2. 宇宙

「どうした? 暗い表情して?」

コウの声に、ハッとする。

「暗い顔はいつもか? ははは」

何が楽しいのか笑い出すコウに、シンバは苛立ちを感じる。

シンバのいじるコンピューターを覗き込み、

「なに? どうしたの? お前ボラでも始めるのか?」

ヘラヘラとそう言ったコウ。

「ボラ?」

「ボランティア!」

「あぁ、そんなの興味ないよ」

「だよなぁ、お前がボラなんて似合わないよなぁ。お前なら、障害者なんて失敗作、下等生物だって、言い出しそうだもんな。で、実際、そう思って見てるんだろ?」

こんな奴に、簡単に見抜かれる程の安易な自分の思考に腹が立つと思いながら、

「別に」

シンバは立ち上がる。

「どこ行くんだよ? お前、今日まともに仕事してないだろ?」

「そういう日もあるんだよ」

「そういう日ってどういう日だよ、何かの記念日か?」

シンバはコンピューターの電源を切り、コウの笑い声の問い掛けなど無視して、研究室を後にする。

化学室で、シンバは羊膜液を手に入れる。

今迄、ビーチルドを水溶液に入れていた。それは外部漏れする可能性があるウィルスを殺す為の消毒を多めに使われた溶媒である。

簡単に言えば、大量のメチルアルコールを酸化させたフォルムアルデヒド。

それを羊膜液に変えようと考えたのだ。

勝手な行動だが、残された時間は後僅か。

この際、どうなろうが、皆道連れだという気持ちもあるのだろう。

今迄の行動から、今更シンバが妙な行動を取るなど、誰も思わない。

——今がチャンスだ。

そう、今がチャンス。ビーチルドを好き勝手にいじれるチャンス。

——あれが何かに成長する為ならば、僕が手を貸してやる。

——あれが障害を持っているならば、僕が完全体にしてやる。

——あれが生物兵器ならば、僕がこの世を終わりにしてやる。

——あれが死者を蘇らせる者なら、僕が神だ。

シンバは狂っている自分の思考に薄ら笑いを浮かべる程、御機嫌だ。

気付いてしまったのだ、独りという孤独を壊す方法を。

そう、皆、道連れにする事を——。

再び、シンバはビーチルドがいる部屋に来ていた。

水溶液のカプセルの中に浮かぶビーチルド。

シンバはもう一つカプセルを用意し、そこに羊膜液を入れる。

「これはな、羊膜液といって、脊椎動物羊膜類の羊膜の中を満たす液と同じものなんだ。つまり母親の胎内に命を宿す者と同じ場所にいられる事になる」

シンバはそう言いながら、袖を肩の方まで捲り上げ、水溶液の中のビーチルドを素手で掴み、外に出した。

グニグニとシンバの手の中、蠢くビーチルド。

そして、シンバは羊膜液の中にビーチルドをソッと入れる。

「気持ちいいだろ?」

ビーチルドは相変わらず不気味に蠢いている。

シンバはびちょびちょに濡れた腕をタオルで簡単に拭き、ビーチルドの様子をジッと見ている。

「ウィルスを放出するならしてしまえよ。その中じゃぁ、お前のウィルスを邪魔する液はないだろう? 成長するならしろ。ああ、無理かな、栄養が必要だよな? 今迄、お前は何を栄養とし生きてたんだろうな?」

