第9話 心は語りたがっている

 やはり世の中というのはコネが物を言う。そのことを思い知らされた。次の日、Caveで牧村さんの思念リストを零一さんに見せたところ、

「うん。確かにこの塾に何かありそうだな。多分、白馬教室だろうなぁ」

「三年前の夏期講習受講者のリストとか、手に入れる方法がないかと思って」

 二三は今日はピンクと白のストライプの眼帯。学校では黒だったにの眼帯も着替えたらしい。二三は今日も昼早退だった。

「うーん、彼女が欲しい内部通報者と腕の立つハッカー、どっちにする?」

「あの、彼女が欲しい内部通報者ってなんです?」

「うん。簡単に言うと大学の友達。学部は違うけどね。白馬で講師のバイトをやってる。頼みやすいし後々トラブルになる可能性も低い。可愛い子を集めてコンパしてやるって言えば多分OKしてくれる」

「腕の立つハッカーは?」

「本物のハッカー。一応IT企業に籍を置いてるけど今はIT系独立行政法人に出向してる。つまり国に雇われてるハッカー。情報の確度や質は断トツ素晴らしい。難しい仕事もなんなくこなしてくれる。ただ金がかかる。それにかなりヤバイ仕事の仕方をするから」

「零兄のお勧めは?」

「大学の友達。リスクが低いから。本人もリスクが低くて簡単と思ったことしかやらないだろうし」

「頼める?」

「いいよ。ただし首尾よく望みのリストが手に入ったら、俺の代わりに人気レストランの整理券待ちの列に並んでもらう。それから献血もしてもらうよ?いいね?」

「はい。お願いします」

 二三は怖気づいたように肩を揺らすと僕の肘の辺りを掴んだ。


 零一さんが四五ちゃんを連れて帰った後。アーモンドクッキーを摘まみながらコーヒーを飲む。

「ねぇ、さっきのアレ、何?」

「アレって?」

「献血だよ。苦手なの?」

 献血という言葉に二三は反射的にブルっと震える。

「に、苦手っていうか、得意な人いるの?あれ」

「ま、僕もしたことないんだけどね。病院の採血くらいしか経験ないけど」

 二三は伝説の妖魔に出会ったかのごとく深刻な顔付で、Tシャツの袖から出た腕をさすった。

「はっ、針が、まるで鉛筆の芯のみたいに針がこう、プスッと― 腕に― わあっ、やめてやめて!」

 二三は渋面を作りながら髪を揺らしてイヤイヤをする。どうやら本気で怖いらしい。

「嫌っ!ほっ、他の事話してっ!」

「分かったよ、ごめんごめん」

 階下から香ばしい匂いとジュウジュウと油の爆ぜる音が近づいてくる。おばあちゃんが鉄板皿に盛られたナポリタンスパゲッティとフランスパンのピザトーストを運んで来てくれる。今日はCaveでご飯を食べて行くことになっている。

「ありがとうございます。いつもすみません」

「あら、いいのよぉ。フミちゃんの― お友達だもの」

 おばあちゃんは二三が嫌がるのでボーイフレンドとは言わなかった。不登校だった孫が休み休みではあっても学校へ通い、友達ができたことが嬉しくてならないようだ。

 僕はアツアツのスパゲッティにタバスコを少量、粉チーズをたっぷり振りかけて、フォークに絡めて口に運ぶ。モチモチの麺がケチャップソースに最高に合う。ピザトーストもカリカリで旨い。チーズとベーコンの塩味と、タマネギ、ピーマンのあっさり感が絶妙のバランスだ。まさにTHE喫茶店ご飯といった感じ。

「タバスコって色々種類があってね、一番辛いの、スコーピオンソースって言うんだ」

「スコーピオン?蠍?何かもはや武器みたいだな。食べたことある?」

「あたし辛いの無理。タバスコのレギュラーソースでもキツイよ」

「ナポリタンってさ、麺がモッチモチで旨いよね。やっぱり日本生まれだからかな。お米と一緒でもっちりを好む国民性?」

「かもね。モチモチにするためにナポリタン用の麺って一晩寝かせてるんだ」

 僕たちは気楽な会話を楽しみつつスパゲッティとピザトーストを平らげ、食後にウェハースの乗っかったバニラアイスクリームとデミタスコーヒーまでご馳走になった。さすがにデミタスコーヒーは普段のマグカップではなく金属製の枠飾りのついたデミタスカップで出してくれた。

