第6話 過去からの声
二三が望月先生のアドレスにメールを送った翌日にはもう望月先生から返事が来たという。二三がメールを僕のアドレスに転送してくれた。
『やあアイザキさん、久しぶり。メールをもらって少しびっくりした。話というのは多分、小山内さんのことだろう?正直思い出したくないというのが本音だけど、不登校になってしまった君がまた学校に通い出したと知って気分がいいからね。君のその生徒事案相談調整委員とやらの仲間と一緒に来るといい。地図のアドレスを貼り付けておいた。今度の土曜、昼十二時に尋ねてくれ。では』
土曜日に二三の家でアルプスの少女ハイジを観るのは翌週に延期となり、僕たちは朝十時に駅前に集合する。学生服で行った方がいいかなと尋ねる僕に二三は、
「望月先生は嫌かもしれない」
と普段着での訪問を主張した。というわけで僕はカーキ色のコットンパンツに白いシャツ、紺のジャケット。黒い帆布の小ぶりなサコッシュ。ジャケットは父の休日用のやつを借りてきた。二三は白い春物のニットに淡いグリーンのスカート。今日の眼帯は目立ちにくい肌色。白いキャスケット帽を目深に被っている。
僕たちは阪宝電車に乘り込む。休日の十時ということで電車の中は家族連れなんかでそこそこ混んでいる。僕と二三は運よくドア脇のスペースを確保することができた。人混みの苦手な二三はいつもの少しオドオドした表情で俯き加減に僕の胸の辺りを見つめるような恰好でジッと耐えている。京都に出るには途中で京都線に乗り換えなくてはいけない。特急でも京都まで四十五分くらいかかるし、混んだ電車の中で二三を立たせておくわけにもいかないので一旦始発駅の大阪まで行って、京都行きの特急電車に乗り込んだ。座席を確保してホッと一息つく。向かいに座ったのは若い夫婦。膝に三歳くらいの女の子を抱いている。大きな始発駅から出発する京都行の電車ということで車内はかなり混んでいる。バックパックを背負った観光客の姿もチラホラ見える。窓際に座った二三がスマホを取り出して指先を走らせる。
『混んだ電車、苦手だ』
『寝てていいよ』
『混んだ電車に揺られてるととどこかに飛んでいきそうな気がする』
降りようかと思ったが特急だから三十分ぐらい停まらない。
『ごめん。考えもなく特急に乘っちゃった』
二三が画面を見ながら何やら躊躇っている様子だ。少し間があってスマホが震える。
『手を繫いでいい?』
ドキッとして一瞬身体か硬くなった。
『いいよ』
二三の少し汗ばんだ左手と右手を絡める。指と指を組んでギュっと力を込めてくる。かなり怖いらしい。幸い僕のスマホ利き手は左。二三は右だから会話に支障はない。ポツリポツリと
『京都、初めて』
『そうなんだ』
『家、Cave、学校が私の世界』
『段々広がるといいね』
『うん』
しばらくして電車が停車駅に着く。
『降りる?』
『大丈夫。少し慣れた』
終点の京都駅に到着する。二三はホッとした表情で少し足元をふらつかせながら電車を降りる。手は繫いだまま。
「大丈夫?少し休もう」
「大丈夫。遅れると望月先生にも失礼だし」
地下鉄に乗り換える。地下鉄は阪宝電車よりずっと空いていたが、地下鉄特有の閉塞感も二三にとっては苦痛なようだった。身体を硬くして耐えている。繋いだ手が汗ばんでいる。ようやく目的の駅に着く。ホームに降り、改札を出て階段を上がる。青空の下の出ると二三は「ハァ」と大きく息を吐き、僕と手を繋いだまま大きく両手を突き上げて伸びをする。
「あっ、あ、ありがとう。おかげで何とか無事に着いた」
二三は恥ずかしそうに手を離した。なんだかひどく照れ臭い。
「いいよ」
僕たちは望月先生の指定してきた住所に向けて歩き出す。「望月豆腐店」。実家が豆腐屋という二三の記憶通りだ。通りの奥に店が見えると二三が言った。
「このお店知ってる」
「そうなの?京都初めてじゃなかったっけ?」
「映画で見た。何かこの雰囲気見たことあるなって思ってたんだけど」
二三が見た映画でこの店が舞台として登場したらしい。結構有名な店らしい。店の前に行って店内を覗く。白い上っ張りを着て調理用具の掃除をしていた男性が「やぁ」と笑う。
「よく来たね。店の裏に回って」