勿論、問い掛けても返事はない。

——もうコイツを研究するのは終わりだ。

——こんな途方もない研究、後一ヶ月で解明できる訳もない。

——なら、育ててやる。

——後一ヶ月で、どこまで育つか、そして、どんなに育つか楽しみだ。

シンバは、誰がここにやって来ても、水溶液と羊膜液を交換した事がバレないように、片付け始める。

ここへ入って来れる連中は名のある研究員などだ。水溶液と羊膜液の違いくらい臭いなどでわかってしまう。羊膜液が床などに零れていないか、シンバは念入りにチェックする。

——余りここにいる時間が長いと変に思われ、ヤバいな。

シンバは殺菌エアシャワーを浴び、再び、研究室に戻る。

何気ない顔で、コンピューターに戻ろうとした時、

「レインハルト君、これ」

と、リタに何かのディスクを渡される。

「なんですか? これ?」

「天文学の研究室に置いてきて」

「僕がですか!?」

「あら、そんな声を出して驚く事?」

「そんなの雑用を任されてる奴にやらせればいいじゃないですか!」

「これはチーフ命令よ。チーフが誰に雑用を頼もうと頼まれた本人がやるべきじゃないかしら?」

リタはそう言った後、シンバに近付き、耳元で、

「どうせリサーチしてても、暇でしょ? あなたの手には負えないんじゃなくて? 後はあなたがテストされるのを待つばかり。少しは何かの役に立ったら?」

そう囁かれる。そして優しい微笑みでシンバを見る。

シンバは表情を変えず、

「わかりました」

と、天文学の研究室に向かう。

そのシンバの背を耐えない笑みで見送るリタ。

その視線に気付いているシンバは、研究室を出て、ドアを閉めた後、歯を食いしばり、拳をグッと握り締める。

リタがシンバを毛嫌いするのは、シンバの方がIQが高い為、チーフとしての立場がないからだろう。常にシンバより上であると見せつける為には、こうして言葉責めでもしない限り勝ち目はない。

シンバを尊敬の目で見る者も多くいれば、妬みの目で見る者も多くいる。

ルエーフ博士の息子だと、親の七光りという目で見る者もいる。

シンバはスタスタと足早に天文学の研究室へやって来た。

受付で渡そうとしたが、

「すいませんが、今、チーフがプラネタリウムにいますので、そちらに行って頂けますでしょうか?」

そう言われ、シンバはプラネタリウムに向かう。

天文学のルームに足を踏み入れたのは初めてのシンバ。少し迷いながら、プラネタリウムに辿り着く。ドアを開けると真っ暗な部屋に満天の星が天を埋め尽くしていた。

——すげぇ。

シンバはドアを閉め、天井を見上げる。

「誰かな?」

薄暗くて良く見えないが、中央の椅子に、誰かが座っているのがわかる。

「科学研究室から来ました、ディスクを届けるようにと」

「ああ、新しい星の撮影ディスクだね?」

「いや、中身は何かわかりませんが」

シンバが天を見上げながら喋っているのが、暗闇の中わかるのか、

「星は好きかね?」

そう聞かれた。

シンバが目を落とすと、闇に慣れたせいで、中央の椅子に、人が座っているのがわかる。声でもわかるが、男性だ。闇の中ダークグリーンの瞳の色が光って見える。

「ここは都会の方だから、空に星はないだろう? もうどこへ行っても星を見ることなどできない世界になってしまっているからなぁ。それでもある丘の上では星が満天に見えるとルエーフが言っていたなぁ・・・・・・」

ここでもルエーフ博士の名を耳にする。

「キミは宇宙が何故存在するのか考えた事があるかね?」

「いえ、特には」

「ルエーフは常に考えていた。そしてここで幾夜も飽きる事なく語りあったものだ」

ここにルエーフ博士が何度も来ていたと聞いて、シンバの表情は怒りに近くなる。最早、満天の作った星などではシンバの心は癒せない。

「ルエーフは宇宙を創りたいと言っていたよ」

「バカだ」

「うん?」

「そんなの創れる訳がない。膨大なエネルギーの塊で、原子はおろか、その構成要素である素粒子なども分解している、その姿を保っていられないほどの高エネルギー状態を創り出したいなど、バカですよ。それもこの星から観測で得た宇宙の姿を時間と空間、そして物質の概念を使用し、銀河系外星雲の距離を星の光度を手掛かりとして測り、星雲間が出す光で動力場と電磁場の法則を適用し、距離と時間の尺度を推定し、そこから宇宙創造の起源を探ろうとしているだけであって、本当の宇宙の姿は誰にもわからないっていうのが事実です。そんなもの創りようがない。そんなの考える奴は頭が花畑のバカですよ」

