Life Ever Lasting
ソメイヨシノ
1. 障害
ビーチルド細胞。
細菌より小さい極微生物の固まり。ウィルスで出来た細胞とも言われるもの。
それは脈があり、生きていた。
何かから生まれた訳でも、出来た訳でもなく、無から現れた謎の生物、ビーチルド細胞。
これは歴史上はじめての出来事となった——。
ここにコンピューターを扱う一人の少年がいる。
彼の名をシンバ・レインハルトと言う。
彼は、かの有名なルエーフ博士の息子である。
ルエーフ博士とは——・・・・・・。
「おい、ハーゼ、妙なナレーションつけながら、僕をビデオに撮るのはやめてくれないか。仕事が進まないよ」
「だってチーフからの命令だもん」
「ナレーションつけろって?」
「それは言われてないけど・・・・・・」
そう言ったハーゼを見て、
「それに僕は少年って年齢でもないと思うけど?」
そう言うと、カメラを下におろし、
「んー・・・・・・私がまだ少女でいたいから」
なんて言い出すから、ハァっと溜め息を吐いて、
「ハーゼが受けた命令は、僕の仕事をビデオに撮れだろ? 僕を撮ってどうするんだ」
そう言って、またコンピューターのモニターを見る。
——いや、僕の仕事じゃないな。
——僕を見張っておけって事なんだろうな。
「はぁい」
ハーゼは子供のような返事をし、再びビデオのカメラを向ける。
彼女の名はハーゼ・ラディグラス。
シンバの幼馴染で、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
ここ「Solar」で一緒に働くようになったのは、最近の事——。
そして「Solar」とは、世界的にも有名な研究所の一つである。
有名になったのはルエーフ博士が創り上げた物や論などが、きっかけだろう。そして何より、ルエーフ博士が残していったビーチルド。
一般的には何も知られてはいないが、これは、世界各地が抱える国家遺産とも思われる優秀な研究員達の間では知らない者はいないだろう。
そして何よりマスコミの間で有名なのは人体実験の噂。
実際、噂は噂なだけで、「Solar」で働いている研究員達でさえ、それが真実なのかどうか、知っている者は少ない。
「あれ? おい、シンバ、ここにH型ウィルスのネズミ置いてあった筈なんだけど?」
彼の名はコウ。コウ・ツィンディ。
シンバと同期の彼は、シンバより5つ年上の24歳。
つまり、シンバは14歳の頃、ここにやって来た。そして同じ研究を続け、もうすぐ5年になろうとしていた。
「全滅してたよ」
「マジで!? おっかしいなぁ、H型のウィルス、ワクチンとして使えると思ったのになぁ! なぁ、シンバ、お前も手伝ってくんない?」
「そんな暇ないよ」
「よく言うよ、どうせ、お前がリサーチしてるソレ、期限なしのノルマなしだろ? 俺なんてワクチンにした後——」
「うるさいな!」
コウはシンバの地雷を踏んだようだ。
シンバは立ち上がり、その場から立ち去ろうとする。
「シ、シンバ、どこ行くの? ビデオ撮らなきゃ・・・・・・」
「撮ってても無駄だよ、何もわからないんだよ!」
シンバは、そう言い放つと、研究室を後にした。
ハーゼのビデオは空回るように、シンバの後姿を映していた。
「俺、そんな悪い事言ったか?」
「んー・・・・・・わからないけど、プレッシャーとかあるのかも。ほら、シンバ、期待されてるから」
「へっ、いいよなぁ、5年かけて何もわからなくても、尊敬はされるんだから」
「・・・・・・」
ハーゼは黙り込み、ビデオを止める。
「嫌な奴だと思った? 俺の事」
「え、あ、んー・・・・・・」
コウの台詞にハーゼは何て答えていいのか困る。
「わかってる。俺の只の僻みや妬みだよ。アイツと同期でここにいるのに、研究結果を何一つ出せないでいるアイツが、アイツだけがいつも期待されてて、アイツだけがいつも尊敬されてて、アイツだけが頂点にいるように思えて、それが嫌で嫌でたまらない。わかってる、アイツの方が優れているのは。だけど、もうすぐ5年だぜ?」
「そうだね・・・・・・でも、5年経っても何もわからないって、研究者にとって、どんな気分かしら」
