第5話 委員活動開始

 二三のお気に入りの映画「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」はとても良かった。実のところ相当よかった。一九八〇年代のスゥエーデン映画。で、タイトルが「犬みたいな僕の人生」。普段スターウォーズとかアベンジャーズみたいなハリウッドの大作や、アニメとか漫画の実写映画しか観ない僕は内心「うへぇ、なにこの珍妙なタイトル。退屈な表情を顔に出さないよう気をつけねば」と考えていたのだが、全くの杞憂だった。

「うわあ、メチャ良かった。いい映画だねぇ」

 と本心から言った。ちょっぴり風変わりだけれど純粋で優しい少年が主人公。友達に苛められても、母が入院して親戚に預けられても、「実験のためスプートニクに乗せられて宇宙に打ち上げられた犬に比べれば僕は運がいい」と明るさを失わない。きっと二三はこの主人公にシンパシーを感じているのだろう。僕の感想を聞いて、

「良かった。アクションとかCGとか全然無いし、退屈かなって思ったけど」

 二三はホッとしたように言う。それからしばらく僕たちは映画の話をして過ごした。二三はアニメ映画はよく観るようだがスターウォーズは、

「あの光る剣のあれだよね?」

 といった程度の知識しかなかった。次に二三の家に来た時には、高畑勲が監督を務め宮崎駿もスタッフとして参加している伝説のTVアニメ「アルプスの少女ハイジ」を観せてもらうことになる。二三はこれもDVD版を所有しているとのこと。五〇何話かあるらしく、今後は探偵係打合せを行った後は「アルプスの少女ハイジ」を数話観るというパターンになりそうだ。

 五時になると二三がハムとチーズとトマトのホットサンドを作ってくれた。サイダーと一緒に食べる。二三も「晩ご飯作るの面倒だし」と同じものを食べた。

「じゃ、また」

「うん」

 五時半過ぎに僕は二三の部屋を出た。エントランスを出てふと上を見上げるとベランダから二三がこちらを見ていた。軽く手を上げる。二三も手を上げた。ん?なんか僕たち、付き合ってる雰囲気?


 その日の夜。塾から帰って晩御飯を食べ風呂から上がるともう十時過ぎだ。部屋に入るとスマホの着信音が鳴る。二三だ。

『もう帰ったですか?』

『帰った。家ご飯食べて風呂入ったとこ』

『もう寝るのですか?』

『寝ないよ。一応勉強の真似事でもして、マンガでも読んで、YouTubeでも見て みたいな感じかな』

『忙しい中こうやってトークするのは本当は迷惑でしょうか?あなたの舌打ちが聞こえるかのような錯覚を覚えています』

 明らかに意識して丁寧に、遠慮深く文章を作っている。昼間に言ったことを気にしているらしい。

『いつもの調子でいいよ。なんか別人みたいだし。そもそも迷惑だったら既読を付けないよ』

 しばしの沈黙。

『本当に難しいな、誰かとコミュニケーション取るって。私の繊細な首が凝ってしまったよ。首筋をトントンして欲しいくらいだ』

『慣れだよ』

『そうか。慣れか。いつか慣れるのかな?苦労もなく自然と誰とでもコミュニケーションを取れるようになるのか?そんな日が来るとは思えないが』

『確かに。自分で言っておいてなんだけど僕にも無理だな。うわ、この人絶対無理って時あるもんな』

 またまたしばしの沈黙。

『それは暗に君はそうじゃないよ、無理じゃないよっていう気遣いか?私に気を遣ってるのか?邪眼なんて気にしないさっていう寛大で公平な心を持つ人としてのポーズか?』

 僕は苦々笑いくらいの顔で、トークではなく通話ボタンを押す。呼び出し音が鳴る。八回目のコールでやっと二三は電話を取る。

「高校一年の同じクラスの女子に対して遣わなくちゃいけない最低限の気遣いはしてるけど、二三と話すもの、メールするもの、電話するのも、家に行くのも全く嫌じゃないよ。むしろ楽しいくらいだよ。なにしろこれでも異能者の端くれだから」

 電話の向うで二三がモジモジしているのが見えるようだ。

「そ、そう。分かった」

 二三はようやくそれだけ言った。

「じゃ、ちょっとだけ大好きな勉強でもするかな。おやすみ二三」

「おっ、おやすみトーマ」

 僕はゆっくり二つ数えて電話を切った。あれ、なんか増々僕ら付き合ってるっぽい?