 八時過ぎ頃までグダグダと他愛ない話をして過ごし、「そろそろ帰るよ」となった。二三も帰るというので一緒にCaveを出る。

「ゴールデンウイークどうするの?」

「どうもしないよ。自分の部屋で本読んで、映画見て、Caveに行くくらい。トーマは?やっぱり家族でどこかに行くの?」

「祖父ちゃん祖母ちゃんに顔見せにって感じかな」

「どこなの?トーマの田舎って」

「父方は京都だよ。母方は同じ西宝市内だから」

「ゴールデンウイークは京都?」

「うん、両方顔を出すかな。高校入学の報告を兼ねて」

 言いながら二三は零一さんと四五ちゃんの住む実家には行かないのだろうかと気になるが、さすがに口に出しては聞けない。

「田舎訪問は日帰りだから。どこか遊びに行く?よければ四五ちゃんも一緒に」

「四五ちゃんはパパとママと一緒にディズニーランドだよ」

 そっ、そういうことか。口ごもる僕。二三はクスリと笑う。

「ありがとう。気を遣ってくれて」

「ごめん。空気読むのがヘタでさ。おゆきにもよく言われる」

「それにさ、ゴールデンウイークってどこいっても人が一杯だから」

「そうか」

 最近二三が引き籠り傾向の強い対人恐怖症だということを忘れがちだ。気を付けねば。

 人通りの少ない住宅街に入ったときだ。何かちょっとした違和感を感じて振り返る。視界の中に二人の若い男。眼が合う。二人が嫌な感じの歪んだ笑みを浮かべる。何だか口の中に嫌ぁな味が広がる。茶色いモシャモシャの長髪。派手な銀のアクセサリー。大きめのプリントTシャツにダボっとしたジーンズ。一人はやせ型長身。もう一人は僕と同じくらいの背丈だがガッシリしたタイプ。二人ともキャップを被っている。僕は二三に顔を寄せて囁く。

「後ろに変なのがいる。その角を曲がってやり過ごそう」

「うん」

 住宅街の十字路を曲がる。やっぱり足音が付いてくる。二人から微かな嘲笑の気配。どうやらロックオンされている気配。

「なんか面倒くさい連中みたいだね」

「トーマのスニーカーとか欲しいのかも。ほら、なんとか狩りってやつ?」

「僕のスニーカー、スポーツショップの特売品ワゴンに入ってたやつだけど。ほら、よくあるあれじゃない?よう姉ちゃん、ちょっと付き合えや―っての」

「トーマって古いなぁ」

「とにかく、住宅街から出ないようにしよう。こういうところじゃあいつら手を出しづらいから。ほら、心強い味方もいるし」

 僕は電信柱の上をそっと指さす。防犯カメラだ。後ろの足音が大きくなる。

「ねぇねぇちょっとちょっと!」

 左右から挟みこまれる。気味の悪い笑み。二人とも意外と若い。一つ二つ上くらいに見えた。背の低い方がニタニタ笑いを浮かべながら二三に話しかける。

「俺たち西北駅まで行きたいんだよね。連れてってくれるよね?ね?」

 二三はギュっと僕の方に身を寄せたが表情はそれほど硬くない。二三は僕の腕にしがみつくようにしながら少し甘えた声でいった。

「この人、お口クサーい」

 僕を含めた三人が一瞬固まった。二三はそこにさらに被せてくる。

「ラーメン食べたあとみたいな臭いする」

 男の眼の中でプチッと何かが切れる音がした。男は「ベッ!」と道路に唾を吐き捨てる。

「殺すぞ、こら」

 男が二三の肩に手を掛けた。その瞬間だ。男がビクンと小さくジャンプするように身体を揺らし立ち止まる。僕は咄嗟に悟った。

 邪眼―

 二三はジッと男を見つめている。右耳からポップキャンディみたいなピンクと白の眼帯がぷらんとぶら下がっている。男はパクパクと陸に上がった鯉みたいに口を開けながら瞬き一つせずに二三を見つめている。

「おい、ゴッつぁん⁉」

 背の高いほうが素に戻った声で相方に声を掛ける。二三が振り向く。僕は思わず声を呑んだ。二三の右目から言いようのない圧を感じたからだ。背の高いほうも棒のように固まってしまう。