「え?」
「同じものを来る日も来る日も。でもわからなくて。回りはどんどん成果を上げて行って、科学力も発展して行って、なのに、自分だけ、何もわからないまま。それってどんな気持ち? なのに下ろされる事さえされず、この任務にあたったまま、5年になろうとしてるシンバの心境って・・・・・・?」
「・・・・・・くそっ!!!!」
コウは、自分に嫌気がさし、机をバンッと叩く。
「ご、ごめんなさい、私・・・・・・」
「いや、悪いのは俺だから。ごめん、怖がらせたね。ちょっとシンバ探して来る」
ハーゼは、ニッコリ微笑み、
「屋上かも」
そう言った。
シンバは屋上で、風に当たっていた。
ここから見える景色は、余り好きではないが、夜になると、ネオンの夜景だけは綺麗だ。
しかし、シンバは景色を見たい訳ではない。風が好きなのだ。
シンバのブラウンの髪の無造作な毛先が風に揺れる。
月は12月。季節は冬。
シンバの白衣姿だけでは、木枯らしが冷たい筈だが、シンバは風に身を任せるようにハニーの瞳を閉じる。
ここから飛んだら、風になれるだろうかと何度も思った。
そして何度も想い出した。
幼い頃、飛ばした紙飛行機が風に乗り、どこまでもどこまでも遠くに飛んでいったあの頃を——。
シンバが今リサーチしているのはビーチルド細胞。
ビーチルド細胞とは、ルエーフ博士が無から造り出したと言われるモノ。
わからないのは、無から何かを生み出すなんて可能なのだろうか?
そしてこれが厄介な代物で、常に姿形、脈、体液、全て変わる。
一体、これが何なのか、全くわからない。
体液から常に違うウィルスが発見される為、恐らくウィルスの細胞だと言われてはいるが、それは何かがハッキリわかる時迄の肩書きに過ぎない。
その肩書きは未だに変わる事はない。
シンバが今日まで研究を続けても、ビーチルドがハッキリとわかる事はなかった。
その研究をビデオに撮るだけ無駄。だが、本当は逃げないように見張っているにすぎないのだと、シンバはわかっている。
シンバはもう疲れていた。
空に浮かぶ雲。あれを掴むくらい、先が見えない。
タイムリミットは後1ヶ月——。
「シンバ」
コウの呼ぶ声で、シンバは目を開ける。そして、シンバの元へ歩いて来るコウを見る。
「うひゃー、さみぃー。何やってんだよ、こんなとこで。風邪ひくだろ」
コウの体温が一気に冷えたからか、鼻の頭が赤くなる。
「あのさぁ、明日クリスマスイヴだろ」
「・・・・・・」
クリスマスなど、シンバは何年も忘れている。行き成りそんな話をされても、シンバは何も答えれない。
「パーティーしようぜ!」
「冗談だろ」
「なんだよ、たまには息抜きしようぜ」
コウはヘラヘラしながら、寒さで悴んだ手を擦り、白い息を吐きながら言う。
「女の子集めてさ! シンバどんな子がタイプ?」
「興味ないよ」
シンバはコウの横を通り抜け、屋上を後にする。コウはそんな素っ気ないシンバの後を追いながら、喋る。
「またまたぁ。初恋くらいは済んでんだろ? タイプくらい教えてくれよ」
階段を下りて行くシンバの背に、
「ハーゼだろ」
そう言ったコウ。シンバはピタリと止まる。
「うはっ! 当たり? ハーゼ可愛いもんな。性格もいいし。俺なんか女の子との出逢いなんてないもんなぁ」
シンバは振り向いて、コウを見る。コウは何故かビクッとする。
「女の子と出逢ってどうする? 性的行為でもしたいのか? 単なる捌け口にするなら、自分で処理した方が楽だ」
そう言い放つシンバに、コウは溜め息。
「お前、もっと人間らしい事言えないの? 恋はしてないって言えば可愛気あるのに、そんな言い方されたら、冷やかす事さえできない。はいはい、ハーゼって言ったのは冗談ですよ、すいませんねぇ」
シンバは再び、階段を下りて行く。コウも後を付いて行くように階段を下り出す。
「19の頃だ、俺がSolarに来たのは。今のハーゼやお前と同じ年齢。お前はあの頃14? 俺は今のハーゼと同じ雑用で、お前は直ぐに研究員として、ビーチルドのリサーチを任されてたなぁ。あの頃、シンバの下で働く研究員が何人いたんだ? 役に立たないからいらないと、お前は全員、その任務から下ろさせた。印象的だったなぁ。14のガキが30歳以上、いや、中には50過ぎたベテラン研究員達をスパッと任務から外させた。今になって思うんだ、どうしてビーチルドを一人で抱え込もうとするんだ? 本当はビーチルドが何かわかってるんじゃないのか?」
