第10話 最終局面

 翌日、二三は学校を休んだが朝からメッセージを送って寄越した。

『お早うトーマ。零兄がリストを手に入れてくれた。今日は部活見学だから忙しいのだろう?』

『せっかくだから早く見たい。女の子の一人住まいを尋ねるのに恐縮だけど、遅目でもいい?九時とか』

『その微妙な時間設定は部活見学と津久井宅訪問の後、自宅で夕食を食べてくる気か?』

『うん、まぁ』

『もう少し早めに来れるなら私の夕食に付き合うか?ビーフストロガノフだ』

『喜んで。いいね、ビーフストロガノフ。お洒落さとボリュームを兼ね備えてるって感じで』

『トーマのバターライスは大盛りにしよう。では八時でよいか?』

『よきかな、よきかな』

『では』

『また後で』


 七時五十三分。僕は二三のマンションのエントランスにいた。インターフォンを鳴らすと無言で自動ドアが開く。エレベーターに乗って四階へ。スマホからツェッペリンの「移民の歌」が聞こえる。

『鍵開いてるから入って』

 ドアノブを引く。夕餉のいい香り。

「お邪魔しまーす」

 一声かけて部屋に上がる。 

「手を洗って座ってて。すぐ用意するから」

「あいよ」

 僕は洗面所で手を洗って肩からカバンを下ろすとテーブルに座って待つ。

「ご、ごめん。呼びたてちゃって。零兄があっという間にリストを手に入れてくれたから― それで―」

 ゆったりしたTシャツとデニムにエプロンを付けた二三がごにょごにょと言い訳しながらトマトとそら豆とサニーレタスのサラダをテーブルに乗せた。

「あっ、そら豆好きなんだ。そら豆ご飯とか。ていうかそら豆ってそら豆ご飯でしか食べたことないな」

「こっ、今度、作る?そら豆ごはん―」

 二三はちょっと断られるのが怖いといった感じでおずおずと尋ねる。

「ぜひぜひ」

 二三はほっとした顔で頷く。「運ぶの手伝おうか」と尋ねると二三は「いいよ。すぐだから」と言って僕に何もさせなかった。もうテーブルにはスプーンとフォークが置かれている。ほかほかと湯気のたつビーフストロガノフの皿が運ばれてくる。ドゥミグラスソースとよく煮込まれた牛肉の上にサワークリームで円が描かれている。皿の端に象牙色のバターライスの山。二三の皿の山はお子様ランチサイズ。僕のはそれより一回り大きい。山のてっぺんに刻みパセリが振りかけてあった。

「ごはんもお肉もお代わりしてね」

「うん。いただきます」

 まずはサラダから。フォークでそら豆とトマトをすくって口へ。トマトの酸味。ほっくりした豆の旨味が上手く絡んでいる。

「二三って料理上手なんだな」

「そ、そら豆が旬だからだよ、きっと」

 今度はビーフストロガノフを一口。柔らかく煮込まれた牛肉が口の中でほろほろと解ける。

「これも旨い」

「市販のルゥだよ。大げさだねトーマって」

 二三が恥ずかしそうに笑う。僕のスマホが鳴る。見るとおゆきからだ。

『あたしとヨウコが気まずくなるようなこと、しないでよ』

 僕は画面を二三に見せ「だってさ」と溜息混じりに笑う。

「ときどき中一じゃないんじゃないかって思うことあるんだ。生まれて二年ほどどっかに隠されて育てられてたりさ」

「ふふ、確かにゆきちゃんかなりのしっかり者だけど。トーマは覚えてる?ゆきちゃんが赤ちゃんの頃」

「写真とかビデオとかは見たことあるんだけど、生の記憶はちょっと薄いかなぁ。ひょっとすると写真とビデオ、両親の昔話で記憶を植え付けられてるのかも」

「英雄取り換えっ子譚みたいな?トーマの大好きなスターウォーズのルークとレイアみたく?」

「そう。そういうのも結構楽しいよね。ひょっとしたら自分は平凡なサラリーマン家庭の子ではなく、特別な何者かかもしれないって考えるのも。あ、スターウォーズ、勉強してくれたんだ?」