——そんな下らない事を考えるからビーチルドなんてモノが生まれるんだ。

「ルエーフをバカとは、凄いな、キミは。ルエーフ以上の人物になれそうかね?」

笑いながらそう言われ、シンバは茶化された気分になる。

「これディスクです」

シンバはディスクを手渡しに近寄った瞬間、

「キミは若い頃のルエーフに似てるな。思い出してしまったよ・・・・・・」

そう言われ、足が止まった。しかし、立ち尽くす迄もなく、直ぐに歩き出し、ディスクを確かに手渡すと、

「この暗闇と想い出のせいでそう見えるだけですよ」

シンバは、そう言った。

「顔が、若い頃のルエーフに似ているように思えたんだが、暗闇のせいと言われるとそうかもしれん」

「・・・・・・失礼します」

シンバは頭を下げると、クルリと背を向け、プラネタリウムを後にした。

『——それでもある丘の上では星が満天に見えるとルエーフが言っていたなぁ・・・・・・』

その台詞が繰り返し、シンバの頭に響く。そして想い出に支配された脳に、シンバはよろめきながら、吐き気と目眩と冷や汗で、その場に口を押さえ、座り込む。



『シンバ、ほら、紙飛行機だ』

『父さんが作る紙飛行機は遠くまで飛んで行くね!』

『風にのって、海までいくぞ』

『海まで!? 本当!?』

『本当だとも! 違う国にシンバの紙飛行機が着くかもしれないな』

『本当? 嬉しいな! どんな国に着くのかな、僕、その国の人と友達になれるかな?』

『なれるさ、シンバはどんな人とも仲良しになれる! そして、皆から愛されるんだ』

『本当? たくさん友達ほしいんだ、いろんな人と僕は友達になるんだ』

『そうか、たくさんの友達か。シンバ、約束しよう。シンバは、あの飛行機のようにどこまでも自由に飛ぶ事ができる。きっと大人になったら、シンバはたくさんの友達と、この広い世界のどこかで笑ってるよ』