シンバはフッと笑う。
「勘ぐり過ぎだよ」
「そうか? でもお前はあのルエーフ博士の息子なんだぜ? それだけじゃない、天才的なIQの持ち主だからこそ、お前は14歳でここに来たんだし、本当はもう謎は解けてるんじゃないかって思うんだよ」
コウの話を聞いているのか、いないのか、シンバが無言で研究室のドアを開けると、部屋の隅で、ファイルを広げて見ているハーゼが目についた。何故かコウも目についたのだろう。
「可愛いよなぁ、ハーゼ」
そう口を吐いた。
「そう思うなら、ハーゼにしとけばいいじゃないか」
「え?」
「いい子だよ、ハーゼは。幼い頃しかよくは知らない。けど、僕は好きだったと思うよ」
「は?」
「好きなんだろ? ハーゼの事」
シンバが、そんな事を言い出すとは思わず、コウは首を振る。
「僕とコウは同期だから、僕の事をレインハルトじゃなくてシンバと呼ばれても意味はわかる。でもハーゼの事を同期や僕以外で、ハーゼと呼ぶのはコウくらいだよ。みんな、ラディグラスって呼ぶじゃないか」
「い、いや、それは、ほら、お前がハーゼと呼ぶから」
「僕が? じゃあ、僕が調度いい切っ掛けになったんだ?」
「ち、違う違う。お前がハーゼと呼ぶから俺もハーゼと呼んでるだけ!」
「へぇ」
行き成り、どうでも良さそうな返事になるシンバ。
シンバの言動がわからなくて、コウは短髪の頭を手で掴むように押さえる。髪の色がゴールドで、その毛を今度はくしゃくしゃと掻き始めた。
コウのブルーの瞳には、まだファイルをパラパラと捲っているハーゼの姿が映っている。
そんなコウに、シンバはわかってしまう。
——やっぱり好きなんじゃないか。
「大体ハーゼを好きなのはお前だろうが!」
「僕が? 言ったろ、好きだったと思うって。それも幼い頃の話だ。今、僕はお前みたいに盛ってる暇はないんだよ」
「盛ってるって・・・・・・」
ドアの前で話していた事もあり、
「あなた達、邪魔よ」
と、シンバの属する班のチーフであるリタ・二ーナカインがそう言った。
シンバとコウは、ペコリと頭を下げ、道を開ける。
「レインハルト君、話があるの。ちょっといいかしら?」
シンバは、そう言ったリタについて行く。
チーフルームに行くのではなく、研究室のドアから2、3歩離れた場所で、リタは振り向いてシンバを見た。
「どう? ビーチルド細胞のリサーチの方は進んでる?」
「・・・・・・」
「黙ってたらわからないわ」
「嫌味な人ですね。僕の口から言わなくても、研究したのを録画したビデオを見れば一目瞭然でしょう。それともあれは別の意味の撮影なんですか?」
リタは瞳と同じオレンジ色の長い髪を掻き揚げ、ふふふと笑う。そして、シンバに近づき、ソッと耳元で、
「期限迄、後少しね」
優しくそう囁いた。シンバの表情は変わらないが、内心を見透かすように、リタはまた、ふふふと笑う。
「あなたのお母様の死が無駄にならなきゃいいけど」
「・・・・・・まだ死んでない」
「うふふふふ、それは心の中で生き続けているって言いたいの? でもタイムリミット迄、後少しよ? あなた自身の命もかかってる事、忘れないで? ああ、あなた自身の命が終わったら、あなたの心の中のお母様も死ぬ事になるわね。気を悪くしないでね、頑張ってって言う意味なんだから」
リタは嫌味な位、頑張ってと言う風に、ぽんぽんとシンバの肩を叩き、研究室へと戻って行く。
立ち尽くすシンバ——。
「後、1ヶ月・・・・・・」
期限は後1ヶ月。それまでにビーチルド細胞を全て理解しないと——。
シンバは研究室には戻らず、エレベーターに乗り、地下へと向かった。
扉が開くと、シンバは急ぎ足で、Dissecting Roomという場所へ向かう。「Dissecting Room」とは、その名の通り解剖室である。Solarの解剖学は、生物体、死体、生体、全ての解剖分析が好成績であり、世界中の解剖研究学者達の中でも尤も素晴らしい功績を今も残している。そして、シオン・ガーディアスという男、この男、メスを持たすと右に出る者はいないと言う程の人物。
