第4話 眼帯と告白
次の日の放課後。僕と二三は花村先生に付き添われて西宝市警察署を尋ねた。
「探偵係って凄いな。警察にまで挨拶するなんて思ってなかったよ」
「そりゃそうよ。実際の捜査に協力することもあるし」
僕は二三に言ったのに花村先生が得意げに返事をした。
「捜査って、少年探偵団みたいな感じで?怪しい男を尾行したり?」
「アハハ、まずないけど東校生徒に関連する少年犯罪とか、校区内の少年犯罪とかについて参考意見くらいは求められるかも。ま、校内調査をしていて手に負えない事案にぶつかったら警察に頼るって感じかな。あとは啓発活動なんかのお手伝い」
そりゃそうだろう。聞いた僕が馬鹿だった。僕は横を歩く二三に向かって話しかける。
「赤も持ってるんだ、眼帯」
今日の二三の眼帯はいつもの黒ではなく赤。まるで小学生が入学式に付ける蝶ネクタイのようで可愛い。
「今日は探偵係初の公式行事だし。警察にご挨拶に行くわけだから赤かなって… 変かな?」
「うーん、確かに黒の眼帯って犯罪者っぽいしね」
「四十崎さん、その眼帯どうしたのって聞かれたらものもらいで眼が腫れちゃってとか言うのよ?あたし邪眼娘なんですとか正直に言っちゃダメよ?」
さすがは空気を読まない花村先生。二三に面と向かって邪眼とか眼帯とか言えるのは僕を除けば校内では今のところ花村先生くらいのものだ。ある意味これも異能と言っていいんじゃないだろうか。二三も花村先生の発言を嫌がる素振りを見せない。
「肌色の方が良かったかなぁ…」
二三はちょっと心許なさげに僕の方を見る。二三は結構心配性だ。とにかく周囲の目が気になるらしい。ここ三日ほど頑張って登校しているもののこれまで三年近くはほぼ不登校、稀に保健室や図書室登校する程度だったのだから当然といえば当然かもしれない。
「着いたわよ。結構歩いちゃったな」
花村先生が暢気な声で言う。西宝警察署は真四角のコンクリート打ちっ放しの建物で、良く言えばシンプルで無駄がない、悪く言えば何の愛想も特徴もない建物だった。中に入って生活安全二課へ。
「あのう、西宝東高校から参りました花村と申しますぅ」
花村先生が少々おっかなびっくりといった感じで名乗る。カウンターの近くでパソコンのキーボードを叩いていた白髪頭の男性がこちらに顔を向ける。
「ああ、探偵係さん?」
「そうですぅ」
花村先生はどこか卑屈な声で答える。
「おーいヤマチュウ、探偵係さんだぞ」
男性が大きなだみ声で叫ぶものだから周りの人の視線が一斉に僕たちに集中する。二三はモジモジとしながら俯いた。春らしい薄桃色のニットにフワッとしたスカート姿の女性が笑顔を浮かべてカウンターへ近づいてくる。
「こんにちわ。生活安全二課の牧岡です」
花村先生に挨拶した牧岡さんは僕たちに「よろしくね」と微笑みかける。年の頃は二十代半ばくらい。あまり警官には見えないタイプだ。部屋の奥で四十前後の男性が立ち上がる。何だか面倒臭そうな表情。まあ高校生の探偵係さんが尋ねてくると言われたら、大抵の警察官はこんな表情を作るのだろう。男は花村先生に軽く会釈する。
「生活安全二課の磯山です。牧岡、応接室だ」
「はい」
牧岡さんは何やら鼻歌を謳いながらカウンターから出てくると、
「さぁこちらへ」
と先導する。第二応接室。六畳ほどの小綺麗な部屋に通された。勧められるままに合成皮革のソファに腰かける。