 月曜日。午前中、二三は席は空いたままだったが、昼休みになってから二三が登校して来た。自席で弁当を食べていた僕は振り返って「おはよう」を言う。二三はごく小さな声で「おはよう」と返した。周囲の耳が気になるらしい。僕と二三の会話を聞き逃すまいと教室はシンと静まる。僕は手早く弁当を片付けるとスマホを取り出す。探偵係の特権。授業中は電源を切らなければならないが休み時間中は携帯電話の使用を認められる。もちろん建前上は生徒関連事案の相談に限られているが。探偵係のトークグループに参加した花村先生からの情報だ。一応この探偵係トークルーム内では僕も二三も当たり障りのない行儀の良い発言しかしていない。花村先生はもっと色々ルーム内で会話したいらしく、ちょくちょく発言をしてくるので少し面倒だ。

 僕と二三はスマホでトークを始める。声に出さないものの傍から見ると会話しているのがバレバレだが、内容を聞かれるよりはずっといい。

『休みかと思ったよ。体調が良くないの?』

『すごくいい。土日を挟んだとはいえこれで三日続けて学校に来てるんだぞ?私にとっては凄いことだ。トーマと違って私は勇気を奮い起こさないとここに来れないんだ』

『そっか。休む時は僕にも連絡してよ。心配だし』

 二三は少し画面に見入る。

『トーマは優しいな。恐ろしい』

『恐ろしいって何?普通に心配してるのに』

『ブラッドベリの小説にあるだろう?魔女のお話だ。魔女の呪いの中でも最も高度で最も恐ろしいのが、おだてて褒めて持ち上げて喜ばせて、得意の絶頂でストンと奈落に落してしまうというものなのだ。あまり優しくされるとこの最強の呪いを仕掛けられているのではと心配になってくる』

『素直じゃないなぁ』

『トーマのために言っている部分もある。私は邪眼少女と言われる忌み嫌われ者なのだぞ?こっちから巻き込んでおいてこんなこと言えた義理ではないが、トーマまで禁忌の対象になってしまったらと思うと正直心苦しいのだ。トーマは私とあまり仲良くすべきではないのではと考えると』

 文章が中途半端に途切れる。

『考えると、何?』

 沈黙。

『学校では互いに無関心を装うとしよう』

『同じ探偵係でかえって不自然だよ』

 しばしの沈黙。

『今日の帰りCaveに来れるか?』

『行くよ』

『ではCaveで。以上だ』


 放課後。帰り道、康彦と津久井君に冷やかされながら分れる。二人は津久井君に家に行くらしい。電車に乗る。携帯が鳴った。

『同じ電車に乘ってるぞ』

 キョロキョロと周りを探す。

『前の前の車両』

 僕はスマホをポケットにしまって移動する。二三がドアの脇に立ってこちらを見ている。近づいて行って側に立つ。「姿が見えたなら声かけてくれたらいいのに」とは言わない。自然なコミュニケーションを苦手とするこの少女は僕の携帯にメッセージを送るだけで相当な精神力を消耗したに違いない。

「二三は芸術は何取るの?」

「んん、考え中…」

「音楽好きなんじゃないの?取らないの?」

「んん― どうしよっかな…」

「知り合いがいたほうが気が楽なら、一緒に美術にする?」

 同じ異能者同士、助け合わなければ。

「うん。あ、ありがと。授業出るように頑張るから」

 駅に着く。降りて並んでCaveまで歩く。話題は最近読んだ本の話。もう亡くなった結構有名な作家の短編集で、父の本棚にあったやつを借りて読んだのだが、本に収められた短編どれもが味わい深くて印象に残った。二三は熱心に僕の話に聞き入っていた。今度その本を貸すことになる。