「シオンさん」
「よう、シンバ。あぁ、ちょっと待っててくれ」
シオンはここで30年近く働いている。後2年もすれば50歳。
ベテランと言ってしまえば、それまでだが、彼をほしがる病院も大学も研究所も多くある。それほど、彼の腕は素晴らしい。
「待たせたな、シンバ。で? なんだ?」
「この間のネズミ、解剖してくれた?」
「ああ、あのネズミはなんなんだ?」
シオンは眉間に皺を寄せ、首を傾げる。
「やっぱり何かあった?」
「いや、お前がウィルスガードのスーツを着て、解剖をしてくれと言ったが、ウィルス反応さえ見られなかった。肉眼で、ウィルスに犯されてるような皮膚さえなかった。あれは元気なマウスそのものだよ。脳も心臓も、異常なし。心拍数も正常。ありゃぁなんだったんだ? 何故、解剖を?」
「そう・・・・・・ならいいんだ・・・・・・ありがとう・・・・・・」
「いや、待てよ、解剖を依頼されりゃぁ、なんでも開いてやる。だがな、お前、誰にも言うなって言われ、それも重装備で解剖させられたんだ。ビーチルドだろ?」
そう言ったシオンをシンバは見上げる。
シオンの身長は185センチはある。シンバの170センチ弱の身長からだと見上げる形になる。
「あのネズミに何をしたんだ?」
シンバは左右に首を振る。
「おいおい、俺を信じろ。お前の為に危険を犯してもネズミの解剖をしてやったんだぞ?」
「ビーチルドだとわかってて、本当に解剖したって言う証拠はない。証拠は残さない為、記録は何も残さなくていいと言ったのも僕だけど、結果がそれじゃぁ何もわからない」
「落ち着けよ、シンバ」
「・・・・・・ごめん、信用してない訳じゃない。シオンさんが言うなら、その結果なんだろう。只、今は何も言えない」
「・・・・・・そうか」
「ねぇ、シオンさん、人体死体保管室に行きたいんだけど・・・・・・」
「ああ、いいぞ、来い」
シオンはシンバの背を優しく叩き、Dissecting Roomにある人体死体保管室へと向かう。そこにはシンバの母親がいる。
10年前、ルエーフ博士はビーチルドを残し、失踪した。
当時、ビーチルドは危険物として取り扱われていた。何もわからない研究者達はルエーフ博士が人類絶滅に追いやる生物兵器を作り出したと、ルエーフの妻であるオレンと息子のシンバを捕らえた。当時シンバの年齢は9歳。それから5年の歳月、水溶液の中に保管しておけば、ビーチルドは無害だという結果になり、シンバは5年というタイムリミットをつけられ、釈放されたが、オレンは監禁されたままだった。
その後シンバはSolarでビーチルドを調査。オレンは釈放されずに、死刑となった。
生物兵器も国の依頼であり、その国の登録された研究者達が造るのであれば、許されるが、個人的に造れば重罪になる。
ルエーフ博士は今も行方を眩ませたままだ——。
カプセルの中に眠るようにいる死体達。
シンバはオレン・レインハルトと書かれたカプセルの前で、中で眠る死体を見つめている。
——僕がシオンさんに渡したネズミは死んでいた。
その死んでいたネズミに、ビーチルドの細胞を粒子程にしたものを簡単に脳に注入してみた。
ネズミは数時間後、生き返った!
僕は、そのネズミは生き返ったのではなく、ビーチルド細胞として蘇ったのだと考えた。
一週間ばかり、そのネズミを観察したが、行動も何ら普通のネズミとは変わらなかった。
だが、解剖の結果、ネズミから何も検出されなかったようだ。
ビーチルド自体、ウィルスの塊と呼ばれてる程。
ビーチルドの体内の個々のウィルス自体、ある程度、増殖したら、それ以上の増殖はせず安定した数を保っている。
ウィルスだけを取り出し、ネズミに注入すれば、そのウィルスはネズミの体内で繁殖し、やがてネズミの命を食い潰す。
だが、ビーチルドそのものを注入した結果、ウィルスは跡形もなく消える。
ネズミに注入したものにも、未知のウィルスもあった筈なのだが、それらはどこへ消えたのだろう?
