに来てたぞぉーーーーっ!!!!」

コウの叫び声がローカにまで響いた。

シンバは何かを直感しているのか、一番高い場所へと向かう。

タクシーを拾おうとするが、なかなか止まってくれない。シンバはもういいとばかりに舌打ちをし、走る。

「シンバ!」

キティンが走るシンバを見つけ、一緒に駆けて来る。

「悪いが、キミにかまってる暇はない」

「どこへ行くの? そんなに急いで」

もうシンバに喋れる程の余裕な呼吸はない。

「ねぇ、待ってよ、シンバ!」

キティンはシンバに付いて来る。シンバは無視して走り続ける。

そして、地下街前に着き、シンバはモニターを見上げる。

「ハァ、ハァ、ハァ、シンバ、どうしたんですか? ハァ、ハァ、ハァ・・・・・・」

何か張り詰めた不安がシンバを支配している。その所為か、呼吸は余り乱れていない。

「ハァ、ハァ、ハァ、シンバったら! ハァ、ハァ、ハァ・・・・・・」

ずっと一緒に走って来たキティンは呼吸を乱して、シンバが見上げているモニターを一緒に見上げてみる。

「ハァ、ハァ、オレンちゃん? ハァ、ハァ・・・・・・」

モニターのオレンは、とてもリアルで、滑らかな、その動きから、今まさに拍動を感じる。

シンバはビルの裏へ回り、非常階段を登り始める。

「ね、ねぇ、シンバ、勝手に入っちゃいけないんじゃない?」

そう言いながらも、キティンはシンバに付いて来る。

「シンバ、さっきから何も話してくれないんですね」

「ねぇシンバ、彼に無理矢理、紹介した事、まだ怒ってるとか?」

「このビルって何のビルですか? 下はスキューバーダイビングの教室ですよね?」

「前はモニターに男性のアーティストが映ってたでしょう?」

「ねぇ! シンバったら!」

シンバはキティンの質問には何一つ答えようとせず、只ひたすら黙々と階段を登る。

「ねぇ、もう駄目、疲れちゃった。どこまで登るんですかぁ?」

キティンは階段に座り込む。しかし、シンバは無視して登って行く。

「もぉ! シンバ!」

仕方なく、キティンは疲れた重い足を引き摺るように、シンバを追い駆けた。

途中でビル内部に入るドアが開いていて、そこからシンバとキティンは中に入る。

中は薄暗く、非常階段の灯りだけが辺りを照らす。

すぐそこにエレベーター。

「ねぇ、警備員さんとか来て、怒られるんじゃないでしょうか?」

シンバは、エレベーターの上ボタンを押す。

「ねぇ! シンバったら!」

「一緒に来てくれてありがとう」

「え?」

「本当言うと、心細かった」

「・・・・・・シンバ?」

「嫌な予感がするんだ。風が・・・・・・」

「風?」

「走ってても向かい風が感じられないんだ。風を全然感じられない。こういう日は紙飛行機がうまく飛ばない。決まって運も風向き悪く、何か良くない事が起こるんだ」

「・・・・・・変なの。最初からそう言えば、一緒に付いて来てあげたのに」

「言わなくても付いて来てくれたろ?」

「私が何も話さないシンバに、もう知らないって途中で帰っちゃったらどうするつもりだったんですか? シンバは私の彼氏じゃないんですよ、友達?かな? 友達が態度悪かったら、絶交しちゃうんだから」

唇を尖らせて、キティンは不貞腐れたように言った。

エレベーターが下りて来た。

シンバが乗り込むと、ほら、また何も言わないで乗っちゃうんだからと言いた気にキティンも乗り込む。

「大体シンバは!」

狭いエレベーターの中で、キティンが説教をしようとして、やめる。

小刻みに震える指で、最上階のボタンを押すシンバを見ると、何も言えなくなる。

「ねぇ、シンバが何も言わなくても、私、付いて来ちゃったでしょ、これって風向きがいい方なんじゃないですか?」

明るい口調で、シンバにそう言ってみるが、シンバは俯き、黙っている。

無言のエレベーターの中で、やがてキティンも不安を隠せなくなる。

高く上がるにつれ、耳に圧迫感が感じ、耳鳴りが始まる。キティンは耳を抑え、ゴクリと唾を飲み込んでみる。

「そういえば、エレベーター、上から下りて来ましたね?」

「え?」

「だって、このビルに人の気配がなかったから、昼間に誰かいたとしても、エレベーターは下にあると思いません? 上に誰かいるんでしょうか? もしかして誰かと待ち合わせ?」

