第8話 記憶のジグソー
「先にご飯の下準備だけしていい?」
「もちろん。ほんとゴメン」
「い、いいよ。全然」
二三はお米をボウルに入れて丹念に洗う。無洗米ではないらしい。洗ったお米をザルにあける。冷凍庫から凍った鶏肉と凍ったチャック付きビニール袋を取り出す。鶏肉は半分に切って残り半分は冷凍庫に戻す。ビニール袋はそのままキッチン台の上に放置。どうやら凍らせたスープらしい。半分に切った鶏肉を電子レンジで解凍。小さなブロック状に切り分ける。
「お待たせ」
「ほんとにゴメン。気を遣わせちゃって」
僕が申し訳なさそうに言うと、二三は俯き加減に首を振る。
「いいんだよ。これ外していい?」
二三は言いながらもう眼帯を外している。
「コンタクト使ってる人が家に帰ってコンタクト外すときってこんな感じかなって思うの。ホッとするっていうか、一日頑張ったなぁって感じ」
僕は幸い眼はいいからコンタクトユーザーではないが、二三の言いたいことは理解できる。
「その、ほんとに、居てくれて嬉しいんだ。ヨウちゃんが言ったことは本当。日曜の夜って苦手。すごく寂しくなるから。口に出して言ったことはないけど、ヨウちゃんには分っちゃうんだよね、手のせいで」
「うん、なんとなく分かるな」
二三は戸棚から一冊のノートを取り出す。ページを開いて僕の方に向ける。
「望月先生の触れた写真とハンカチを観てもらった。トーマには黙ってたけどあの時の会話録音してたから、それを聞きながら。断片的だけどヨウちゃんの感じた望月先生の思念を箇条書きにしてある。ちなみに会話の時系列順に並んでるわけじゃないから」
A4のキャンパスノートには丁寧な文字が横書きで並んでいる。四五ちゃんの字らしい。
①もう忘れたい。忘れられない。もう過去を掘り返すのは沢山だ
②普通の生活がしたい。周りの視線、噂話を気にしなくていい生活はどこにあるのか
③四十崎のことを覚えている。呪いの少女。眼帯をしていた。話をした記憶はない。ただ強烈に記憶に残っている。呪われないか怖かった。他の生徒も怖がっていた。
④小山内はいい生徒だった。活発で有能。見た目も可愛い。リーダーシップ。クラスの中心になると見込んでいた。
⑤だが急に変わった。いじめがあったのだろう。自分には気付けなかった。
⑥夏頃。夏休み明け。急におかしくなった。お盆明けから部活も休んでいる様子。
⑦何かに怯えている様子。やはり四十崎が何かしたのか?呪いは本当にあるのか?
⑧私を呪いに来た?頼りない能無し教師に復讐しに来た?
「うーん、他人の本音って正直見たくないな」
「あたしも同感。でもヨウちゃんには見えちゃう。好むと好まざるに関わらずね。あたしの眼と一緒なの」
「とりあえず、望月先生のあたしに対する感情は置いておくとして、ヒントは夏休みね」
「うん。夏休み明けに様子がおかしくなったみたいだね」
「そう。でも夏休みって学校も生徒のことを把握しきれない。部活も来ないとなると全く様子がわからないから」
「後は牧村さんの情報待ちかな?」
「というか、このノートに幾つかヒントがある」
二三は四五ちゃんの速記ノートを見せた。
「速記は私も苦手なの。全部読めるわけじゃないけど、夏休みに触れた部分がある。塾という単語も見えるから、塾の夏期講習か何かかな。明日にはノートに起こしておくから」
「うん」
二三は少しの間僕を見つめた。
「トーマ、どうかした?」
「うん―」
僕は躊躇いがちに言った。
「僕の本音が見えたら、二三はこれまでと変わらず僕と仲良くしたいと思うんだろうかって。僕とご飯を食べたり映画を観たいと思うんだろうかって」
二三はちょっと笑った。