ビーチルド自体が、常に姿形、脈、体液、全て変わり続けている。それを考えると、ネズミと全く同じ体液となる瞬間もある可能性がある。もしくは、あの日注入したビーチルド細胞はネズミの体液に化学反応を起こし、ネズミと全く同じものに変化した?
ネズミの解剖結果、何も発見されなかった事は、幾通りか考えられるが、本当に何も発見されなかったのなら、何故、蘇ったのか、それが謎となる。
ネズミはネズミとして蘇ったとは考え難いのだが、もしそうならば、ビーチルドは死者を蘇らせるものとなる。
そう、僕が5年も研究を続けているのは、ビーチルドの解明なんかじゃない。死者を蘇らせる研究をしている。
——母さん、必ず、生き返らせてあげるから。
——そしたら一緒に逃げよう。
——誰も知らない所に。
でも、後一ヶ月でどうやって——?
「シンバ、今のお前には何を言っても無駄だと思うが、ルエーフ博士は偉大な人だ。ビーチルドが手に負えなくなり、逃げたんじゃねぇと俺は思う。まさかこうなってるとは、当の本人も知るよしもないだろう。お前のタイムリミットが近いのもわかるが、ルエーフ博士の奥さんはルエーフ博士を恨んではねぇと思うぞ」
「・・・・・・そう思いますか?」
「ああ!」
「そうか、母さんはアイツを恨んでないのか」
「ああ!」
シンバはシオンを見上げ、
「でも僕は恨んでます」
当たり前のように、そう言った。
「僕はアイツの息子ってだけで、監禁状態でここに入れられ、来る日も来る日もビーチルドの事を調べさせられ、母さんは釈放されず、アイツの罪を背負い、死刑にあい、死体さえ、土に還させてもらえず、実験材料と使われる。ここに運ばれる死体は健康であり、死体の損傷も少なく、綺麗であるのを条件としたものを、高額で買って集まったものでしょう? 高額を手に入れる者がいて、例えば、それが家族だったりしたら、死んだ者も嬉しいんじゃないでしょうか。金が幸せとイコールとは限りませんが、少なくとも、持っていて困るものじゃない。その幸せを残せて、死んだ者も安心して死ねる。でも母さんは? 金がほしくて言ってる訳じゃない。母さんが死ぬ正当な理由、実験される道理にかなうこと、全てが僕は納得いかない。母さんはまだ生きていてもいい筈です。そうでしょう? シオンさん」
「・・・・・・そうだな」
「シオンさん、あなたが僕によくしてくれるのは、アイツと仲が良かったからだとわかっています。アイツの息子だから僕を気にかけてくれる。だけど、これとそれとは別です。アイツと仲が良かったからと言って、死んだ母さんが、アイツに恨みがないだなんて、そんな事、どうしてわかるんですか? 今となっては死人に口ナシですから、シオンさんが、どう思っていても構いませんが、僕は思えませんから」
「ああ、悪かった・・・・・・」
シオンが謝った後は、シンバも冷静になったのか、黙り込んだ。急に静寂が支配する。
「・・・・・・もう行きます」
「ああ、そうか? じゃあ、鍵閉めるからよぉ、先に出ろ」
「はい」
シンバはその部屋を後にする。
シオンがコーヒーでもと、エレベーター付近まで一緒に来た所で、障害者と出逢った。
ダウン症。染色体異常症の類。多くは二一染色体の過剰による。一般に精神発達や発育が障害され、先天性の心疾患を伴うこともある障害だ。
顔つきを見れば、直ぐにそのダウン症だとわかる。
「ああ、迷ったのかな?」
シオンはそう言うと、障害者である彼に話し掛けた。そして、案内するように、ある部屋へ連れて行く。
その部屋が、マスコミが知りたがっている人体実験用の人間の倉庫。
集るのは障害者ばかり。それも知的障害者。
中には障害者に見えない者もいるが、繰り返し同じ言葉を言っていたり、繰り返し同じ動きをとったりと、行動に障害を感じる。
シオンが、先程の彼を、その部屋に招き入れた。
中では、子供のお遊戯を教えている先生と呼ばれる者がいる。
シンバは窓から、その景色を見ている。
子供もいるが、大人が手のお遊戯に夢中になっている。
「シンバ、悪いな、コーヒー飲みにブレイクルームに行くか」
シオンのその呼びかけにも応じない程、シンバはその光景から目を離さない。
「シンバ?」
「シオンさん、奴等テストでも、実験される事で、世の役に立ってるんですよね」