丘の上で飛ばした紙飛行機——。



「うぇ・・・・・・」

ルエーフ博士と一緒にいる自分を思い出すだけで、体調不良になる。

昔の想い出を全て吐き出してしまいたくなる。

それ程、シンバは憎しみで一杯だった。

「シンバ? どうした? シンバ?」

背後からシオンの声が聞こえる。背を思い切り撫でられ、シンバは大丈夫だからという風に片手をあげた。

「探したぞ、シンバ。研究室に行ったら天文学ルームへ行ったと言われてな。そしたらお前がローカで座り込んでるからよぉ。大丈夫か? 立てるか?」

「うん・・・・・・大丈夫・・・・・・たまに気持ち悪くなるんだ。それよりどうかしたの? 僕を探したって・・・・・・」

「ルエーフ博士を見たって情報を得たんだ」

「え?」

一瞬、シオンが何を言っているのか、わからなくて、シンバはきょとんとする。

「リゲルって街でな、ルエーフ博士を見かけたって奴がいてよぉ、なんでもスーパーの袋を持って歩いてたって言うから、リゲルに住んでる可能性があるだろ?」

「・・・・・・誰からの情報なんですか?」

「うん? ああ、いや・・・・・・」

「Solarの連中なら、その情報を上に売るでしょう。それが噂となってるだけなら信用はできないですね」

「い、いや、ここの連中からの情報じゃねぇんだ。今さっき、電話があってな・・・・・・」

「電話?」

シオンは顔を赤らめる。

「妻からだ」

「・・・・・・」

シンバは何も答えれなくなる。まさか奥さんが仕事場にラブコールをかけてくる程とは。

「か、勘違いするな? 今日は娘がSolarを見学したいってんで、一緒に連れて来たんだ、それで娘の事でちょっと電話があっただけだ!」

「なんですか、それ。言い訳ですか?」

「言い訳じゃねぇ! そんな事はどうでもいい。ルエーフ博士がリゲル2番街の方へ歩いて行くのを見たらしい」

「・・・・・・」

「どうするんだ?」

「どうするって・・・・・・今更・・・・・・それにリゲル2番街って言っても広いですから・・・・・・」

「2番街にある借家を調べてやろうか?」

「え?」

「俺の家はリゲル2番街にあるんだ。今日の仕事帰りにでも不動産屋に寄って、2番街の借家リストをもらって来てやるよ」

「・・・・・・今更——」

「今更? お前のタイムリミットはまだ1ヶ月ある!」

「そうだけど・・・・・・」

「何を躊躇ってるんだ? いいか、お前が1ヵ月後、人体実験のモルモットになると知って、一番哀しむのはルエーフ博士なんだぞ」

だったら尚更、人体実験になってやりたいと思うシンバ。

「怖いのか?」

「は!?」

「ルエーフ博士に会うのが怖いんだろ。お前が未熟な研究員だから」

「悪いですけど、そんな挑発にはのりません。とりあえず外出許可をもらえたらって事で」

「うん? 父親の居場所がわかったかもしれないと言えば、外出許可くらい下りるだろう?」

「僕は父親に会いに行く訳じゃない。ルエーフ博士を捕らえに行くんです。生け捕って高額で売るには、まだ誰にも知られたくないですからね」

「・・・・・・成る程ねぇ」

「じゃあ、借家リストの方お願いできますか? 僕は明日の朝一番にチーフに外出許可をもらってみます」

「ああ」

シオンは頷き、シンバはペコリと頭を下げ、研究室に戻る。

もう時間は夕方の5時過ぎていた。

殆どの研究員達が帰宅する中、シンバは、シンと静まる研究室に一人残る。

誰もいない研究室で、ビーチルドの水溶液を羊膜液に変えた事が誰にもバレてないか、急に不安になり、急いでビーチルドを保管してあるルームに向かった。

——というか、ルエーフ博士が見つかったら、ビーチルドが何かハッキリする。

——だとしたら、勝手に羊膜液に変えた事で、何か大変な事が起こったら・・・・・・。

シンバは急ぎ足で、ビーチルドの部屋に向かった。

そして、ドアの前に来て、歌声が耳に入る。

——誰かがいる?

——ビーチルドの部屋で歌っている?

その声はとても優しくて、聞き心地が良く、まるで子守歌のようだった。

——誰だろう?

ソッとドアを開けてみると、私服の女性が立っている。

シンバは驚いてドアをバンッと勢いよく開けた。

「誰? ここで何してるの? っていうか白衣着てないけど、帰宅する時に着替えたの? だとしても、ここはガードスーツ着用しなきゃ駄目な事くらいは知ってるだろ?」

「・・・・・・あの」

「大体ここは只の研究員が入れる場所じゃないんだ。どこでカードキーを手に入れたの? っていうか、何故ここにいるの?」

「・・・・・・えっと」

「あんた、もしかして、ここに来るのは二度目だろ? さっきシャンプーの匂いが残ってた。それあんただろ? 何しに何度もここへ足を運ぶ?」

「・・・・・・その」

「何を研究してる人? ウィルス学? 生物学? 科学じゃないな、僕のいる科学の研究室にキミはいない。だとしたら何学で、ビーチルドに興味持ったの?」

「・・・・・・えっと」

「ビーチルドが手に負える相手だと思ってるの? そりゃあコイツを解明したい学者は沢山いる。だけど、手に負えないとわかっているから誰も手を出さない。名のある学者などは解明できなければ名が落ちるのがわかっている。それをわかってないキミがどうしてここに入れた? ここは名のある学者や研究員以外は入れないんだ。只の研究員程度じゃキーを持ってないからね。大体キミ、ここを出た時にちゃんと殺菌エアシャワー浴びたのか?」

——ああ、別にどうでもいいんだ。

——この女が誰であって、何かのウィルスに感染しても。

——今更エアシャワー浴びたかどうかなんてどうでもいい。

——全て道連れにするんだろ?

——そう考えたのに、なんでかな・・・・・・

——なんで今更出て来るんだよ、クソッ!!

「・・・・・・あの」

「なに? っていうか、さっきからあのとか、えっととか、そればっかりで質問の答えになってないよ」

「・・・・・・質問、多すぎて、何から答えたらいいですか?」

「はぁ!?」

すっとボケた答えにシンバは眉間に皺を寄せた。

「私、来月からここで働くんです、えっと教員免許持ってます」

「教員免許?」

「はい、あの、知的障害者達の先生なんです」

「・・・・・・ああ、あの障害者達の面倒をみるのか」

「面倒? いえ、教えるんですよ、いろんな事を」

「いろんな事? 教えたって無駄だろ、アイツ等はもうすぐ——」

言いかけてシンバは言葉を飲み込んだ。

——危ない、人体実験されるって言うところだった。

「無駄じゃありませんよ、ゆっくりだけど、ちゃんと成長してくれてるんですよ、私達とは時間の流れが違うだけ。だけど肉体は私達と同じ時間で成長してしまって、どんどん大人になってしまう。もし肉体も知能と同じ成長なら、凄く長寿だと思いません? 凄いですよねぇ」