 カラン。Caveのドアを空けて二三が中に入る。

「ただいま」

 一応「ただいま」なんだなと思いながら「こんにちわ」と挨拶する。

「お帰り。やぁ、トーマ君も一緒か」

 おじいちゃんの声を聞いてキッチンからおばあちゃんが顔を出す。

「あらトーマ君、いらっしゃい」

 二三は不愛想な声音で、

「二階、空いてる?」

「えぇ。ヨウちゃんも二階にいるわ」

 二三は僕を急き立てるようにして二階に上がる。

「お帰りフミ姉。トーマ君いらっしゃい」

 二階のブース席で宿題をやっていたらしい四五ちゃんがパッと立ち上がってこちらへやってくる。「荷物運んであげる」と言いながら僕の背からリュックを剥ぎ取る。

「荷物重っ!何が入ってんの?誘拐した女の子とか入ってないよね?」

「入ってないよ。教科書と弁当箱だよ。誘拐した女の子ならこんなに重くないし」

「へへ、ねぇトーマ君、持ち物チェッークしてみていい?ねぇいい?」

「ダメよ、ヨウちゃん。今から委員の打合せなんだから。大人しく宿題してなさいよ」

「えーなんでよ、もう終わりかけだし。あっ分かった、見られたら困る物が入ってるんでしょ?」

「入ってないよ」

 二三は「ほら向うに行ってなさい」とお姉さんぶって言うと、リュックを取り上げ四五ちゃんの襟首を摘まんで僕から引き離した。四五ちゃんは二三に向かって「チェッ」と文句を言い、僕に「後で一緒におやつ食べようね」と手を振る。そういえばこの四五ちゃんも異能者なのだ。どんな異能力を持っているんだろう。

「ごめん。座って」

 僕は勧められるままにブースの奥の席に着く。二三が席に着くと同時に今度はおばあちゃんがやってくる。

「いらっしゃい、トーマ君。委員の打合せも大変ねぇ」

 おばあちゃんは白いマグカップと二三のカフェオレボウルをテーブルに置くと、二人の前にサンドイッチの皿を置く。分厚いタマゴサンドだ。

「ありがとうございます。すみません」

「ごゆっくりね」

 おばあちゃんはにこにこ笑いながら出て行く。

「気になって仕方ないらしいんだ。ごめんね。食べて」

「全然。ありがたいよ」

 僕はタマゴサンドにかぶりつく。フワフワの分厚いタマゴが目茶苦茶美味い。ただのスクランブルエッグでなく、だし巻き卵とも違う。

「うま」

 素直に感想を述べる。二三ははにかんだ笑顔を見せ自分もタマゴサンドをかじる。

「色々入ってるから。マヨネーズとか削り昆布とかミルクとか。でも最後はタマゴをフワフワに焼き上げる腕かな。おじいちゃんが焼くんだけど」

 僕はあっという間に一つ目のタマゴサンドを平らげる。

「で、転落事件の資料だけど、学校の資料はどうやって見るの?校長に頼む?」

 二三はサンドイッチを皿に置くとカフェオレを急いで一口飲んで口を開く。

「うーん、当時の生徒、一年五組の生徒はほとんど東校に残ってるし。個人のプライバシーの関係もあるから。きっと校長もいい顔しないと思う。一応タイミングを見て花村先生に頼んでみようと思うけど」

「うん、校長より見込みありそうだしね。データで残ってるのかな。紙文書のみ?そもそも中学の方に残ってるんじゃないの?」

「だと思う。当時の資料、特に生徒からの聴取に関する資料は公文書中の公文書だから、紙の決裁文書として中学の書庫とかに保管されてるんじゃないかな。パソコンの中のデータはちょっと分からないなぁ。中高一貫校だから中学校と高校で共通のLANを組んでるらしいんだけど。ログインIDやパスワードも探り出さなきゃいけないし、この学校の教職員か学校PCの保守業務でもやってる業者くらいじゃないとデータを探るのは難しいよ。それにまぁ立派な犯罪になっちゃいそうだし」