「おい、テストって言い方やめろ」
「障害者って言葉だって充分暴力でしょ」
「・・・・・・そうだな」
「コイツ等って親に捨てられた事とかわかってないんですよね。俺もコイツ等みたいに生まれたかった。ゴミだ、コイツ等。何もわかってなくて、ヘラヘラ笑って。恨みも悔しさもない」
「そう思うのか?」
「・・・・・・生きてる価値がないから、せめて、最後に役に立つようにテストになる。未知のウィルスも人間に試さなければならないようになった。ビーチルドのせいで。ビーチルドから採取されたウィルスは兆単位を越し、それはまだ増え続けている。この世に、ウィルスが生まれ続けて、いつ誰が感染してもおかしくない。マウスのテストだけじゃあ追いつかない。こんな世にしたのはルエーフ博士だ。でも世の中には、こういうゴミが存在する。こういういらない奴等の御蔭で、人体実験が噂となっても、いや、例え事実がバレたとしても、ルエーフ博士の名が汚れる事はない」
「なぁ、シンバ、コイツ等は親に捨てられた事をわかってない訳じゃねぇ。ヘラヘラ笑ってる訳でもねぇ。只、天使なんだよ」
「は?」
シンバは、似合わない事を口にするシオンを見上げる。
「そう思わねぇか? 恨みも悔しさも、誰かを傷付ける感情が奴等に生まれねぇなら、アイツ等は天使だ」
「・・・・・・真剣に言ってるんですね、そんな事」
「興味ねぇか、架空の生物は」
「宗教にも興味ありませんね」
「成る程」
「でも、アイツ等が天使なら、僕はなんなんでしょうか?」
「うん?」
「1ヶ月後、ビーチルドを解明できなければ、僕はここに入れられる。天使でもない僕は自分がテストになり、誰かの為に新型ウィルスのワクチンが出来上がる事を何て思うでしょうか?」
シンバの瞳に映る無邪気に遊ぶ障害者達。
「ルエーフ博士が戻って来れば、こんな人体実験など、馬鹿気た事は中止になる筈なんだがなぁ。俺の力だけじゃあ、上には逆らえねぇ。人体実験なんて馬鹿気ていると言う意見も只の願望となっちまう。幾ら名の知れた解剖学者の俺でも、ルエーフ博士程の力はないって事だ」
「ルエーフ博士にどんな決定権があったとしても、ルエーフ博士が、人体実験がある世にした事に変わりはないですよ。どうせテストになるなら、僕も天使になりたかった」
——それにコイツ等が親に捨てられた事実はルエーフ博士にはどうしようもない事。
——天使じゃなかったら、コイツ等は親を恨むだろうか?
テストされる人間は、別の個室に移される。その部屋へ入るにはウィルスガードのスーツを着なければならない。
そこでは最早人ではなくなった者の姿がある。ウィルスで皮膚が爛れていたり、アレルギーが見られたり。
そして、結局、解明できないウィルスに犯された者はウィルス抹消の為、焼却される。
念入りに骨迄無くなるように——。
シンバは、直ぐ未来の自分を見るようで、怖くて、その部屋には近付いた事はない。
勿論、その部屋は厳重警備の元にある部屋なので、そう簡単には入れない。
せめてシオンクラスの国家財産ともなる研究員にならない限り、こういう研究所のシステムは知らされる事はない。
「なぁ、シンバ、障害者は何故生まれるのか、考えた事あるか?」
「ないです」
「考えてみたらどうだ? 研究する者とは常に疑問を持つ者だろ?」
「僕は無理矢理ここに来ただけで、研究員になりたい訳じゃないですし、そんな事考えてる暇はなかったですから。というか、奇形児も障害児も人間の失敗作ってだけでしょう」
「失敗作・・・・・・か」
「生産率の高いもの程、失敗作も多いものですよ」
「なぁ、シンバ、もっと生まれた理由、生きる理由を考えてみたらどうだ?」
「そんな事ならいつも考えてますよ。僕は何の為に生まれたのかとか、何の為に生きてるのかとか」
「そうじゃねぇ。お前がじゃねぇよ。お前の周りの人間に対してだよ。人は何故生まれるのかとか、そういうのから考えたらどうだ?」
「なんですか、シオンさん、障害者に対して何かあるんですか?」
「うん? いや、お前の研究してるビーチルドが生まれた理由はなんだろうな? あれは障害か? それとも完全なのか?」
シオンの台詞にシンバの目が、少し大きく開いた。
——驚いた。
——そんな発想、考えた事もなかった。
——そういえば、あれはなんなんだ? 完全なのか?