「・・・・・・」

「あ、あれ? 私、何か変な事言いました?」

「・・・・・・で、その先生とやらがどうしてここに?」

「あ、父が、来月から働くなら見学しておけって」

「父?」

「はい、父のスペアのカードキーを貸してもらって、今日はいろんな所を見学して来ました。プラネタリウムもあるんですね、ビックリです。綺麗な星空に感動しちゃいました」

「・・・・・・父って?」

「あ、父の名前はシオン・ガーディアスって言います、知ってますか?」



『か、勘違いするな? 今日は娘がSolarを見学したいってんで、一緒に連れて来たんだ、それで娘の事でちょっと電話があっただけだ!』



さっきシオンがそう言っていたのを思い出す。

——ラブコールの照れ隠しにそう言ったのかと思ったら、本当だったんだ。

「シオンさんはよく知っている、てか、シオンさんを知らない奴はいないよ」

「そうなんですか?」

「でもスペアのカードキーを渡すなんてシオンさんもどうかしてる。こんなとこ迄来ると考えなかったのかな」

シンバは溜め息混じりにそう言った。

「でも入れない所もありましたよ?」

——それは人体実験されてる場所だろ。

——この人、人体実験されてるなんて知らないみたいだし。

——教え子が実験材料だなんて知ったら、どうするんだろ。

「で、ここで何してた訳? 見学するものなんて何もないだろ」

「あ、えっと、赤ちゃんが育ってるみたいなんで、子守歌なんかを歌ってみました」

「赤ちゃん?」

シオンの娘は頷いて、ビーチルドを指差す。

ウニウニと気持ち悪く蠢くビーチルド。

「そうなんだ・・・・・・赤ちゃんに歌をねぇ・・・・・・ちなみに、何の歌を?」

シンバは笑いを堪えながら、そう聞くと、

「オレンちゃんの新曲です」

と、ニッコリ笑いながら答えられた。

——オレン?

「オレンって?」

「え? 今、凄い絶大な人気アーティストのオレンちゃんです!」

「アーティスト?」

「オレンちゃんはギター持って歌ったり、ダンスしたり、凄いんです!」

「ああ、タレントなの? その人?」

「はい! すっごく可愛くて、カッコ良くて、オレンちゃんを嫌いな人なんていませんよ!」

「へぇ・・・・・・そういうの知らないからなぁ、僕は」

「でもオレンって聞いた時、知らないって風な顔じゃなかったですよ?」

「・・・・・・母さんの名前だから」

「お母さん、オレンって名前なんですか? 素敵!」

「素敵ねぇ。人気あるアーティストの影響って凄いんだな、名前だけで素敵だもんなぁ」

「オレンちゃんはダンスとか凄くうまいし、歌も凄いんですよ! ちょっと男の子っぽくて、カッコいいトコもあって、全然気取ってないし、謙虚で、親しみやすくて、誰とでも友達になれるってファンサービスも凄くて、ホントすっごく憧れちゃう!」

「・・・・・・失礼だけど、何歳?」

「え? わ、私ですか?」

「見た目は若そうだけど、教員免許持ってるって言うから二十代かなって思うんだけど?」

「25ですけど・・・・・・」

「ああ、やっぱりそのくらいの年齢なんだね」

「悪いですかぁ?」

「悪くはないけど、25にもなってタレントに憧れるってどうかなぁ?」

「いちいち物事を想像で分析するんですね! しかも想像が当たるくらいの完璧な分析。苦手です、そういう人!」

「苦手で結構」

シンバはそう言いながら、部屋の温度調節を始める。夜は冷えるので、温かくするのだ。

シンバの後ろで、シンバにピッタリくっついて、ジィーっとシンバの行動を見るシオンの娘。長い黒髪がサラリと下に落ち、子猫のような真ん丸の目はグリーンに輝いている。

シオンとは似ても似つかない顔に、母親似だとわかる。

「父とは仕事します?」

「シオンさんと? あんまりしないよ」

「そうなんですか? えっと、名前とか聞いても失礼じゃないですか?」

「シンバ」

「シンバさん?」

「いいよ、僕の方が年下だから呼び捨てで」

「あ、やっぱり年下なのか。そうかなぁとは思ってたんですけどね。じゃあ、シンバ! えっと私はキティンです。キティン・ガーディアスです。友達はキティって呼ぶからシンバもそう呼んで下さい」