「すぐお茶をお持ちしますから」
牧岡さんは歌うように言うと部屋を出て行ってしまう。五分ほどして磯山さんと湯呑を載せたお盆を持った牧岡さんが入ってくる。花村先生が立ち上がったので僕らも一緒に立つ。磯山さんが手に持っていた名刺を花村先生に差し出す。
「生活安全二課の磯山です」
「生活安全二課の牧岡です。よろしくお願いします」
花村先生はバッグを引っ掻き回して名刺を取り出すと磯山さんと牧岡さんに手渡す。花村先生はいつまでたっても僕たちを紹介してくれる様子がない。磯山さんの胡散臭そうな視線に耐えられなくなって自分から名乗る。
「西宝東高校一年五組の清村刀真です」
「四十崎二三です」
磯山さんはジロジロと無遠慮に二三の顔を眺める。
「何だぁそりゃ?コスプレとかか?」
「―いえ」
口ごもる二三。僕がフォローする前に牧岡さんの警官らしくない、磯山さんと正反対の明るい声が響く。
「ひょっとして四十崎さんもエヴァファンなの?それ手作り?」
グイグイ来る牧岡さん。僕は横から口を出した。
「眼の病気なんです。紫外線に当たると良くないらしくて」
「へぇ―」
今度は僕の顔をジロジロと眺めまわす磯山さん。口元が更に歪んだが何も言わずに僕らにソファを勧め自分もドサリと腰を下ろす。牧岡さんが「お茶、飲んでね」と僕と二三に屈託のない笑みを見せる。
「探偵係とはまた酔狂というか、珍しいですな。ぶっちゃけ何なんです?その探偵係ってのは?」
「ええ、正式には生徒事案相談調整委員ですぅ。まぁ主に生徒間の揉め事や相談案件を処理する委員でして。はい。万引きや喧嘩、暴走行為のような犯罪行為に関連する案件の場合は西宝警察署さんにご相談することになりますので。今日はそのご挨拶に」
「ふうん」
磯山さんはまた得意のジロジロで僕と二三を威圧する。花村先生の前に並べられた名刺には「警部補 磯山忠弘」とある。牧岡さんの方は「巡査 牧岡 春香」。
「少年犯罪といっても最近は大人顔負けだ。特に暴走族や駅前でたむろしてる連中なんかはな。そういう連中には近づかないことだ。探偵部だか何だか知らんが、サッカーとかブラバンとか、いろいろあるだろうが」
「そぉよぉ、いいわよぉ、ブラスバンド。あっ、確かあなたたちの学校、甲子園の入場行進でプラカード持つのよね?」
牧岡さんは鼻歌でアフリカンマーチのリズムを刻みながら縦笛を吹く真似をする。
「いえ、あれはうちの学校じゃなくて市立西宝高校です」
「そうなんだ。ごめんね、私野球に詳しくなくて」
牧岡さんは悪びれるふうもなくあっけらかんと言った。磯山さんは緑茶を一口ガブリとやるとチラと牧岡さんを睨みつける。
「まあとにかくだ、素人はあまり余計なことに首を突っ込むなってことだ。いつでも警察がフォローしてやれるとは限らんからな」
「そおよぉ、最近は少年犯罪と言っても凶悪なのが増えてるから。あたしだって怖いくらいよ」
花村先生がペコペコと頭を下げる。少々卑屈にすぎる態度だ。
「えぇもう、この二人にはよぉく言って聞かせますから。警察の皆さんにご迷惑をかけることなんてもう」
突然部屋の内線が鳴る。牧岡さんが渋面を作りながら「なんか微妙に外れてんのよね、この着信音」と文句を言いつつ受話器を取る。
「主任、外線からお電話だそうです」
「おお、自席で取るわ。ちょっと失礼」
