第7話 物語の核心 〜BBBの正体〜


ヤクザは私が背負っている赤ん坊を見ると、

「まずはその子をよこせ」

「嫌だ……!」


「その赤ん坊はお前が思っている以上に危険な存在なんだ」

私は背負っていた赤ん坊を体の前に抱えた。


「お前たちに渡すくらいなら今この場で締め殺す」

「よせ! やめろ! その子の……B・B・B|(ブラックボックスベイビー)の正体を教えてやる……!」


私は胸の前で不安そうにしている赤ん坊をチラリと見た。

その子はまるでこの状況がわかっているかのような表情を浮かべていた。

普通の赤ん坊なら何が起きても無垢に笑っていそうなものだが。


「この子の……正体?」

この子の正体がわかれば、私が一体何に巻き込まれたのかがわかるかもしれない。


「いいだろう。言ってみろ!」


そして男は、赤ん坊の正体を語り始めた。

「その子は、最新の技術を使って創られた『赤ん坊2.0』だ。


世界中の科学者の技術で、遺伝子がいじくられている。


その赤ん坊と一緒にいて変なことが起きなかったか? 例えば、その子に感情をコピーされたりしただろ?」


私は唾をごくりと飲み込んで、

「あったけどそれが何? この子は一体なんなの?」


「その子は、お前の感情・表情だけでなく体質までもコピーしている。その赤ん坊の正体は、体細胞のほとんどをミラーニューロンに変えられたDNAの化け物だ」


[ミラーニューロンとは? 以下引用]

科学者たちが発見したのは、「ミラーニューロン」と呼ばれる脳細胞だ。これらは、他人の感情、行動、身体的感覚などを、自分の感覚のように感じて模倣するための特別の脳細胞である。


たとえば、誰かの身体を針で刺せば、その人の脳の「痛み中枢」の神経細胞は即座に活性化する。これは別に驚くほどのことではない。


しかし驚くべきは、その人が、誰か他の人が針で刺されたのを見たときにも、自分が刺されたのと同じ神経細胞が活性化するということだ。


つまり、その人は触られてもいないのに、針の痛みを実際にかすかに感じるのである。


信じられないというだろうが、こういうことは、痛みのほかにも、恐怖、幸福感、嫌悪などさまざまな感覚についても起こり、ほかの数多くの実験によって確認されている。


ショーン・エイカー. 幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.3690-3697). Kindle 版.






「ミラーニューロン……モノマネ細胞のことね? 確かにこの子は、周囲の人の表情をコピーする。でもだからなんだっていうの? ただモノマネが上手な赤ん坊に七億も出す?」


「モノマネが上手なんてレベルじゃない。その子のミラーニューロンは脳内のみに収まらず、肌にまで広がっているんだ。体質までも周囲のものと同化しだだろ?」


私は、この子を殺そうと試行錯誤していた時を思い出した。

この子の肌に刃物が触れた時は、体がナイフのように硬化していた。あれはナイフの硬度をコピーしていたんだ。


だが手で触れた時は、普通の赤ん坊のように柔らかかった。あの時は、私の肌の硬度をコピーしていたんだ。


「だから触れた時は柔らかかったけど、ナイフでは傷つけられなかったのか……」


「そうだ。それとその子が生まれた時は、男の子だったが今じゃ女の子になったんだろ?」


「えっ? 何で知っているの?」


私の見間違いじゃなかったんだ。確かに赤ん坊の股のアレはいつの間にか消えていた。


「その子はお前の性別をコピーしたんだ」

「性別を……コピー? 一体どういうこと?」


「その子はモノマネが上手いんじゃなくて、育てた人と完全に同一人物になることができるんだ。つまりその子は、二人目のお前になろうとしている。


ここまで言えば、なんでその子に七億の価値がつくか想像できるな?」


「……人生をやり直せるのね?」


「そういうことだ。人生は理不尽なほど不平等だ」



[自分では変えられない不平等のほんの一例]

◆東大生の約60%は世帯年収950万円以上。親の収入と子供の成績には明らかな相関関係がある。

(2018 東京大学の学生生活実態調査より)


◆世界で最も裕福な男性二二人の総資産はアフリカに住むすべての女性の総資産を上回っている。そして、裕福な男性はほとんど白人だ。

(フォーブスの世界長者番付より)


◆少年院に収監された若者の男子の約3割、女子の約5割がなんらかの虐待を受けている。

(法務省の調査)





「親からのしつけ、家庭環境、DNA、性格形成、それら全てを自分の思い通りにして人生をリセットできる。異世界転生や貴族転生なんてチャチな妄想じゃない。


お前の人生を今からもう一度自由にやり直せるんだ、自分が自分の親になってな」



「私の人生をやり直せる……」


人生=環境×遺伝子×努力だ。

そのうち二つは、自分の意思で選ぶことができない。それがこの世が不平等たと言われている所以だ。


もし、環境と遺伝子を自由に操作できるとしたら、努力が報われない可能性がグッと減る。

最高の環境で、遺伝子のいいとこどりをすれば、その子の人生は特別なものになる。


私は胸に抱える子供を見て、思った。


(やり直せる! 人生をやり直せるんだ!)