シンバは首を振る。誰が待っているのか、何が待ち受けているのか、シンバにはまだわからない。エレベーターの数字はひとつひとつ上がって行く。

最上階に着くと、エレベーターのドアが開いた。

「うわぁ、素敵」

そこは薄暗く、広いフロアで、前面窓になっていて、そこから見る夜景は宝石を散らばせたようにキラキラで美しい。

シンバは辺りを見回すが、何もない。人の気配もない。

——何もかも思い過ごしか?

——いろんな事があって、考え過ぎてるだけか?

——嫌な予感は、僕の勘違いなのか?

「ああ、そうだ、今日は、クリスマスの夜だったね。彼氏はいいの?」

「今日は試合の後、打ち上げがある。私も呼ばれたんだけど、参加するのやめたんです。だって、彼氏とは言え、クリスマスの夜に酔っ払いの相手をするなんてイヤだから」

キティンはそう言って、クスクス笑いながら、綺麗ねと、また夜景に目をやる。

緊迫感でドキドキしていた心臓が安心したせいか静まっていく——。

「・・・・・・彼と見たかったんじゃない?」

「んー、いいよ、シンバと一緒なのが嬉しいし。だってほら、シンバ、結構美形だしね」

笑いながらそう言ったキティン。

「僕も・・・・・・嬉しいよ」

「え?」

「一緒が」

シンバも少しだけ笑顔になる。

「ねぇ、シンバ、この綺麗な夜景の中で、みんな幸せにクリスマスを過ごしてるのかな」

キティンがまた夜景に目をやる。

「物騒な事件が多いからね・・・・・・」

「え?」

「この綺麗な夜景の中で、どんな事件が起きてるかわからないよ。考えた事ある? 自分がもし拉致されたらとか」

「拉致・・・・・・?」

「強姦された上に、証拠隠滅で殺される事件とかよくあるじゃない。どうせ殺されるなら一気に殺してくれればいいけど、相手も躊躇いなどがあり、生きたまま、重りつけられ、海に沈められたり、生きたまま、コンクリートで固められたり——」

「そんな事・・・・・・私は大丈夫よ」

「大丈夫? なにが? 今までがラッキーだったってだけだよ」

「そんな・・・・・・」

「本当に気を付けた方がいいよ。夜の一人歩きはよくない」

「・・・・・・そうね。でもどうしてそんな話?」

「別に。只、いつ誰が行方不明になってもおかしくないから・・・・・・」

シンバはオレンが行方不明と言う事が頭から離れられない。

特にキティンを見ていると、首から下げているペンダントがオレンを思い出させる。

「生きたまま苦しい思いをして殺されるって、余り考えた事もなかったけど・・・・・・そういえば、この間も数時間も殴り続け殺したっていうニュースを見ました。少年犯罪も増えてるようで、まだ小さな少年が、更に小さな子を殺したとか・・・・・・動物虐待とかもありますよね・・・・・・」