「シオンさん、コーヒーまたにします。じゃあ、先に失礼していいですか?」
「おう」
シオンが頷くと、シンバはペコリと頭を下げた。
障害者達が無邪気に遊ぶ姿を、再びチラッと目に映し、シンバは足早にその場を離れた。
障害とは
1、物事の成立や進行の邪魔をするもの。また,妨げること。
2、身体の器官が何らかの原因によって十分な機能を果たさないこと。また、そのような状態。
3、個人の特質としての機能障害(impairment)、そのために生ずる制約としての能力低下(disability)、その社会的結果である社会的不利(handicaps)を包括する概念。
ビーチルドがもし今の状態である事が障害であったら、能力の発揮を妨げている事となる。
即ち、何らかの原因により、充分な機能を果たせずにいる状態である事。
そして、能力の低下に及んでいる可能性もある。
まず、物事の成立や進行を邪魔しているのであれば、それを除いてやる必要がある。
だが、ビーチルドがどう進行しようとしているのか、それがわからなければ意味がない。
つまり、ビーチルドが生きる理由——。
染色体を調べれば、あれが雄か雌かわかる。
染色体異常というのも考えられる。
それは突然変異の一種で、ダウン症やターナー症などの形で現れる。
ビーチルドには染色体というものが発見されない。もともとないのか、それとも常に変える姿形と共に、場所を変えるのか。
いや、細胞内にあって有糸核分裂の際に出現し、塩基性色素によく染まる小体だ。細胞を採取した時に染色体はある筈。
いや、そもそもビーチルドは真核生物なのか?
いやいや、まてまて、遺伝子などないのが当たり前じゃないか。
あれは無から生まれたのだ、遺伝となる記憶がある筈がない。
生殖機能がみられない以上、ビーチルドが子孫を増やす為に生まれたとは考え難い。
——では、何の為に生まれ、生きている?
——たったの一匹で・・・・・・。
無いものを探すのではなく、そのままのビーチルドを見ただけの意見。
未知のウィルスを小さな体に無限に含んでいるのを考えると、やはり、生物兵器——。
——ふりだしに戻る・・・・・・か。
シンバはビーチルドが保管されている部屋の前に来ていた。
ドアの横にあるキーの中に、自分のカードキーを入れる。
扉が自動的に開く。ここのキーは名の通る研究員か管理者以外は持っていない。
ここへ来るには、ウィルスガードスーツを身に付けなければいけない。しかしシンバは、スーツを着用しない。ビーチルドは水溶液に入っている。そこから出す時も皮膚を裂いたりしない限り、ウィルスが放出する事はないとシンバはわかっている。
だから、ウィルスガードスーツを着用する時はビーチルドをいじる時だけである。
それはシンバだけで、他の人間は念の為か、完全装備でここに来る。
滅多にここには人は訪れないが——。
シンバがドアを開ける。
中央のカプセルの中、水溶液に浮かぶ気泡を吐き出してる生命ひとつ。
光景はいつもと変わらないが——。
「なんだ? この香り・・・・・・」
部屋中、花のようないい香りが充満していた。
——女性のシャンプーの香り?
——まさか。ここにガードスーツを着ないで来る奴なんていないだろうし。
違和感は感じるものの、荒らされている訳でもないので、シンバの気はすぐにビーチルドに戻る。
「よぉ、元気そうだな」
ビーチルドにそう話しかける。
ビーチルドはウネウネと気持ち悪く動き続けている。
「よく考えたら、お前はどう成長するんだろうな? 今はまだ成長段階の途中か? その割に出逢った頃から大きさは変わらないよな、形が定まらないからか? お前はどんな形になりたいんだ? 形が定まれば、大きくなるのか?」
——まてよ?
——形が定まるのが先か?