「トーマが好きって聞いてググったの」

「そのうち一緒に観よう。自分は特別な何者かかもしれないって空想も、たまにはいいもんだよ?特に落ち込んだり寂しかったりするときには」

 二三は銀灰色の右目をクリクリと動かしながら僕を見つめる。

「実際トーマは特別な何者かだったじゃない。おめでとう、願いがかなったね」

「うーん、その僕が異能だって話、どうしても実感が湧かないんだけど。本当なの?実際のところ」

「本当だよ。あたし一目で分かった。トーマが突然振り向いて眼が合ったとき、すぐに分かった。あっ、この人あたしと同じだって」

「零一さんとか四五ちゃんを見ても、やっぱり違うわけ?周りの人とは」

「うん。違う。四五ちゃんなんかは触らないと分からないって言うけど。あたしは見たら分かるなぁ。あ、この人何か違うって。で、たまに街中で、あっこの人異能者だって思ってジッと見てたら霊だったりするんだけど」

「えっ、それほんとに?」

 僕は思わず表情を強張らせる。美味しいビーフストロガノフの味が途端に味気なくなる。

「うん、本当だよ。たまに人間そっくりで見分けがつかない時があって。あ、でもトーマはさ、ほら、そういう人だから。見ないというか、大丈夫だよ?あたしもトーマが一緒の時は見たことないし」

「そういえば、よく霊視とか霊感の強い人は犬とか猫を飼う人が多いって聞いたな。そういう小動物がいると霊が近づいてこないんだって」

「それ本当だよ。うちのおばあちゃん霊感がすごく強くて。放っとくとどんどん変なのが集まってきちゃうから猫飼ってるんだって言ってた」

 なるほど。二三たちの異能はおばあちゃん譲りというわけか。僕は二三の「トーマは見ないよ」という言葉に安心し、ビーフストロガノフをお代わりした。食後に半分に割ったグレープフルーツを食べ、僕はコーヒー、二三はカフェオレを飲む。僕は「皿ぐらいは洗うよ」と申し出たが、二三は「じゃぁ今日は食洗器に洗ってもらうことにする」といって食洗器に食器を並べてスイッチを押した。


 僕たちは飲み物を飲みながら二三が茶封筒から取り出したA4サイズの再生紙を見つめた。

「あっさりOKだったって。白馬の講師の人」

「なるほど。法律を犯してまでコンパに参加したいわけだ」

 目の前の用紙には三年前の夏期講習に参加した中学一年生の氏名、受講クラス、中学校名、住所、電話番号が記載されている。ペーパーは三枚。一年生クラスのためか、国公立や難関私立といったコース分けはされていない。ただS、A、Bの三つに別れている。恐らくは入塾テストなどによる成績順に三つのクラスに分けられているのだろう。SとAは二十名ずつ。Bは二十二名。小山内志保の名はSクラスの上から五番目にある。リストの先頭にあるのは野村真澄だから五十音順ではなく成績順だろう。

「詩穂は勉強ができたから。部活もやって話題のドラマなんかも全部見ていたけど、テストの点はどれも満点に近い。一体いつ勉強してるんだろうってタイプだった。いうなればトーマの妹、ゆきちゃんタイプ」

「おゆきは努力家タイプだよ。要領よく効率的にこなしているから勉強も部活も付き合いも手を抜かないように見えるけど」

 二三はリストの小山内詩穂の文字をそっとなぞると小さく頷く。

「多分詩穂もそうだったの。あたしが詩穂は凄いんだねって言うと、いつもえへへってちょっと自慢気に笑った。でも実際には裏で物凄く努力してたんだと思う。特に頑張ってる様子もないのに何でもできる子を演じるために」