磯山さんが席を外す。ドアが閉まると牧岡さんは途端にリラックスした表情になる。
「で、どっちが探偵さんでどっちが助手なの?」
「えーとですね、一応、生徒事案相談調整委員は彼女で僕が副委員何ですが」
「へぇ、じゃぁ可愛い女子高生探偵さんてわけね?聞いていいかしら」
「はい」
「何でわざわざ生徒事案相談調整委員になろうと思ったの?常設の委員じゃないのでしょう?署の古い人に聞いたら十何年前にそういう話があったって聞いたけど。彼氏と仲良く探偵ごっこで盛り上がりたいとか?」
口調からしてからかっているわけでも嫌味を言っているわけでもなさそうだ。どうやら相当暢気なタイプのようだ。
「いえ― そんなんじゃ」
二三はしどもどしながら答える。
「じゃぁ何?大丈夫、磯山さんには言わないから」
「あたし、不登校が長くて、友達がいなくて。だから、すこしでもみんなの役に立ちたいなって」
牧岡さんはケラケラ笑いながら二三の方を指さす。
「嘘だね。嘘嘘。それくらい分かるよ?これでも一応少年係の警官だからねぇ」
「じゃぁ牧岡さんが警官になった理由、教えてください。そしたらあたしも教えます」
「そんなの簡単よぉ。キリギリスさんみたいに楽器弾いてワイン飲んで暮らしていけるわけないじゃない。生きるため?食べるため?そういうところね」
ドアがバンと空いて磯山さんが帰ってくる。
「牧岡、もう説明終わったか?」
「えぇ、ほぼ。後は少年犯罪の現状と、犯罪を目撃したり、話を聞いた場合の対処の仕方、署の相談窓口と補導員さんとの連携態勢についてくらいですかね」
「なんだよ、全部じゃねぇか。チンタラしやがって全く」
「主任の武勇伝に時間がかかったんです」
牧岡さんは澄まし顔で嘘を吐いた。
「すまんが仕事でちょっと出なくちゃならなくてな。資料をよく読んでおいてくれ。分からないことがあったら牧岡に連絡してくれればいいから。行くぞ」
「え、私もですか?」
「当たり前だろうが。仕事だ仕事」
「えー、今日『僕と君の恋愛ゲーム』初回なのにぃ。録画してないのにぃ」
「どうせすぐどっかで再放送するだろうが」
二三が意を決したように「あの」と声を出す。
「なんだ?」
「あの、あたし、ある事件を調べたいんです」
磯山さんが訝しげに尋ねる。
「何だ?ある事件って」
「飛び降り事件です。西宝東中学校で三年前に起こった生徒の飛び降り事件」
磯山さんは少しの間二三の顔をジッと見ていたがやがて試すように訊いた。
「それが目的か?探偵ごっこの」
二三はジッと磯山さんを見つめ返している。不意に磯山さんがブルっと震えた。
「何だよ怖い目しやがって。飛び降りじゃないとか言うんじゃねぇだろうな?」
二三は沈黙したまま。磯山さんは眼を逸らして苦笑する。
「牧岡、玄関までお見送りしろ」
「はい。行きましょうか」
僕たちは牧岡さんの後をついて玄関ホールへ。牧岡さんがニッコリ笑って会釈する。
「何かあったら私に電話かメールをちょうだいね。課の直通番号と私の公用アドレスも資料に載せといたから」
「ありがとうございます。お仕事って、事件ですか?」
牧岡さんは悲しげな顔で頷く。
「歌って踊って楽器を掻き鳴らすだけでは生きていけないのよ、私たち警察官は。じゃぁ、探偵係さんも頑張ってね。あっ、そうだ」
牧岡さんは二三に顔を寄せて悪戯っぽく笑う。
「さっき言ってた事件、内緒で調べておいてあげる」