二三と一緒に店の裏に回る。ごく普通の民家で「望月」と表札が出ている。玄関がガチャリと開いて先程の人が顔を出す。
「さあ、入って」
と手招きする。二三が門扉を開けて中に入る。僕も後に続く。居間に通される。座卓の前に並べられたフカフカのお客さん用の座布団を勧められる。望月先生は「失礼します」と言って座る僕らの前にお茶と八つ橋の載った小皿を並べてくれた。二三が手土産のバームクーヘンが入った紙袋を望月先生に手渡す。先生は嬉しそうにお礼を言った。
「せっかくだからうちの豆腐を食べてもらおうと思ってね。話はその後にしよう」
望月先生は台所と居間を行き来して、お客用のお茶碗だの、お味噌汁の入った鍋だのを運び始める。
「あの、手伝います」
膝を浮かしかける二三を望月先生は「いい、いい。お茶でも飲んでなさい」と制する。
二三は「すみません」と答えて座り直す。湯呑に手をかけた二三が小さく「あ」と呟く。
「茶柱―」
二三の湯呑を覗き込むと綺麗な緑色のお茶の中に茶柱が一本立っている。これは幸先が良いというもの。お茶を一口いただく。美味い。僕のようなサラリーマン家庭に育った高校生にも分かる深い味わい。これもお客様用の高いお茶っ葉だ。昔の古傷を抉りに来たようなものなにのこんなにも丁寧にもてなしてくれるなんて。
「はい、お待たせ」
先生は座卓の上に漆塗りの平膳を置いた。真っ白な冷奴。ふっくらしたがんもどき。出汁のかかった厚揚げ。卯の花の煎りもの。
「はいどうぞ」
望月先生が杉のお櫃からごはんをよそってお茶碗を僕に手渡してくれる。奥の二三に渡す。お味噌汁の具は豆腐と薄あげ。
「さぁ、食べて。米と味噌以外は全部ウチで作ったものだ」
冷奴は半分は塩で、半分は醤油とネギとおろしショウガで食べた。がんもどきには熱い出汁が、厚揚げにはこれも熱い餡がかかっている。卯の花はそのまま食べてよし、ごはんにかけてよし。薄あげもほのかに香ばしく味噌汁が染みて美味い。僕はご飯をおかわりさせてもらい、二三はおかわりこそしなかったが全ての料理を綺麗に平らげた。
「すごく美味しかったです。ごちそうさまでした」
と言ってから、まだ自己紹介もしていないことに気付く。ちょっと恥ずかしい思いをしながら座布団を外して挨拶する。
「四十崎君から聞いてるよ。生徒事案相談調整委員だっけ?先生も―じゃなかった、僕も知らなかったな、そんな委員」
「中学にはないですし、高校でもほとんどの生徒は知りません。教職員でも知ってる人は少ないんじゃないでしょうか」
望月さんが僕らの湯呑にお茶を注いでくれる。ちょっと笑って「食後のお茶はがぶ飲みできる安いやつだから」と言う。
「しかし四十崎君が委員とはね。良かったよ。君がまた学校に来れて。君の事は気になっていた。小山内君があんなことになって、君は全く学校に来れなくなってしまった。僕は結局何もできなかった。クラスをまとめることも、君たちを助けることも。何かおかしいと気付いた時にはもう自力ではどしようもなくなっていた。せめて弱音を吐いて、他の先生達に泣きついたり縋ったりできていれば。それをする勇気すらなかった。君たちの担任はプライドだけを貼り付けた空き瓶だったわけだ」
望月さんが力なく口の端を歪めて笑う。当時のことを直接知らない僕はただ黙って聞いているしかなかった。二三が小さく首を振る。
「望月先生はそれでも教室に残って頑張ったけど、あたしは逃げ出してしまった。怖くて辛くて逃げ出してしまった。先生や詩穂が頑張っているのに」
二三は俯いて両の拳を膝の上で震わせていたが、やがて左眼をハンカチで乱暴に拭うと顔を上げた。
「後悔しているんです。あたしにもできることがあったのに。詩穂を助けることができたはずなのに」
望月さんは静かに頷く。
「同じ思いだよ。あれからずっと胸の中のモヤモヤが消えてくれないんだ。いつも胸の辺りや頭の周りに黒い靄がかかっているみたいにね。教師を辞めれば少しは楽になるかと思ったが」
二三は持っていたポシェットから一枚の写真を取り出した。僕にチラっと見せてから望月さんに手渡す。今よりも幼さを色濃く残した二三と小山内さんと思われる少女が並んで写っている。小山内さんは綺麗な歯並びが見える笑顔。二三は少し上目遣いにこちらを睨んでいる。右目は長い髪で隠されているが眼帯の黒い紐が覗いている。