 二三は三枚のリストを僕に向けて並べる。

「零兄にこのリストを貰ってから独りで眺めてたんだけど」

 二三はAのリストを示す。

「もう気付いたかもしれないけど、ほらこの人」

 加美路ひかり。珍しい名だ。東にも加美路さんがいる。百合組の加美路萌音。宝塚歌劇のスターのような名前だが御当人はいたって地味な見た目。だが百合ではトップの取り巻きとして結構幅を利かせている。

「あたし時間はたっぷりあるから。ネットで検索してみたの」

 二三は自分のスマホ画面を僕に見せる。地味なボブの髪。思春期らしいふっくらした顔には少し無理をした笑顔。写真の上に「松濤学院中」の文字。写真の下には「加美路ひかり 赤石小」と書かれている。昔、進学塾が春の入学シーズンに新聞の折込チラシで配った塾生の合格者一覧のようだ。最近はプライバシー保護の観点からこういう広告も減ってきているらしい。

「赤石小は詩穂の出身小学校。詩穂は中学から西宝市に引っ越してきたから」

 写真のひかりさん、言われてみれば東の加美路さんの面影がある。つまり加美路さんの親戚か。なんとなくではあるが、小山内さんが自ら命を絶つに至った原因への手がかりが見えてきた。

「加美路さんに話を聞く?それともこのひかりさんのほう?」

「ん―」

 二三は右手の指先で唇に触れながら視線を泳がせる。

「聞けば何か分かるとは思うけど―」

 二三は一生懸命に心の中にある思いを言葉にしようとしている。僕は黙って待った。

「ま、前から、考えてたの。あたしは何がしたいんだろうって。犯人を指さして、お前が犯人だって叫びたいのか。お前が詩穂を殺したって叫びたいのか」

 二三は温もりを求めるようにカフェオレボウルを両手で包んで撫でる。

「詩穂に生き返って欲しいのか、詩穂に謝りたいのか。し、詩穂に、叱られたいのか」

 二三はカラカラになった口をカフェオレで潤す。カップは口元にあてがったまま。顔の下半分を隠している。

「詩穂に責められたいのか、罵られたいのか。あんたのせいよ二三って言われたいのか」

 それきり二三は黙り込んでしまった。僕たちはしばらく無言で、向かい合ったままコーヒーとカフェオレを飲んだ。不思議と気まずくない優しい雰囲気の沈黙。コーヒーを飲み終えて僕はカップをテーブルに置く。

「部外者の僕が言っていいのか分からないけど」

 二三はカフェオレボウルの縁から僕の方を覗き見る。

「多分、誰か特定の生徒だけの責任じゃないからかな。みんなに責任があるからじゃないかな。苛めた人も、笑った人も、無視した人も、ただ遠くから見ていた人も、みんなに責任があるんじゃないかな」

 二三はとうに中身のなくなったカフェオレボウルをそっとテーブルに置く。

「あ、あたし、怖かった。もしかして、自分のせいで、詩穂が」

 二三は黙ってうなだれると、エッエッと静かにしゃくりあげ始める。今の僕にしてあげられることはあまりない。

「コーヒーを入れてカフェオレを作るよ。二三ほど上手には入れられないけど」

 僕は立ち上がってキッチンへ。ポットにミネラルウォーターを入れコンロの火にかける。「aizaki」の豆をコーヒーミルに二杯入れ、ゆっくりと焦らずにハンドルを回す。砕かれた豆から香ばしい香りが漂ってくる。ドリッパーにフィルターをセットし粉を入れる。ポットの細長い注ぎ口から湯気が立ってくる。沸騰する直前に火から下ろし、粉の真ん中を狙って糸のように細く湯を垂らす。粉がホットケーキのようにふわっと膨らむ。ゆっくりゆっくり銀の糸のような湯を粉の真ん中に、円を描くように垂らしていく。二杯分のコーヒーが入った。鍋にミルクを入れて温めてから、ボウルに三分の一ほど注ぐ。そこにコーヒーを入れる。蜂蜜の瓶から蜂蜜をひと匙。カフェオレに入れて掻き混ぜる。