そう言うと牧岡さんは一礼して戻っていった。
「はぁ、終わった終わった。私たちも帰るとしようか」
花村先生はホッと脱力しながら肩をトントン叩いた。
その夜。僕が風呂から出て自室に上がると机の上のスマホのランプが明滅している。画面を開けると二三からメッセージが着ている。
『今、暇か?』
二十分前のメッセージだ。
『暇だよ』
と返す。すぐさま返信があった。
『トーマ、携帯は常に身近に置け。緊急時に連絡が取れないと困る。それとも私に返信するのが嫌なのか?』
『風呂に入ってて今気づいたんだ』
『お風呂入ってて電話取れなかったのぉゴメンねぇ―とかいうのは大抵嘘だ。気遣い無用。嫌なら嫌と言えばよいのだ』
僕は相手に溜息が聞こえないことに感謝しながら、
『二三からメッセージ貰えるの、すごく嬉しいけど。僕には気を許してくれてるんだって感じがして』
数十秒の沈黙。
『明日、暇か?』
心の中の逡巡を悟られないよう、素早く指を動かす。
『夕方から塾。六時前に家で軽食食べて出かける。昼間は暇』
この後の沈黙はさっきより短かった。
『では塾の用意をして次の住所に十二時集合だ。作戦会議だ。昼ご飯は食べずに来い?』
続けてマップソフトの位置情報が送られてくる。
『作戦会議って?』
『生徒事案相談調整委員の活動に関する会議だ。他に何がある?』
僕はちょっと考えてからキーを打つ。
『二三こそ気を使わなくていい。暇なら明日家に来ない?でいいんじゃない?少なくとも僕相手の時はそれでいいけど』
また数十秒の沈黙。
『じゃあ明日』
『了解。おやすみ』
その夜はそれきり二三からのメッセージは来なかった。
地図を見る前は、丘に上にポツンと建ったとんがり屋根の一軒家といった想像をしてたが、二三の送ってきた住所はこの間行ったCaveCafeからほど近いマンションだった。エントランスに入ってインターフォンの423を押す。
「エレベーターを降りて右に三件目」
二三のか細い声が聞こえ奥の自動ドアが開いた。ドアをくぐってエレベーターに乗り込む。「4」を押してエレベーター扉の内側に写った自分を見ながら手早く髪を整えなおす。やはり女子の家を尋ねるというのは緊張するものだ。エレベーターを降りて右へ。二三が部屋の外に出て待っていた。軽く手を上げて挨拶する。二三も俯いたまま顎の辺りで手をひらひらさせる。
「入って」
と言って二三は先に部屋に上がった。僕は「お邪魔します」と言って部屋に上がる。靴を玄関向きに揃える。手に持っていた菓子折りの紙袋を二三に差し出す。
「あの、これみなさんでどうぞ」
「あ、ありがと」
二三はペコリと頭を下げて紙袋を受け取る。
「あの、座ってて。準備するから、ご飯の」
「あっ、お構いなくだよ」
二三は曖昧に頷いて台所へ行く。十二時集合というのはそういう意味だったのか。僕はさり気に部屋を観察する。シンプルなリビング。大きなTVとオーディオセット。フローリングにビーズクッションが四つ。四人掛けのダイニングテーブル。窓際に置かれた沢山の多肉植物の植木鉢。台所から肉とタマネギの焼けるいい匂いが漂ってくる。変に遠慮するのも二三に気を遣わせるばかりだから床のビーズクッションに腰を下ろしてスマホいじりながら待つ。しばらくして、
「お待たせ」