「望月先生は普通の人。呪いって聞くと誰だってドキッとするよ。本当にあるのか、迷信なのか、誰にも証明できない。お前には悪霊が取り憑いているぞって言われたら、嘘だと思いながらも気になって仕方がないでしょ?あの子は呪いの眼を持っているって噂を聞いたら、誰だって普通に振る舞えない。詩穂みたいな子のほうが特殊なの。何か怖いな、大丈夫かなって思うのが普通の人間。普通の人間の心はそうできてる。知らないものや不思議なものを怖がったり避けようとするのは普通だよ」
僕は二三から目を逸らしたまま
「そうなのかな」
と言うのが精一杯だった。二三はまた小さく笑って、
「ご飯の準備する」
とキッチンに行った。土鍋を出して洗っておいたお米と水を入れガスレンジの火にかける。僕はおゆきに「晩御飯いらないから。母さんに言っといて」とメッセージを送る。すぐに返信が来る。「ヨウコから聞いてる。ごゆっくり」とのこと。二三がキッチンから戻ってくる。
「炊き上がるまでハイジの続き見よ?」
「うん」
僕と二三はクッションに座ってハイジを見た。何と言うか、二三の気遣い、優しさがとても嬉しかった。心の奥底がほっこりと温かい。
二三は途中で映像を止めてキッチンへ行くと火を停めた。ご飯を蒸らす間に続きを見る。第六話を見終わると二三はキッチンに戻る。
「見てていい?」
「うん。面白くないと思うよ?」
二三はまずタマネギをみじん切りにする。フライパンに油を引いてタマネギを炒める。タマネギが透明になったところで鶏肉を投入。土鍋の蓋を取ってご飯を混ぜる。鶏肉にあらかた火が通ってからご飯を投入、炒めていく。缶詰のグリーンピースを入れ、ケチャップを入れ更に炒める。チキンライスが出来上がる。チキンライスを一旦別皿に移し、小ぶりな鍋にジップロックの中の凍ったスープを放り込む。ガラスのボウルにタマゴを四つ割り入れて菜箸で手早く混ぜる。キッチンペーパーでフライパンをきれいにして油を引き直すと、解き卵を半分流し入れる。菜箸の先でタマゴを切るように混ぜながら薄焼玉子を作っていく。
「半熟でなければ卵大丈夫だよね?」
「うん」
二三はチキンライスを半分薄焼玉子に乗せる。手首のスナップを巧みに使って薄焼玉子でチキンライスを包み込んでいく。ふっくらとしたオムライスが出来上がる。二三はすぐさまフライパンをキッチンペーパーで拭くと油を引き直し残りの玉子を流す。頃合いを見て残りのチキンライスをフライパンへ。二三は再びリズミカルにフライパンを操ってチキンライスを玉子で包んでしまう。玉子の上にケチャップで曲線を描いて出来上がり。
「大きいほうがトーマね」
僕はオムライスの皿とスプーンをテーブルに運ぶ。二三は温まったスープをスープカップへ注ぐ。大きめのニンジン、ジャガイモ、ブロッコリー、細切りのベーコンが入ったコンソメスープだ。二三は最後に刻みパセリをスープに散らした。
僕たちはテーブルに座って「いただきます」をする。
「ごめんね。簡単ご飯で」
「薄焼玉子のオムライス、メッチャ好きだし。二三は料理上手いんだね」
「一人暮らしだからね。それにあたし一人でお店に入るのって絶対無理だから。結局、家で作っちゃうの」
「来週の土曜はファミレス行ってみる?」
「ありがと。行ってみる」
僕たちはオムライスを食べながら、映画やマンガに出てきた美味しそうな食べ物の話をした。僕が最初に挙げたのは「ルパン三世 カリオストロの城」に出てきたミートボールスパゲティ。ジブリ作品は全部見ている二三だが「ルパン三世 カリオストロの城」は観たことがないという。今度一緒に観ることにする。二三は「アニメだったらやっぱりハイジに出てくる暖炉の火で炙ったチーズのせパン」、「絵本ならぐりとぐらに出てくる大きなフライパンで焼いたカステラ」だという。次いで僕は池波正太郎の小説に出てくる「柱飯」を挙げる。炊き立ての飯にバカ貝の貝柱と山葵と醤油を混ぜ込んだものだ。刑事コロンボに度々登場するコロンボ警部の好物、チリコンカンも外せない。二三は小説で読んで美味しそうとだと思ったものに焼林檎を挙げる。林檎の芯をくり抜き、中に黒砂糖、練乳、砕いたクルミ、シナモンを入れ、アルミホイルで包んで焚火の中に放り込む。じっくりと中まで火を通せばグズグズに蕩ける寸前の焼林檎の完成だ。僕たちは食事を終え、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。