「はい」

 二三の前にボウルを置く。

「あっ― ありがと」

 二三が鼻をグズグズ言わせながらお礼を言った。何だがいじらしくて思わず頭をひと撫でしてしまう。二三がビクッと身体を震わせる。

「あっ、ごめん。何だか、僕もどう言っていいか分からなくて変なことしちゃったよ。ほんとごめん。その、二三は自分を責めすぎだよ。そろそろ自分を許してあげたら?世の中のいろんなものに成り代わってお前を許そうっていう意味で頭をよしよししてあげたかったんだ。つまり、もう二三は許されたよ。僕が代わりに許しておいたから。元気出して」

 二三は真面目な顔で聞いていたが最後にクスリと笑った。

「ありがと― ほんとうに」

「全然。気にしないで」

 僕たちはクスクス笑いながら湯気の立つカップに口を付ける。

「さて、探偵係としてはどうする?始めたんだから終わらせなきゃ」

「そうだね」

 二三はちょっと笑って頷く。

「トーマを巻き込んでここまで来たけど。終わらせなきゃね」

「どうやって終わらせるつもり?」

「うん。もう一度集まろうと思う。あの時の椿組で」

「どうやるの?」

「それは、これから考えるの」

 二三は笑っている自分が恥ずかしいのか、またボウルを持ち上げて口元を隠してしまった。僕たちはその後お気に入りのチョコ菓子ベスト3とか、チェックしている動画チャンネルの話をして過ごした。気がつくと十一時少し前になっていて、スマホにおゆきから『トーマ、まさかお泊りじゃないでしょうね』とのメッセージが入っていた。僕は慌てて『もうすぐ帰る』と返信する。