話しながら、段々、表情を暗くし、俯いていくキティン。こんな話をこんな綺麗な夜景を見ながらするんじゃなかったと、シンバは自分に溜め息を吐く。

ましてや今日はクリスマス。

素晴らしい夜景をバックに、普通の男なら、もっとマシなセリフを用意するだろう。

「私がいつか結婚して、子供ができて、その子が幸せに過ごせるような世の中であってほしいです・・・・・・」

「・・・・・・いいお母さんになりそう」

「え、私ですか!?」

「・・・・・・うん」

「子供好きですからねぇ。自分で言うのも何ですけど、面倒見もいい方だし。そうだなぁ、結婚したいって言うより子供が早くほしいって思います!」

「・・・・・・ハッ!」

「あ、なんですか、その笑いは!」

「ああ、いや・・・・・・こう、お腹がドーンと大きくなった妊婦姿を想像しちゃったからさ・・・・・・」

「ひどーい! でもそんな私も愛してくれる人だといいです・・・・・・」

少し頬を赤らめ、そう言ったキティンに、彼が?と、シンバは聞くのをやめ、茶化した口調で、

「出産予定の月は大変らしいよー。生む事の恐さにかなり精神的ダメージが襲って来るよ」

そう言った。

「もぅ! どうして女性に向かってそういう事言うかなぁ! 臨月が大変な事くらい知ってますから!」

「生む時とか、凄いらしいよ、死ぬ覚悟って言うよ? 顏とか酷い歪みようだと思うよ」

「だから! どうしてそういう事言うんですか!! 子供を産むんですよ、痛いなんてもんじゃないんです、顔なんて気にしてられないんです、きっと!!」

「・・・・・・でもあの人なら、臨月で苦しむキミも愛してるよ、きっと」

夜景を見ながら、そう言ったシンバに、キティンは嬉しそうな表情を浮かべ、コクリと頷いた。

——この世界で、命は生まれ、死を迎える時が来る。

——人はどれだけの命を救え、どれだけの命を見捨てるんだろう?

——いつか、僕の子供が生まれる日が来るのだろうか?

——想像もつかないが、でも、そんな日が来たら、僕はその子に愛情を注げるのか?

——虐待しそう・・・・・。

「そういえば、あんまり夜景が綺麗だったから、ここに来た意味がわからないままなんですけど? ここに何か用事があったんじゃないんですか?」

「ああ、いや、やっぱり僕の考え過ぎだったようだ。悪戯電話があって・・・・・・」

「悪戯電話? シンバ? どうしたの? 急にまた怖い顔しちゃってますよ?」

——あれは風の音だった・・・・・・。

——受話器に当たる風の音がボウボウと聴こえて来た。

——室内じゃない、あれは外だった!

——そしてエレベーターは上から下りて来た。

——このビルに違いない。

——このビルの屋上だ!

シンバはキョロキョロと非常階段を探し、その非常階段の灯りを見つけ、ドアを開けた。

ビューっと強い風が室内に入り込む。

キティンはスカートを抑え、シンバの名を呼ぶが、その声は風に舞い、散っていく。

——エレベーターでは行けなかった屋上に僕を呼び出した人がいる!

シンバは確信している。

階段を登ろうとするシンバの背に突然しがみつくキティン。

「風強すぎて怖いから!」

「来なくていいよ、フロアで待ってて」

「イヤ! ここまで一緒に来たんだもん! シンバが何の為にここに来たのか知りたいし!」

ギュッとしがみつくキティンの温もりに、シンバは本の少しでも安堵を感じる。

一歩一歩、ゆっくりと階段を登り、屋上に出て、見たものは——・・・・・・。

「・・・・・・なんですか? あれ?」

仰向けに寝かされた女性の腹部が切り開かれ、内臓がそこらに散らばっている。

風で血さえ、舞っている。

その切り開かれた腹部に、窮屈に無理矢理、捻じ込まれた頭部や手や足など。

バラバラにされた身体を腹部に押し込んであるのだ。

奇怪過ぎて、何を目にしているのか、わからない。

近付いて、やっとそれが何か気がついて、悲鳴を上げるキティン。そしてその場にペタンと座り込む。

シンバは一歩一歩近付いて寝かされた女性が母だと知る。そして、その母の腹部に入っているのが、あのタレントのオレンだと知る。

母の口に何か咥えさせてある。

それはクリスマスカード。

シンバは震える手で、そのカードを母の口から取り、メッセージを見る。

Life Ever Lasting.(命は永遠に続く・・・・・・)

シンバの脳に蘇る死体の母に性的行為がされたままの状況——。

そして、その母の腹部に入れられたオレン。

まるで命ができたと言いた気に、作られている。

「ラ、ライフ、ライフ・・・・・・Life Ever Lasting・・・・・・そ、それがそのオブジェのタイトルさ。り、臨月をイメージした。は、は、は、母になろうとする女。に、人間にとっての永遠のテーマだろ? い、い、命が生まれるって事はさ」

そう言って現れたのは見た事もない男だった——。

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