「呼ぶ機会があれば」

「思ったんですけど、性格ひねくれてますよね?」

そう言ったキティンを見ると、頬を膨らませ、拗ねた表情をしている。思わず吹き出してしまうシンバ。

「なんで笑うんですか?」

「ひねくれてるって、どんな顔で僕に言ってんのかなって思ったら、そんな顔してたから」

「どんな顔ですか!」

更に頬を膨らませるキティンにシンバは年上とは思えなくなる。

「あの、聞いていいですか?」

「答えれないよ?」

「ええ!? もう! どうして意地悪ばっかり言うんですか? そこはいいよって言う所でしょ? どうしたらそんなひねくれた性格になるんですか?」

唇まで尖らせるキティンにシンバは可笑しくなるが、笑いを堪え、無表情を作る。

「シンバはここでこの子を育ててるんですか?」

聞きたい事とは、ビーチルドの事のようだ。何も知らない一般的な普通の人でも興味湧くのだろう、この不可思議な生物には——。

「あ、後、シンバのセカンド教えて下さい」

それは絶対に言いたくない。レインハルトというセカンドはルエーフと繋がる。しかもシオンの娘だ、ルエーフを知っているに違いない。

シンバにとったら、ルエーフの息子と見られる事は苦痛でしかない。

「ねぇ、シオンさんって今日は残業なの?」

「え?」

「もうとっくに5時過ぎてるよ。帰らなくていいの?」

「嘘? もうそんな時間だったんですか? やだ、お父さん怒ってるかも!」

キティンはアタフタしながら、無意味に手を忙しく動かしている。

「ああ、エアシャワー浴びてから外へ出なきゃ駄目だよ、この部屋を出たら、向かいの所に殺菌エアシャワーってのがあるから、それ浴びて行って」

「な、なんですか? それ」

「・・・・・・わかったよ、一緒に行こう」

シンバはキティンを殺菌エアシャワーの所へ連れて行き、シャワーを浴びさせた。

風でフワリとキティンの長い髪が宙になびく。スカートも風で丸く膨らむ。

「うわぁ、面白い」

「この風には殺菌効果があるんだよ」

「へぇ、凄いですね!」

「さぁ、もういいだろう、ここから一人で行ける?」

「はい、駐車場で父が待ってると思うので大丈夫です」

「そう、良かった。じゃあ!」

シンバが手をあげて、背を向けると、

「はい、じゃあ、また明日!」

と、キティンはそう言った。

——また明日!?

シンバは明日も来るのかと驚いて振り向くが、キティンの姿はもう駆け足で遠ざかっている。軽やかに駆けてく後ろ姿に、シンバは面白い子だなと思う。

——そういえば、笑ったりしたの久し振りだなぁ。

今日はずっとピリピリしていたのになと不思議な気持ちになる。

シンバはビーチルドを見つめる。カプセルの中、形を変え続け、蠢いている。

「歌、嬉しかったか? 変な女だったな。お前に歌を聴かせるなんて。でも植物も歌を聴かせるといいなんて言うよな。お前もそうなのかな? お前にはいろいろと話し掛けて来たけど、もうそれも終わりかもな。ルエーフ博士がみつかったら・・・・・・」

そう言った後で、ふと期待しているのか?と自分に問い掛ける。

——ルエーフ博士がみつかると思っているのか? 本当に。

「ここに来て、本音で話せたのはお前だけだよ。殆ど愚痴だったか? そうだな、チーフの悪口とか多かったかな」

シンバはフッと鼻で笑う。

「お前とは後1ヶ月の付き合いだ。僕のうるさい愚痴も聞かなくて済むよ」

ビーチルドは相変わらず蠢いているだけ。

——死に行く世界で、僕等はどうして生きていくのだろう?

——死に行く世界で、産声を上げ、生きるのは何故だろう?

——死に行く世界で、待っているのは死なのにどうして呼吸をしたいと願うんだろう?

「今夜は冷えそうだ。もう少し部屋の温度上げていくよ。じゃあ、おやすみ」

シンバはそう言って、部屋の電気をパチンと消した。

カプセルの光が不気味にボヤっと放っている。

コポコポと気泡を出し続けているビーチルド・・・・・・。

そうしてシンバが研究室に戻ったのが、午後7時ちょっと過ぎだった。

そういえば、何も食べてないなと空腹に気が付く。

——いつか死ぬとわかっていても、何か食べたくなるんだよなぁ・・・・・・。

そう思う自分がなんだか可笑しくなる。当たり前の事なのに、そういえば不思議だよなと感じているのが、変に笑えるのだ。当たり前の事だから疑問にも思わないのが普通で、疑問に思う事に、ああ、自分も人間なんだなと変な確信を持つ。そんな自分が可笑しく思う。