「じゃ、帰るよ。遅くまで居座ってごめん」

「ううん。楽しかった。色々ありがとう」

 僕は「じゃぁまた」と二三に言って玄関を出る。マンションを出て家路を辿る間、胸の辺りがポワッと温かかった。


 零時過ぎ。手早く風呂に入り、何か言いたそうなおゆきをかわして自室へ。さーて、たまには鼻パックでもしようかと、パックを貼り付けたところにツェッペリンが流れる。

『今日はありがと』

『こちらこそ。楽しかった』

『今から勉強とか、する?』

『今日はもうちょっとしたら寝ようかと。鼻パックが終わったら』

『鼻パックって?』

『鼻の頭や小鼻の角栓を取るんだよ。放ってくとイチゴみたいな鼻になるらしい』

『ふーん。トーマも見た目を気にするんだ』

『まぁ、小汚いよりはさ、清潔な方がいいかなって』

『ふーん』

『ふーんって何、その反応?』

『別に。ちょっとさ、猫でも飼おうかなって』

『いいね。女の子の独り暮らしだし。サーベルキャットとかにすれば?番猫みたいな?』

『番猫?用心棒代わりならセコムとかの方がいいかも。やっぱりほら、キッチンの暗がりや家具の裏にさ、ヤツがチョロチョロしてるのもどうかなと思って』

『うわっ!僕もゴキちゃん苦手だな』

『違うよ。緑の小人だよ』

『そっちか』

『うん。それにさ、やっぱり少し淋しいかもって』

『今度ペットショップに行ってみる?』

『それはやめとく。小さな動物が商品として売られてるのを見るのはちょっと嫌』

『そっか。OK。じゃぁ保護猫とかは?』

『そっちは興味があるんだけど実はもうあてがあるの。零兄が仔猫を貰ってくれる』

『そっか。でも、なんだな』

『何?』

『二三さ、SNSに慣れてきたね。何か言葉が普通になってきた』

『本当?あたし普通になってきた?』

『うん。でも前のぶっきらぼうな感じも良いと言えば良かったんだけど。なんかこう、ギャップ萌え的な?』

『え、トーマあれに萌えてたの⁉世の中って難しいな』

『同感。でもいよいよ最終局面って感じだね。祭りの最後みたいなさ』

『そうだね』

『探偵係としていい仕事をしよう』

『うん』

『じゃ、おやすみ二三』

『おやすみ、トーマ』


 花村先生が調べたところでは、東校の探偵係、生徒事案相談調整委員は僕らで四代目らしい。あたしが三代目であなたたちは四代目ねと少し自慢気に教えてくれた。西宝市立西宝東高校四代目探偵係、初めての事件―というか、正式には調査事案だけど、ラストをどう飾るべきか。どのように調査を終結させるべきか、僕と二三は検討を重ねた。委員協議は主にSNSを使ったチャット、放課後の図書室や保健室、下校後のCaveで行われた。花村先生は協議に加わりたがったが、最後の探偵講評には顧問として必ず同席してもらうからと話して、協議は僕と二三の二人で行った。

 委員協議の末、僕たち生徒事案相談調整委員は何をすべきか、何をしたいのかがはっきりと見えてきた。「何をする」が決まったので、後は「いつ」と「どこで」を決めればいい。「いつ」はすぐに決まった。準備が出来次第すぐに、みんなが集まりやすい日曜日。塾や部活の人も多いだろうがそれは平日も同じ。ゴールデンウイークまで待ってもいられない。「どこで」は少し考えなければならなかった。探偵小説であれば絶海の孤島に建てられたホテルのロビーとか、立派な日本家屋の大広間とか。事件現場となった洋館の書斎とかで行われる絵解きの儀式だが、できれば天候に関係のない屋内で、僕たち高校生でも集まりやすいように無料で、なおかつ全員を一ヵ所に集めておける場所となると意外と候補は絞られてくる。

「やっぱり、教室かな。椿の」

 僕も二三の意見に賛成。中学校の教室。ここより相応しい場所は思いつかなかった。僕たちはすぐにその場で花村先生にメッセージを送る。利用許可を取ってもらうためだ。あっという間に既読がついて『任せて✨♡』と返信が来る。

 僕たちは当時の西宝東中学校一年椿組の生徒たちに出す招待状を作った。探偵係講評への招待状だ。探偵が関係者を一堂に集めて「さて、お集りの皆さん、この事件の一部始終について僭越ながら犯人でも当事者でもない私から説明させていただきましょう」とやるあれとは少し趣きが違うが、二三を始め当時の椿組の生徒たちの気持ちに区切りをつけるためのセレモニーだ。

 招待状の文案を文面はこうだ。


『元西宝東中学校一年椿組 〇〇 〇〇様

 拝啓

 いつも生徒事案相談調整委員の調査にご理解、ご協力をいただき誠にありがとうございます。さて、下記の案件につき委員としての意見がまとまりましたので、関係者の皆さんにお集まりいただき、委員としての講評をさせていただきたく思います。勉学に、部活動に、友人との交流にと、お忙しい中大変恐縮ですが、ご参加いただきますようお願いします。

 なお、この手紙を部外者に見せたり、内容について話をしたりしないでください。この手紙、この案件について学校内外を問わず秘密を守ってくださるよう強く強くお願いします。講評の場でお話しすることについても同様です。