「誰から頼まれたの?」

 二三が背の低いほうに尋ねる。男は叱られた小学生がしゃくりあげながら反省の言葉を述べるように顔をくしゃくしゃにしながら答える。

「マックン」

「マックンて誰なの?」

「サブ―」

「サブリーダー?」

「そう」

 男はボロボロと大粒の涙をこぼしながらしゃくりあげる。

「だって、だって、断れねぇし!断ったらボコされんだし!ヤバいって思っても、嫌だって思っても、断れねぇし!俺、俺、行くとこねぇから!どっこも、なーんも、行く当てねぇから!」

 二三はまだジッと男を見つめている。

「マックンがちょっとビビらして来いって。余計な事しないように、大人しくしてるように、昔のことをほじくってもロクなことないって教えてやれって!そう言われたから!仕方ないから!」

 二三はまだジッとさっきとは少し違う悲しそうな目で男を見ている。

「昨日駅前で揉めたのだってマックンがやれって言うから!だから!断ったら俺独りだし!行くとこ無いし!家も帰れねぇ!学校もいられねぇ!やるしかねぇから!」

 嘔吐だ。あるいは下痢。心の中に隠していたもの、押し殺してたもの、わだかまりや、刻印のように消えない記憶。そういった感情が、まるで底が抜けたように漏れ出しているんだ。告白、懺悔、あるいは自白と言ってもいい。なんだかこれ以上見ていられなくなった僕は、そっと背後から二三の右目を塞いだ。二三は一瞬驚いたように身を硬くしたが、すぐに力を抜くとそっと僕の手に右手を添えた。

「うわぁっ、うわぁっ、うわぁっ―」

 二三の視線の呪縛から解かれた男は、見た目よりもずっと子供っぽい声で泣き始める。

「うわぁぁっっ」

 男は振り返って猛ダッシュで逃げ去る。それをポカンと見つめる相方。相方はしゃっくりかゲップでもするかのように口と喉を動かしながら言う。

「おれ、おれも、マックンに命令されて、ちょっと脅かすだけで、手は出すなって― それで― 昔のことは忘れろって言って来いって、それで」

 男は奇妙なほど慌て、怯えている。遠くで「ギャッ」と悲鳴が聞こえた。ドボンと何かが水に落ちる音。先程の男が用水路か何かに落ちたらしい。

「わぁっ」

 背の高いほうも僕たちに背を向けて走り出す。が、足がもつれてバランスを失い近くの電信柱に顔から突っ込む。ゴッと鈍い音がして男は転んだが、ふらつきながら立ち上がるとそのままよろめきながら走り去る。車にでも轢かれなければいいのだが。

「僕らも行こう。警察でも呼ばれたら面倒だよ」

 二三は素直に従った。そっと眼帯を嵌めなおして歩きだす。早足にその場を離れる僕らに、不意に道の奥の暗がりから明るいヘッドライトの光が投げられた。バイクだ。暗がりにバイクが一台停まっている。

「仲間かな」

 二三が僕の袖をちょいちょいと引いた。

「違うよ、あれ」

 とバイクに向かって歩き出す。バイクに近づくとヘッドライトが消える。メーカーがはっきりわからない黒と銀のバイク。カスタムバイクのようだ。黒いヘルメットに黒のライダージャケット。ん?女性か?ライダーがヘルメットを脱ぐ。長い髪がこぼれた。

「ふぅ、邪眼使いの四十崎二三かぁ。初めて見ちゃった。本当だったのね」

 花村先生だった。今日はコンタクトなのか眼鏡をしていない。ん?それに幾分化粧も濃いような気がする。

「あんたたち本当に危なっかしいんだから。最近の高校生を舐めちゃダメ。知恵が回るのはもちろん、ネットワークも手広い。本気になったらその辺のヤクザ並みに厄介よ?」

「先生、どうしてここに?」

 花村先生はがっかりした表情になる。

「助けに来てあげたに決まってるでしょ。この時間にこうやってあんたたちの後ろをつけるのって結構大変なんだよ?教頭の嫌味に耐えて残業せずに速攻帰って着替えなきゃならないし。おまけにあんたたちいつ喫茶店から出てくるのか分からないし。おまけにようやくあたしの出番と思ったら、あっさり撃退しちゃうんだもん」