「うーん。ご遺族に公文書公開請求をしてもらうのはどう?」

「詩穂のお父さんお母さんに辛いことをさせるのはちょっと― それに、もし文書を公開してもらえても肝心の個人を特定できる部分は黒く塗りつぶされちゃう」

「となると、やっぱり当時の資料を見るのは難しそうだね」

「うん。最初から分っていたことだけどね。とにかくできることをやるしかないんだ。トーマには迷惑を掛けることになるけど。手伝ってください。お願いします」

 二三は髪を揺らして頭を下げる。

「いいよそんなこと言わなくて。同じ探偵係なんだし」

「でも― トーマが」

 言葉が途切れて二三は俯く。

「別に探偵係になったからって避けられたり嫌われたりしないよ。心配し過ぎだって」

「でも― 今後は色々と― いろんな人に話しを聞いたりするし、そしたら」

 二三は視線を落としたままサンドイッチの皿に載っていたパセリを指先で弄ぶ。

「気にし過ぎだよ。大丈夫」

「そうだよ。フミ姉は超心配性だから」

 四五ちゃんがサンドイッチの皿とジュースのコップを持ってブースに入ってくる。ブースの奥の席はベンチシートになっている。テーブルに自分の皿を置くと僕の横に座り込む。ちょっと眩しそうな表情をして、

「ごめんフミ姉、眼帯付けて」

 二三は「もう」と頬を膨らませながらも眼帯で右目を覆う。

「トーマ君はすごいね。フミ姉の眼を見ても全然平気なんだね?えらいえらい」

 四五ちゃんが僕の左腕をペシペシ叩きながら言う。

「食べ終わったら席外してよね?まだ打合せの途中なんだから」 

 僕たちは残りのサンドイッチを食べ始める。四五ちゃんは一人で楽しそうに部活動の話をしている。吹奏楽部に入りたいのだそうだ。サンドイッチとコーヒーの合間に尋ねてみる。

「どんな楽器をやりたいの?」

「うーん、フルートかクラリネットかな。フルートはおばあちゃん、クラリネットはおじいちゃんに教わったの。どっちかというとフルートの方がちょっと好きかな」

 なるほど―と思う。牧岡さんの方は音楽絡みで責めようということかもしれない。僕の表情を見て二三がちょっと笑って見せる。「トーマは意外と勘がいいんだなぁ」と呟く二三に四五ちゃんが「ねぇ何が?勘がいいって何のこと?」と二三の方に手を伸ばす。二三は笑いながら手を払うような仕草をして、

「もう食べたでしょ?打合せするから自分の席に戻ってよ」

 こういう時の二三は内気で人見知りな普段の二三ではなく、ちゃんとお姉ちゃんの顔をする。

「えー、ケチぃ」

 言いながらも四五ちゃんは皿を持って大人しくブースを出て行った。

「仲いいね」

「うん。うちの兄妹は本当に仲がいいんだ。やっぱり三人ともちょっと他の人とは違ってるから、仲間意識が強いんじゃないかな」

 僕は残りのサンドイッチを頬張って「美味かった。ごちそうさま」とお礼を言う。

「で、とりあえずどうする?」

「うん。明日花村先生に資料を見せてもらえるか聞いてみよう。それからトーマには中学椿組の男子に当時のことを尋ねてほしいんだ」

「どんなことを尋ねるの?」

 二三はちょっと困ったような表情になる。

「実は、何でもいいの。探偵係としての調査であること、中学椿組の飛び降り事件の再調査をしていることを伝えたうえで、後は何を聞いてもいい。できるだけ二人きりの時に聞いてほしい」

「ひょっとして相手にプレッシャーをかけようってこと?」

 二三はちょっと辛そうな顔で笑う。

「やっぱりトーマは勘がいいね。そういうこと。よく見ておいてほしいのは相手に飛び降り事件の再調査だって告げた時の相手の表情と仕草。その後の相手の態度。それを観察してあたしに教えて。先入観や推理抜きで、その時の相手の様子を見たまんま、できるだけ正確に」