西宝市立西宝東高校 生徒事案相談調整委員長 四十崎 二三 

          同      副委員長 清村 刀真 

          同      顧問教師 花村 佳恋 


               記


日時:〇〇〇〇年4月20日(日) 午前10時

案件:〇〇〇〇年8月31日に発生した西宝東中学校校舎からの生徒転落事案

場所:西宝東中学校 1-5教室 』                       


 元西宝東中の一年椿組男女三〇名のうち、二二名は今も西宝東高校に在校している。亡くなった小山内さんを除き、残りの五名は両親の仕事の都合などで遠方に転居している。僕たちは他校に転校しているもののまだ近隣に居住してる二名を含め二四名の生徒に招待状を出すことにした。二四名の中には二三も入っている。二三はいらないと言ったが僕は二三の分も作ることにした。

 委員の活動費で白い厚手の洋封筒を買う。手伝いたくて仕方ないらしい花村先生が家から封蝋のセットを持って来てくれる。

「刻印は先生の手作りよ」

 消しゴムを彫って作ったらしいスタンプも一緒に渡される。丸型と長方形の二種類だ。

「結構大変だったんだから。一番大きな消しゴムを買ってきて、クッキーの型抜きで丸くして、彫刻刀で彫ったの。一晩かかっちゃった」

 丸い方の印面には少し荒い文字で「S・D」と彫られている。SCHOOL・DETECTIVEの頭文字だという。長方形の方は「SEIHO HIGASHI HIGHT SCHOOL」の文字。なかなかの力作だ。

 二三が万年筆で宛名書きをする。おじいちゃんに貰ったというその万年筆は黒いセルロイド軸の万年筆で、キャップのてっぺんに白い星型のマークが入っているやつだ。書く前に、二三はテーブルの上にインクのボトルを幾つか並べて考え込み「うーん、やっぱり黒かな」と言って青や赤のインクを横にどけて、二つのボトルを見比べる。一つは艶めき漆ブラック。もう一つには冬の夜空ブラックという名前がついている。僕の眼にはどちらも全く同じに見える。二三が「どっちがいいと思う?」と聞くので、「冬の夜空ブラックかな。ちょっと静謐な響きがあるから」と答える。二三はちょっと笑って冬の夜空ブラックのインクボトルを開ける。二三が言うには同じ黒系インクでも紙に書いてみると色味が違うんだぞうだ。ペン先をインクに浸して万年筆の軸尻をクルクル回すとインクが吸い込まれていく。二三はまるで医者が注射器を扱うような繊細な手付きでペン先に残ったインクを軸に吸い込ませてからティッシュでペン先を拭う。僕は思わずその仕草に見入ってしまう。二三は白いメモ用にクルクルと円を描いてペン先の感触を確かめる。おもむろに封筒を一枚とって生徒の名前を書く。

「うわ、綺麗だね」

 筆文字ともペン字とも違う万年筆の描線。生徒の名前が書かれただけなのに、ただの白い封筒が何か別の意味を持つものに変わってしまった気がする。二三は照れ臭そうに笑った。封筒はインクが乾くまでテーブルに並べて乾かしておく。僕は招待状をプリンターから出力する。名前の部分だけは空けておいて自筆で書く。一時間以上かかって封筒と招待状に名前を書き終える。字が下手な僕は僕の名前も二三に書いて欲しかったが、二三が「名前は自分で書くものだよ」と言って万年筆を渡すので、メモ帳で何度か練習してから自分で書いた。どうやら迷わず躊躇わず一気に書くというのがコツらしい。

 一晩インクを乾かしてから次の日に封蝋とスタンプを押す。これが意外と時間がかかる。

普通は封蝋を削ってスプーンか何かに乗せて蝋燭の火で炙る。溶けた蝋を封筒に落として柔らかいうちに刻印を押す。最初の二通はこのやり方で押したが、時間がかかりすぎるので小さなステンレスの鍋に封蝋を丸ごと放り込み、カセットコンロの火にかける。溶けた蝋を僕がスプーンですくって封筒に垂らし、二三が刻印を押す。この分業のお陰でどうにか一時間ほどで封蝋作業を終えることができた。