「こんなに笑ってたのに。楽しそうで、元気いっぱいで。この半年後に、あんなことになるなんて」
二三は言葉を途切らせる。望月さんは何も言えずただ写真をじっと見つめた。僕もただ沈黙するしかない。先生の目から涙が一筋。二三はそっとハンカチを差し出した。
「知りたいんです。何があったか。誰が詩穂を追い詰めたのか」
二三の言葉に望月さんの視線が逡巡するように揺れる。
「残念だが、僕は何も知らない。知らされていないんだよ。何しろ僕は椿の担任だった。つまり当事者だ。生徒へのヒアリングに参加させてもらえないのはもちろん、調査委員会の資料も全く見せてもらえなかった。調査委員会が最後に出した答申を見ただけだ」
その答申なら僕も見た。今でも西宝市教育委員会のホームページに掲載されている。
「いじめがあったのは間違いないだろう。だが誰がどういじめたかまでは分からなかった。いや、分からなかったことにしたのかも。それに」
望月さんは静かな声音で続けた。
「犯人捜しをしても小山内は帰ってこない。彼女をいじめた同級生を、中学生を責めたところで問題は解決しない。犯人をとことん追い詰めることをしなかった学校側の判断も理解できる。もちろんこれは教師目線の、大人の意見というやつだが。友人の目から見ればまた違うだろう」
望月先生は写真を二三に返す。二三は写真を大事そうにポシェットにしまった。
「何でもいいんです。当時の事、詩穂に関することで覚えていることはありませんか」
二三は視線を上げて望月さんに視線を当てる。望月さんは少したじろいだ表情を見せる。二三の邪眼の話は当然教師の耳にも届いていたのだろう。望月さんは弱々しく首を振ってさり気なく目線を落とした。
「夏休み明けに少し元気がないなと感じたが― 特には」
二三はしばらく望月さんを見つめていたが、やがて少し寂しそうに俯いた。
「そうですか。分かりました。お忙しいところすみませんでした」
二三が僕に視線を投げる。「帰ろう」ということらしい。
「お邪魔してすみませんでした」
僕も望月さんにご挨拶をして立ち上がる。望月さんは玄関の外まで見送ってくれる。
「役に立てなくてすまない。何か思い出したらメールするよ」
「お願いします。では失礼します」
二三は腰を深く折って別れの挨拶をした。僕も望月さんに一礼して、二人並んでとぼとぼと歩きはじめる。
「二三、疲れた?」
「ううん」
「少し京都をぶらついて帰る?」
「うん」
僕たちは地下鉄に乘って二駅ほど移動する。地上に出て同志社大学のキャンパスを抜けて京都御所を歩く。
「わぁ、御所だ」
二三はキョロキョロと周りを見渡しながらちょっと笑顔を浮かべる。「楽しんでいるよ」というサイン。僕への気遣いだ。御所を抜けて二条城に寄ろうかと思ったが、入場券売り場に観光客の長い列ができている。
「また空いてる日にしよう」
「うん。ごめん」
僕たちは地下鉄で京都駅まで戻り、阪宝電車に乗り換える。座席に座ると二三は何も言わずに手を握ってくる。スマホが鳴る。
『ちょっと疲れた』
『寝てていいよ。着いたら起こす』
『うん』
二三は窓側に頭を持たせかけるとすぐに静かな寝息を立て始めた。二三が明らかに落ち込んで疲れているというのに、僕の気持ちはこの状況に何だかとてもほっこりしてしまう。四十五分後、心を鬼にして二三を起こす。寝起きでフラついている二三を支えながら乗り換える。席がいくつか空いていたが二三が一人で座るのを嫌がったので立ったまま二駅移動する。降りると二三は疲れた顔にホッとした表情を浮かべた。
「マンションまで送るよ」
「今日Caveに寄らなきゃいけないから」
僕たちはCaveまで歩いて、
「じゃ、僕は今日は帰るよ。ゆっくり休んでね」
「あっ、ありがと、今日は。楽しかった」
僕は二三に手を振って歩き出した。その日、塾から帰っても二三からメッセージは来なかった。僕は塾の宿題を片付け、マンガを読みながら一時過ぎまで粘ったがスマホは鳴らなかった。僕は諦めて灯りを消しベッドに潜り込んだ。
日曜日。夜十一時少し前。勉強も風呂も終えたのでスマホを手に取り二三にメッセージを送ってみる。
『体調どう?』
ラグタイム無しで返事が来る。
『あまり良くない』