 二三はスマホを取り出して素早く指先を動かす。僕のスマホがブルルッと震える。トークアプリに二三からのメッセージ。三人の名前が記されている。

「三人は中学椿組の男子の中心メンバー。まずはそこから」

「何か知ってそうなの?」

「その三人が詩穂の死に関わってるかどうかは分からないけど、何か知ってる可能性は高い。クラスの中心、椿組男子のトップ3だったから」

「分かった。聞いてみる」

 僕はスマホをポケットにしまう。

「じゃぁ、今日はこれくらいで帰るよ」

「あたしも帰る」

 僕たちは一緒に一階に降りておじいちゃんとおばあちゃんに挨拶する。

「ご馳走さまでした。すごく美味しかったです」

「また来てね」

 おばあちゃんがまたバームクーヘンの紙袋を手渡してくれる。僕は「ありがとうございます」とお礼をって遠慮なくいただく。

「今日はもう帰る」

「フミちゃん、気を付けて帰るのよ」

「トーマ君またね」

 僕はみんなに会釈して二三と一緒に外に出る。外はまだ陽が落ち切っていない薄暮れ時。

「あの、別に恰好付けるわけじゃないけど、家の近くまで一緒に行くよ」

「あ、ありがと」

「ねぇ、これぐらいの時間帯?例の緑色の人を見かけるのって」

 僕は二三が夕暮れ時以降の時間帯に、神社の近くでたまに見かけるという緑の小人の話を聞きながら二三のマンションに向かって歩きだした。


「えー、無理無理。無理に決まってるわよぉ。そんなことしたのがバレたら先生クビになっちゃうかも」

 生徒がほとんど来ない校舎の隅に作られた相談室で花村先生は素っ頓狂な声を上げた。

「そもそもあたし高校採用だから。中学の方はちょっとアレだし。事情がよく分んないっていうの?」

「でも、事件があった時はもう東校にいたんですよね?教師として。その時の雰囲気だけでも」

 僕はダメ元で食い下がる。花村先生は顔の前の蠅を追っ払うように手を振る。

「そりゃまぁいたけどさ。当時の雰囲気たってねぇ、そりゃ、もうピリピリのヒィハァよ。藤の担任だった森長先生なんかはちょっと仲良かったんだけど、もう警察の聴取でボロ雑巾みたいになっちゃってて。担任じゃないのにあれだもん。もう望月先生なんか― あ、これ内緒よ?担任の先生なんか結局お咎めなしだったもののもう身も心も粉々って感じで。なにしろ警察だけじゃなく職員室でも居場所が無いし、保護者からは糾弾されるしでねぇ。あれで人生壊れちゃったっていうか、結局辞めちゃったもんね」

「結局、学校の判断は?」

 二三の左目が強い光を帯びる。右目は黒くて丸い眼帯でしっかり塞がれている。

「軽々しく口にできないけど、玉虫色ってやつ?いじめを立証する明確な証拠は無し。教師にもはっきりした落ち度は認められない。小山内さんがクラスで浮いていたのは事実。クラスの雰囲気に馴染めず悩んでいたのも事実。彼女の死の原因が学校生活が上手くいってないことにあったのは間違いない。でも何も立証できなかった。そういうこと」

「学校は生徒からの聞き取り調査をしたんでしょう?あたしも受けた。椿組だけでなく部活の友達だって受けてる。あれだけ大勢の生徒が聴取を受ければ矛盾や綻びが見えるはず」

 花村先生は悲しそうに顔を振る。

「あたしも聴取の内容までは知らない。でも残ってる記録からは何も分からないと思う。調査を行ったのは学校外部の人間で構成されたいじめ調査委員会。弁護士と大学教授、元中学教師なんかで構成されてたはずだけど、結局何も明らかにすることはできなかったのよ。生徒と教師たちのガードの固さ、連携の堅固さは想像以上だったの。経験豊富な弁護士も、教育論では人後に落ちない教育者も、中学校の裏を知り尽くした元教師たちも、結局その壁を崩せなかったってわけ」