 さて、招待状の送付だが、郵送で自宅に送るのはやめておいた。切手代がかかるし、本人以外の人が手に取る可能性が高いからだ。学校で本人に直接手渡しするか。あるいは机や靴箱に入れるか。幾つ案を検討した結果、顧問の花村先生から本人に渡して貰うことにした。

 さて、これで準備はほぼ整ったと言っていい。あとは二三と当日の流れをもう一度打ち合わせて、司会進行ができるように頭の中で台詞を考えておけばいい。小説の中の饒舌な名探偵と違って二三は大勢の人の前では思ったことをしゃべれなくなってしまう。大勢の敵意のこもった視線を感じると、モジモジと俯きながら僕の背後に隠れてしまうだろう。狂言廻しの役は僕がやらないといけない。

 作業を終えた後、二三が夜食にフレンチトーストを焼いてくれた。卵を溶いて牛乳を加える。卵液をバットに流し入れ、半分に切った厚切りトーストを浸す。トーストが卵液を十分吸ったらバターを溶かしたフライパンへ。中までじっくり火を通したらシナモンをふりかけて出来上がり。

「甘いのが好きなら蜂蜜が砂糖をかけても美味しいよ」

 二三は半分は蜂蜜、もう半分は砂糖をかけて食べた。僕は半分は何もかけずにそのまま。残り半分は蜂蜜と砂糖を試してみる。

「美味い」

 二三は嬉しそうに笑った。僕はコーヒーを飲み終え「ご馳走さま」を言って、「今日はもう帰るよ」と告げた。招待状を預かって帰ろうとすると二三が、

「明日は大丈夫。学校行けそうだから、あたしが持っていく」

 僕は笑って「OK」と言う。

「じゃ、委員長にお願いするよ」

 僕は玄関先で「じゃまた明日ね」と別れの挨拶をして部屋を出た。二三も付いてくる。エレベーターのドアが閉まるその瞬間まで、二三は銀灰色の瞳でジッと僕を見つめていた。


『トーマ、起きているか?』

『ベッドでマンガ読んでた』

『少しいいか?』

『うん。何?』

『礼を言うべきだと思ったんだ。トーマのお陰で物事が驚くほどサクサクと進んだ。これまで知りたくて仕方がなかったのに近づけなかった事実がもう手の届くところにある。君の功績だ、トーマ』

『君の功績って、何か硬いね。どうかした?』

『どうもしない。トーマは私のぶっきらぼうで上からな物言いに萌えてるらしいからな。望まれるままに振る舞っているまで』

『なにもぶっきらぼうなしゃべり方が好きなわけじゃないよ。二三の本当の性格が分かっているから、上手くコミュニケーションを取れずに強がって相手と距離を置こうとしてるるところに萌えるというか、微笑ましいというか』

 十秒ほどの沈黙。

『トーマは不思議な人だな。私の弱くて痛いところを正面から突いてくる。なのに全然嫌じゃない。詩穂とも違うし、零兄やヨウちゃんとも、おじいちゃんおばあちゃんとも違う』

『個性を認められて嬉しいよ。平凡の王道を歩んできたから、そんなふうに言われたことなんてなかったし』

『人によって見える景色は異なるということだな。ところで、うちに妙な物が届いた』

『脅迫状とか?』

『ある意味もっと妙なものだ。マントだ。牧岡さんから黒いマントが届いた。多分、花村先生から聞いたのだろうが、今度の謎解きの会で着てくれということだ。昔自分がコスプレに使っていたものらしい。別な意味で牧岡さんも不思議な人だな』

『黒マントに眼帯か。案外二三に似合うかも』

『言っておくがマントは二着ある。二人で着るのだぞ?謎解きの会には私も気合を入れた衣装で行きますとのことだ』

『来るの?牧岡さん?』

『磯山警部補も来るらしい』

『まぁ来るっていうなら止めないけど』

『同感だ。ではマンガの続きを楽しんでくれ』

『おやすみ二三』

『おやすみトーマ』

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