「あの、花村先生は僕たちが危険な目に合うって知ってたんですか?」

 花村先生は直接その質問には答えずに、

「あんたたち、探偵係だなんて恰好つけてる割には脇が甘いのよ、脇が。特に四十崎さんが探偵係になったのは中学のときの飛び降り自殺の件を調べたいからでしょ?当時の事はそっとしておいて欲しいって思ってる人は大勢いる。教師にも生徒にもね。校内にアンテナを張りめぐらせて注意を怠っちゃダメ。色んな所に落とし穴やトラップ仕掛けるやつがいるのになかなか気付かないウブな二人を見てられなくってね。OGとしては」

 OGだって?

「えへへ、実は先生も探偵係だったんだ。十三年、もう十四年かな?前にね」

「花村先生だったんですか⁉十何年前の最後の探偵係って!」

「そうよ。よくあるでしょ?ヒーロー物のTVとかでさ、ヒーローがピンチに陥ったときに先代ヒーローとかが助けに来るってやつ。あれやってみたかったのになぁ」

 花村先生はグラブを嵌めた手をパチンと叩いて悔しがる。

「さぁ、今日はもう帰りなさい。先生は念のために四十崎さんに付き添っていくから。トーマ君も気を付けて。寄り道せずにね」

 その日、家に帰った僕は何もする気が起きず、ベッドの上でゴロゴロとして過ごした。二三からのメッセージは来なかった。何か送ってみようかと思ったが、疲れているだろうと考え直してやめておいた。


 翌日、二三は学校を休んだ。探偵係のルームにのみ『体調不良のため休みます』とメッセージが入った。花村先生は『大丈夫?ゆっくり休んで』とか『トーマ君の面倒は私が見ておくから』とか、その他わけの分からないスタンプを連発してくる。僕は『お大事に』とだけ発言しておいて、二三に直接メッセージを送る。

『大丈夫なの?』

 反応なし。めげずに、

『今日ノート持って行くよ』

 と送る。感無しか―と、溜息をついてスマホをしまいかけた時、ツェッペリンが聞こえた。

『風邪うつすと悪いからいい』

『熱は?オレンジジュースとベーグルパン買って行くよ』

 数秒の沈黙。

『いいです』

 なんだかちょっと頑ななものを感じたのでそれ以上何も言わないでおいた。昼休みにメッセージを送ってみるが感無し。寝てるのかもと自分を納得させて午後の授業を受ける。

 午後の授業が終わって教室を飛び出す。途中で康彦に呼び止められ、

「クラブ見学どうすんだ?」

 と聞かれる。

「一週間あるし。明日行く」

「ま、彼女ができて舞い上がる気持ちも分からんではないが」

 とニヤリとする康彦。

「明日は行く。いや、ほんとに」

 康彦が「あれ?否定しないんだ」と呟く。

「プレイステージ5買ったんだ。家でやらない?」

 横にいた津久井君が誘ってくれたが「ごめん、今日ダメなんだ」と謝る。

「まぁしゃーない、じゃ明日部活見学の帰り、蓮の家でプレステ5な?」

「ごめん」

 僕は二人に謝って学校を後にする。駅までの道すがら、スマホを取り出して二三にメッセージを送る。

『トロピカーナのパイナップルかウェルチの葡萄、どっち?』

 無言。

『二つ買っていくから、好きな方取ってね』

 無言。既読サインはついたから見ているのだろう。電車に乗り込む。

『今電車。パン屋とコンビニ寄ってから行くから』

 既読&無言。五分ほど電車に揺られる。ホームを小走りに駆け抜け改札を抜けると駅前のコンビニに入って缶の100%ジュースを二本買う。今度は向かいのパン屋へ。二三がお気に入りのベーグルパンを二つ、ロールパンの四つ入った袋を一袋買う。そのまま二三のマンションにダッシュ。十分ほどでマンションに到着する。エントランスに入ってインターフォンで423を押す。ブツッと回線の繋がる微かなノイズ。僕はパンの紙袋をカメラに向かって示す。

「買ってきたよ。開けて」

 インターフォン越しに小さな溜息ともクスクス笑いとも思える息遣いが聞こえ、やがてエントランスの自動ドアが開く。僕はエレベーターに乗り込んで四階へ。部屋の前に立つとカシャンと解錠の音がしてドアが開く。白い顔の二三が立っている。いつにも増して顔色が白い。どうやら体調が悪いというのは本当だったらしい。今日の眼帯は赤字に白い水玉。アシックスのロゴが入った白いスウェットの上下。