「記録そのものはまだ残ってるんですか?」

「多分ね。中学のどこかに残ってるんじゃないかな?」

「電子データは?」

「あるかも。でも中学の教職員じゃないと繋がらないドライブに保存されてる。あたしたちが見られるのは中学校職員のスケジューラーや行事予定表ぐらいだもん」

 僕と二三はちらりと顔を見合わせる。僕は花村先生に小さく頭を下げる。

「ありがとうございました」

 行こうとする僕らを花村先生が引き留める。

「ねぇ、あんたたち。中学に忍び込もうなんて思わないでよ?今時の学校のセキュリティを舐めちゃダメ。あんたたちも私もタダじゃすまない。いいわね?」

 花村先生らしからぬ凛とした眼差し。僕は一瞬ハッとなった。でも次の瞬間、もう花村先生は情けない仔犬のような顔になっている。

「はぁ、この歳でクビになって路頭に迷うなんて、お願いだから勘弁してよね?」

 花村先生はうーんと伸びをして腰を拳で叩く。

「さぁ、行った行った。探偵ごっこはほどほどにしてマクドナルドにでも行って仲良くポテトでもつまんでおいでよ。あんたらさぁ、打算のないキラキラしたデートができるのなんて二十歳までなんだからね?いいね?中学に泥棒に入るのも、ハッキングも、その他諸々の悪事も、絶対ダメだからね?まぁ異性交遊だけは許す。先生も人の幸せを見るのが辛い年齢だけど、まぁ大目に見る。いいわね?」

 珍しく語気を強める花村先生の勢いに押されて僕たちは「はい」と答えて席を立った。


 二十分後。僕と二三は東校から十分ほどのショッピングモールにあるマクドナルドにいた。人の多いところが苦手な二三はちょっとおっかなびっくりといった感じで僕の後ろを付いてくる。カウンターでアルバイトの店員さんが「いらっしゃいませ」を言ってくれる。

「僕が適当に頼んでいい?」

 二三がコクリと頷く。フィレオフィッシュを二つ。ポテトのLを一つ。

「飲み物、何にする?」

 僕の肩口辺りで二三が小さく「ファンタメロン」と囁く。僕はスプライトとファンタメロンを注文する。お金を払いトレイを持って端っこの方の目立たない席に着く。二三はちょっとホッとした様子で盛んに髪をいじって眼帯を隠している。今日の眼帯は黒ではなく、黒に近い濃紺。どうやら色違いを何種類も持っているらしい。

「ごめん、居心地悪かった?花村先生に乗せられて何となく来ちゃったけど」

「ううん、いい。あ、あたしも来てみたかったから」

 どうやらマクドナルドは初めてらしい。財布を取り出して自分の分を払おうとする二三に「いつもご馳走されるばっかりだから僕が奢る」というと二三は「分かった。ごちそうさま」と素直に財布を引っ込める。僕たちはバーガーの包み紙を剥がして食べ始める。一口食べて二三はまじまじとバーガーの断面に見入る。