と二三の声。テーブルの上に上品なクリーム色のランチプレート。チーズハンバーグはクツクツと泡立っている。ニンジンのグラッセ。インゲン豆。フレンチフライ。プリンカップで型取りしたチキンライス。グリーンピースの緑が綺麗だ。キャベツとカイワレ大根、セロリのサラダ。デザートはイチゴだ。
「わあ、美味そう」
「あの、掛けて」
僕はダイニングテーブルに二三と向かい合わせに座ると「いただきます」をして、ナイフとフォークを手に取る。
「あの、トーマ」
二三が躊躇いがちに言う。メールの文面から受ける印象とはまるで正反対だ。
「これ、外していい?トーマはあたしの眼、平気だから」
「ああ、もちろん。いいよ」
二三は頬を赤らめながらそっと黒い眼帯を外した。何かドギマギしてしまう。銀灰色の瞳が現れる。吸い込まれそうなという表現がぴったりの綺麗な瞳。僕はつい無遠慮に二三の眼を覗き込んでしまう。二三はモジモジと俯く。
「あっゴメン。図々しくジロジロ見ちゃって」
「い、いいよ。珍しいもんね。た、食べて」
僕はハンバーグを切って口に運ぶ。熱くてジューシーで、ほとんど店で食べる味だ。
「美味い」
本音が漏れる。
「いつも料理してるから。独り暮らしだし」
僕はハンバーグをモグモグやりながら「え、独り?」と尋ね返した。CaveCafeで会ったおじいちゃん、おばあちゃん、零一さんや四五ちゃんが一緒だと思い込んでいたのだ。
「うん。だってあたしの眼は相手を選ばないから。あたしと暮らすのは家族も大変だし。あたしも独りのほうが気が楽だから。ここに家族以外の人が来たの、初めてかな」
そうだったのか。手土産渡すとき「みなさんで」とか言っちゃったな。
「眼帯を外して誰かと向き合って食事するなんていつぶりだろ。思い出せないよ」
二三は大きく切ったハンバーグを頬張りながらジッと僕を見る。
「本当に平気なんだね。こんな人いるんだな。あっ、ゴメン。食べづらいよね」
僕はチキンライスをフォークですくう。これも美味い。
「マジで美味い。ほんとにCaveCafeで出せるんじゃない?」
二三ははにかんだように笑う。
「零兄やヨウちゃんにはたまに作るんだけど。Caveでね」
「そうなんだ」
僕はサラダを頬張る。二三がこちらの意図を読んだようにぶきっちょな笑顔を見せる。
「この間Caveに来てくれた時、姓が違うのに気付いたよね」
「うん、まあ―」
二三はフォークに刺したフレンチフライを齧りながら話す。
「二人も異能者なんだ。あたしみたいに他人に危害を加えたりすることもないからパパとママと暮らしてるけど」
どうやら御両親は健在らしい。そして零一さんと四五ちゃんは異能者なのか。どんな異能の持ち主なのか気になったがさすがにズケズケと聞くこともできない。
「二人もこの近くに?」
「同じ西宝市内だけど、みんなは北口駅のほうのタワマンだよ」
「そっか」
二三はチキンライスとハンバーグソースを混ぜて口に運ぶ。美味そうだから僕もやってみよう。
「言っとくけど、パパもママも一緒に暮らそうって言ってくれたんだよ?あたしが嫌だったんだ、家族に迷惑がかかるの。呪いの少女の家族じゃ学校でもイジメられちゃうし、ご近所付き合いも苦労するから。四十崎はお母さんの旧姓、Caveのおじいちゃんおばあちゃんの姓なんだ」
「そうだったんだ」
僕はあまり得意でないインゲン豆を半分に切ってできるだけ自然に食べる。あれ?美味いじゃないか。二三の料理の腕がいいのか?