「は、入って」

 二三はか細い声で僕を招き入れる。

「ごめん、図々しく押しかけて。寝込んでたらまずいと思って―」

「だ、だいじょうぶだから。一日寝てだいぶ良くなったし」

 僕はおずおずと靴を脱ぎ部屋に上がる。パンの袋とジュース、今日の授業ノートのコピーを渡す。

「ほんとに空気読まなくてごめん。帰るよ。また今晩連絡する」

 二三は出しかけた手を止めてパンの袋をなかなか受け取ろうとしない。

「あ、あの、よかったら、一緒に食べよ。少し話がある」

「うん」

 二三が氷ブロックを入れたコップを持ってきてくれる。二三がパイン。僕は葡萄。僕たちはテーブルに腰かけてベーグルパンを齧る。

「それ、外さないの?」

「うん― ちょっと恥ずかしいけど」

 と断って二三は眼帯を外す。二三の銀灰色の瞳が薄っすらと充血して蜻蛉の羽根のように見える。これを見られたくなくて眼帯をしていたらしい。

「力を使うといつもこうなっちゃう。力を使う時はすごく気分も高揚してるから気にならないけど、終わった後はいつもこうなの。体の中が空っぽで、冷たくて、本当に風邪ひいたみたいにブルブル震えて過ごすの。眼の充血も二三日取れないし」

「そうなんだ。知らなかった。余計疲れさせちゃった?」

「ううん。心配してくれて、う、嬉しい―」

 二三はジュースのコップで口元を隠して消え入りそうな声で言う。

「こちらこそ、本当にごめんなさい。あたしのせいで友達の誘いを断らせてしまって」

「知ってたの?」

「花村先生が― 友達に不義理をしてまで様子を見に行ってくれるんだから玄関先で追い返しちゃダメよって」

 花村先生め、余計な真似を。しかしよく見てるなぁ。ひょっとして探偵係って監視されてたりするんだろうか。

「昨日のこと、ちょっと話したいの。いい?」

「うん」

 二三はコップをテーブルに置いて話し出す。

「昨日のあれを見たら、大体分かったよね?あれがあたしの力。あたしが持って生まれた異能。あたしの眼を見るとみんな心の扉が勝手に開いて心の中にある隠し事、疾しい事を吐き出してしまう。そしてその後決まって自分で自分を罰してしまうの」

「自分で自分を罰する?」

 二三はベーグルを一口齧って頷く。

「多分罪の意識から自分を罰せずにはいられなくなるんだろうと思うの。昨日の不良少年みたいに自分罪を告白したあと、怪我をしたり困ったことになったりしちゃうの。」

 ちょっと怖い話だ。二三に変な噂がつきまとうのも無理ないかもしれない。

「昨日の彼みたいに、電信柱に頭をぶつけたり?用水路に落ちたり?」

「うん。怪我したり、熱が出たりする時もある。財布を落としたり、大事な約束に遅れたり、本当に色々だけど、その人が犯した罪の重さだけ罰を受けてるんだと思う」

「罪の重さだけ―って?」

 二三はコクンとジュースでベーグルを飲み込む。

「あたしも怖いから詳しく調べたわけじゃないんだけど― 感覚的にはひどいことしたひとはひどい目に合うし、そうでない人はそれなりの罰を受ける。例えば―」

 二三はジュースのコップで口元を隠して天井を見上げる。

「小学校の時、とっても意地悪な子がいたの。いつもあたしに意地悪をして仲間外れにして笑ってるの。うっかり彼女を見てしまったことがあって。彼女泣きながらあたしの悪口や嘘の情報を言い触らしたことを謝った。その翌日、彼女は近所の草むらで蛇にかまれたわ。そのときのトラウマで彼女は今でもキャンプに行けないらしい。それからこんなことも。お使いに行ってお肉屋さんでコロッケを買ったの。あたしは気付いてなかったんだけど、お店の人がお釣りを誤魔化そうとしてて。その時はトーマの時と一緒で、眼帯の下がむず痒くてうっかり外したところに眼が合っちゃって。お店の人は泣きながら謝ってあたしにお金を返した後、うっかりフライヤーの油に指を突っ込んじゃったの。あと嫌な担任の先生があたしをクラスに入れたくなかったって告白した後、モンスターペアレントに絡まれて教育員会に呼び出されたり。こういうことが何度もあったから、罪の重さによって受ける罰も違ってくるんだって」