『昨日は引っ張りましてごめん。すぐ帰ればよかった』
『京都は楽しかった。でも外にも人にも慣れていないから。望月先生ともあんなに話したの初めてだし』
『明日は学校来れそう?』
『休むと思う。朝メッセージ入れる』
『OK』
望月先生の話がどれくらい参考になったのか聞きたかったが我慢した。
『それじゃ、おやすみ二三』
『おやすみトーマ』
翌日。やはり予告通り二三は学校を休んだ。朝、
『ごめん。今日休む』
とメッセージが入る。
『帰りにノート届けようか?』
『助かる』
その後、探偵係のトークルームにも「体調不良のため休みます」と二三のメッセージが入る。花村先生が「大丈夫?」「風邪?」「栄養のあるもの食べて」「ゆっくり寝てzzz」「何かあったら」「すぐ知らせて」と細切れのメッセージをボロボロと送ってくる。最後に「放課後にトーマ君をお見舞いに行かせるからね♡」とのメッセージ。学校では清村君だが、トークルームでは花村先生も「トーマ君」だ。先生すっかりこのトークルームでの会話を楽しんでいるようだ。
放課後。僕は廊下の隅っこで一年藤組の田井中涼平君に声を掛けた。二三から教えられた元中学一年椿組の中心メンバーの一人だ。
「田井中君、ちょっとだけ時間ある?」
「何?」
田井中君は若干腰の引けた態度で視線を彷徨わせる。どこかに二三がいると思っているのだろう。
「今日は僕一人だから。生徒事案相談調整委員の仕事なんだ」
「あぁ、あれね。清村も災難だね。無理やり巻き込まれたって?」
二三がいないと知って田井中君は少し余裕が出たようだった。
「まぁね。でも一応生徒会活動の一種だから。やることやっとかないとね」
「で、何よ?」
田井中君が探るような目付きになる。僕は二三に言われた通り田井中君の目の動き、顔の表情に注目しながら尋ねる。
「西宝中の飛び降り事件だよ」
田井中君の目が大きく左右に揺れた。声が一段小さくなる。
「俺っ、疑われてるの⁉」
「違うよ。今でもあの事件のことで苦しんでる人が大勢いるんだ。不幸な事故だったことをきちんと証明したいんだよ」
僕のちょっとばかし筋の通らない説明を、冷静さを欠いた田井中君は聞き流した。
「事故だろ?警察がちゃんと自殺だって言ってるだろ?」
「もちろん自殺だよ。でもなぜ自殺したのか理由を知りたい人もいる」
「四十崎だろ?」
「ごめん。長いから略称で言うけど、探偵係の仕事だから言えないんだ」
田中君は味方を探すようにきょときょとと辺りを見渡す。
「何も知らない。警察にも先生にもそう言ったよ。知らないよ」
「ちょっとしたヒントでもいいから。思い出せない?誰が小山内さんを追い詰めたんだろ?」
「知らないって。他の奴に聞けよ」
田井中君は早足で走り去っていった。
「僕が聞いたことは内緒にしてね⁉」
田井中君の背中に向かって声を掛け、僕はそれ以上は深追いしなかった。田井中君の姿が見えなくなってから小さく溜息を吐く。二三には手伝うといったものの、これを続けると確実に校内での交友関係を狭くしそうだ。僕は今日はここまでにしてCaveに行くことにした。
二三にメッセージを入れる。すぐに返信が来る。マンションではなくcaveに来てくれとのこと。僕の頭の中にはパジャマ姿で口に体温計を咥えた二三にノートのコピーを手渡すといった図が浮かんでいたのだが。
午後五時前、Caveに着く。
「トーマ君、いらっしゃい」
四五ちゃんが元気よく迎えてくれる。おばあちゃんがキッチンから出てきて、
「フミちゃん二階で待ってるわよ」
と教えてくれる。「上がろうよ」と四五ちゃんが腕にまとわりつてくる。おじいちゃんにも挨拶してから二階へ上がる。行くと零一さんの姿が見えた。椅子に座った二三の背後に回って肩を揉んでいる。
「うーん、もうちょっと右かな」
と指示出しする二三。
「やあ、いらっしゃい」
零一さんが二三のこめかみ辺りを手の腹でほぐしながら言う。
「こんにちは」
二三がこちらを振り返って申し訳なさそうな上目遣いになる。
「ごめん。わざわざ」
「いいよ」
僕はノートのコピーを二三に手渡す。二三はパジャマ姿でもなく、体温計も加えていなかった。白いTシャツにデニムのオーバーホールを着ている。
「調子どう?」