「インゲン、苦手?」
「えっ、分かるの?」
「別に心を見抜く力があるわけじゃないよ?良く相手を観察する癖がついてて。この人は何を考えてるんだろうとか、あたしのこと嫌ってるかな、避けてるかなとか、そんなことばかり見てるから。おまけに普段ずっと眼帯で右目を覆ってるから、外すとそういう細かいところがすごくよく見えるんだ」
皿の上があらかた片付いた頃、僕は我慢できなくなって昨日の警察での話を切りだした。
「昨日からずっと気になってたんだけど、帰り際に言ってた西宝中学の飛び降り事件。あれが探偵係になった理由なの?」
二三は皿の上から大きなイチゴを手で直接つまむと一口齧る。微かにクチュッと音がして、化粧気のない二三の唇が赤いイチゴの果汁に染まる。
「そうだよ」
言ってから二三は残り半分のイチゴを食べる。口の端から赤い滴が垂れたのを舌先で舐める。氷水を一口呑んで口元をティッシュで拭いた二三は天井を見つめたり、俯いて唇を尖らせたりしていたが、やがて決心したようにうんうんと頷く。
「そうだよ。それが目的」
「自殺じゃないと思ってるの?」
二三はかぶりを振った。
「自殺。それは間違いないと思う。でも自殺に追い込んだ者がいる。あんたなんか早く飛び降りていなくなってしまえって。そこから飛べば何もかも終わる。苦しくて辛い地獄から逃れられるって。死へ追いやった者がいる」
「その犯人を探すのかい?」
「犯人じゃない。クラスメイト。元西宝中学校一年五組、椿組のクラスメイトの中に彼女を死に追いやった者がいる」
そうか。何となく話の流れが分ってきた。
「二三も椿組だったの?」
二三はコクリと頷く。
「死んだのは小山内詩穂。あたしのただ一人の友人だった。優しくて、正義感が強くて、ただ一人、あたしのことを避けたり、化け物を見る目で見なかった」
氷水のグラスがカラリと音を立てる。喉を潤した二三は小さいが良く通る声で続けた。
「小さな子供の頃からあたしの眼には不思議な力があった。あいつに睨まれると呪われる。子供たちだけでなく、大人でもあたしを避ける人が大勢いた。あいつに睨まれた後で怪我をした。長谷川と眼が合ったら気分が悪くなったとか、心臓が止まりかけたとか。薄気味悪い悪霊のようにあたしは避けられてた。確かに半分は事実。でもあくまでも半分だけなんだよ。正確にはあたしに意地悪したり、乱暴な事したりした人は、あるいは自分の心の中にやましさや罪の意識を持っている人は、私の視線がきっかけになって体調を崩したり、精神のバランスを崩したりして自分で自分を傷つけてしまったりする。つまりあたしが呪ってるんじゃなくて、あたしの眼は単なるトリガーなの。みんな自分で自分の罪を償ってるだけ。それなのにみんな自分の犯した罪は棚に上げてあたしばかり非難する。あいつが呪った、あいつは邪眼持ちだって」
二三はコップの水を飲み干すと小さく息を吐く。
「詩穂だけは私を避けなかった。でもその優しさと真っすぐな性格がクラスの中心人物たちの反発を買った。詩穂は精神的にゴリゴリ削られて、最後は窓際に追い詰められて、そこから飛ぶはめになった」
僕は皿の上のイチゴを取ると二三の口元に差し出した。
「話してくれてありがとう。探偵係として二人でできることをやろう」
二三は黙ってあの昼休みのように僕の手首を掴むとイチゴにかぶりついた。契約のイチゴだ。
「さて、じゃ作戦会議だ。まずはどうする?当時の記録や資料が残ってるとしたら学校か警察。生徒のプライバシーが絡むから学校の資料を見せてもらうのは簡単じゃないし、警察の資料は警察が見せる気になってくれないと絶対に見れないよ。あとは小山内さんのご遺族か」
二三はピッチャーからグラスに水を注ぎ、ついでに僕のグラスにも注いでくれる。
「考えがあるの。トーマはどう思った?あの磯山さんと牧岡さんて刑事さんたち」
「うーん、磯山さんはいかにも刑事って感じかな。あの人に嘘ついてもすぐ見抜かれちゃうな。牧岡さんは何か軽いね。新人なのかな。多分音楽隊に入りたくて警察に入ったんじゃないかな」