九時を過ぎた頃、僕は二三に、
「そろそろ帰るよ」
と告げた。
「うん。今日はありがと。おかげで日曜なのに憂鬱にならずに済んだよ」
「僕も楽しかった。じゃ、また明日」
「また明日」
僕はほっこりした気分を抱えて家に帰った。帰るとおゆきが様子を聞きたがったが、僕は適当な返事をしてそのまま風呂に入ってから自室に上がる。寝る前に少し二三とチャットを楽しみたかった。
翌日。僕は放課後を待ちかねたように学校を出る。二三は先に学校を出ている。というか、昼休みになると僕に「疲れたから帰る。ではCaveで」とメッセージを送って寄越し、そそくさと教室を出て行ってしまった。僕は弁当を食べながら「体調悪いの?」と送ってみる。少し間があって「いつも通り」と返ってくる。「何かあったら教えてよね」と送る。再び少し間があって「分かった」との返事。なにやら言いたげな様子だが、思い当たるふしがない。「じゃぁCaveで」と送って締めくくった。
帰り際、康彦と津久井君から声をかけられる。
「よ、最近付き合い悪いぞ?今日も探偵ごっこ?」
康彦の軽口は悪意がないから助かる。伊村と道長という学年トップに認めてもらったおかげで探偵係、生徒事案相談調整委員を見る目はほんの少しだが変わりつつあるが、それでも僕と二三を避けたり、遠巻きに見ながらヒソヒソ話をしたりする生徒たちの方が圧倒的に多い。こうして普通に声を掛けてもらえるのはありがたい。
「うん。まぁ」
「部活見学、どうすんの?」
そうか。今日から部活見学か。一応サッカー部と陸上部とテニス部くらいは見ておきたいのだが。出遅れると部内での居場所も作りにくくなる。
「今日無理なんだ。明日行くよ」
「この後、四十崎の家?」
津久井君が尋ねる。
「まぁね。ただの打ち合わせなんだけど、彼女ほら、人の多いとこ嫌がるから」
「何だよ、トーマだけじゃなく俺たちも誘えばいいのに」
「そうだね、僕ら四十崎に偏見を持ちすぎなのかも」
津久井君、なかなかいいこと言うじゃないか。これ二三に教えてやったら喜ぶぞと思いながら部活見学に向かう二人と分かれて駅へ。校門を出たところで見ていたかのようにスマホから「移民の歌」が流れる。
『今どこ?』
『駅に向かってる』
『ヨウちゃんが早く来てって』
『了解』
僕は早足に駅へ。五分後にやってきた電車に乘り込む。乘るのはもちろん降りるときに便利なように一番改札近くに停まる車両だ。二駅電車に乗ってドアが開くと同時にホームへ。素早く改札へ。競歩選手になれそうな足の運びでCaveへ向かう。駅から五分とかからずCaveに到着した。
カロン― とドアベルを鳴らして店内へ。
「いらっしゃい― あぁ、トーマ君、いらっしゃい。二階だよ」
おじいちゃんがグラスを拭きながら笑って言う。
「こんにちは。お邪魔します」
僕はおじいちゃんにお辞儀をして二階へ。奥のブース席へ。二三の背中と拗ねたようにテーブルに突っ伏している四五ちゃん。
「お待たせ」
「あ、お疲れ」
「あ、お帰りトーマ君。気持ち悪いの取って取ってぇ」
取ってと言われても困ってしまう。二三の方をチラと見る。
「掌をこう額に当てて、こめかみをマッサージしてあげて。それから首の後ろの窪んだとこも、こう軽くグリグリっとほぐす感じで」
四五ちゃんの横に座って言われた通りにやってみる。四五ちゃんは僕の学生ズボンの膝で左手を拭くような仕草をする。
「もうちょっと強く。そう、そんな感じ。はい右手、首の付け根くらいのとこ。うん、そうそう」