「美味しい。こんな味なんだ。世界中に店があるのも頷ける」

 と納得顔でもう一口齧る。僕はポテトを広げたナプキンの上にあける。二三は恐る恐るといった感じでポテトを一本摘まみ口に入れる。

「これも美味しい。何なんだろう、家で作ってもこうはいかない。油なの?スパイス?」

 二三はしげしげと細長いポテトを観察する。

「でさ、さっきの花村先生の話だけどさ」

 僕はスプライトで口の中をさっぱりさせてから切り出した。

「花村先生の言う通り、中学校に忍び込んだり、無茶な事したりはしないよね?」

 二三は左目で僕をジッと見つめながらポテトをパクリとやる。

「しないよ。欲しい内容の文書がどこに保管されてるかが確実に分れば別だけどね」

 二三は無意識に指先に付いた塩と油を舐める。僕と眼が合ってちょっと恥ずかしそうに俯く。

「花村先生が言ってた望月先生だっけ?二三たちの担任だったの?」

「うん」

 二三はフィレオフィッシュを小口に頬張る。

「二十七、八くらいの男の先生。教科は社会。真面目で優しい優等生タイプ」

「辞めたって言ってたけど、望月先生なら何か知ってるかな」

「知ってる可能性はある」

「会ってみる?」

「会うにしても居場所を調べなきゃ。当時の職員名簿とかを見るのが早いけど、これも簡単には見せてもらえないよ。盗み見るなら別だけど」

「うーん、犯罪に手を染めるのはどうもね。何かヒントは?」

 二三はポテトを手に持って天井を見上げる。

「バイクで、ちょっと大きめのバイクで学校に来てた。それから」

 二三の左眼がクリクリと動く。ポテトをパクリとやる。

「京都、そう実家は京都で豆腐屋さん。豆腐屋さんやってるって。学生の頃から豆腐作りを手伝ってたから朝早起きは得意だって」

「いいね。大分近づいた。他には?」

「うーんと、お寺、お寺だ。近くにあるお寺に豆腐とかお揚げさんとか納めてるって。確か結構有名なお寺で― んん、名前忘れちゃった」

「十分だよ。京都、豆腐店、お寺の近く、望月さん。これだけ検索条件が揃えばあとは根気で何とかなるよ」

 不意に二三の顔付が変わる。振り向くと東校の制服の男女数名の姿が見えた。伊村と道長の顔見見える。伊村が僕に気づいてにこやかに笑って手を上げる。伊村は政治家に向いていると思う。

「やあトーマ君」

「大貴くん」

 僕も挨拶を返す。道長が二三の姿を見て「やっぱり付き合ってるじゃない」と言う。取り巻き達はちょっと戸惑った顔を見せた。桜のトップ、つまり東校一年のトップといってもいい伊村と道長が、高校入学組の僕と東のタブー的な存在である二三に親し気に声をかけたからだ。御一行は僕らから少し離れた声の届かない席に座った。放課後の学校近くのマクドナルド。考えれば東校生に出くわさないほうが不思議だ。

「食べて出ようか」

 二三が頷く。僕たちは残ったポテトとジュースを片付けると席を立った。伊村達に「お先に」と挨拶して店を出る。駅まで歩く道すがら、

「二三は今日もCaveに寄るの?」

「ううん。今日はそのまま帰る」

 二駅移動して電車を降りる。一緒に二三のマンションまで歩く。

「牧村さんの方はどうする?」

「もうちょっと待ってからにする」

 そこから先、僕たちはマクドナルドのポテトには何か秘密のスパイスがかかっているかいないかについて議論しながら歩き、二三のマンション前で手を振って別れた。


 夜十一時頃。スマホからレッドツェッペリン「移民の歌」の裏声シャウトが聞こえる。二三だ。この時間は僕がのんびりしていることが分ってきたのだろう。

『今暇?』

『暇』

『マンガを読もうとしているところをすまない。今日はありがとう。マクドナルドを知ってまた一歩普通の高校生に近づくことができた』

『大げさだな。今度はミスタードーナツに行ってみる?』

『私にとっては新大陸発見並にすごいことなんだ。ミスタードーナツも行ってみたい。でもできれば東校から離れたところがいい。トーマのためにも』

『僕のため?』

『あたしと付き合ってると思われると世間を狭くするぞ。一緒にいるだけでトーマまで避けられるようになる。高校生活でみんなが体験するような楽しい体験をできずに終わってしまうことになる』

『考えすぎ。大丈夫だって』

『一刻も早く事件の真相を掴んで探偵係を解散しなければ』

『真相が早く分かるのはいいことだね』

『そこでグッドニュースだ。望月先生の連絡先が分かった』

『凄い!どうやったの?』

『零兄が手伝ってくれた。零兄も東OBなんだ。当時の友人知人に望月先生の連絡先を知らなか尋ねてくれた。年賀状を持ってた人がいた。住所は西宝市内のものだがウェブメールのアドレスが書いてある』

『すごい。連絡取れそう?』

『これからメールを送ってみようと思う』

『うん』

 しばしの沈黙。

『もし会えそうならトーマも一緒に来てくれる?』

『もちろん』

『助かる。ではおやすみトーマ』

『おやすみ二三』

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