「どうしてそう思ったの?」
「笛を― クラリネットを拭く真似をした時の口の動きとフィンガリングが素人じゃなかったし。それに何かと音楽の事を口にしたから」
「トーマは音楽が分かるんだ?楽器は弾ける?」
「ギターを少し」
「少しって?どれくらい?」
二三は大きな銀灰色の右目と紅茶色の左目でジッと僕を見つめながら尋ねる。
「えーと、まぁその、サクラサクラをゆっくりとなら弾けるって感じかな。その、高校受験の前に教室をやめちゃったし」
二三はまだジッと僕を見据えている。
「えと、あのう、まぁ正直、そんなに上手くないよ。うん。ギター少年を騙ってしまってごめん」
二三はクスリと笑う。
「こっちこそごめん。見栄を張ってギターを少しとかいう人だと、私の視線がトリガーになって、自分自身の見栄や嘘がどんどん胸の内で膨れ上がっていって、気分が悪くなったり、急に暴れ出したりしちゃうの。で、長谷川に見られると呪われるって噂が広まってく」
どうやら二三は自分自身の視線の力の作用の仕方と噂の拡散のメカニズムについて僕に体感させたかったらしい。
「トーマの見立ては正しいと思う。あたしチラっと牧岡さんの机の上を見たの。デスクマットの下に県警音楽隊のコンサートのチラシが挟んであった。間違いなくが楽隊希望者だと思う。ごめん、なんか試すみたいになっちゃって」
「えー、知ってるなら先に言ってよ」
僕の軽い言葉に二三は急に黙り込んで上目遣いに僕を見る。
「ごめん、言い方がきつかった?」
慌てる僕に二三は小さく髪を左右に揺らす。
「ううん、そうじゃなくて。あたしに向かってそうやって文句を言う人いないから。文句言われるのもちょっと嬉しいかも」
二三はどうやら不思議な目を持つだけでなくかなり変わったキャラクターの持ち主らしい。問題なく委員を勤め上げるのに苦労するのは間違いなさそうだ。
「あの二人から聞き出すの?」
二三はコクリと頷く。長くてサラサラの少し赤みがかった髪が揺れた。
「わざと飛び降り事件のことが気になるような言い方したの。あの二人は必ず当時の捜査資料に眼を通すはず」
「見る可能性は高いと思う。でも絶対と言えるかな?」
「絶対見る。あの二人の眼を見れば分かる。牧岡さんものほほんとしているように見えてちゃんと刑事の目をしてた。刑事の武器は目がいいこと。そして弱点はすぐ目に出てしまうこと。二人ともあたしの言葉に凄く反応した。必ず見る。時間の問題」
「ねぇ、二三」
「何?」
「ひょっとして、僕の内心も全部見抜いてる?見抜かれてる?僕」
二三は慌てたように顔の前で手を振る。
「み、見抜いてなんかない、全然。だっ、大丈夫だよ、ホントにっ!あくまでも一般論というか、感覚で言ってるだけだから。心配しないでいいよっ」
かなり心配だ。なにしろおゆきに代表されるように女子の眼力と勘の良さたるや最早異能のレベルであるからだ。目の前にいるのは正真正銘の自称異能者で、しかもその異能力は正に眼に関するものだからだ。まさにテレパシー並の眼力と考えたほうがいい。ホントだからねと慌てた素振りの二三に僕は笑って「分かったよ」と言っておく。
「で、牧岡さんに教えて貰う?教えてくれるって言ってたし」
「うん。そうする。警察の情報は牧岡さんから貰う」
「いや、そう簡単に言うけどさ」
「考えがある。任せて」
「分かった。委員長に任せるよ」
僕は綺麗になった皿にフォークとナイフを置いて「ごちそうさま」を言った。僕は自分のお皿をキッチンに運びながら尋ねる。
「でもさ、二三って普段の口調とトークの文章にギャップありすぎじゃない?」
二三はビクッと肩をすくめてオドオドした口調になる。
「零兄やヨウちゃんにも言われたことあるんだ。あたし友達いないから、距離の取り方が分からないって言うか、トークの文章どう書いていいのか分からなくて。な、何かおかしなこと言ったかな?」
「大丈夫、言ってないよ。ただまるで別人というか、SNSの中じゃ随分と女王様キャラだし、どっちが本物の二三かなぁって思って」