 なるほど。二三がやったという証拠は何一つない。しかにそこには明らかに偶然では片付けられない何かが存在している。

「でも罪の意識から自傷ぜずにはいられないって―」

 そこまで言って僕はハタと気が付いた。自傷。リストカットや拒食症。無意識に髪の毛を抜いたり、身体をつねったり。そして最大の自傷行為は―

「気付いた?」

 二三は眼を伏せて口元をグラスで隠す。

「あたし、どうしても知りたいの。詩穂はあたしの眼のせいで自殺したのか。彼女は罪人だったのか。彼女の罪をあたしが暴いてしまったのか。そのせいで彼女は死をもって自分を罰せざる得なかったのか」

 二三は視線を揺らしながら懸命に言葉を絞り出していた。

「あたしたちが事件のことを調べていると知れば詩穂の死に責任を感じている者は必ず何かやってくる。それを知っていてトーマにも校内で動いてもらった。昨日のようにトーマにも累が及ぶことは分かっていたのに― ごめんなさい」

 二三は泣いているのを隠すためにコップを額に当てて顔を隠した。二三の涙を見ても僕は不思議なほど動揺しなかった。彼女が涙を流していることにホッとしたような、少し嬉しいような、胸の内が少し温かくなるような妙な気分だった。

「僕も二三も探偵係の仕事をしただけさ。じゃ、ハイジを一話見てから帰るよ」

 二三は目元をゴシゴシやると頷いてテーブルを離れた。僕たちはビーズクッションをTVの前に並べて一緒にハイジを観た。二人とも一言も口を利かなかったが、気まずさは全く感じなかった。

 帰り際、玄関で靴を履きながら、

「また寝る前にメッセージ入れるよ」

「うん」

「明日、無理して学校来ちゃダメだよ?」

「うん」

「それじゃ」

 僕はほんわかした気分で二三の部屋を後にした。


 夜。十一時過ぎ。

『おやすみ。ゆっくり休んで』

『今日はありがとう。話す前は苦しくて仕方なかったけど、話してしまったら少し楽になった。まだ痛いけど、重たくないって感じ』

『お役に立てて良かったよ。でも明日は無理しないほうがいいよ。ベッドでゴロゴロするのが一番』

『ありがとう。でもトーマは奇特な人だ。私とこんなに仲良くしてくれる人は詩穂以来二人目だ。トーマの接し方は詩穂とはまた違うけど。トーマの身に何も起こらないことを心から願っている。最近トーマに何か起きる前に遠ざかるべきだと心の中から声が聞こえるんだ』

『でも僕って異能でしょ?厄除け男だし?』

『私やヨウちゃんの異能力の影響は受けないかもしれないが、トーマは確実に周りから距離を取られている。校長の庇護や花村先生のサポートもあって表向きは誰もトーマをハブったりしない。でも実は違う。一番大事なところで声をかけてもらえなかったり、輪の中に入れてもらえなかったり。知らず知らずのうちにみんなが遠ざかっていく。私の心の中でいろんな声がする。トーマを巻き込むな―とか。トーマの高校生活が台無しになるぞ―とか。どうしたらいいか分からなくなる』

 僕はふと思いついて聞いてみた。

『二三は鏡とか使って自分で自分を見るとどうなるの?』

 しばしの沈黙。

『慣れてるから他人ほどじゃないけど、でも影響はある。本気で見たことはないけど。そもそも自分の顔なんて見たくもないし。私は鏡の前で化粧をして二十分もかけて前髪を整え、笑顔の練習をするような十五歳とは違う』

『いつも二三はスッピンなの?』

 再び沈黙。

『いくら私でも寝る前にクリームを塗ったり、朝リップクリームをつけたり、髪を解かしたりくらいはするぞ?本当にトーマはグイグイ来るようになったな?本当にこんな人は詩穂以来だ。でもグイグイ来られて困惑するというのも案外心地いいものだ』

『良かった。ちょっと調子出てきたね。安心安心』

『…おやすみトーマ』

『おやすみ二三』

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