全てへの諦めか、それとも期待か、少し解放された気分で、心に余裕が出る。

余裕を持つという事は、こんな感情なのかと、初めて知ったようで、また可笑しくなる。

「シンバ? なにニヤニヤしてるの?」

「うわ、びっくりした!」

突然、目の前にハーゼの姿。シンバはビックリして退く。

「なにしてるの?」

「な、なにって、これからビーチルドについて幾つか考えれる論を出してまとめようかなって。お前は何してるんだよ? 帰らないのか?」

「うん、明日迄にやらなきゃいけない事があって。徹夜になりそう。それでコンビニで夜食買って来たの。シンバも一緒に食べない? イッパイ買い込んじゃったから」

ドサッと机の上に置かれる大きなナイロン袋に入った食料の山。殆どがチョコレートやクッキーなどの甘い系のお菓子のようだ。

「雑用のお前が徹夜でやらなきゃいけない事って? コピーの山積みとか?」

「ううん・・・・・・」

ハーゼは俯いて、困った表情をしている。

「どうしたんだよ?」

「宇宙・・・・・・論・・・・・・明日迄に提出なのに全然できてなくて・・・・・・」

「宇宙論!? そんなの天文学の奴等の仕事だろ?」

「来年の春に、宇宙論の発表が世界各国の天文研究所から出されるイベントあるでしょ。それでSolarの人間はみんな論を提出するって課題出されてるけど、私、勉強不足で全然わからなくて。期限は明日迄だし。シンバも出したんでしょ?」

——へぇ、そんなイベントがあるのか。

——春には僕は死んでるのか?

——だからチーフも僕には何も言わなかったのか。

——それともビーチルドだけを考えろっていう事か。

「シンバ?」

「あ、これもらっていいのか?」

「うん、食べて食べて!」

シンバはハーゼが買って来たモノを見て、ナイロン袋の中をゴソゴソ漁ってみる。そして、中からハムのサンドイッチを見つけ、それを食べ始める。

「で、宇宙論はどんなのが出てるのか知ってるのか?」

「え? ど、どんなのが出てるの?」

「有名なの一つくらいは知ってるだろ?」

「ビ、ビッグバン論?」

「知ってるじゃないか、後、インフレーション理論も有名だな」

シンバは、そう言いながら、コンピューターに電源を入れる。

「でもどうして論なんか出さなきゃいけないんだろ。もう沢山の論が出てるんでしょ? なのにどうして? シンバはどんな論を出したの?」

「僕は宇宙論出してないよ」

「え? どうして?」

「さぁね」

「でも論なんて出さなくても沢山の論があって、その中から正解に近いものを研究すれば良くない?」

「正解なんてないから論を出すんだよ。ビッグバンもインフレーションも正解かどうかなんてわからない。宇宙論の系譜は物理学の系譜をなぞっているが、物理学自体が未完成であり、宇宙論が完成する筈もない。例えばインフレーション理論は、大統一理論の上に成り立つ。そして、大統一理論は陽子崩壊を前提とする。しかし、疑いの余地のない確固たる陽子崩壊は未だ検出されていない。インフレーション理論を論ずる科学者は陽子崩壊になんの証明もしようともしない。つまり、証明のない物理理論を無批判に受け入れているのが宇宙論だ」

「か、簡単に言うと、何もわからないって事?」

「そう、宇宙はファンタジーだよ、想像だけで創造できるんだ」

シンバは電源のたちあがったコンピューターをいじり、宇宙論のファイルを開けた。画面に出て来る無数の論文。

「えー!? こんなに論があるの!?」

画面を覗きこんで、ハーゼが驚いた声を出す。

「ああ、あくまでもこれ等は、この星から観測した宇宙論」

「この星から?」

「ああ、いや、言い方を変えよう、この星から僕達が手を伸ばせる範囲での解釈。言わば、テリトリーの中だけの解明。そして今の科学技術をプラスした知識。まずはそういうのを理解しないとまともな宇宙論は出せない」

「え・・・・・・」

明日迄に期限が迫ってるハーゼは困った顔をする。

「でも論の中にはまともじゃない論も沢山あるんだ。さっきも言ったが、想像だけで創造し、何の証明もなければ、それは下らない論とされるが、証明は後から生まれる場合もある。後々、想像だけの世界が、科学技術が発展し、現実になる事もある。馬鹿気た論も残るのはそういった事の在り得る現実が少しでも考えられるからだ。どんな想像も、思いつきで始まったものでも、まるで漫画のような話でも、それは一つの可能性として無くはない」

「それって・・・・・・つまり・・・・・・」

「ああ、ハーゼの宇宙を思ったままに書いちゃえばいいんだよ、論文なんてそんなもんさ。定説になるような説なんていらないよ、宇宙論の定説はもうあるんだし。それより、面白い説でいいんだよ、そういうのが、いつか定説を覆す事になる」