「ごっ、ゴメン。あたし独りが長いから、とてもマイペースで、い、嫌だった?」
「いや全然。気にし過ぎだって」
二三が「コーヒー飲む?」と訊いたので気軽に「うん」と返事する。すると二三はキッチンの戸棚から蓋付きの缶を幾つか出してきてテーブルに並べ「どれがいい?」と尋ねる。缶には「サントス」とか「モカ」とか「マンデリン」とか豆の品種を書いたシールが張ってある。中に「AIZAKI」と書かれた缶がある。
「これってCaveで出してるコーヒーってこと?」
「おじいちゃんがオーナーになってるコーヒー農園で取れたコーヒーなんだ。小笠原にあるんだけど」
「日本でもコーヒー豆取れるんだ」
「うん。小笠原とか沖縄くらいならなんとか。でもまだまだ農園の規模も小さいし、市場での需要も多くないから。Caveでも豆を売ったりしてるけど、商売というより農園支援だね。何年か前なんか台風で全滅しちゃったことがあったよ。でもオーナーだから儲け度外視で農園経費なんかは負担するんだけど」
「じゃあせっかくだしAIZAKIを飲ませてよ」
「うん」
二三はコーヒーミルを出してくると、計量スプーンで豆を三杯量ってミルに入れた。ゴォリゴォリとミルのハンドルを回し始める。フワリとコーヒーの香りが立ち始める。豆が挽けると二三はお湯で温めておいた鼓の形をしたドリッパーにペーパーフィルターをセットして粉を入れた。
ガスコンロにかけていた銀色の細口ポットから細く湯気が上がり始めるのを見計らって、二三はポットをコンロから下ろす。粉の真ん中に銀線のようなお湯を垂らす。粉が丸く盛り上がるように膨らんでいく。二三は膨らんだ豆の中心にお湯を細く垂らしていく。褐色の液体が鼓型のドリッパーの底に溜まり始める。淹れたてのコーヒーを、これまたお湯で温めていたマグカップに注いでくれる。CaveCafeで出してくれたのと同じ白いマグカップだ。二三がカップを手渡してくれる。
「座って飲んでね」
二三が「ミルク、いる?」と聞いたので「いらない」と答える。二三は自分のカフェオレを作り始める。温めていたカフェオレボウルに温かい牛乳を注ぐ。白い厚手の生地には何の飾りもないからご飯茶碗と間違えてしまいそうだ。そこに淹れたてのAIZAKIを注ぐ。
二三がボウルを持ってテーブルに戻ってくる。
「これ美味しい。この間Caveで飲ませてもらったのと全然味が違うね」
「コーヒーも植物だから。品種や産地で味が全然変わるよ。おじいちゃんが言ってたけどその年の天候によっても違うって。あたしはそこまで分からないけど」
そう言って二三はカップで顔の下半分を隠しながら上目遣いに僕を見た。何やら言いたいことがあるらしい。
「ん?何?」
「う、うん、あのね」
二三は恥ずかし気にモジモジする。
「今日は何時頃まで大丈夫?」
「うん、ここ五時半に出たら余裕かな。あ、何か予定でもあった?」
二三はブンブンとかぶりを振った。
「ヨウちゃんが、フミ姉はコミュ障だから男子と二人じゃ会話が長続きしないだろうって。ご飯食べ終わったら映画でも見たほうがいいよって」
二三はDVDのケースをそっと差し出す。タイトルは「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」。
「あっ、あたしの大好きな映画で。い、一緒に、観てくれる?」
「もちろん」
二三はホッとした表情でTVの前にビーズクッションを二つ並べ、その間に小さなローテーブルを置いた。僕たちはカップを持って部屋を移動しクッションに並んで座る。二三が右側、僕が左側。二三がリモコンを操作してDVDを再生する。映画の始まる前に二三の顔をチラっと横目に見る。どこかポーッとした表情で画面に見入る二三の横顔はとてもピュアで、邪眼少女という二つ名からは想像できないほど可愛らしかった。
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