おばあちゃんがコーヒーとタマゴサンドイッチを持ってきてくれる。四五ちゃんが「はい、さぼらずに続けて」と釘を刺す。
「ヨウちゃん、我が儘言っちゃダメよ?」
「いいんだよ。だってフミ姉とトーマ君のためにやってあげてるんだから」
しばらくして四五ちゃんが「はい、一旦休憩していいよ」と言ってくれる。二三は「ありがと、ヨウちゃん」と四五ちゃんの頭を撫でる。
「横のブースでおやつ食べてる。トーマ君、後でもう一回やってね」
と四五ちゃんが席を外す。二三は自分のカフェオレボウルに残ったカフェオレを飲む。いつものようにカップの縁越しに僕を見る。
「お、お疲れトーマ。急がせてごめん。ヨウちゃん二日続きだから疲れちゃって」
「いいよ」
僕もタマゴサンドイッチをいただきながら答える。
「これ― ヨウちゃんに観てもらった結果」
二三がノートを開いて僕に見せる。
「身体に触れた時に流れ込んできた思念とクラリネット、カップ、スプーンから得た思念を分析して、あの日、あの時の牧村さんの心に浮かんだ思念を再構成してみたの。もちろん心を全てを読み取れた分けじゃないし、間違いもあるはず」
ノートに四五ちゃんの文字が並んでいる。
①気を付けなければ。事件のことを知りたがっている。
②四十崎二三は小山内詩穂の自殺に何らかの責任があるのか?
③中一にしてはそこそこ上手い。だが本当はクラリネットではなくフルートではないか。私がクラリネットをやってることをちゃんと見抜いている。
④基本的に自殺で間違いなさそう。事件性は見られない。
⑤学校はガードが堅い。生徒たちも同様。同じ話ししか出てこない。頭のいい生徒たち。
⑥部活を休んでいる。研鑽館も休んでいる。夏期講習は<馬>塾に行っている。特に塾での情報なし。真面目に取り組んでいる様子。
なるほど。暢気な素振りを見せていても心の中はちゃんと刑事なんだ。楽器の練習を見てほしいという見え透いた理由に乘ってくれたのは、牧村さんにも確かめたいことがあったから。恐らく確かめたかったのは②番。二三が小山内さんの死に何か関連があるのか。二三が小山内さんを呪ったという噂は本当か。牧村さんはそこに興味があったのだろう。事件性は無いと考えているから、刑事としてではなく個人的な好奇心を抑えきれなかったのだろう。
そして、僕は思う。二三が小山内さんの死の原因にこだわるのもそれが理由なのではないか。自分のせいで小山内さんは死んだのではないか。その思いが消えないのではないだろうか。
僕をジッと見つめる二三の視線に気付く。上目遣いの目が少し潤んでいる。ギュっと結んだ唇。僕は思ったことを言った。
「綺麗な目だね」
二三は意表を突かれたように目を泳がせた。
「牧村さん、二三の邪眼の噂を確かめたかったんだろうね」
「うん―」
二三は小さく頷く。
「二三も気になる?自分のせいかなって?」
「うん」
僕は残りのタマゴサンドを食べ終え、コーヒーを飲み干す。
「記憶の欠片はまだ他にも残ってるかもしれない。例えば―」
僕はノートの文字を指さす。
「この<馬>ってのは?これも塾なの?」
「うん。研鑽館はヨウちゃんも知ってる塾だから。<馬>塾はヨウちゃんの捉えたイメージなの」
「ふうん」
僕は鼻の脇を掻きながら小首を傾げる。
「白馬教室のことかなぁ」
「うん。あたしもそう思った」
都市部にある大手進学塾だ。
「夏休みは研鑽館に行かずに白馬教室に通ってたってことかな?」
「かもしれない。でもそれこそ警察でもないと詳しいことは教えてもらえない」
「うーん、だよなぁ」
二三は俯いてカフェオレボウルの縁を指先でなぞる。
「他に何か方法がないか考えよう。二三の気が済むまで付き合うさ」
「あ、ありがと」
隣から「ねぇ、まだぁ?」と四五ちゃんの声がした。二三はちょっと笑って眼帯を嵌めると立ち上がった。
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