だとしたら、コイツは何になるんだ?
——死んだネズミがビーチルドを注入して蘇った。
——それは何を意味するんだ?
——ビーチルドの体液は殆どがウィルスである。
——体内で様々なウィルスが生きている。
「ウィルスがお前を犯しているとは考え難いよな。お前とウィルスは共存してるのか?」
問い掛けても、当たり前だが、返事はない。
「なぁ、お前は完全体なのか? それとも不完全なのか? 障害とか持って生まれて、成長できないとかあるのか? そもそも寿命はあるのか?」
シンバは、暫くビーチルドを見つめ、
「また来るよ」
と、研究室へと戻った。途中で、もしもウィルスが付着していたら誰かに感染してしまう事を考え、殺菌エアシャワーを浴びる。
ふと思い出すシャンプーの香り。
——誰かが来たとしたら、その人は殺菌エアシャワーを浴びたのかなぁ。
頭の中でいろんな疑問が飛び交う。
とりあえず、原点に戻り、疑問を整理しながら、ひとつひとつ憶測の論を出してみよう。
たったひとつの命だから、それが障害なのか健常なのかさえ、今迄の例がないからわからない。
——たったひとつの命か・・・・・・。
研究室の自分のデスクに座り、コンピューターに電源を入れる。
コンピューターがたちあがる迄の間、暫し考える。障害者はどうして生まれたのかと。
失敗作と言ってしまえばそれ迄だが——。
——失敗作じゃなかったら・・・・・・。
シオンが言った天使と言った台詞にピンと来る。
コンピューターが作動する。ファイル検索で並ぶ学問の中から、犯罪学を選ぶ。選んだ時点で、背後に視線を感じて振り向く。バチっとハーゼと目が合う。
「あ・・・・・・あはは、シンバ戻って来たから、ビデオ撮らないとって思って・・・・・・」
苦笑いでそう言ったハーゼに、
「あ、いや、息抜きにちょっといろんな学問に興味を持っただけだから、ビーチルドとは関係ないんだ。ビデオはいいよ」
そう答える。
「え、そう? じゃあ、またビーチルド調べる時に声をかけてね?」
「ああ」
ハーゼが遠ざかるのを確認して、ふぅっと溜め息。
そして再びコンピューターに目をやる。今更犯罪学の論などに興味はない。あるのは、今迄に起きた特殊な犯罪歴。
ズラっと並ぶ犯罪歴から、選んだ項目を開く。
——肩甲骨に障害のある男が自らを天使と名乗り、信仰者を殺した犯罪。
「障害というより、奇形か・・・・・・」
そう呟きながら、記事を目で読み続ける。
——成る程、背中の障害を羽に見立てたって訳か。
「それで教祖になれるなら障害も個性だな」
そう呟いた後、フッと笑みを零す。障害で機能しない体や脳を持った子供の親に、医師などが、言い聞かす文句だからだ。
障害は個性だと——。
——障害を認められた場合、確実にそれは普通じゃなく特別な存在になる。
——自分達のまわりにいなかったタイプだからだ。
——そう考えると、障害がある方が優れている。
——障害も魅力の内で、教祖になる程。
——ビーチルドに障害があったとしても、それが個性ならば問題ないのか?
犯罪学のファイルを閉じる。
ビーチルドが生物兵器ならば、ルエーフ博士がビーチルドを置いて行った理由がわからない。個人で兵器を作り、それを使おうと考えるならば、ビーチルドは持って行くだろう。
ルエーフ博士は何らかの事件に巻き込まれたなどと言う者もいるが——。
シンバは障害者のファイルを開いた。
意外にもいろんな事に活躍する障害者達を目にする。
一瞬、虚しくなる。
障害者以下に感じる自分の存在。
自分の小さな存在に悔しくなる。
ずっと一人だったシンバにとって、助け合い生きて行く障害者達のその姿は、シンバに憎しみの心を生み出すだけのものとなった。
——僕もビーチルドと同じなんだ。
——独りぼっちの存在。
——僕がこの世のいらない存在、命そのものが障害者だと言っても過言ではないだろう。
それでもシンバは心身共に健常者である。
障害者達の中に入れず、健常者の中に手を差し出してくれる者さえ思い浮かばず、シンバは自分の中に憎しみを生み出し続ける——。
そして気付いてしまう。自分の命は、障害者達のように天使の心ではないという事を——。
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