「定説を覆す説なんて、私には無理だけど、面白い説なら考えられるかも」

「空想のまま、想像に身を任せて、創り上げればいい、自分の宇宙を」

シンバはそう言った後、ふとビーチルドと宇宙って似てるなと思う。

何もわからないからと言うだけでなく、宇宙で尤も多い元素の水素もビーチルドには多く見られる。勿論、今迄の検出結果であるから、これから変わればわからないが。

そういえば、宇宙には未知のウィルスが沢山ある。



『ルエーフは宇宙を創りたいと言っていたなぁ』



天文学のチーフが、言っていた台詞が頭をよぎる。

——まさか宇宙を作ろうとした?

——ビーチルドのあの小さな体の中には想像つかない程の膨大なエネルギーがあるのか?

——有り得ない。

「ねぇ、シンバ、宇宙って今も広がってるんだよね?」

「ああ・・・・・・そう言われてる・・・・・・」

「どこまで広がるんだろ?」

「物質量が・・・・・・どのくらい宇宙全体に存在するかで・・・・・・宇宙がビックバンの膨張と同じように膨張し続けるか・・・・・・収縮に向かいやがて終焉を迎えるかが決まると考えらている・・・・・・」

「そうなんだぁ」

——そうなのか?

——ビーチルドもそうなのか?

「まてまてまて、落ち着け、落ち着け! ビーチルドは宇宙じゃない。だってそうだろ? 宇宙には銀河を回転させるようなエネルギーがある。わからない質量が通称ダークマターだ。その見えない質量が存在している事により、ブラックホール、褐色矮星などが考えられる。宇宙全体の質量がある値より大きい場合、物質の重力自身により宇宙の膨張が止まり、やがて収縮に入るが、ある値より小さい場合、永遠に膨張し続けるとされる。これは全て完璧って事じゃないが、確実には近い。いやいやいや、宇宙論なんてどうでもいいんだ、即ち、この星から観測しただけでも膨大なエネルギーは明らかに証明されている。そんなエネルギーがビーチルドにはあるというのか? 有り得ない!」

突然、一人でベラベラと興奮気味に話し出すシンバに、ハーゼはパカーンと口を開け、見つめている。

シンバは一人で焦ったり、首を振ったり、頷いたり。

「ね、ねぇ、シンバ、ごめんね? なんか、シンバ、忙しいみたいだし、私、自分のデスクに行くね?」

「あ、ああ・・・・・・いいんだ、ごめん・・・・・・」

「え、でも・・・・・・」

——有り得ない。落ち着け、落ち着くんだ。

「じゃあ、最後に質問! うんと、ほら、宇宙の始まりは無の揺らぎからインフレーションが起きて、そして膨張していったって論があるでしょ? どうやって何もない無の状態から生まれたの?」

——ビーチルドも無から生まれた・・・・・・。

「シンバ?」

「・・・・・・わからないんだ」

「え?」

「だから、宇宙論はどれもこれも何かしらに無理が出てきて、わからないんだよ・・・・・・」

「そっか。じゃあ、完璧な宇宙論を発表するにはどうしたらいいのかしら?」

「状態が収縮か静止か拡張か、時間が起源があるかないか、終わりがあるかないか、空間の広がりは有限か、それとも無限か、これら全てを説明つけれなければ、完璧にはならない」

「確かにそんなの無理よね、だから矛盾も生まれちゃうんだね」

——そう、矛盾を言い出したらキリがない。

——だけど、だからこそ、ビーチルドと宇宙は似ているのかもしれない。

——もしもビーチルドが宇宙を生み出すきっかけとなるモノだとしたら?

——アイツはいつか膨張し始める?

——全てを呑み込み、そしてどうなる?

——その前に全てを飲み込む爆発(ビッグバン)があるのか?

宇宙の初めは膨大な(無限大)エネルギーの塊で、原子はおろかその構成要素である素粒子なども分解していて、というか、その姿を保っていられないほどの高エネルギー状態だったらしい。そうあくまでも、らしいのだ。

本当の所は何もわからない。

ビーチルドの中には一体どのようなものが詰め込まれているのか、手に触れ、眼に見え、すぐ傍で蠢いているビーチルドが何もわからない未知のモノである事も確かな事である。それはまるで宇宙そのもののように・・・・・・。

ハーゼは、自分のデスクで、論文を書いている。

シンバは、何もする気になれず、ぼんやりとコンピューター画面を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る