この子さえいれば、私の惨めな人生は変わる。ずっとやり直したかった人生をやり直すことができるんだ。



男は続ける。

「その子の価値がわかったかな? 今、世界中の金持ちが水面下で赤ん坊の奪い合いを始めている。戦争が起き、強奪が行われている。

赤ん坊を手に入れた金持ちは、その子に英才教育を施し、ゲノムを弄り、人種を変えて、肌の色を変えている。


愛情を注ぎ、金を注ぎ込み、たっぷりと可愛がるんだ。

自分の本当の子供そっちのけでな……。


みんな……自分の人生をやり直したいんだ」


私はぎゅっと赤ん坊を抱きしめる。

私はこの子を殺す気でいた。

だけど、『人生をやり直せる』という言葉の魔力は思ったより強かった。


誰もが心に傷を抱えている。

あの時ああだったらなどと考えても無駄なのに。


もしあの時、自分がこうだったら……と考えてしまう。


私は自分の今までの人生を思い出して、

「私は……ずっと誰かに褒めてもらいたかった。


一度でいいからお父さんに『さすが俺の子だ』って言ってもらいたかった。


お母さんにギュッて抱っこしてもらいたかった。

誰かに必要とされたかった。認めて欲しかった。


だけど現実はいつも違う。

お父さんもいない。お母さんもいない。

褒めてくれる人もいないし、かまってくれる人もいなかった。


みんな当たり前のように持っているものを、なんで私だけ我慢しきゃいけないのよっ!」


赤ん坊は私の怒りを察し、表情をコピーする。

「ひぐっ! うぐっ! うええええん!」


怖くなったのか大声で泣き始めた。

その時、まるで私の代わりに泣いているかのように感じた。


私はサヤカたちが殺されたところを思い出しながら、

「こんな社会なんかに……産んでほしくなかったの。


生まれてきたくなかったのよ! なんでこんなに辛いことばかり起きるの!

誰かと繋がってもすぐ断ち切られ、

幸福なことがあってもすぐ不幸のループに戻る。


苦しいことしかなかった……。

何が自由だ! 何が平等だ!


この社会は、理不尽そのものじゃないの!

この社会に生まれてくる子供がかわいそうでならない!」


「そうだな……この世は不公平だ。よくわかるよ。俺の四歳の娘はヤクザに殺されたんだ」

「ヤクザに? ヤクザ同士の抗争ということ?」


「おい……人を見かけで判断するなって母ちゃんに……そうかお前はその母ちゃんがいないんだったな」



すると男は懐から警察手帳を取り出した。



「あなた警察だったの?」

「ああ。こんなナリをしているからな。よくヤクザに間違われるよ。俺はお前を殺すために来たんじゃない。お前を……助けたいんだ」


私は怒気を男に放つ。


「助けたいだと? 私が一人で泣いていた時、いつも助けなんてなかった。だから今更助けなんかいらないっ! もう遅いんだよ……!」

空気が震えて、気化した怒りが周囲を焦がす。


「遅くなんかない。いつからでも人生はやり直せる。そんな魔法の赤ん坊がなくてもいいんだ」


「そんなこと言って! お前もこの子を利用する気なんだろ!」


もう誰も信じるもんか!

これまで通り自分一人だけを信じるんだ。

この社会に信じられるものなんて一つたりともない。


「そうじゃない。俺はただ……最初のB・B・B|(ブラックボックスベイビー)を守りたいだけだ」


「最初のB・B・B? 最初に作られていたら何なの?」

「最初のB・B・Bだけは特別なんだ。凄まじい量のミラーニューロンが埋め込まれている……俺はその子をずっと探しているんだ」


B・B・Bは全員額に数字が書かれている。普通に考えれば数字が若い方が最初に作られた赤ん坊だということになる。


赤ん坊を最初に箱から出した時を思い出した。今は消えてしまったが、額には数字が書かれていた。

数字は確か……


「そうか! この子がそうなのね?

この子の額の番号は『001』だった。この子が最初に作られたB・B・B(ブラックボックスベイビー)なのね? だからみんなこの子を追ってきたんでしょ!」


この子は特別だったんだ。

だからだ! だからあんなに執拗に追われていたんだ。


この赤ん坊が、『最初の赤ん坊』なんだ。それがこの一連の出来事の核心なんだ。そうに違いない!



だが、現実はもっと残酷だった。


「違う……一番最初に作られたB・B・B(ブラックボックスベイビー)の番号は『000』だ。その赤ん坊じゃない……


「もう大きく立派に育った?」


この男が探している赤ん坊は『000』番。ということはどこかにいるんだ、


「『000』番は、中でも特に強力なミラーニューロンを仕込まれた。他人を完全にコピーできるどころかオリジナルを上回るほどらしい。筋繊維をコピーすれば、


「何が……言いたいのよ……?」


「その子は、相手の動作を一瞬でコピーできる。だからじゃんけんしても永遠にあいこのままだ。腕相撲をしてもずっと引き分けになる」


「やめて……それ以上は、言わないで。お願い……」


私は一番最初の赤ん坊との出会いを思い出した。

この子は、私の目を見てなんて言っていたっけ?

【その赤ん坊は目をカッと見開いたのだ。冷たい瞳で私を見つめる。

赤ん坊は、口を開きはっきりと、私に「おいお前……! 名前とは?」】


私の……番号? 私にも……番号があったの……?



刀傷のある男は、他の誰でもなくこの私を指差し、

「最初のB・B・Bは……だ」



私の正体は、大人になった『000』番のB・B・Bだった。



最終話へ続く。



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