「うん、大分よくなった。す、少しだけ、話せる?」
「もちろん」
四五ちゃんが「また後でね」と言いながら零一さんと下に降りていく。入れ替わるようにおばあちゃんがやってきて、コーヒーの入った白いマグカップとサンドイッチの皿を置いて行ってくれる。今日はタマゴサンドではなくミックスサンドだ。ハムやベーコン、野菜の覗く断面がとても綺麗だ。事前に準備しておいてくれたのだろう。二三に「食べていい?」と尋ねてから遠慮なく口に放り込む。
「よかったよ、思ってたより元気そうで」
「うん。心配かけちゃってごめん。一日中寝てたからかなり回復した。明日は学校行けると思う」
「あ、外していいよ」
今日の眼帯は白と水色のボーダー柄。二三は眼帯を外すと親指と人差し指で目頭を揉む。
銀灰色の瞳が僕に向けられる。素直に綺麗だと思う。二三は照れたように目を伏せた。
「そうだ、今日さ」
僕は田井中君に質問をぶつけてみたことを二三に話した。
「どんな反応だった?」
「うーん。驚いてた。でも、普通に驚いて普通にうろたえてたって感じかな」
僕は田井中君の表情や仕草を二三に話して聞かせる。二三は小さく頷く。
「確かに。田井中君は何も知らなさそうかな」
二三は中身がほとんど残っていないカフェオレボウルを持ち上げるとカップの縁越しに僕を見た。
「ん、何?」
「ど、土曜日さ― 今週の」
二三はボウルで口元を隠したまま
「塾の時間までは暇?」
「うん。ハイジ見せて」
「うん。お昼、食べずに来てね。ひょっとして嫌いなものとか、ある?インゲン以外に」
「あのインゲン美味かったよ。嫌いなのは生タマゴの白身とキノコ」
二三はボウルの縁に口を寄せたまま「分かった」と呟くと、再び僕の方をチラチラ見る。
「あのさ、日曜だけど、暇― かな?」
「うん。予定なし」
「牧村さん、日曜空いてるらしいんだ。家に呼ぼうかと思って。その、探偵係の情報収集の件だから。トーマも付き合ってもらえないかなって」
「あぁ、もちろんいいよ。事前に打合せとくこととかあったら教えて」
「うん」
その後、僕は康彦から聞いた桜の「トップが話している時はみんなで一斉に笑顔で大きく相槌を打つ」といった妙なルールや、日々繰り広げられるミュージカル劇のようなクラス内の奇妙なやりとりについて話す。二三は「うん、あるある」と楽し気に聞いていた。しばらくして四五ちゃんと零一さんが二階に上がってくる。四五ちゃんは「フミ姉、眼帯つけて」と言って僕の横に座り込む。零一さんは「邪魔して悪いね」と笑いながら二三の横に座った。零一さんと二三と四五ちゃんはさすが兄妹だけあってテンポよく会話の掛け合いを楽しむ。猫の兄妹が毛糸玉を奪い合って遊んでいるようだ。僕はちょっとした疎外感を味わいながら美味しいコーヒーを飲み、サンドイッチを食べ、六時過ぎに「ご馳走様」を言ってCaveを出た。
金曜日。昼休みになって午前中を保健室と図書室で過ごした二三が教室に俯き加減に入ってくる。
『おはよう』
『もう昼なのにおはようとは。トーマは嫌味を言えるほど私に慣れてきたのだな。これは喜ぶべきか、怒るべきか、どう思う?』
『その日最初の挨拶ってことでいいんじゃない?で、日曜のことだけどさ、どんな段取りなの?』
『ふぅ、会うなり仕事の話とは。無粋な男だなトーマは』
『いや、だって、牧村さんからちゃんと情報を引き出さないと』
『分かっている。準備はしてある。それより午前中のノート、またコピーをもらえるとありがたい。私はもう帰る。疲れたから』
『え、もう帰るの?』
『悪いか?私にいい感情を持っていない生徒が多すぎるのがよくないのだ。彼らの視線は私にとって槍だ。彼らの沈黙は私への罵りだ。長時間学校にいると私は身も心も擦り減ってしまうんだ』
『そりゃ、わかるけど。後ろの席がいつも空席というのも寂しいし』
数秒の沈黙。
『さすがは異能者だけのことはある。トーマなら死神にすらお世辞を言えるだろう』
『ま、二三が気に入らないなら社交辞令ってことにしとくけど』
再び沈黙。
『ではCaveで』
二三は僕の返事を待たずにスマホを鞄にしまうと席を立った。
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